2001年ウインブルドン男子決勝/ゴラン・イバニセビッチ - パトリック・ラフター
2006. 8. 2


6−3
3−6
ゴラン・イバニセビッチ 6−3 パトリック・ラフター
2−6
9−7

「テニス - 懐かしの名試合」、第3回目はウインブルドン4回目の決勝進出にて悲願の初優勝を遂げたゴラン・イバニセビッチの試合です。

1回目にも書きましたが、私が好きなプレーヤーはシュテフィ・グラフ、アンドレ・アガシ、イワン・レンドルのような「攻撃的な」ストロークプレーヤー。 マイケル・チャンやセルジ・ブルゲラ、マッツ・ビランデルのような「つなぐ」ストローカーはあまり好きではありませんが、ベッカー、エドベリのような典型的なネットプレーヤーよりはずっと試合を見ます。つまりストロークプレーヤーが好きな私にとって、ウインブルドンは少々退屈です。テニスプレーヤーなら誰もが夢見ると言うウインブルドンですが、サーブ1本で決まってしまうポイント、日が経つにつれて芝が剥げイレギュラーバウンドが多くなるサーフェスはどうもストロークの醍醐味を感じられません。 なので1回戦から見る事が多い全仏オープンとは違ってウインブルドンは準決勝以降、時には総集編のみの観戦さえありました。

今回紹介するゴラン・イバニセビッチは典型的なネットプレーヤーです。ピート・サンプラス以降、1990年代から「オールラウンドプレーヤー」が主流になる中、逆に珍しいタイプになるのかもしれません。 確かイバニセビッチを初めて見たのは 1990年の全仏・・・だったと思う。 2回戦でボリス・ベッカーを破って注目を集めました。そして 1992年、同じくベッカーを準決勝で破って決勝進出。 ベッカーをして「将来のウインブルドンチャンピオンに敗れたのだから悔いはない」と言わしめたのを覚えています。対するパトリック・ラフターはイバニセビッチほどネットには出ませんが、やはりオーストラリア出身ということもあって芝のコートが得意。 ウインブルドンではよりネットに出る攻撃を多くします。いつの年かは覚えていないのですが、全米オープンでグランドスラム大会初優勝、さらに2連覇を成し遂げました。と言う事で 2001年のウインブルドン男子決勝は、言わば私にとっては少し退屈なネットプレーヤー同士の対決だったわけです。しかし試合を見続けるにつれて、「サーブ」が試合の中で非常に重要なポイントを占めたこの試合は私にとってもボルテージが上がるものとなりました。

話を少し戻しますが、ゴラン・イバニセビッチが初めてウインブルドン決勝に進んだ 1992年の対戦相手はアンドレ・アガシでした。そう、アガシにとってグランドスラム大会、そして「生涯グランドスラム」の初タイトルが、アガシにとって最も遠い存在だろうと言われたウインブルドンだったわけで。 その事は第2回目にも書いています。正直、ベッカーを破って決勝に進んだイバニセビッチが下馬評有利の中、フルセットで下したアガシにテニスファンの誰もが驚きました。「まさか、アガシがウインブルドンで初タイトル!?」。 そして、実はその時からイバニセビッチ自身も、彼にとって非常に痛いウイークポイント=ダブルフォルトと戦い続けることになったわけです。その後2回ウインブルドン決勝に進みましたが、いずれも絶頂期のピート・サンプラスに敗退。 試合の途中で「キレる」イバニセビッチは大事な所でダブルフォルトを連発し、やがてランキングが少しずつ下がっていきました。あまり知られていないことですが、2001年のウインブルドンは「ワイルドカード=主催者推薦」での出場だったのです。
初の決勝進出から9年。 「もう、イバニセビッチはウインブルドンで優勝できないだろう」と周りで囁かれる中、彼は試合を勝ち進んでいきました。

パトリック・ラフターとの決勝戦を見た方は良くわかると思うのですが・・・、イバニセビッチは相手とは戦っていませんでしたよね。 特にファイナルゲームは。 「自分と戦っている」というのは良く使われる表現ですが、この表現がこの試合ほど当てはまる試合は無いと思います。彼が何本ダブルフォルトをしたのかわかりません。 それぐらい多くのダブルフォルトが出ました。静まり返ったセンターコートが、イバニセビッチのダブルフォルトで大きなどよめきに変わる、その繰り返し。 解説の坂井利朗さんが試合の中でおっしゃっていたのですが、相手のパトリック・ラフターはむしろイバニセビッチが優勝するのを「望んでいたような」(実際、私にもそう見えました)試合展開、つまりイバニセビッチはサーブを入れさえすれば試合が決まるのにダブルフォルトを繰り返す。 たったサーブ1本でポイントが決まるのではなく、たったサーブ1本で「ポイントが決まらない」緊張感は、ある意味非常に独特な試合でした。

しかし、ついに彼は決めました。優勝の瞬間、両手を上げて泣きじゃくるイバニセビッチ(それが上の画像です)。 そして同じように泣きじゃくる父親が待つファミリーボックスへ。 9年かけて掴み取ったウインブルドン初優勝は、イバニセビッチにとって最も待ち望んだ瞬間、そして最初にして最後のグランドスラムタイトルでした。


1988年ウインブルドン女子決勝/シュテフィ・グラフ - マルチナ・ナブラチロワ
2007. 1. 6


5−7
シュテフィ・グラフ 6−2 マルチナ・ナブラチロワ
6−1

2007年最初のこのコーナーは私が持っている録画テープの中で最も古い試合、実に 19年前のこの試合から始めたいと思います。

シュテフィ・グラフの存在を知ったのは前年 1987年の全米オープン。 マルチナ・ナブラチロワに負けはしたものの、長年に渡って世界ランク1位の座についていたマルチナを抜いて世界ランクトップに躍り出た存在として初めてグラフの名前を知りました。遠い記憶の中で全米オープンの決勝で2セットともにタイブレークで敗れた試合は微かに覚えています。そして
「ゴールデン・スラム」、すなわち4大オープン(全豪、全仏、ウインブルドン、全米)に加えてオリンピック金メダルも同一年(この点が複数年で生涯グランドスラムを達成したアンドレ・アガシやナブラチロワと異なります。ちなみにナブラチロワはオリンピックの金メダルは獲得ならず。 さらに付け加えると、グラフは 1993年の全仏から 1994年の全豪まで2年越しのグランドスラムも達成しています。)で獲得した 1988年、まさに女子テニス界にとって歴史に残る1年が始まりました。全豪オープンは見ていませんが、全仏オープンで年下のズベレワを 6 - 0、6 - 0 と僅か 30分で終わらせた試合、ソウルオリンピック、さらに全米オープンで同年代の宿敵、ガブリエラ・サバティーニをフルセットで下した試合はいずれもテレビで生観戦しました。

19年も前の試合ですが、この試合を観戦した時の事は今でも鮮明に覚えています。実は第1セットはグラフが 5-3 とリードしていながらナブラチロワに4ゲームを連取されて落としました。しかし第2セットも1,2ゲームをナブラチロワが連取した時でさえ、私はこの試合はグラフが勝つという予感がしました。とにかくリターンに象徴される圧倒的なフォアハンド逆クロス、ロブで後ろに戻された直後のドロップボレーをパッシングショットで切り返す素晴らしい脚力はとにかく凄かった。 引退するまでグラフはそのプレースタイルを貫き通しましたが、この頃のグラフはまさに「飛び跳ねる」という印象が強かったですね。 リードしているのにどんなショットも返されてしまう焦りがどんどん強くなるナブラチロワと対照的に、ミスをしても表情を変えずにとにかくフォアに回り込んで逆クロスを決めていくグラフ。 グラフの土壇場での精神的な強さ、そしてナブラチロワの精神的弱さは、その後の二人の対決でもかなり見られました。

最後はグラフのバックバンドリターンがネットイン。 両手を上げて喜びを爆発させたグラフ、そして試合後に涙を見せたナブラチロワ。 この試合を機に「新旧女王の対決」というフレーズが使われ始めたような気がします。


※番外編 グランドスラムの難しさ
2007. 7月

ケン・ローズウォール → ウインブルドン
ビヨン・ボルグ → 全米オープン
ジョン・マッケンロー → 全仏オープン
ジミー・コナーズ → 全仏オープン
イワン・レンドル → ウインブルドン
マッツ・ビランデル → ウインブルドン
ボリス・ベッカー → 全仏オープン
ステファン・エドベリ → 全仏オープン
ピート・サンプラス → 全仏オープン
ロジャー・フェデラー → 全仏オープン(※2007年 7月現在現役)

モニカ・セレス → ウインブルドン
アランチャ・サンチェス・ビカリオ → ウインブルドン
マルチナ・ヒンギス → ウインブルドン(※2007年 7月現在現役)
ジャスティン・エナン・アーデン → ウインブルドン(※2007年 7月現在現役)

テニスに興味のある方はすぐにわかりますね。 タイトルにも関連していますが、上記の選手が「グランドスラム」を達成するためにどうしても取れなかった、あるいはまだ取れていないタイトルです。私の頭の中にあるプレーヤーを列挙するだけでこれだけの選手が出てきますので、1970年代以前のプレーヤーを加えるとさらに数々の名選手が出てくることでしょう。 「ウインブルドンを優勝できるのなら、これまでに獲得したタイトル全てを引き換えにしても良い」と言ったのは、2度決勝に勝ち上がりながらボリス・ベッカー、パット・キャッシュに優勝を阻まれたイワン・レンドル。 そしておそらく現在最も生涯グランドスラムに近いと思われるのが、今年ウインブルドン5連覇を成し遂げたロジャー・フェデラー。 過去2年は全仏でナダルという強い壁に阻まれていますが、ウインブルドン5連覇というプレッシャーをはねのけた現在、彼自身のこれからの目標が生涯グランドスラムである事は間違いありません。

グランドスラム=
1年間で全豪、全仏、ウインブルドン、全米オープンを全て(連続で)優勝する事。 シュテフィ・グラフが 1988年に達成しています。しかし 1年間でそれを成し遂げる事があまりにも難しいため、最近では「生涯グランドスラム」として現役の間に 4つのタイトル全てを制覇する事も含まれるようになりました。なので冒頭に挙げたグランドスラムは「年間グランドスラム」と呼びます。マルチナ・ナブロチロワ、クリス・エバート、そして近年ではアンドレ・アガシ、セレナ・ウイリアムズが達成しました。ちなみにグラフは 1993年の全仏オープンから 1994年の全豪オープンまで2年越しではあるものの連続優勝したので、広い意味でグランドスラムを2度達成した数少ない選手です。私が知る限り他にそれを成し遂げたのはマーガレット・コート夫人ぐらい。 あるいは他にもいるかもしれませんが、かなり前の時代である事には間違いありません。 

実は日本人でこの生涯グランドスラム、しかも単複(シングルス・ダブルス)両方を達成した人がいるんですよ。 単複グランドスラムを達成しているのは、おそらくマルチナ・ナブラチロワぐらいじゃないでしょうか。 しかも今年(2007)です。御存知でしたか?  それは車椅子テニスプレーヤーの「国枝慎吾」さん。 私が初めて国枝さんを知ったのは 2004年の「アテネ・パラリンピック」。 齋田悟司さんと組んだダブルスでアジア人初のテニス競技金メダルを獲得しました。先日放送された「情熱大陸」というテレビ番組で国枝さんを初めて知った方がほとんどではないでしょうか。 私もそれから御本人のブログを見るようになりました。いや〜、この1週間は試合成績を見るのがハラハラしていましたね。 2007年現在、世界ランク第1位、そして昨年 (2006) の MVP プレーヤー。 国枝さんは日本テニス界、そして日本人の誇りです。そして、もうすぐ開催される全米オープンで「年間グランドスラム」の達成がかかっています。皆さんも是非応援してください。

※内容が重複しますが、上の内容を「ブログ」にも書きました。


※番外編 年間グランドスラム
2007. 9月


上の事を書いたのは 2ヶ月前でした。遂に国枝慎吾さんが「年間グランドスラム」を達成! 先の世界陸上の言葉をお借りすれば「67億人の 1位」とも言えるべき素晴らしい偉業です。とにかく「年間グランドスラム」と「単複グランドスラム」を達成したのはテニス界で初めてでは? シュテフィ・グラフはダブルスのグランドスラムを達成していないですし、マルチナ・ナブラチロワは年間グランドスラムを達成していない(「生涯グランドスラム」は達成しています)。 こういう事実を認識するにつれて、ますます国枝さんの快挙の重大さを感じます。

・・・奇しくも国枝さん御本人のブログで年間グランドスラムの事を知る前日に、日本男子テニスがデビスカップ(国別対抗戦、通称「デ杯」と言います)のワールドグループTに昇格できなかった事を知りました。福井烈さんの現役時代を知る年代の私としては、日本男子テニス界は松岡修造さん以降の面々を知りません。 そんな中、車椅子テニス界では群を抜く国枝さんの強さ。 もはや来年の北京パラリンピックが楽しみという次元では無く、北京までどれだけシングルスの連勝を伸ばせるのかという段階になってきました。これからもますますの御活躍を期待するとともに、日本テニス男子の復活も念じております。

※上の事を書いたすぐ後に、「錦織圭」という超新星が日本男子テニス界に現れた事を知りました。日本男子としては初めて「全仏ダブルスジュニア」という、4大オープンジュニアタイトルで優勝したそうです。まだプレーどころか名前を知ったばかりの選手。 今週末(2007年 10月第 1週)に行われるジャパンオープンが楽しみです。頑張ってください。


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