中世の落し物

歴史上、誤解されたり、見落とされたり、無視されている
マニアックな小ネタを集めたコーナーです

1.香辛料の栄枯盛衰
2.ルイ11世治世下の事件簿

2.ルイ11世治世下の事件簿 at 2019 01/11
 マルタン・モネスティエ/著『図説奇形全書』の『両性具有の章』(ヘルマフロディト)に
書かれているルイ11世治世下に起きたある事件を考察してみた。 太字部分は本文から直接引用
 この文献に載っていたのは、オーベルニュのイソワールにあった修道院で、両性具有者だった
一人の修道士が妊娠し出産したという事件である。彼は「父親でもあり母親でもある」という罪状
で告発された。
 この事件を扱ったルイ11世の司法官の報告書によると、
「当修道院の修道僧は男と女の二つの性を持っており、自らをその両方であると信じ、よって子供
 をはらんだ。以上の理由は法廷で審議され、正当と認められた」

 この話を読んだ時、この「正当と認められた」というのは「父親でもあり母親でもある」という
罪状での告発が正当だから有罪という事なのか、それとも「自らをその両方であると信じ、よって
子供をはらんだ。」から妊娠出産は正当であり無罪という事なのか、判然としなかった。が、この
文献に載っている他の両性具有の人々の事例では「多くが宗教裁判で処刑された」とあり、その
典型的な例を挙げた後に、
「彼らの一人の驚くべき生涯は、十五世紀末に大きな反響を巻き起こした」
 とあるので、この事案の人物は他の多数の犠牲者とは違い、無罪とされたのではと推測した。
この前提で無罪になった理由を考察してみたい。

1.なぜ修道院なら「安全」なのか?
 中世の秩序には「聖」と「俗」とのふたつがある。「俗」は現代における刑法や民法のような
世俗的な罪であり、裁くのは世俗の権力である。修道士等の聖職者は教会という「宗教的な権力」
の秩序によって裁かれる。 当時「両性具有」の子供が生まれるのは「悪魔のしわざ」とされ、
宗教的な迫害の対象として、しばしば火刑に処せられていた。にもかかわらず、
「自分の子供がこのような災難にあわないように、多くの両親はヘルマフロディトの子供や疑似
 ヘルマフロディトの子供を修道院に入れた。」

 宗教的な迫害の対象である両性具有の人々が、「迫害する側」の教会組織に預けられるのは
かえって危険なような気がするが、ここで、聖と俗の世界における違いがポイントとなる。当時の
人々の生活は『ルイ11世の解剖図』でも触れたように、人前で『排泄行為』を行うのにも抵抗が
ないくらい、身体を露出する事にはさほど羞恥を感じていない。老若男女、就寝の時は原則全裸
であるし、更に個々の寝台を持てるのはそれ相応の富裕層であり、ひとつの寝台に家族、時には
客人、召使までが同衾するのも、ごく普通である。つまり両性具有という「悪魔のしわざ」と
された身体的特徴が、周辺の人々に容易に知られてしまう事になる。しかし修道院など聖職者の
生活では、裸体を晒す事は厳に慎まなくてはいけない。他人の裸体を見るのはもちろん、自分の
裸体さえ見てはならず、着替え等の時は目をつぶっていなくてはならないほどだ。つまり俗界に
いる時よりも、修道士としての生活の方が「身体的特徴」を知られてしまう「危険」が少ないと
いう訳だ。

2.妊娠出産が有罪になる場合
 当時の人間の「繁殖行動」には、現代では考えられない程、様々な制約があった。まず、神の前
で誓約された婚姻関係でなくてはならない。そして家族を増やし子孫を繁栄させる事が唯一無二の
動機である。夫婦間の情愛はあくまで家族愛であり、男女の恋愛感情を持っていてはならない。
その上、前記の合法的な関係であっても、多種多様な「日時」と「行動」の制約があって、これら
すべての条件をクリアしていない場合は「不適切な関係」となり宗教的な罪を問われる。さらに
その結果として「悪魔のしわざによる影響を受けた子供」が生まれるとされた。

3.「両性だから」無罪になった理由
 この件の場合は「父と母」が同一人物であるから『神の前で結ばれた正式な婚姻関係』でないと
いう事は明らかだ。その上「繁殖行動」そのものが禁じられている修道士が懐妊したという、許し
がたい事態が起きたのであるから、告発されるのは当然かもしれない。しかしてなぜこの件では
「無罪」となったのか?
 通常、ふたつの個体がそれぞれの配偶子を結合させる事で新たな個体を作り出すのが「繁殖」
である。そしてその「繁殖行動」が不適切だった場合、宗教的な罪を問われる。人間の場合は、
男の配偶子が女に届けられるのが「適切」であり、「女から男」へ届けられるのは不適切なのだ。
当然、男性の懐妊は「不適切な行動」の結果であり、当時の物語でも「懐妊した(と思い込んだ)
男性の困惑」を面白おかしく扱った物語が多々ある。しかしこの件の場合は、一人の人間の中に
「男の配偶子」と「女の配偶子」が同時に存在していた為、偶然体内で結合してしまったのだ。
つまりこの懐妊は、一種の自然現象であり「不適切な行動」の結果ではないと認定されたのでは
ないか。

4.真相は如何に…?
 実際のところ、聖職者すべてが厳格な禁欲生活をしていた訳ではないし(前記の『妊夫達』は
聖職者も多い)教会側も、すべての人々が「普遍的ではない身体的特徴」を持った子供達を断固
火刑にすべきだと思っていたわけではないのではないか。むしろ、孤児院や施療院的な側面を
持った教会の立場として、俗世間からも迫害されるであろう子供達を匿うつもりで、引き取って
いたのかもしれない。この「男でもあり女でもあった修道士」にも、そういう温情が加味された
のではないかとも思える。
 近代科学の下に進歩した現代の医学では、男性が(人為的な操作があった場合はともかく)懐妊
する事はできないし、真性の両性具有の人は、両性の機能とも未発達な為に「繁殖不可」とされて
いる。だからこの修道士は本来女性であり、この懐妊も「不適切な関係」の結果だと思うだろう。
これらの現象を本当の話と信じた、昔の人々を無知蒙昧と嗤うのも仕方のない事かも知れない。
 あり得ないことのたとえに「騾馬が子供を産む」という言葉がある。レオポンの親はレオポン
ではないし、ライガーの親はライガーではない。つまり驢馬の父親と馬の母親の間に生まれる騾馬
のようなハイブリットは両親の良い特徴が発現する場合が多い代わりに、繁殖能力がないとされて
きた。しかし、ごくごく稀ではあるが、繁殖可能な騾馬がいるそうだ。もともと絶対数の少ない
両性具有の人々でもあるし、こういう事態が発生する可能性は、限りなくゼロに近い事かも
知れない。が、しかし本当に「両性」が懐妊する事が絶対ないとも言い切れない気もする。
と、すると「彼」への「無罪判決」は自然現象という「神の御意志の結果」として、聖俗共に
正しい司法判断といえそうだ。

主要参考文献
『図説 奇形全書』マルタン・モネスティエ/著 原書房
『妊娠した男 男・女・権力』 ロベルト・ザッペーリ/著 青山社 等




1.香辛料の栄枯盛衰 at 2008 01/11
 この時代、香辛料が非常に高価であったのは、肉の臭みを消したり保存するのに必要であった
から、遠く東洋から取り寄せたのだと言われている。しかし実際は、舶来の高価な香辛料を使用
できるのは、特別な富裕層に限られていた。貧しい階級の人々は肉そのものを滅多に食べられ
なかったし、あまり上等ではない肉を食べるような階級の人々は、栽培の容易な香味野菜等を利用
していた。また、肉類の保存は塩蔵が主流であった。時には宝石よりも高価な値段で取引される
香辛料を購入できるほど、贅沢な食生活をする人々が、臭みを消さなくては食べられないような
古い肉を口にする事はない。狩猟は原則的に王侯貴族等の特権であり、彼等は自ら獲った野生動物
の新鮮な肉を消費していた。領主階級ではなくても農場が隣接する田舎は当然として、都市部でも
(表向き禁じられているにも関わらず)家畜が放し飼いにされ、屠蓄場もあり、金さえあれば新しい
家畜肉を食べる事ができた。
 この時代に香辛料が殊更好まれ珍重された理由は、薬草としての医学的な効能を期待して、と
いう事もあるが、それ以上に購入者の優越感をくすぐる希少価値にあった。東洋の商人は香辛料を
「エデンの園で実り、地上のナイル川に流れ込んだ物を網で掬いあげた宝物」という、もったい
ぶった因縁話をでっち上げ、更に西洋の商人は「遥かな遠い東洋からの危険で困難な道程」という
コストを上乗せし、流通ルートを管理するなどして、購入者の自尊心を満足させるに相応しい法外
な値段をつけて売りさばいた。貴顕でなければ入手できない程に高価であったからこそ、裕福な
上流階級に属する人達の心をとらえたのである。
 富裕層でも、日常の食事ではそれほど香辛料をきかせる事はなかったが、宴会ともなると食材の
風味を抹殺してしまうのではと思われるくらい大量に使用された。この「天国からの賜り物」は
厳重に金庫などに保管された。そしてここぞという饗宴などの時に高級かつ希少な材料に惜しげも
なく振りかけ、注ぎ込まれた。その贅を尽くした御馳走を気前よく大盤振る舞いする事で、自らの
剛毅さを万人に見せつけ、財力と権勢を誇示しようとしたのである。
 その証拠が、かつては黄金と等価とまでいわれた胡椒の凋落である。中世末期に、ヴェネツィア
商人によって大量に輸入されるようになった為に、上流階級の人々は胡椒の代りに、同じような
味でありながらより高価な香辛料を求めるようになった。その結果、胡椒は富裕層の寵を失い
「一般市民用の香辛料」という扱いをされる羽目になった。しかし、胡椒を王侯貴族の食卓から
格下げさせた「グレーヌ・ド・パリ(天国の種子)」と呼ばれたマニゲット(生姜科の種子)も、近世
に入ってアフリカ大陸との行き来が盛んになり、ごく普通に栽培されている植物であるという、
その正体が一般に知れ渡るに伴い、その栄誉と共に衰退してゆく事になった。香辛料がステータス
シンボルあった中世から、単なる調味料の一種としてとらえる近世の訪れと共に、胡椒は再び人々
の食卓に戻ってくることになる。



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