天文4年(1535)7月5日、甲斐国の武田信虎は駿河国への侵攻を図って出陣した。武田軍は同月17日以前には駿河国富士郡の鳥波に放火しているが、駿河守護・今川氏輝が駿府を出陣したのは同月27日のことであった。また、この出陣に際して氏輝は同盟勢力である相模国の北条氏綱に援軍を要請している。
この武田・今川の両軍は8月19日に甲斐国と駿河国の国境である万沢口で激突した。
双方の軍勢の規模や勝敗の帰趨は不詳であるが、22日には今川氏からの要請を受けた北条氏の軍勢が甲斐国都留郡の山中に進軍するという両面作戦を展開し、迎撃のために出陣した勝沼信友・小山田(越中守)信有らの軍勢を破って大勝しているが(山中の合戦)、武田氏と同盟関係にあった武蔵国の扇谷上杉氏が相模国に向けて出兵したことを知って24日に退却している。