絵画悠々TOPに戻る

次章(5)に進む

前章(3)に戻る


    

4.頭のキャンバス  

 私は少年時代に、非ユークリット幾何学に興味を持ったことがあります。我々が生活している空間はユークリット空間と言われるもので、ここでは例 えば 互いに平行な直線はどこまで行っても交わらないとされています。しかし非ユークリット空間では、そうとは限らず、平行線が交わることもあるのです。 より広範に定義された空間と言えますが、これは単なる机上の空論ではないようです。事実アインシュタインの相対性原理によると、我々が存在する現実の 空間も多少曲がっており、例えば光は常に直進でなくて、ときに曲がって進むことされています。  
 さて、現実をあからさまに歪めて描くゴッホやピカソの絵は、もしかすると、もともと彼らの脳裏にある曲がった空間の上に素直に書かれているような気がします、直線 直角や遠近法(パースペクティブ)がきちんと適用される世界が唯一絶対ではないのです。
 子供とくに幼児の映像の捕らえ方は大人と違います。例えばお母さんの似顔絵をのびのびと面白く書いたりします。ときに意外な発想の絵を描き ます。 大人の目ではとても似ていないのだが本人は似ていると思って書いています。何故でしょうか。
 私どもは眼底の網膜を通じて捕らえたイメージを、平面あるいは立体的に復元して保存する記憶域(メモリ)を脳の中に持っているようです。つまり頭の中のキャンバスのようなものです。しかし子供の場合、 そのメモリは、われわれの2次元あるいは3次元のリヤルな空間に相当するものは、まだ充分には発達していません。恐らく原始的で無垢な空間なので しよう。それは非ユークリットで曲がった空間かも知れません。その上に思いのままに自由に絵を書いているし、それが彼らなりに納得の絵になってい ると思います。
 しかし我々大人の場合は、日常生活の中で夥しい量のイメージ情報を受け入れてきているので、それらを理解し、整理しやすいような入れ物としての記憶域が、無意識のうちにも自然に脳の中に形成されています。しかしこの入れ物は構図とか配色など、絵画的な要素の記憶や整理にはあまり適していないようです。それを土台にして絵画作品を生み出そうとすると、こうしてはいけな い、 ああしてはいけないなど、日常生活上の習慣や制約などが影響して、自由な発想を許さないのです。
 そうした制約から解放されて、自由な発想でより良い絵を描くことのできる優れた画家は、絵画専用の記憶域、つまり頭のキャンバスを持ち合わせているのだと思います。しかもそれは一般の人も、絵を書いたり見たりする機会を大いに増やすことで、次第に身につくものだと思います。つまりは絵画的な情景に対する感性や記憶力が鋭くなってくるのです。そして現実の風景をそのキャンバス上に映し出して、そこから作品化ができるのです。
 さて蛇足ですが、私は趣味の一つとして長年囲碁を楽しんできました。それに没頭した時期もありました。おかげで今では、複雑な石の配置を一瞥しただけで形勢をおおよそ判定できます。どうやら私には頭の碁盤が出来あがっているようです。
   2006/7/20

 このページのTOPへ