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いまはパソコンやプリンターの性能が向上しています。コンピュータグラフィックですばらしい画像が容易に作られるようになりました。絵の材料も大変進歩しました。絵画を志す人の勉強の機会も増えました。趣味で絵画に興味をおぼえる中高年にも十分な余暇ができました。思った通り、観た通りのイメージを絵に表現する技術も格段に向上し、いまや写真のリアリズムに迫る勢いです。絵を描く手段も絵の具と筆だけではない。いろいろな道具、印刷、プリント,コピー,コラージュの技術が
使えます。つまり画像表現に何でも使える環境が整いました。
しかしそうした各種の作品群が一様に世間に受け入れられている訳ではなく、印象派に代表されるようなの一部の伝統的な油彩画作品だけが断トツの高い評価を得ているのです。これは一体何を意味するのでしょうか。
印象派の絵は極めて限られた手段手法のもとで書かれています。そこにポイントがありそうです。 芸術とは、限られた条件とルール下での作品造りと思います。その意味では野球やテニス等のスポーツと同じです。 ルールを無視したのではスポーツは成り立ちません。
伝統的な油絵は、道具をキャンバス、絵の具、筆、ナイフなどに限定し、筆やナイフのタッチを重視します。タッチは、腕で書いている という証でありその浪跡でもあります。手早く仕上げようとすれば当然そうなります。
それは書道の行き方にも似ています。書は墨と筆で書き、筆の勢いを重視し、二度書きや修正は許されません。それがルールです。流れるごとくに筆を 運び速さを意識する。その昔は書が情報を能率的に記録する唯一の手段だったから当然と言えます。そしてその様な実用的なニーズに応えて書のルールが確立
し、 すでに数千年の伝統を築き上げるに至りました。しかもその技術は、印刷やワープロの進化した今もなお芸術として生きています。
しかし現代派といわれる画家の中には、伝統的画風を越えて新しい世界を求めている人たちがいます。描くための手段は過去の制約から解放され、 コピー、定規コ
ン パスなどなど、何でもありの画法です。私はこの行き方に疑問を感じています。私はあくまでも愚直に伝統的画風を貫いた中で結果を求めたいと思っています。
2005/9/20
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