サカキ編


前書
 いうまでもないが、サカキは悪役である。ヒーロー物においては(ピカレスクものを除いては)主人公
が絶対の正義であり、その対極として絶対の悪がいる。そしてその悪役というのは、善良なる社会秩序に
逆らい「よいこはしてはいけない」といわれることをやるものと相場が決まっている。そして、彼等の
最終目的は常に『世界征服』であり、それはヒーロー物としての【おやくそく】であって、誰一人として
「なぜ世界征服がいけないのか」を問おうとはしない。無論ここでもそんなことを問うつもりはないが
とにかく「悪役」という者は、世界征服という野望を持ち、それを実現するために各種法律違反を含めた
反社会的行動をとるものだ。世の一般人は、彼等をただ「悪い奴」とかたづけ、彼等に対しそれ以上の
事柄を考えることはあまりしない。ゆえに彼等の性格設定もあまり詳しく追求されることはない。いい
かげんな作品になると「悪いヤツ」という以外なんの設定もなかったりする。しかし同時に『悪』は
魅力的でもある。だから作品によっては悪役といえども、しかるべきキャラクター設定がなされている。
我等がサカキ閣下も、「ポケットモンスター」の登場人物の一人として、パーソナルな存在に描かれて
いる。ゲームにおいてはサカキの個人データはあまりないが、アニメにおいては出番こそ少ないけれども
各種の情報がある。それらのデータをもとに、この魅力的な悪役『ロケット団のボス・サカキ』を解析
していきたい。なお、この論文は、公式データをもとに構成したものではあるが、まったく個人的な見解
の域を出ないものであるということを付け加えておく。



第一章

1.従来型の悪役との違い

 幾多のヒーロー物があり、幾多の巨大な悪の組織がある。ポケモン・マフィア、ロケット団もそれらに
劣らぬ巨大な悪の組織であり、サカキはそれを支配するボスである。当然この世の悪を知り尽くしている
はずであり、その点には疑問の余地がない。そもそも悪役とは、自己の反社会的欲望(世界征服など)を
実現するために手段を選ばない者をいう。では彼等は何故にそうなるのか。
 よくある設定は、不幸な状況から脱出するために、反社会的な行動によって自己の状況を改善しようと
いうものである。つまり「秩序正しい正義である世の中の手で、不幸にされた者が世の中に復讐する」
というわけだ。単なる悪役として設定された者が、その魅力ゆえに人気が出たため、パーソナリティーを
詳しく追求されると「実は過去にこんな不幸な目にあっていた」という設定を取ることが多い。つまり
過去の不幸を免罪符にして「本質は悪い人ではなかったんだよ」という理由が付けられる。これは「秩序
正しい正義」を自認している巷間の一般人の目を気にしてのことだろう。



2.外見的印象

 普通悪役というものは、奇怪な衣装や不気味な仮面、怪しげな小道具等々「悪の装い」というものを
身につけている。それによって『悪』というものが人々の心にもたらす呪術的な力を身にまとい、自分
の力を誇示して、相手を威圧しようとする。しかし意図的に強調された凶々しさは、時に内面の弱さを
透かして見せてしまうことがある。『危険な悪の仮面』で自分の内にある不幸によって残る傷を隠そう
とするのだ。しかしその行為は、逆に彼等の『弱さ』を露見させてしまう事にもなる。

 サカキの顔は実に強面(こわもて)、また別な言い方をすれば凶悪顔である。身長もかなり高く体格
も頑健そうだ。強い大人の男を具象化した人物とでもいうべきか。外見だけでなく雰囲気自体が既に
「怖い」。サカキの他を圧倒する威厳と貫禄は、従来の巨悪達と比べても決して引けを取らない。しかし
それは意図的に装われたものではなく、自然の造作である。サカキ本人には、巨大な悪の頭目につきもの
である醜悪な闇の影や、不幸な過去を背負った悪役であるミュウツーに見られたような、屈折し歪んだ
心理(『ミュウツー編』参照)というものが感じられない。サカキという人物には、精神的な外傷から
くる弱さも、その弱さを隠そうとする意図もないのだ。もしかすると彼は、そういう意味での弱さを
持っていないのではないだろうか。その点でサカキは「世の中に仇を討つ」という動機が多い悪役達の
中では例外的存在といえる。
 おそらくサカキの醸し出す恐ろしさというのは、物理的な攻撃性や、生物の肉体及び生命に危機感を
与えるたぐいの威嚇の意思が与える恐怖ではなく、生物が自分より強く大きな生き物に対して本能的に
抱く恐怖ではないだろうか。同時にそれはサカキという人物の“強い人格”への畏怖であり、その威圧感は
サカキ自身のものではなく、サカキの存在に圧倒される者の心の中に生まれるものなのだ。



第二章

サカキの成育環境推論

 断片的にしかサカキという人物を見ていない人には意外に思われるだろうが、サカキは富裕かつ幸福な
環境で育ったことをうかがわせる貴族性が身に付いた人物である。やたらに凄みと貫禄がある面構え、
筋肉質の骨太な体格、ついでに悪の大組織を支配するボスであるという立場。こんなサカキに貴族的と
いう形容を使うことに違和感を覚える人もいるだろう。貴族的という語調からは、ロココ時代の宮廷文化
や平安貴族など、のんびりとした、脆弱かつ非生産的な印象を受ける人が多い。しかしこの形容はそれら
だけに使われるものではないし、第一印象の「怖い」で目を逸らさずに、サカキを見続けていればわかる
と思うのだが、この論拠は荒唐無稽なものでもない。威圧的な外見に似合わず、さりげない仕草が優美で
あり、他者を恐れさせる一方で、部下に対し過剰な程の寛大さを示す。そういった意味で、サカキには
従来型の他の悪役とは、ちょっと違った人物像が見られる。
 ここでアガサ・クリスティ『チムニーズ館の秘密』という作品の中で、真の上流階級について語られた
言葉を引用しよう。(ハヤカワ文庫・高橋 豊訳)

大多数の平民は隣の人々がどう思うだろうかといったようなことを、つねに気にしているものです。
しかし、浮浪者と貴族はそうじゃありません−−−彼らは頭にまっ先に浮かんできたことをやるだけで、
ほかの人が彼らのことをどう思おうと、そんなことには頓着しないのです。(中略)ほかの人の意見など
お構いなしに、自分自身の意見だけを重んじる人たちの間で、何世代も生まれ、育てられてきた階級の
ことをいっているのです。


 具体例をあげると、第68話の「ヤドンがヤドランになるとき」の海岸でのエピソードだ。この時は
“男の戦闘服”ともいうべき普段のスーツ姿から一転、アロハシャツに短パンという、かなりくつろいだ
服装が話題になった。彼の男性的な肉体美にばかり目が行きがちなシーンだが、むしろ『巨悪の首領』
たる人物が、部下(この場合はムサシとコジロウ)の前で、あのように無防備な姿をさらすという方が
驚くべき事だ。本来「ボス」というものは、部下達や敵に対して「強さ、怖さ」を殊更に誇示、強調して
自分の権威を保ち、相手を圧倒しようとしがちなものだが、サカキには、そういう演出が必要ないという
ことなのだろう。このエピソードは、彼の自信の現れであると同時に、育ちの良さゆえの無頓着さを示す
ものだ。
 またサカキという人物には、貴族的な優雅さだけでなく、その立場にふさわしい王者の風格も備わって
いる。悪と限らず、巨大組織を維持運営し発展させていくことは、無能な人間にできる事ではない。
実際、部下やミュウツーを操縦する技術は狡猾で巧妙だ。それでいてサカキからは、人がいやでも体験
せざるをえないはずの、社会的な苦労の影も、世の荒波にもまれるうちに自然についてしまうであろう
世間の垢などといったものが感じられない。サカキはいわば「ロケット団」という帝国の皇太子として
育ったのだろう。過去二十年の間に王位を継いだということから推察するに、その長い皇太子時代に
しかるべき『帝王学』を身につけたと考えられる。
 現ロケット団はサカキが作った組織ではなく、現在のボスの地位はサカキの母親である先代のボスから
引き継いだものだ。たいへん美しい女性だったという母親が、初代かどうかは現段階では不明であるが、
ムサシの母であるミヤモト隊員との会話を聞くと、相当な節約家であったようだ。だが、ロケット団と
いう組織の巨大さから見ても、かように超がつく程の節約家であった先代が、跡取り息子に相当な金を
かけて教育する余裕があったと見える様子から、サカキが幼少の時には、すでにかなりの財力が確保
されていたと考えられる。と、言うわけで個人的見解では、先代が初代ではないのでは?と推定する。
またサカキの父親の存在は今のところは不明瞭であるが、サカキ自身が母親である先代の事を語る時の
口調から察するに、母子関係は非常に良好と考えられる。サカキの情操的精神構造が安定していること
から見ても、物心両面において多分に恵まれた環境で成育したということは容易に推測できるだろう。



第三章

ロケット団の支配体制解析−−−「みんな良い子だロケット団」


 ロケット団の支配体制は、暴力による制圧や利益による誘導ではなく、人間的な魅力によるもので
ある。いわゆるカリスマというタイプに分類される。利益誘導型の支配体制は、より大きな利益の前に
敗北する。また力で制圧する恐怖による支配は、支配者に対する怯懦から部下の裏切りをまねきやすい。
その点、人間的な魅力で相手の心をつかむカリスマ支配というのは、かなり安定性のある方法だ。
 そして、ロケット団の命令形態はボス直轄である。部下との関わり方を見ると、上下の関係はかなり
親密で、意外なほど家族的だ。したっぱの部下にも直接ボスが命令したり、報告させたりしているようで
緊急事態発生かと思うような時間にムサシがボスにコレクトコールをかけ、またそれがつながるという
ことからもそれがわかる(第17話「きょだいポケモンのしま?」)。この場合、ムサシはしたっぱと
いう地位(もしくはそれ以下)でありながら、ボス直通の番号を知っているか、直通でなくてもコレクト
コール(!)を取り次いでもらえるということになる。ドジでマヌケで失敗ばかりの「なにがあっても
かまわない部下」である彼等でさえクビにされないし(のちに一度除籍になっていた事が判明したが現在は新規加入と
いう形で再入団した)
この3人以外は、なにかあっては困る部下というのだから、この寛大さは従来型(主に
力による支配が多い)の【悪の首領】にはまずないタイプだろう。
 かようにロケット団では、部下とボスとの関係が親密であるが、ただ一つ、このカリスマ支配にはボス
(親)の寵愛を争うあまりに、部下(兄弟)同士が張り合って仲が悪くなりがちだという弊害がある。
ニャースとペルシアンの対立関係だけでなく、ムサシ達とヤマト達の間の険悪さや、Aクラスのドミノが
単なるしたっぱに過ぎないムサシやコジロウに、必要以上の冷たい態度をとる事からも、ロケット団内部
にはボスの愛をめぐって、仲間同士の激しい勢力争いがあることが容易に想像できる。



カリスマ支配の説明

 ここでいうカリスマ支配というのをわかりやすく説明すると、犬のしつけ方に似ていなくもない。狼や
犬は群を作り、リーダーの統率で狩りをする。このリーダーを人間である飼い主が努めるわけだ。そして
その方法は、
1.まず力の差がある小犬のうちに「リーダー(飼い主及び人間)は自分(犬)よりも強い力を持って
  いる」と認識させる。
2.そしてリーダーは「その強い力で自分を敵から守ってくれ、エサを与えてくれる」存在だということ
  を覚えさせる。
 サカキの場合、「強い力」についてはその存在感だけで充分その効果が上がっている。「エサ」という
点については、ロケット団は、あちらこちらにあるアジトといい、モンド(見習い)のような特別配達
局員(CDドラマ『白い明日だロケット団』参照)といい、実にまめまめしく団員達の面倒を見ている。
コジロウが給料を前借りした上に、ボスに借金をして(それもかなり多額らしい)、更に相当の予算を
使わせてもらっていること等、こいつらにそこまでしなくてもと思うくらいだ。またジュンサーに逮捕
されたヤマトとコサブロウも、すぐにボスが保釈金を払ってくれてめでたく釈放された。これらのこと
からも、部下への並外れた鷹揚さが感じられる。
3.飼い主と犬との間に強い愛情と信頼関係が築け、犬からの尊敬が得られれば、エサ(物質的な利益)
  ではなく、 飼い主の愛が犬への褒美となる。
 ロケット団員の場合は「給料が上がる」「出世できる」だけでなく「ほめられる」(ムサシ談)という
ことも報酬のうちである。ニャースの場合になると、サカキ自身の口からあからさまに「ボスの愛」が
褒美であることが語られている(第15話「サントアンヌごうのたたかい」)。
4.さらに進むと、リーダーの一大事に駆けつけ、命懸けで助けてくれたりする。
 ペルシアンはロケット団本部が破壊された時に駆けつけたムサシ達を威嚇していた。もっとも狼などは
リーダーが倒れたら自分がリーダーに成り代わろうという魂胆があるので助けてくれないらしいが。



ロケット団員のボスへの認識

 上記の観点から部下達を分析してみた。
コジロウ−−レベル1
 3人の中では一番ボスに対してクールだ。身の程知らずにも、時々ボスの座をうかがう発言をする。
彼はもっと良い条件の職があったら簡単にボスを裏切るだろう。彼自身も上流階級の出身であるため、
サカキの貴族性に魅了されることが少ないのだと考えられる。またムサシと違って、ボスと同性だという
こともあるだろう。コジロウに関してだけ言えば、ボスはカリスマではなく「利益誘導型の支配者」だ。

ムサシ−−レベル2
 ムサシは、しばしばボスを意識した発言をする。『我ココ』において、彼らがコピーポケモンに捕虜に
されたときに現れたロケット団の軍を見て、コジロウは「俺達を助けに来たのかな」と呑気なことを言う
がムサシは「こんなみっともない姿をサカキさまに見せられない」と、ボスの目に自分がどう映るかを
気にしている。またロケット団の本部をミュウツーに破壊されて激怒したボスに八つ当たりされたとき
には、コジロウの影に隠れる。普段は「ロケット団の3人組」という群の中で一番序列が低い扱いを受け
ているコジロウだ。彼が頼りにならないことを知っていながらシオラシサを演出するこの行動。ムサシは
ボスの前なので、カワイコぶったに違いない。かなり年上ではあるが、それでもムサシがボスを魅力的な
男性として意識しているであろうことは否定できない。

>ニャース−−レベル3
 ニャースは、かつてはボスのペットであったにも関わらず、その座をペルシアンに奪われてしまう。
しかしペルシアンに嫉妬はするが、自分を捨てたボスを恨みもせず、再び飼い主のお膝に戻れることを
夢見ている。ボスのペットでいた頃は、きっと今のペルシアンのように可愛がられていたに違いない。
失敗続きの自分達をクビにもせずに許してくれる「心が寛くてやさしい」ボスのためにもニャースは
「がんばる」のだ。しかし『我ココ』でボスを心ならずも裏切ることになる。ムサシ、コジロウという
「子」の「親」になった事だし、ニャースは、もうボスの為に死ねないだろう。

残党のボス−−レベル4
 ゲームボーイ版金銀水晶編で、ロケット団の残党は三年間の苦心の末復活する。復活を指揮した彼は
仲間達に「ボス」と認められているのだからそのままサカキの跡を継げばよいのに、あくまでサカキが
ボスとして戻ってきてくれることを願っている。彼は自分達を捨てて行方不明になってしまったサカキを
いまだに慕い続けているのだ。



第四章

ルイ11世との比較検証

1.キャラクター設定

 サカキには、悪役にありがちな醜悪な闇の影や、屈折し歪んだ心理が感じられないと前に述べたが、
サカキが悪の組織のボスであり、“悪いことをする人”であることにはかわりがない。だが彼の場合、自分
が一般社会でいうところの「悪」だという自覚があるのだろうか?
 ここではその立場、性格、行動形態がサカキによく似た人物、中世フランスに君臨した国王ルイ11世
との比較から検証してみよう。ふたりの共通した特質として、

◎権力欲が強い
◎人の心をつかむのが得意(支配力に優れている)
◎狡知に長けている
などが挙げられる。

ルイ11世は、百年戦争末期のフランス国王である。一般にはあまり知られていない歴史上の人物では
あるが、あの有名なジャンヌ・ダルクによって戴冠したフランス国王、シャルル7世の子であるといえば
何となく時代のイメージがつかめるだろう。優柔不断さで有名になってしまっている父王に比べ、暴悪な
専制君主の代表のように言われることの多い人物だが、彼には、サカキとの類似点が多く認められる。
 ルイは、いささか頼りない王の支配する国の皇太子として生まれた。百年戦争後の混乱の余波が残って
いる頃でもあり、彼と似たような立場にいながらその地位を守りきれない者は情け容赦なく歴史によって
粛清された時代である。彼が担うべき重荷はあまりに大きかったが、彼はその責任を全うしただけでは
なく、彼の支配するフランスを更に強大にした。この点も、同じく巨大組織ロケット団の後継者として
生まれ育ち、その組織を立派に 維持発展させたサカキと似ている。




2.性格的類似点
 サカキがミュウツーを使って世界征服の野望を実現しようと企てたように、ルイもその顕著な特徴と
して、異常ともいわれる権力欲が挙げられる。彼はいずれ自分のものになるはずの王位を、17才にして
父王から奪い取ろうとした。彼の権力への執着、それはフランスの皇太子という立場なら当然持ってして
しかるべき資質ではあるが、彼の大きすぎる野望は、この時には失敗する。しかし数々の挫折と苦労の末
彼の時代においてフランスは来るべき近世への物心両面の諸設備が整い、豊かで安定した強国になるので
ある。
 その実現過程においてルイは、老獪な外交交渉を得意とし、権謀術策を駆使して、武力で彼を上回る
大諸侯達を撃破し、その領土を併合したのである。以下にサカキと共通するルイの特徴を示す歴史書の
記述を引用しよう。

「いかなる国王も彼ほど頻繁に出歩いた者はいなかったし、また彼ほど気軽にすべての臣下と親しくした
者もいなかった(中略)国王はあらゆるものを見、あらゆることを聞き、裏切り者と反徒に対しては情け
容赦なく怒りを爆発させた。」−−−P.ガクソット著『フランス人の歴史1』

「彼は、最高ともともいえる勇気のしるしを戦闘において示しはしたが、どちらかというと危険な戦い
より老獪さを競う外交交渉の方が好きであった。その方面の策略となると彼の才覚は無尽蔵であり、
悪賢い知恵がいくらでも出てくるので、敵に勝てること疑いなしであった。」
−−−オーギュスタン・カバネス著『歴史の地獄U』

 また、当時もっとも信頼するに足ると一般に見られている回想録作家のコミーヌは、
「ときおりあらわになるルイ11世の不機嫌を辛抱しなければならなかったけど、それにもかかわらず
この国王は、当時の他の諸君主にくらべ、『より賢明で気前がよく、いっそう徳が高い』と言明して
はばからなかった」。−−−同上

 ここでサカキ自身もまた、勇敢な人物である事を示す事柄を引用しよう。トキワジムでの対シゲル戦の
直後「お前の力が必要になった」とミュウツーを連れていくシーンがある。人間のために戦うポケモンを
連れていくのだから当然「戦さ」であろう。この時はいつも一緒にいるはずのペルシアンをおいていく。
つまり危険が予想される時には、大事なお気に入りのペットは連れていかないのである。そしてもう一つ
ペルシアンが傍らにいないシーンがある。ニューアイランドにあった研究所を跡形もなく破壊した直後の
ミュウツーに会いにいった時もサカキは一人なのである。たった今ニューアイランド島を一瞬で廃墟に
したポケモンなのだから凶暴なことは明白なのだが、このエピソードはサカキ自身もミュウツーが危険な
ポケモンだという認識を持っていたことの証明になる。だがその危険きわまりないミュウツーに、サカキ
はただ一人丸腰で対峙するのである。これは、サカキが非常に勇敢な人間である事を示す明解な証拠に
なる。もしもこの時、サカキが他の戦闘用ポケモンを連れていたり、身を守る武器を持っていたとしたら
ミュウツーはサカキに従うことはなかっただろう。これはサカキの勇敢さだけでなく王者としての優れた
形質をうかがわせるエピソードである。



3.『悪』の概念


 ルイ11世に迫害された側の(当然復讐の気持ちを込めた)意見であることや、時代的背景を考慮に
入れても、彼の狡賢さ、二枚舌、暴悪さは他の君主達と比べて抜きん出たものがある。同時に、ルイは
サカキと同じようにその野望の実現に関し、何の迷いもためらいもない。この二人の最大の共通点は、
自己の権力欲に対し忠実で、自分の力に絶対の信頼をおくという自己肯定性(この二人の場合、いきすぎ
だが)が顕著だということだ。彼らは「悪いことだとわかっているが、あえてやってやる!」のではなく
「それをやりたいからやる」のであって、そのことが良いことか悪いことかなどには頓着せず、当然他の
思惑など眼中にない。
 普通の人間というものは、幼児期に持っている自己の全能観が、成長する過程でいろいろな障害により
打ち砕かれ、摩耗し、その結果として自分の能力の限界を知り、その望みを縮小せざるを得ない。しかし
彼らのように生まれ持った有利な立場と、それに相応しい優れた能力を持った人間ならどうか。最高の
教育を受け、またそれを自分のものとできるだけの資質を持っているとしたら。
 彼らは恵まれた環境に生まれ、成長する過程で自己の欲望を妨げられたことがない。したいことをし、
欲しいものを手に入れることに何の迷い持たないのは、世間的な苦労に矯正されることなく増長した自由
で素直な幼児的欲望の現れである。彼等にとって、自分の野望の実現こそ至上の目的であり、またそれを
実行できるだけの力もある。彼らは、その長い皇太子時代におそらく一流の教師から帝王学を学び持って
生まれた優秀な素質に更なる磨きをかけたのだろう。それゆえに悪の権化ともいうべき存在とされている
このふたりは、自分の『悪』というものに対して、世間一般の常識であるはずの罪悪感というものを全く
持っていない。罪の穢れや悪に染まっていながら、彼らの精神は汚れてもいないし悪ですらないのだ。
彼らの心は、この点においては幼児の如き天真爛漫な純粋さを残しているのである。
 「世界をわがものにしようとする強い人間」である事を自負するこのふたりは、敵に対してしばしば
汚い手を使うが、そのことを非難されても少しも痛痒を感じない。ルイやサカキにとっては『悪』は一つ
の呼称に過ぎないのだ。この考え方の現れとしての例を挙げれば、負かしたトレーナーのポケモンを奪い
取ったことをルール違反だとなじられた時に、サカキが相手に言った言葉である。
「おぼえておけ、ルール違反はロケット団では褒め言葉だ。」
 ふたりとも、自己の欲望に関しての素直な幼児性的純粋さと、その欲望を実現させようとする猛々しさ
を持っている。またその一方で、大人然とした鷹揚で寛大な心の温かさを示すこともある。その奇妙な
アンバランスが、サカキとルイ11世の大きな魅力である。
「強いものは倒す、弱いものは奪う、邪魔するものはおいはらう」
そして、奪ったものはリーダーとして群の仲間(部下達)に気前よく分け与える。サカキの部下達に
当たるのは、ルイにとっては国民である。ルイはなんと彼等を大事にしたことか!それはサカキの部下達
へ示す深い愛情と同じだ。
「誰であれ、自分に抵抗する者は我慢できなかった。彼は大諸侯を脅しつけ、膝下に屈服させた。
そのくせ、一般庶民の苦しみなどには哀れみ深いところを見せ、不幸な人びとの運命にはしばしば
心を動かすのであった。彼から施しを受けた「哀れな男」や「哀れな女」の数はとても数え切れない
であろう。」 −−−オーギュスタン・カバネス著『歴史の地獄U』



3.親との関係
 またスタート地点は違うが、結果的に同じという点は、彼らの理想とする「大人の男としての人物像
(アニムス)」である。普通一番身近な男性像は父親であることが多いが、ルイの場合、父親への反発は
明らかである。しかしそれは強大な力を表す「父性」へ挑戦し、それを負かして、その持っている力を
自分のものにしようというのとは違うようだ。現実的には「王位」という具体的な物があるが、ルイに
とって彼の父親であるシャルル7世は、王位を象徴するものではなくその座にふさわしくない輩であり、
本来の王であるべき自分から王冠を取り上げている邪魔者と映っていたと思われる。皇太子である彼が
いずれは父王の死によって自動的に手に入るはずの王位を、武力で奪い取ろうとしたことからもそれが
わかる。また当時の時代背景からすると、脆弱な父王の手にあっては、フランスの王冠が他者に横取り
されるかもしれないという危惧もあっただろう。彼の場合、かように父親 との不仲は有名だが、妻女を
含めた女性への態度から見ると、実は母親との関係も良くなかったのではと考えられる。ルイが主張して
いた「虐げられた母にかわって父に復讐する」という理由は単なる口実であり、大逆罪を正当化しようと
する詭弁でしかない。とにかくルイの理想とした男性原理と、シャルル7世は一致しないことは確かで
ある。だからこそルイは17才にして、父王に対しクーデターを起こすのである。
 一方サカキの場合、先代のボスである母親はいるが、父親の気配は今のところ全く見えない。ふたり
ともアニムス像に特定のモデルがいない分、より完璧で理想的なアニムス像が構築しやすかったのでは
ないか。そして『ミュウツー編』で触れたように、サカキは一見「父」に見えるが「母」でもある。だが
サカキの持つ母性は、必ずしも先代のボスであるサカキ・ママとは一致しない。不確定な父親像と同様に
同性でなかったからこそ、先代のボスから部下に対しての『良き母』の形質だけを獲得できた可能性が
大である。しかし「子」であるロケット団の「親」としての存在である為、逆に個対個としての親子関係
が希薄のようだ。ミュウツーとの関わりではこのことが裏目に出てしまった。また同時にサカキは外見的
には「理想的な男性像」を体現している一方、現実的なイメージが希薄な気がする。もしサカキ自身に
生物学的な子供がいるとしたら、サカキの推定年齢から考え、おそらくサカキ自身がそうであったように
その子には既に将来ロケット団のボスの座を引き継ぐための英才教育がなされ、父親の身近にいてボス
見習いとしての修行をしているはずだ。つまり実体としては、特定の女性にとっての「夫」ではなく、
特定の子供にとっての「父」でもない、つまり彼はロケット団員の『親』ではあるが、サカキ本人は
(少なくとも現在は)独身なのでは?と推定している。



4.対ミュウツー戦略の失敗


 だが、二人には一つ相違点がある。近世の光と中世の闇を体現するといわれたルイ11世は、その野望
実現のためにかなりの回り道(自分自身の失策でまねいたものも多いが)を強いられている。もっとも
その苦労は彼の野望を挫くものとはならず「失敗を犯す毎に、前よりも強く、いっそう確実に立ち直る」
のである。ルイは自身の“早すぎる暴走”のつけを払わされ、フランス皇太子という身分でありながら
ブルゴーニュ公国へ亡命する羽目になる。この不遇(不幸ではない)の時期に、彼は「自分以外は誰も
信じない」という人生観を身につけることになる。そして種々の辛酸をなめている分、謙虚さ(?)を
持っている。暴悪な表の顔とは正反対とも見える篤い信仰心、聖人達への謙譲さはその現れである。ルイ
は自分の実力を信じる一方、それだけではどうにもならない事態もある事を知っていた。ただし彼の場合
は「諦める」のではなく、時期を待つなり、他の力を借りるなりして切り抜けるのだ。これらの辛酸で
さえ、彼の心に弱さのもとになる傷を付ける事はできなかった。自分自身への『絶対的な「信頼』を持つ
ルイにとって運命の与えた試練は、損傷を受けた筋肉が以前より強個になるが如く、彼の『悪知恵』に
一層の光輝を与える事になる。

「自分が必要とする者たちを魅惑する秘訣や、不和の種を蒔いたり、自在に仲違いしたり和解したり、
危険な謀議を看破したり、敵の間に疑惑の種を蒔いたりするすべに長けている。自尊心を犠牲にする
くらいのことは彼にはなんでもないことである。」−−−P.ガクソット著『フランス人の歴史1』

 無論、サカキとて大組織を維持していく者として何の苦労もしていないわけではないだろう。仕事上の
大打撃(具体的にはアオプルコのポケモンランド壊滅、ミュウツーによる本部建物崩壊など)もあった。
だがサカキは、人生においての強烈な挫折感と、そこからくる心の闇を真に理解してはいない。サカキは
ミュウツーが負っているような深刻な精神的な傷を持たず、心理的な不幸というものを「人心を掌握する
上での知識」としては知っているが、自分自身のものとしては体験していないのではと思える。サカキは
ルイが経験したような「自身ではどうにもならない」事態を想定できないようだ。彼が『ミュウツーの
誕生』でミュウツーにみすみす逃げられてしまった原因はここにある。サカキにはミュウツーの屈折した
深層心理を読みとる事ができなかった。常に明るいところにいる者は暗がりの中を見ることができない。
いわばサカキを照らす光の影に産まれたミュウツーを、サカキが真に理解する事は不可能だったのだ。



第五章

原理的性格解析−−−サカキの『男性』性と『女性』性

 サカキは肉体的にも精神的にも立派な「大人」である。『ポケットモンスター』の中でも、男性原理
(アニムス)を体現するに最もふさわしいキャラクターである。しかしミュウツー等を籠絡したサカキ
の甘言を弄する巧妙かつ老獪な心理作戦は、女性的で繊細な支配方法である。また戦場では常に勇敢で
あったとされるルイだが、武運は乏しかった。そして結局、男性原理的なシャルル突進公を、女性的な
権謀術策で陥れ倒している。ふたりとも偏った方向ではあるが、女性原理、男性原理が統合された人格
なのだ。
 そして表面的には男性原理的でありながら、サカキの本質が究極のアニマ「悪しき母性愛」であること
を如実に現したのが『我ハココニ在リ』である。自分の愛をエサにして部下を釣り、彼らを意のままに
操縦する方法は、ニャースやロケット団の部下達など、ある程度成長したものには有効であった。そして
被支配者に愛し愛されることの長所と欠点も既に述べた。サカキのように物質的、精神的に満たされて
育ったものは、愛することを覚える反面、生地のままの自我を矯正せずに増大させてしまう欠点がある。
 サカキはミュウツーの劣等感を把握し、それを利用して従わせることが出来ていながら、その反面、
ミュウツーが彼の手から逃亡した理由が全く解っていない。そして解ろうともしない。それこそが自我を
秩序正しく導くはずの良きアニムスに出逢っていない、全く矯正されることなく増大した原始的なアニマ
悪しき母性のあらわれである。そして悪しき母性は、自己中心的な幼児性と相通じるものがある。
「欲しいから手に入れる」
 他の者が眼中に入らない、肥大した幼児的な自我は『世界征服』という野望となって表れた。今回の
ミュウツー捕獲作戦は、それがすべてのように見える。しかし『我ココ』におけるサカキの言動には、
もっと根源的な深層心理が隠されていた。サカキは、ミュウツーを自分の手に取り戻すことに何の良心
の呵責もない。彼は自分の愛が間違っているなど、露ほども思っていないのだ。悪しき「母」(グレート
マザー)であるサカキにとっては、ミュウツーは自分の生んだ「子」なのだから「自分のもの」なので
ある。グレートマザーにとって自分が生んだ「子」は自分の一部であり、自分から離れて独立することを
決して許さない。サカキは「母」として「子」であるミュウツーのすべてを支配する権利があると信じて
疑わない。そして「母」は自分から離れて逃げようとする「子」を食い、再び自分の一部に取り込もうと
する。
「ミュウツーは私のものだ。私のものにならないならば消えてもらう」
この言葉はミュウツーにではなく、ミュウツーを助けようとする第三者達に向かって発せられたものだ。
このことから、サカキが自分のしていることに何の迷いも持っていないことがわかる。また『グレート
マザー』(偉大なる究極の「母」)の台詞として、これほど完璧なものもない!
 またミュウツーにとっても、サカキはアニマであった。サカキがアニムスとしてだけの存在だったなら
ミュウツーはサカキを越える力を持ったことを自覚した段階で、肉体的にも精神的にも、サカキから独立
していたはずである。またロケット団残党のボスも、サカキの後継者、新生ロケット団のボスとして即位
していたに違いない。にもかかわらず、二人ともサカキのもとを離れていながら、心はなおサカキにあり
続けていたのだ。このことはサカキが彼等にとってアニマ的な存在であることの強固な状況証拠になる。
 本来「子」はアニマからもアニムスからも分離独立して、それぞれ自分の道を行くべきだ。だが二人共
サカキの精神的支配という呪縛から解放されていず、サカキと同じ道、同じ方向へ歩んでしまう。しかし
これの事がすべて彼らの責任というのではない。ミュウツーが、サカキというアニマの支配から脱する
には自分自身を消滅させる(ミュウツー編『我ハココニ在リ』3参照)しかなかったように、それほど
アニマとしてのサカキは強大であったのだ。



第六章(終章)

サカキの『その後』

『悪』とは“滅び”というものを『美』の領域にまで高める為の手段である

 幸いなことに、アニメの最終回はしばらく訪れそうもないが、ゲーム(赤・緑・青・黄)において
サカキは力をつけた主人公の3回目のバトルに敗北し、悪の組織ロケット団を自らの手で滅ぼす。そして
「いちからポケモンのしゅぎょうを やりなおすつもりだ」
 と告げ、その世界から消えていく。ミュウツーが(サカキを越えた)究極の悪から一転『良きもの』に
そして『死』によって『神』に進化したように、サカキもまた、自らを滅ぼすことにより母胎回帰し、
まったく別な何かに生まれ変わるのだろう。
 ミュウツーが忌み嫌ったサカキの人間としての金銭欲は、生き物の卑俗な欲望を象徴し、ロケット団の
ボスとしての彼はそれを極めた存在だった。またサカキは『悪しきもの』としてではあったが、「父」と
してだけでなく「母」としても偉大であった。そして自己の欲望に対する率直さ、純粋さでもまた、頂点
を極めていた。完全な光の中にいたサカキの負の部分を一身に背負っていたミュウツーは、陰極まって
反転し『神』という究極の陽となる。ミュウと同じように「その実体を知るものは誰もいない」存在に
なったミュウツー。サカキも金銀クリスタル編で「姿なき存在」として描かれている。ミュウツーと表裏
一体であったサカキも、ミュウ、ミュウツーのような『神の眷属』になるのではないか。
 サカキとミュウツー。この密接につながっていながら、割かたれたもの。このふたりを見続けていると
あること、あるものを思い出す。日本・古代神話の二神、イザナミとイザナギだ。彼らは、イザナミの死
によって互いの住む世界を割かたれた。そして現世と黄泉という二つの相反する世界の代表として激しく
対立することになる。しかしどうだろう? もしイザナギも死に、イザナミと同じ世界のものになったと
したら。そうなれば、ふたりは以前より更に仲睦まじく暮らすことが出来るのではないだろうか。

「サカキさま ばんざい」


 チョウジ・タウンの地下アジトで、最後の扉のパスワードを知っていたのはヤミガラスだった。カラス
は邪悪な死を象徴する不吉な鳥であると同時に、神の使者という聖なる一面も持っている。そして
「サカキ」=榊は栄木ともいい、神の依代とされる植物であることも最後に付け加えておきたい。



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