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「お前や、学校卒業したらどないする?」 夜間学校の教室は、人口密度が低い為に小さな声でも大きく聞こえる。 「え、いや、まだ考えてないけど」 「そか」 そう言って彼は窓際へ歩み寄り、夜の教室へ入り込む夜光と向き合った。町は狭く、見える光も蛍の如くだ。 「お前は、なんかアテあるん?」 「アテか」 そう言ったきり、沈黙が訪れた。 生徒は皆帰っており、この教室にはボクと彼しか居ない。 故に沈黙は重苦しかった。 「無い訳やナイけどな」不意に口を開いた。 「何処行くねん?」 「――作業所や、土木作業所。ただのドカチン」 その答えを言うのに何故ためらったのか、ボクには解からなかった。 「ふぅん」ボクは内容のない相槌を打って、彼の話に終止符を打った。 網戸越しに吹き込んでくる夏の夜風が心地良い。時たま、網戸を越えて虫が入ってきたが、ボクはそれを躊躇無く殺した。 「お前や――――」彼が突然口を開いた。 ボクは彼の顔を観る。 彼は目を細めただけで、残りの伝達を放棄した。 そろそろ帰らなければならない。教師達もその旨を伝えにやって来るだろう。ボクは踵を返す。 「俺、ボクシングやり始めたんや」 その言葉に、返しかけていた踵をそのままに、半身だけ翻して彼を見た。 「ジムあらへんやろ? やから、本やらビデオ見ながら、ガレージで練習しとんねん」彼はこちらへ振り向かず、ずっと窓の外を見ている。 「気持ちええんやわ。自分の身体、100パーセントつこてエエ思うと」 なんとなく、その言葉の意味は分かった。 彼の体格は、周囲の人間のそれと比べて強すぎる。いつだって、彼は燃焼できないまま体育の授業を終えていた。それに苛ついている事を、ボクは何とは無しに分かっていた。だから体育の授業でバスケットやサッカーがある時は、彼と全力で立ち向かうようにしていたのだった。 ボクは、そうか、良かったな、と、彼に言ってのけた。 それ以外の言葉は特に見つからなかった。 ボクシングについての知識なんてなかったから、尚更だ。 「スゴイぞ、ただの殴り合いちゃうんや、アレは」 その語意は全く解からなかった。 「殴る為に技磨いて、殴られんようにする為、技を磨くんや」そして、それを行う為に身体を自在に動かせるようにならなければならない、というような事を、彼は五分ほど語り続けた。 珍しいことだった。 元より彼は口数の多い方でない……いや、わからない、本当はよく喋る人間なのかも知れない。 彼は普通高校から、この夜間高校に転校してきた、という経緯を持つ。よって、件の体格も手伝って、彼はどことなく浮いた存在だった。 だからボクは彼の事を殆ど知らない。 いつか、分かり合える時が来るのだろうか。 ――その前に卒業だ。そうしてしまったら、もう、二度と会う事無い。 ボクと彼は何か違う。持っているモノが違――いや、そうじゃない。持っているモノは似ているような気がする。一体何が違うのだろう。 正体は分からないが、確固として彼とボクは違うのだ。 だからこの夏が終われば、きっとさよならだ。 もう二度と会う事の無い、さよならなのだ。 出来る事ならもっと彼と打ち解けたかったが。 それは叶いそうにもない。 何か似ていて、何か違うボクと彼。 その何かなんて、ボクらに考える余地なんて無いさ。 また明後日から、仕事と学校の二重生活の繰り返しが始まる。 そうやってボクとボクらの夜は更けていくのだ。 だから。 三年後の事など解かりようなかった。 三年前の今日の事など、忘れていた。 |