ミュウツー編

前書


 『ミュウツーの誕生・ミュウツーの逆襲・我ハココニ在リ』のミュウツー三部作は、ラジオドラマで
ある『誕生』を除いて、表向きはアニメ・ポケットモンスターという作品の一部であり、主人公はサトシ
少年という形を取っている。しかし実際はこの作品の中でのサトシの役回りは「狂言回し」、いわゆる
進行係であり(だから本来その役であるロケット団の三人組はほとんど何もしていない)、真の主役は
ミュウツーである。
 昔話を心理学的に解析した心理学者ユングによると、物語というのは主人公である者の「内的成長過程
をえがいたもの」であるという。人格の発展的統合と自己実現の過程が物語の基本である。未完成な自我
である主人公が「大人」になる、つまり人格を統合し精神的に成長するのに必要な、心的要素というもの
がある。それらの『人格』に出会い、獲得するために主人公は『旅立つ』のである。心的要素は大きく
ふたつに分けられ、それぞれを女性原理と男性原理とする。そして、それらには“良”と“悪”の両面が
あり、この4つの人格を『集合的無意識』という。物語の中では、人物や象徴的な物、事件などとして
主人公の前に登場する。この場合の「女」「男」や「良」「悪」とは、生物学上の♀や♂、社会通念上
の善悪とは必ずしも一致するものではないことを、お断りしておく。
 この論文は、上記のような視点からこの三つの作品を分析し、ミュウツーの精神的成長過程を検証して
いくものである。そして『ミュウツーの逆襲』において略されてしまった疑問の答えは『ミュウツーの
誕生』に詳しく描かれている。ミュウツー自身をより詳しく理解しようとするなら、この『ミュウツーの
誕生』を無視することはできない。この作品には、おそらく難解になりそうな為に『ミュウツーの逆襲』
で省略された、ミュウツーの内面を深く掘り下げる手かがりが語られている。また、同時にミュウツーを
語る上で最も重要な「サカキ」という人物も、主にこの作品中にて提示される。また、この論文は読者が『ミュウツー三部作』を見ている事を前提にしているため、各作品の内容は最低限の引用のみである。
内容を正しく理解していただくためにも、これらの作品を見ておいて戴きたい。



第一章 『ミュウツーの誕生』編
1.アイツーの示すもの−−−太母(原始生命レベルでの母性)
「いきもの」への原始的な愛

 アイツーは、幼体のミュウツーを見て「この子のママになってもいい?お姉さんになってもいい?」と
言う。精神世界の中ではあるが、生命体としてのミュウツーに最初に語りかけたものはアイツーである。
アイツーは「ほんものじゃなくたってかまわない」と、生き物であること自体を肯定し、ミュウツーに
“愛”を教える役割をする。アイツーは生きようとする意志のもとになる“愛”を育むために必要な、精神的
母乳を「子」に与える役割であり、個人に対する愛の能力を示す良性の女性原理(アニマ)を象徴する。
そして「いきもの」が最初に出会うべき「人格」である。アイツーとの出会いは精神的な意味における
「生命体としての命(魂)」をミュウツーに与えることになった。しかしアイツーは、他のコピー達と
ともに「生命を祝福」する言葉を残し消滅してしまう。
アイツー 「ミュウツー 生きてね  生きているって きっと たのしいことなんだから」
 ミュウツーはこの時、愛を知ると同時にそれを失う悲しみをも知ることになる。残酷なようであるが、
このことは「子はいつかは親から自立しなくてはならない」という未来を示唆している。ただそれが
「いきもの」にとって、最も母親が必要な幼児期であった為、この母親喪失体験はミュウツーにとって
大きな精神的外傷となってしまった。アイツーが消滅したあと、動揺したミュウツーの状態が危険に
なり、研究者達は大騒ぎをする。このとき、Dr.フジはミュウツーのその後の人格に非常な影響を
与える重大な発言をする。
Dr.フジ「かまわん アイの成分が残っている限り いくらでも娘のコピーは作り出せる」
ミュウツー(つくりだせる? いくらでも? ちがう アイはひとりだけだよ)
Dr.フジ「コピーはもとがあれば いくらでもつくれる」
ミュウツー(ぼくのはなしたアイは ひとりしかいない…)
Dr.フジ「ミュウの成分はまつげの先の化石しか残っていない。いいか アイのようにかんたんに
      なんどもつくりだせはしない。」
 Dr.フジや研究員達は、危機に陥ったミュウツーの生命を必死で救おうとするのだが、そこには
ミュウツー自身への愛情というものは全くない。彼等はミュウツーを単なる作品としてしか見てはいない
のだ。その上、愛の根本となるアイツーも彼等により否定されてしまう。アイツーに与えられた「生きて
いるだけでよい」という原初的な『自己肯定』ができるようになる前に「一人目の親」であるアイツー
は消滅し、生命体としての生きる力のもとになる“愛”は、ミュウツーがそれを心的要素として獲得する
前に、無意識下に封じ込められてしまう。その結果、心が傷ついた時、それを癒やし、精神が成長する
土台となるべき原始生命力が否定され、心のよりどころを失ったミュウツーは自分自身を肯定することが
できなくなる。外部から閉ざされ、自己の内的世界だけを深く見つめることになった時、ミュウツーは
問い続ける。
ミュウツー(ここは どこだ  わたしは だれなんだ  だれが わたしを ここにつれてきた)
 自分の存在を懐疑的に問い続けるミュウツーは、本来なら既に得られていたであろう答え(自己肯定)
を見失わせたもの(それは不幸な運命の結果なのだが)、つまりアイツーを否定し、同時に自分自身を
否定させる原因を作ったものへの漠然とした憎悪をつのらせていく。そして二年の間、ミュウツーは問い
続ける。その間に肉体は成長し、精神もまた、内的世界では得られなかった答えを『外』の世界に求め
ようとしはじめる。もはや胎児ではなくなったミュウツーは、かつて自分の心を傷つけた外の世界に
対抗しうる力を身につけていた。そして自ら内的世界の殻を破り、外的世界に『誕生』することになる。

生物学的に言うと、ミュウツーに遺伝子を提供したミュウが「親」と言うべきかもしれない。また
ミュウツーの肉体を製造した研究者達もまた「親」といえないこともないだろう。しかしそれはあくまで
物質的な意味においてであり、ここでは煩雑さを避けたいのと、内的成長過程を追っていくというのが
この論文の主旨であもあるし「わたしたちをつくったのは神さま?かな?」というアイツーの言葉もある
ので、ここではそういう意味での「親」という概念は語らずにおきたい。



2.ミュウツーの三つの破壊
一度目の破壊−−−『精神的生命否定』への抗議


 肉体的に成長し力を付けたミュウツーは、内的世界にいては疑問の答えが得られないことにいらだち、
ついに培養液の入ったガラス管を破壊し、内的世界から外界に出ていくことになる。しかしミュウツーを
迎えたのは、その誕生を祝福する言葉ではなく「実験が成功した」という歓喜だった。ミュウツーは彼等
に問うが、期待した答えを得ることはできなかった。成長した雛の体が卵の殻を破ったように、二年間の
憎悪が強力な念動力を発揮させる。この時、ミュウツーの強力な念動波を感知した自動防御装置が発動し
ミュウツーを攻撃する。この攻撃によりミュウツーの生命反応は停止してしまう。ミュウツーにとっては
以前精神的に否定された、つまり精神面で殺された上に、今度は肉体までも、彼等により殺されたことに
なる。

二度目の破壊−−−『肉体的生命否定』への抗議

 しかしミュウツーは「じこさいせい」する。
ミュウツー(わたしを 攻撃したのは だれだ  わたしを消そうとしたのは だれだ!)
 自分に加えられた攻撃に怒りながらも、ミュウツーはなお彼等に問う。
ミュウツー(だれが 母でもなく 父でもなく… ならば神が? 神がわたしをつくった
      とでもいうのか?)
     (おまえたち人間が このわたしを ポケモンのこのわたしを…  わたしはだれだ
      ここはどこなのだ… わたしは なんのために 生まれたのだ)
Dr.フジ「世界最強のポケモンを作る。それが、わたしたちの夢だった」
 この時ミュウツーは、自分がミュウのコピーであることを知らされる。「オリジナルを上回り世界最強
である」ということは肯定的なことなのだが、以前彼等にコピーであるアイツーを否定されたことで、
ミュウツーにとっては「自分がコピーである」という認識が、そのことを否定的にとらえさせてしまう。
期待していた答えを得られなかったミュウツーはその怒りを爆発させる。
ミュウツー(ならば その夢がかなったかどうか 見せてやる  これが わたしの力だ!)
 研究所のすべてを破壊したミュウツーは、虚空に向かい問い続ける。
ミュウツー(わたしは この世でいちばん強いポケモン ミュウ おまえより強いのか このわたしは?
      ミュウ、どこへいく? コピーの にせものの わたしなど 相手にしないというのか
      そうなのか?ミュウ、姿をあらわせ どちらが強いのか わたしに答えをみせろ!)



3.サカキとの関係−−−男性原理(アニムス)と女性原理(アニマ)


 充分に愛され、保護されるべき子供時代を過ごせなかったミュウツーだったが、肉体的には成長して
しまった今、否応なしに「大人」として成長していく道をたどらざるを得ない。そしてその成長のモデル
となるべき新たなる「親(出会い獲得すべき人格)」を求めていた。研究所の者達はミュウツーの問い
かけに答えることができず、そしてその物理的な力にも対抗することができなかった。それ故に彼等は
ミュウツーの怒りをまともにうけ、消滅させられてしまうのである。彼等は獲得に値する人格では
なかったのだ。生き物として『この世』に誕生したミュウツーは、精神的には卵から孵ったばかりの雛の
状態といえる。よく「最初に見た動くものを親だと認識する」(インプリンティング)というが、それは
正確ではない。たとえば雛よりも小さすぎたり、逆に大きすぎたりしては、 最初に見た動くモノだから
としても雛の脳に「親」として認識されることはない。そういう意味でミュウツーが最初に見た「もの」
は研究所の者達ではなく、サカキである。
サカキ「おまえは世界一珍しく、もしかしたら世界一強いポケモンかもしれない。その証拠を見せつけ
    れば、本物のミュウも、おまえをほおってはおくまい。」
ミュウツー(ミュウが われわれの前に 現れるというのか)
ミュウツーがここで既に「われわれ」という言葉を使っていることに注意!
 ミュウツーにとってサカキは、自分という存在を最初に認めてくれ対峙した者であるといえる。研究所
を跡形もなく破壊した自分の力を見ても、サカキは臆することなくその目前に現れ語りかけてきた。
ミュウツーは、サカキに同じことを問い、初めて個と個の立場で答えてもらうことができる。
サカキ「おまえが最強のポケモンだとしても、この世にはもうひとつ強い生き物がいる。」
ミュウツー(ポケモン以外に?)
サカキ「わたしのような人間だ。ロケット団のボス・サカキ。わたしは、世界をわがものにしようとする
    強い人間だ」
ミュウツー(人間が強い おまえが強い…)
 実際のところサカキの答えは、ミュウツーが真に求めていたものではなかっただろう。しかしコピーで
あるという引け目から自分自身を肯定でないため、自分の存在の根本が危ういことを感じ、他者に対し
攻撃的になっているミュウツーに対して、サカキはその存在を承認する。
サカキ「人間とおまえが力を合わせれば、世界はわれわれのものだ」
ミュウツー(世界が われわれのもの…)
 同時にサカキはミュウツーの行った無秩序な破壊を戒める。自動制御装置の攻撃には反撃し、相手を
消滅させたミュウツーだったが、この時はサカキにこうたずねる。
ミュウツー(どうすれば いいのだ?)
 更に、この時サカキは、ミュウツーがミュウに対して持っている劣等感を「自分とともに世界を支配
する」ことで優越感にかえることができると教える。かなり巧妙かつ効果的な心理作戦である。
ミュウツー(そして わたしが ほんもののミュウを たおしたら!)
サカキ「おまえはミュウをこえる存在になる。」
   「おそらくそのとき、おまえは世界一のポケモンだ。」
ミュウツー(世界一!)



4.サカキとの関係−−−その定義

「子」としてのミュウツー

 このときミュウツーはサカキを自分の「親」であると認識したのだ。そしてサカキの「子」として、
自らその指示に従おうとする。この場合の「親」は男性的原理(アニムス)と位置づけられる。「子」
に対して、それまで密着していた母親から分離して自立するように促し、この世の秩序を教える『人格』
だ。一方、それは情緒的なものを排除し、相手を強制的に従わせようとする“権威”という面をも持つので
ある。自分がミュウのコピーであるという事実は、ミュウツーにとって母親喪失と共に大きな精神的外傷
になっていた。自己を強く鍛えて、その傷を克服する方法を教えてくれる「強い生き物である人間」の
サカキ。自分より優越した者をリーダーと認め、それを見習い、自分自身を律する方法を身につける。
それがアニムスに出会い、それを獲得するということだ。その場合のサカキは(社会正義という観点から
は「悪」ではあるが)、より大きな力で未熟な人格を、秩序正しい方向に制御し導くという意味で完璧な
アニムス像を表現している。
『ミュウツーの逆襲』においては、前書きに書いたように「主人公はあくまでサトシ少年」という作品
のコンセプトから、煩雑さを避けるため、サカキの存在はこの定義に限定されている。真の主人公である
ミュウツーが、新しい王(この場合は悪の象徴であるという立場)となり、世界を征服するという意志が
継承された後、前の王であるサカキは物語から姿を消す。ミュウツーが、支配的な側面というアニムスを
獲得した段階で「父親」から分離独立したというわけだ。これもまた「物語」の定石といえる。そして
『ミュウツーの逆襲』では、サカキが再び登場することはない。しかし、そのために『ミュウツーの
逆襲』だけでは“逆襲”の動機が不明瞭になってしまった事は否めない。



5.サカキとの関係−−−深層

 ミュウツーとサカキの関係は、はじめは良好だった。「強くなればミュウに勝てる」という動機から
始まったことではあるが、実は、それだけではミュウツーがサカキのもとにいる理由にはならない。
研究所を一瞬で破壊する力を持ち、たくさんのポケモンを倒し、更に「ポケモンより強い」人間である
トレーナーまでも撃退する力を持っているミュウツーが、なぜなんの技も持たない、人間のひとりに
すぎないサカキを、自分より優越した者であると認識し続けていたのか。鎖や鎧で力を制御されていると
いっても、実際はサカキ自身がその鎧を外し、鎖を解く。実際の“強さ”という意味では、ミュウツーは
はるかにサカキをしのいでいるし、ミュウツー自身もそれはわかっているはずだ。ミュウよりも自分が
強い事を証明したいのなら、まずミュウと勝負するべきだろう。これほど物質的な力の差が歴然となり
ながらも、ミュウツーは自分の意志で、サカキのもとに留まり服従していたのである。
 表面には見えないが、そこには「子」にとって必要不可欠な「母親」の愛というものが潜在していた。
普通は母と子の愛というと、母親から子への無償の愛を想像しがちだが、実際は「子」が成長する為には
「母親(ある種の生物では「母親」が雄の場合もある)」に愛されるということが不可欠なのである。
母親が子を愛さない場合、育児は放棄され、子は成長どころか生存することすらできない。アイツーの
早すぎる消滅により、肉体的には大人になったミュウツーではあったが、精神的には、本来「大人」に
なる為の『旅』に出る前に充分与えられていなくてはいけなかった「母性愛」が不足していた。自分が
受け容れられ愛されるという体験が不足しているのである。「父親」のように見えるが、実はミュウツー
にとって、サカキはアイツーに代わる「二人目の母親」でもあったのだ。ミュウツーは、アイツーの早逝
により充分に受け取ることができなかった母性愛の不足分をサカキに求めた。それゆえ、サカキがミュウ
ツーに与える影響力は、なおさら強大なものとなる。
 ミュウツーは自ら縛につき、サカキの命ずる事に従順に従う。サカキのために働く時、鎧が外され、
鎖は解かれる。サカキはミュウツーに世界最強になることを望んだ。ミュウより強くなれば親(サカキ)
に認めてもらえるという気持ちから、ミュウツーは必死でその要求に答えようとする。
 サカキに協力し、共に世界征服を目指すという事は、ミュウツーにとって好ましい考えだった。二人が
力を合わせることで、関わりが深まり、絆が強くなる。相手の望むものになり愛されたい、自分を肯定し
受け容れて欲しい。そうなれば自己の内にある否定的なものを克服でき、自分自身を受け入れることが
できるだろう。しかしミュウツーは、その思いを素直に口に出すことができない。本心では深い愛情を
求めながら、自己の劣等性概念が孤独感をもたらし、気持ちをうまく表現できなくしているのだ。
ミュウツー(わたしは 悲しみでも 痛みでも涙は流さない  なぜなら わたしは世界一強い存在の
      はずだから わたしには 悲しみも 痛みもない!)
 他を信用できない、頼りたくても頼れない、拒否されるのが恐いという心理は、ミュウツーに決して
涙を流してはいけないという精神的負荷を強いることになる。



6.サカキとの関係−−−ミュウツーの心理的変遷

ミュウツー(わたしは 生きている  しかしそれが楽しいかと きかれたら… ふふふ… 強い
      ポケモンを倒すのは楽しかった  力は弱いくせに ずるがしこい人間という生き物を
      痛めつけるのも つまらなくはない しかし今 わたしより強い力を持ったポケモンは
      どこにもいない わたしは無敵だ)
 サカキに愛される『条件』を満たすため、ミュウツーは必死で働いた。しかしその思いはいつまでも
満たされなかった。最強、無敵になったにもかかわらず、未だ自分自身をまるごと受け入れてもらえない
ことへの不満が募っていく。ミュウツーには、サカキに自分のことだけを見て欲しいという特別な欲求が
あった。幼児期に充分な愛情を与えられていない子供は「親から自分が一番に愛されたい」という願望が
強い。我々には共に世界を征服するという共通の目的があるのだから、早くそれを成し遂げたい。サカキ
にもそのことに専念して欲しい。そしてふたりの目的が成就するその時に、自分がサカキに一番愛されて
いる存在だと実感でき、精神的外傷から解放されるだろうと考えたのだ。
 しかしミュウツーの無意識の思いは、サカキには通じてはいなかった。いずれにしろサカキの「子」は
ミュウツーだけではない。サカキは、ロケット団の長として組織を維持し、部下達を養わなくてならない
のだ。他の「兄弟」に対し「母親」を独占したい気持から、ミュウツーは“ロケット団のやつら”に嫉妬し
“力が弱いくせにずるがしこい人間”といういきものを軽蔑する。金儲けをしたがる人間に「世界を征服
するのは力だ。金ではない」というようになる。この言葉はミュウツーが、金もうけなどは「他の子達」
のための仕事であり、共に世界征服という目的を達成する「親」と「自分」の間にある障壁であると
考えている事を示している。そしてまた、人間に支配されているという理由で「コピーでないポケモンを
許せない」のは、自らがコピーである事の劣等感の裏返った表現であろう。内心に不満を持ちつつも、
それでもまだミュウツーはサカキに従い続けていた。
 ある日のこと、サカキはミュウツーに、大密林に生息するすべてのポケモンを捕獲することを命ずる。
ミュウツー(ありふれたポケモンを相手に わたしに戦えというのか)
サカキ「おまえはそのために生まれてきた。世界一強いポケモン、それがおまえだ。戦わずして、おまえ
    の値打ちはない」
ミュウツー(わたしの値打ち…)
 一瞬のうちに一年分のポケモンを捕まえ、期待通りの働きをしたミュウツーをサカキは賞賛する。
しかし独白するミュウツーの声はあまりに悲痛である。
ミュウツー(いったい わたしは なにをしているんだ   わたしは なんのために生きている
      何のために戦っている…)
 自分の気持ちに気づいてもらえないことにいらだったミュウツーは、ついに最終手段をとる。サカキに
対し、力を制御しないと危険だからという理由で付けられていた鎖と鎧を外すことを要求したのだ。
「危険だから制御する」というのは自分を信頼してくれていないということである。ミュウツーは、鎖と
鎧がなくなればサカキの自分への愛情が確認でき、亀裂の入りかけていたふたりの関係は修復、継続
できると考えたのだ。
ミュウツー(鎖を…鎧をはずせ)
サカキ「ミュウツー、それはできない相談だな。野放しのおまえは人間に危険すぎる」
 ミュウツーにはサカキに危害を加えるつもりはない。それ故の要求であったのだが、サカキはミュウ
ツーの憎悪する「人間」への配慮を口にし、ミュウツーの最後の要求を拒絶してしまう。



7.サカキとの関係−−−その結果

三度目の破壊−−−『愛情の拒否』への抗議

ミュウツー(まだ おまえたちのために戦えというのか  まだ人間どものために 戦えというのか)
サカキ 「おまえはポケモンだ。ポケモンは人間のためにつかわれ、人間のために生きる生き物だ。」
ミュウツー(わたしは ただのポケモンではない)
サカキ「そう、おまえは人間につくられたポケモンだ。人間のために戦わずして何の価値がある?」
ミュウツー(わたしの価値だと わたしはだれだ  わたしは なんのために生きている
       すくなくとも人間のためではない!)
 ここで注目したいのは「おまえ」ではなく「おまえたち」であり、ミュウツーは「人間のため」に
戦う事を拒絶しているという点である。「おまえたち人間ども」の為に働くことを拒絶している言葉の裏
に自分は「(人間に支配されている、コピーでない)ただのポケモン」とは違うものであって「力が弱い
くせにずるがしこい人間」どものために働くという価値ではなく、サカキのために働いている自分を
認めて欲しいという心理が隠れている。
 二人の関係が良好であったはじめの頃、互いに「ミュウツー」「サカキ」と名を呼びあっていた。
呼び方の変化にも二人のすれ違いが表現されている。そしてこの時、二人の価値観が決定的に食い違って
しまっていることが判明する。「人間のために戦わずして何の価値がある」という言葉は、ミュウツーに
「他の子達」のための仕事を求めていると言うことであり、同時にそれは「サカキの為だけに働いて
いながら、サカキにはその価値が認めてもらえていなかった」ということをミュウツーに思い知らせて
しまったのだ。サカキがミュウツーを愛していなかったわけではないだろう。しかしその「愛」はミュウ
ツーの期待した種類のものではなかった。
ミュウツー(わたしは 人間に作られた  だが人間ではない   作られたポケモンのわたしは
      ポケモンですらない!)
 サカキに「(アイツーのような)母性愛」を求めていたミュウツーではあったが、サカキは男性原理
(アニムス)に基づいた、父親的な側面のみでミュウツーに接した。サカキにとってミュウツーは、愛を
ほしがっている赤ん坊ではなく、大人になるためにしつけなくてはいけない子供と映っていたのだろう。
 ミュウツーがこれを「愛」と認識するのはかなり困難なことである。知能が高く、物理的力もあったが
心はまだ健全な精神の発達に不可欠な「純粋な母性愛」を必要としていたのから。そしてまた、サカキが
このミュウツーの深層心理を洞察できていれば、ミュウツーを完全に支配することは可能だった。サカキ
自身、女性原理(アニマ)的な形質を充分持った人間なのだから。
 求めた愛を拒否された反発は、愛情飢餓が強いほど大きい。精神的な基盤が不安定である不幸な子供は
その反動で突発的な暴力に走ることがある。ミュウツーは自分で鎧と鎖を取り払い、かつてニューアイ
ランドの研究所を消滅させたように、ロケット団本部(妬みの対象である「他の子」を象徴)を瓦礫の山
にする。そしてサカキの前から姿を消してしまう。「母親」に拒絶された「子」の怒りが、この破壊的な
行動をとらせたのだ。
 一見このことはミュウツーが成長し「大人」になり「親」であるサカキのもとを離れて、独立したかの
ようにみえる。「親」からの拒否という不幸にあい、それを克服し、バネにして自立への道を進む為に。
しかしミュウツーの精神的外傷は全く癒やされてはいない。そして、サカキへの愛という呪縛から解放
されてすらいないのである。



第二章 『ミュウツーの逆襲』

1.人間への逆襲−−−動機

 自分の愛を拒絶され、存在意義を否定されたことは、ミュウツーに再び自分自身への疑問を抱かせる
ことになった。嫌悪する人間の欲望の産物と定義された自分を肯定できず、ミュウツーは自らの存在自体
を呪うことになる。
ミュウツー(誰が生めと頼んだ  誰がつくってくれと願った
      わたしは わたしを生んだすべてを恨む)
 むくわれることのなかった愛の恨みが含まれたこの言葉は、実際は自分を愛してくれなかったサカキに
向けられたものだ。
ミュウツー(わたしは この世界を楽しいとは感じない  悲しいとも感じない 痛さも感じない
      まして涙を流したこともない
      そう わたしはミュウツー  ミュウツーとして生き続ける!)
 求めた愛を与えてくれなかった「二人目の母親」と決別したミュウツーは、あらためて次なる人格、
情緒的なものを排除した『支配的な男性的原理(アニムス)』を獲得しようとする。サカキの目指した
世界征服を自分ひとりの力で成し遂げ、サカキを越えることで、その精神的支配から完全に脱却する。
そしてその事により、自分が最強であることを証明し、ミュウを超えた存在であると宣言できる。つまり
人間と世界を支配する事で、自分についてまわるクローンの否定的なイメージを克服することができると
考えたのだ。
ミュウツー(世界を征服する資格のあるのは 人間ではない このわたしだ)
 人間だけの持つ金銭欲がサカキとのあいだの障壁だったことから、ミュウツーは「人間」の欲望を
体現していたサカキの野望を、金銭欲を抜きにしたより純粋な形で実現しようとする。そうして人間
への『逆襲』は実行に移されたのである。



2.人間への逆襲−−−方法

 サカキを拒否しながら、結局はサカキとまったく同じことをしてしまう。ミュウツーは自分が「親」の
要求を満たし、その結果として「親」に愛されることをどこかで期待していたに違いない。「親」の条件
付きの愛に憤りながらも、その条件を満たせば再び愛されるのではという思いがミュウツーの無意識下に
あった。その辺の心理にいまだ、サカキへの愛による呪爆があることを感じさせる。
 ロケット団がミュウの睫毛の化石を使ったように、強いポケモンから強いクローンポケモンをつくり、
それを使って世界征服を試みる。この時、ミュウツーはトレーナー達のポケモンも奪い、トレーナーを
追い払おうとする。これもまたサカキのとった行動と全く同じである。愛するものとの同一化願望の現れ
と言えるが、ミュウツーの場合は、自分の邪魔をした「人間ども」への復讐するとともに、トレーナーと
仲良くしているポケモン達に嫉妬し、彼等の仲を裂いてやりたいという気持ちもあっただろう。
 また『ミュウツーの逆襲』の中で何度も繰り返される「オリジナルより優れたクローン」という概念は
『逆襲』のライトモチーフである。それはオリジナルであるミュウへの劣等感の裏返しであり、だから
こそミュウツーは、コピーがオリジナルより強いことを強調したがるのだ。また自分がサカキに愛され
なかった理由は、コピーである自分が、オリジナルであるミュウを超えていないからではという疑惑が
あった(「ミュウより強くなる」こともサカキがミュウツーに求めたことである)。オリジナルである
ポケモン達に敵意をあらわにするのも、ミュウに勝つことに強い執着を示すのも、そういう理由からで
あろう。



3.人間への逆襲−−−その結果


 サトシの、ピカチュウを助けようとした行動がクローン製造機を破壊し、ミュウツーに捕獲された
オリジナルのポケモン達は脱出する事ができる。そこへ本物のミュウが姿を現し、ミュウとミュウツー
は「生存」をかけた戦いを始める。
ミュウツー(たしかにわたしは おまえから作られた  しかし強いのは このわたしだ
      本物はこのわたしだ!)
      (生き残るのはわたしだけだ!)
 同様にオリジナルのポケモンとミュウツーの作ったクローン達も直接対決する。しかし戦いの決着は
結局つかない。ミュウツーが戦いを放棄し、身を退くという形になり、コピー対オリジナルの戦いは
終わるのだ。なぜこの期におよんで、ミュウツーは戦うことをやめてしまうのか?
ジョーイ「生き物は同じ種類の生き物に自分のナワバリをわたそうとはしません。相手を追い出すまで
     戦います。それが生き物です」
 このジョーイの言葉で、生命体としての生存を賭けた戦いは肯定されている。だから自然の摂理である
“戦い”を止めようとしたサトシは一度“死ぬ”ことになる。このことは『ルギア爆誕』でも繰り返された
モチーフである。強いものだけが生き残るという自然の掟に従わないものへの罰だ。と、同時に“死”に
よって、自然に逆らった罪の穢れは浄化される。サトシの行動は、彼のパートナーであるピカチュウだけ
ではなく、ポケモン全体への愛情から出たものであった。その命懸けの愛の対象には、彼等に敵対した
コピー達、そしてミュウツーをも含まれる。そしてサトシを助けようと努力するピカチュウの行動もまた
支配と服従という力関係が介在しない、純粋な信頼と愛情が、人間とポケモンとの間に存在することを
ミュウツーに示した。愛するもののために流された涙が、戦いで奪われたサトシの命を復活させる。涙に
よる浄化が、過去の唯一の肯定的なアイツーの記憶と連動し、ミュウツーは、純粋な無償の愛に目覚める
(良きアニマの獲得)。愛されることを望みながら、叶えられなかった「子」としての不幸な過去が清め
られ、より大きな愛を覚えたミュウツーは、自分を受け入れてくれなかった「親」を恨むことを止め、
他者を愛することのできる「大人」へと進化したのだ。ミュウツーは、自分の生み出した「子」である
クローンのポケモンたちを連れて「どこかで生き続ける」道を選ぶ。
ミュウツー(このできごとは 誰にも知られない方が いいのかもしれない
      忘れた方がいいのかもしれない)
 『ミュウツーの逆襲』は、ミュウツーの不幸な過去を愛による浄化で抹消し、ミュウツーは愛される
ことを求めるだけの受動的な存在から、自他を愛することのできる能動的な存在へ成長した。この事件に
関わった者達の記憶は消され、すべてはめでたく終わったかのように見える。しかし実際はまだ終わら
ない。『神』であるミュウの遺伝子を受け継いでいるミュウツーは「大人」を越えた「神」への昇華を
運命づけられていたのだ。その通過儀礼としてミュウツーに与えられた最後の試練が『我ハココニ在リ』
である。



第三章
『我ハココニ在リ』

神性への昇華−−−悪しき母性から良き母性へ

1.母としてのミュウツー

ミュウツー(わたしたちの存在は だれにも知られない方がいい  だれにも 知られず だれにも
      じゃまされず われわれは生きている  この美しい湖と共に)
 関わった人間達の記憶を消し、ニューアイランドをあとにしたミュウツーは、自分の生み出した
クローンたちを連れて、ピュアーズロックに身を潜める。「親」に愛されなかった身ではあったが、今は
愛する「子」たちを安全な隠れ家に住まわせ守っている。ミュウツーは彼等の「母親」になったのだ。
暗い過去は清算され、一見平和に暮らしているように見えたが、ミュウツーのしていることは、またも
サカキと同じである。
 サカキの場合「子」であるミュウツーに鎧を着せ、鎖でつなぎ、その自由を拘束していた。ミュウツー
の暴走を制御する必要があるという理由であったが、その本音は相手を自分の支配下に留めておけるよう
にである。この事は、ただ単にミュウツーの強大な力を恐れているだけのようであり、制御することに
よって、その力を自分の武器にしようとしていただけのように思える。そして、そんなサカキは、世界を
支配し絶対の権力を追求しようとする、典型的なアニムスのように映る。しかしサカキの中には「子」を
自分のもの、自分の一部と考える「盲目的な愛(悪しき母性)」である、アニマの最悪の部分が隠されて
いるのだ。それは、ミュウツー自身で容易に排除できたであろうはずの鎧や鎖を、頑強に支えている土台
であった。ミュウツーがサカキと決別する時まで、鎖や鎧を外すことができなかった理由はそこにある。
サカキのミュウツーへの独占的な拘束。しかしそれもまた愛なのだ。相手を手放したくない、自分だけの
ものにしておきたいという自己中心的な愛情。サカキは悪しきアニムスであると同時に、悪しきアニマ
なのである。アイツーが、愛を与え愛を育むことを教えるアニマの良い部分を象徴していたのに対して
悪しきアニマであるサカキは、「子」であるミュウツーのすべてを、自分の中に包み込み一体化しようと
する。アニマが「子」を独立した別な人格として認める事は決してないのだ。
 ミュウツーもまた、「子」を愛するがゆえに、彼等を邪悪な世界から隔離するという口実で「子」を
拘束し支配する。「子」の自立を阻み、ピュアーズロックの中から出さない。愛が双方とも無意識下に
隠されていたサカキとミュウツーの場合と違い、クローンの「子」達は、「母親」に愛されていることを
自覚しているので、「親」を捨てて外へ出ようとはしない。“危険な外界から子を守る母の愛”という姿を
しているだけに、自立を妨げる檻の力は、サカキの場合より大きいかもしれない。それゆえ自立したい、
自由に外の世界に行きたいという感情は、彼等の心に大きな葛藤をもたらしていた。
 転落したバスの中の人間たちを助けたミュウツーに、コピーのピカチュウは明らかな不満をしめす。
彼は確かに人間への敵意を持っているのだ。これは本来彼等を支配し拘束する「母親」に向けられるべき
不満なのだが「自分たちが外の世界に行くことができないのは、悪い人間がいるから→すべては人間が
悪い」というように転化している。
ミュウツー(なぜ 人間を助けたというのか? わたしが 人間を傷つけたくなかった
      そういいたいのか?   わたしが 人間にそんな親切のできるポケモンだと思うのか
      このミュウツーが  ばかばかしい…)
 平和にひっそりと暮らしているはずのミュウツーの心の曇りが晴れないのは、ミュウツー自身も内心
ではその矛盾を感じているからだ。
ミュウツー(われわれは いったいどう生きるべきなのか? おまえたちは どう思う?
      ここにかくれすんでいるのは牢屋で生きているのと 同じだというのか?)



2.ミュウツーの「子」としてのコピーポケモン達


 クローンのピカチュウは目の前に現れたサトシのピカチュウに激しい敵意を燃やす。
コピーピカ「会いたくなかった。なぜここにきたんだ。しかも静かに暮らしているぼくたちコピーの
      ポケモンが絶対見つかりたくなかった人間を連れてきた。でていけ!でていかないと」
 コピーのピカチュウは、ミュウツーが止めるにも関わらずサトシのピカチュウを攻撃しようとする。
再び彼を制止したミュウツーは彼に言う。
ミュウツー(コピーと本物の差はない  同じ命あるポケモンといいながら 太陽の光を反射する月は
      夜でなくては 輝けぬ  太陽の輝く世界は この星で生まれた本物の生き物の世界だ
      われわれコピーは 彼等の影であり 影のように生きるしか 生きる場所はない)
 ミュウツーが戦うことに消極的なのは、アニムスとの戦いは命懸けの危険であることを知っているから
である。自分で「子」を守れる力を持つミュウツーにとっては「子」を危険な目に会わせたくないと思う
のは当然であろう。しかしコピーのピカチュウは涙を流して、激しく反論する。
コピーピカ「なぜぼくらは影でなければならないんだ。ぼくは知っている。
      この湖の外には広い世界がある。広い世界…」
 そしてサトシのピカチュウに向かって言う。
コピーピカ「ピカチュウ、おまえはそんな世界をしってるんだろう?そんな世界で生きているんだろう?
      ぼくらはそんな世界で生きていかれないのか、自由に生きちゃいけないのか?」
 彼はこの言葉を、彼等を自分の中に抱え込み自立を阻む「母親」(悪しきアニマ)であるミュウツーに
向かって訴えているのである。ミュウツー自身がそうであったように、彼等も「生き物」として生き続け
るためには「母親」から分離して“この世”に生まれ、そこで自分の生きていく場所を獲得しなくては
ならないのだ。同時にそれはアニムスに逢い、それと戦って勝たねばならない(出会いと獲得)という
試練を象徴している。またそれはミュウツー自身がたどってきた道筋でもあった。彼等はアニムスを象徴
する人間達の乱入をきっかけに、ついに自立への道を歩み出すことになる。
コピーピカ「われわれはヤツらにつかまり、実験材料にされるのがオチだ。いまをのがしては脱出する
      機会はない!われわれは広い世界を目指すのだ!」
 彼等の聖域に踏み込む人間達に対し、コピーのピカチュウは他の仲間と共に、「母」であるミュウツー
の保護下から離れ、外の世界で生きる権利を賭けて戦う決意をする。同時にそれは彼らを抱え込もうと
する「悪しき母性」からの逃走でもある。だがミュウツーにとって、彼等が「子」であるのと同様に
「彼等の敵」はミュウツーの「親」なのだ。未だ自分自身の精神的居場所が不安定であるミュウツーは
迷い続けている。
ミュウツー(戦う?それはできない  人間たち 彼等は 私たちを生み出した親だ  ならば また
      安住の地を求めて われわれは あてのない旅にでるしかないのか)
     (去るものがいれば 残るものもいる  ここにいれば 私の力で 彼等を守ることができる
      だが たとえわたしが 彼等を作りだしたとしても いま自由に生きようとする彼等を
      止めることは 私の勝手に過ぎない  彼等は自由を わたしはどうすればいいのか)



3.「母」と「母になった子」の対決


 アニムスもアニマと同様に、自立しようとする「子」の前に立ちはだかる。そして様々な試練を「子」
に与え、それに耐えられない「子」は破滅に向かい「父親」もまた、自分に勝てない弱い「子」を殺して
しまう。そして力のある「子」だけが「父親」の力を凌駕し、戦い、倒す。物語では、王位継承で象徴
されるように「父親」である古い王は“死に”、その大人としての知恵と力を新しい王である「子」にその
地位と共に譲り、自身は立ち去ってゆくのである。それは死と再生の儀式でもある。しかしアニマである
ミュウツーからの自立を目指しアニムスとの戦いに挑んだコピーポケモン達は、逆に強大な敵の力に制圧
されてしまう。この時「子」等の危機に「母」であるミュウツーが駆けつけ敵の手から彼等を救い出す。
ここで、サカキが以前とまったく変わることなくミュウツーの前に立ちはだかる。かつてミュウツーが
サカキに求めていたものは、やはり今回の邂逅でも与えられはしなかった。
ミュウツー(わたしの力は おまえといたときより さらに強くなっている  そんなわたしを
        まだ 自由にできると思うのか)
 科学力を振りかざし、ミュウツーを捕獲し支配しようと試みるサカキは、いかにもアニムスの権化の
ようである。この時サカキはミュウツーの「子」への愛情を利用し、自分に従わせようとする。
ミュウツー(まだ わたしと戦って勝とうとするのか)
サカキ「直接には勝てぬだろう。だが戦いはあの島だ。ミュウツー、おまえの仲間はここにいるだけでは
  あるまい。あそこにいるおまえの仲間をほおっておけるか」
 老獪な心理作戦である。(サカキが、ここまでミュウツーの心理を理解できていながら、なぜ失敗した
のかは『サカキ』編の中で述べるので、ここでは省略する)
サカキ「なかまを救いたければ、わたしのために生きるしかない」
ミュウツー(おまえのために 生きるくらいなら わたしは この世から消える)
 「母親」から「子」を分離させようとするアニムスは「子」の自立を許さない母性と常に敵対的関係に
ある。しかしこの場合の二人は、「子(ミュウツー)の独立を許さない母(サカキ)」と、サカキを今の
【自分の影】(自分自身の中で、自らが受け容れたくないと思っている負の部分)と見たミュウツーと
いう構図である。ミュウツーは、自分の自立を阻み、再び自分の中に抱え込もうとする「母親」である
サカキのもとへ戻ることを一度は拒否するが、自分の「子」のためにあえて犠牲になろうとする。サカキ
の「子」であるミュウツーは「母親」であるサカキと戦うことはできない。それは対アニムス戦とは違い
継承すべきもののない戦いであり、自分の根幹を否定することになるからだ。ミュウツーは、サカキを
「母親」と認識しているからこそ、戦うことを避けたのである。
 ミュウツーは「子」として「母」殺しの禁忌を守り、かつ「自分の子」のために自己を破滅させる方を
選ぶ。この時ミュウツーは「子」への“愛”を体現した究極の「母親」という存在になる。極限に達した
ものはそれまでの自己を消滅させる。その役割交代後、ミュウツーは、より高次元の人格へ成長する。
「悪しき母性」との戦いを放棄し自らの“死”を受容することで、自分の中の「悪しき母」である部分をも
捨て、ミュウツーは「究極の良き母」になり、そして「大人」としての自己を完結するのである。



4.『死』と『再生』


 ミュウツーの『死』の理由は何か。これは「母親(サカキ)」による子殺しでもあるし、子を守る為の
「母親(ミュウツー)」の自殺でもある。どちらにしろ原因は「母性」からきた“愛”である。そして
「悪しき母性」との戦いに破れ「死ぬ」ということは「母親」に取り込まれ、再び「母親から生まれる
前」の段階に戻ることである。「悪しき母」の象徴であるサカキの「子」として生まれ、自らも「悪しき
母」としての宿罪を背負ったミュウツーは「子」への愛の為に「死ぬ」ことで、その俗性が剥ぎ取られ
高く神格化される。瀕死の状態で『自然』という母の胎内である生命の泉に投げ込まれたミュウツーは、
水の底でミュウの幻影を見る。ミュウツーはこの時ミュウと同じ『神』の属性を持った新たなる『生命』
として生まれかわったのだ。一方、母なる泉を荒らした人間達は、そこの「自然」による報復を受ける。
ミュウツーが“神”へと昇華したこの時からストーリーは自然(神)対人間(俗)のレベルへと展開する。
ミュウツー(ここは だれのものでもない  わたしが だれのものでもないように
      いまは だれにも手は ださせん!)
 ミュウツーは、生命の泉を人間たちの手の届かないところへ隠し「この泉に悪しきことをなそうと
するもの」の記憶だけを消す。同時にそれまで自分の中に抱え込んでいた「子」を解放し、自立させる。
ミュウツー(お前たちは この星のどこででも 生きていける資格がある
      みんな 世界にでていくがいい)
 その後ミュウツーは、サカキだけでなくサトシ達を含めた「すべての人間たち」の前から姿を隠す。
匿身性、それもまた『神』の属性の現れである。
ミュウツー(わたしは わたしは ここにいる…)
 その実体を知る者は誰もいない、都市に住む姿なき不思議なポケモン。それはミュウツーが「人間達」
を守護する『神』になったということである。もちろんその人間たちの中には、サカキも含まれている
のだ。



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