『ファイターズシップ』

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(序)
 獣の声がした。
 いや、声ではない、ただの息遣いだろう。
 ぜいぜい、だくだくと――――。
 まるで獣が“食べ物以外の何か”を求めて飢えているような……。
 
 ――違う。
 
 獣ではない。それはそうだ、ここはジャングルなれど、辺りを覆うのは樹木ではなくコンクリートの大木群である。獣など居ない。
 
 だけど――――この空間。
 
 それを形容するに当たってはいくら否定しても、獣、という一文字が最もふさわしい気がする。
 汗や“スポーツに酷似した暴力(或いはその逆)”と血、別たれる勝者と敗者。

 獣だと表現したが、それは見境無いという意味じゃない。
 例えば“ストイック”という言葉があるが、あれはまさに獣のことを指している。
 脇目も“知らず”生きるために生きているのだから、野生動物はストイックの極みだ。
 
 そして、ここには複数の獣が居る。複数……よって、犬だと言えるかもしれない。
 誰もが栄光という名の餌に飢えている。
 
 ――――だからこそだろう。
 
 ボクシングジムで和気藹々とトレーニングをしている者達にとって、彼は異質な存在だった。
 馴れ合わず、人を励まさず、また、己をも励まさない。彼は狼である。
 
 そんなストイックさに惹かれてか、はたまた彼の持つ、プロライセンスという威光に惹かれてか、このジムへやって来る人間は少なくない。かというボクは、只の見学者だ。
 
 産まれてこの方、運動らしいモノと言えば陸上やバスケットボールを人並み以下にしか(つまりはベンチを温める懐炉の役目を仰せ付かっていた)やって来ていなかった自分としては、非常に刺激的な光景が繰り広げられている。
 
 ジムはさほど大きくない、選挙事務所よりはマシだという程度だ。その中で、幾つもの破裂音に酷似した音が断続的に鳴り響いている。

 ふと、目線を傾けると青年の姿が留まった。若い……高校生だろうか、まだ見ぬ試合相手をサンドバックの表皮に思い描いては、己の魂や情熱をぶつけている。

 いつかリング上で対面する、殴り合い以外の事など何も考えていないような表情――いや、それも違う。

 青年の放つ瞬間刹那は、何も考えていないような……ただ本能のまま、心より点火して腕にアクセルをかけているような……。
 ふしぎなきもちになった。

 誰かを倒す為、強くなり栄冠を手にする為に行っている練習の筈なのに、何故か、それ以外の、いやそれ以上の――――。
 ことばにはならない。

 ただ――――――純粋に、そんな様を美しく思う。

 頭の中で起こる世界じゃない、あくまで体験・経験して得る世界なのだ。ボクが思考を巡らせても、答えらしきモノは見つからないだろう。

 世の中には、頭の中でしか分からない事と、身体に刻むことでしか解からない事の二つがある。
 タンクトップから覗く肩から、腕にかけ、次いで拳に至る軌道……これが人の顔や腹に当たるのか。

 ――ほころげに居心地が悪くなってボクは目線を変えた。

 その先にはボクササイズにお熱なお嬢様方がいらっしゃった。これもまた己の体脂肪率と戦っているのだから、そう馬鹿に出来たものではない。誰が何をどうしていよろうと、戦うという姿は美しいのだから。あれは己との戦いなのだろう。

 ――――ボクのように、誰とも、何とも戦えない者からすれば、尚のこと眩しく見える。

 汗をこぼす彼ら彼女らが、別世界に居るように感じる。あの汗は、誰かさんが常日頃流す涙とは違う。

 ――罪悪を感じるほど居心地が悪くなって、この日はこのジムを後にすることに決めた。

 出口に向かう足音は、どことなく、投入されたタオルのように、弱々しい音を奏でている。
 ねいろにすらなっていない。

 そして、結局、プロボクサーになった友人の彼には、何一つとして声を掛けられずに終わってしまった。

 住む世界の違いを歴然と目の辺りにしてしまったからだろうか。

 ―――――あぁ、そして、ボクはまた逃げるのだ――――――。


 ―――――あの日が来るまで、逃げ続けていたのだ―――――。


  (続)

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