扉の向こうの青い空 4

『ようこそ』

「あなたは…?」

『真理』

「真理?」

『あるいは、宇宙』

「?真理じゃないの?」

『まあ、なんでもいいよ。好きに呼びな。』

「…はあ。」

『さて、お前はもう死ぬぜ。』

「え?」

『交通事故でな』

 あ………。

「いや!死にたくない!」

『その望み。叶えてやってもいいぜ。』

「え?」

『ただし、それにはそれ相応の代価が必要だ。』

「代価?私…お金なんてそんなに…。」

『金じゃあ、ない。』

「じ、じゃあ…?」

『その、命を。』

「え?それじゃ、死んじゃうんじゃ?」

『まあ、待て。“死んだ”と言ったが本当に死んだわけじゃない。』

「どういうこと?」

『植物状態さ。このまま目を覚ますことはない。果たしてこれは生きていると言えるのかなあ。』

「…だから、死ぬって言ったのね。」

『お前の家族はずっと目を覚まさないお前のために、少なくない医療費を払い続ける事になる。』

「………っ。」

『そして、目覚めることのないお前の魂は、漂い続ける。』

「目覚め…ないの?」

『ああ。お前はな。』

「…願いを…叶えるって。」

『ああ、代価を払うなら。』

「払えなければ?」

『このままだ。』

「その代価が…。」

『そう、お前の命。』

「…矛盾…してない?」

『してないね。この世界でのお前の生は終わりだ。身体は死を迎える。二度と戻れない。』

「だから、死にたくないんだってば。」

『扉の向こうの世界へ行け。』

「え?」

『お前を知るものもいない。お前が知るものもいない。たった一人。全く別の世界だ。』

「じゃあ、家には帰れないの?友達にも?」

『ああ、もう戻れない。』

「いやよ!そんなの!」

『お前の家族は、目覚めないお前を待ち続け、金を払い続ける。

目覚めないお前の魂は、死ぬことも生きることも出来ずに漂い続ける。』

「……それも、いや…。」

『生命の代価が、命だなんて。全くすばらしい等価交換だな。』

「等価…交換?」

『ああ、そうさ。何かを手に入れようとすれば、それ相応の代価が必要だ。当然の摂理だろう?』

「………。」

『何の犠牲も払わずに何かを手に入れるなんて、どだい無理な話だ。分かるか?』

「………。」

『お前はどうする?』

「………。」

 

 

『死にたく、ないんだろう?』

 

 

「………。うん。」

 

 

 

 悪魔の囁きのようだったと思う。生きているものならば、誰だって本能的に死にたくないと思うだろう。

たとえそれが家族も友人もない、たった一人で送られる全く別の世界での生でも。

そして私を知る人が、誰一人私という人間がまだ生きていると認識してくれないのだとしても。

 

 

「大丈夫か?…落ち着いたか?」

「………。」

 こくこくと頷く私。けれど、全身汗でびっしょりで顔色だって相当悪いだろうと思う。

「よしよし、焦んなくていいからな。ほれ、ゆっくり息を吸って…吐いて…。…悪い。水、持ってきてくれるか?」

 エドワード君にだかアルフォンス君にだか、それとも先生になのか。ジャンさんが頼んでコップに汲んだ水が差し出された。

「ほら、飲めるか?少しずつでいいから、ゆっくり飲め。」

 ジャンさんがそっと口元にコップを寄せて、少し傾ける。冷たい水が口の中に入ってきて、ほおっと息をついた。

「持てるか?」

 うん。と頷いて、まだ少し震える両手でコップを持った。ゆっくりと飲み干す。その間、ジャンさんはずっと私の背中を優しく撫ぜていてくれた。

「…思い……出しました。」

 小さく言うと、皆が息を詰めるのが分かった。

「実は……。」

 本当は話したくない話。私がやっと重い口を開いたとき、再びドアがノックされ、開かれた。

「どうだ様子は…っとハボック少尉!何をやっているんだ!」

「…あれ、…大佐?あんた仕事は…。」

「そんなものはどうでもいい。その手を離したまえ!」

「…へ?」

 入ってきた途端に喚き始めた男の人を、びっくりして見つめてしまった。頭の隅っこの方で…黒い髪の人もいるんだぁ……なんて事を考えながら。

 

 

 仕事柄、犯罪者の尋問や事情聴取をすることが多い。だから、その歪んだ世界観や価値観にうんざりさせられることもしばしばで…。

言葉の端々に家族や友人、恋人、軍、国、その他自分を取り巻く全てのモノに責任を押し付け『他が悪い、自分のせいじゃない』との主張が見え隠れするのが常で…。

…だから、…彼女、チヒロ・ナカハラの事情聴取をしたとき、実は凄く驚いた。

そりゃ勿論、言っている内容も驚くべきものだったけれど、そうじゃなく。その表情、言葉の選び方、受け答えの自然さ。…ああ、この子は両親に愛され幸せに育ってきたんだろうな、と思った。そしてその愛情をちゃんと自覚し、感謝して、きちんと親へ返してきたんだろう…と。

不思議に思えば不思議そうな顔をする。何とか分かってもらおうと言葉を選んで話す。その様子はかわいらしくて、19歳といえば家の一番下の妹と同じ年じゃねーかなんて思ったりした。

持ち物なんてさらにかわいらしくて。学校の教材らしい本や、ノートをとったのか丁寧にまとめられているファイル(字が読めなくたってそれ位は分かる)、ページの端に小さな落書きがあるのさえ微笑ましい。

見たこともない紙幣やコインの入った財布も大切に使われていたようだし、ハンカチもきれいに洗濯してあった。

小さな手鏡の入っていたポーチには化粧品が入っていたけど、女性上司に聞いたところでは、『化粧をする』というよりも、リップやハンドクリームなどのケア用品が中心のようだという。一緒に入っていた絆創膏にはカラフルでかわいい絵が描いてあって、思わず笑ってしまった。

後から説明された『ケイタイ』とやらには驚いたけど、久しぶりにひどく健全で健康な精神に出会ったような気がしたのだ。

だから、その彼女が急に取り乱し、泣き叫び始めた時はかなり焦った。多分、本当に辛いんだろうと思ったから。

 そんな彼女がやっと落ち着いて、口を開きかけた途端、マスタング大佐が入ってきた。…又、サボったな。お目付け役が同行していないのが、何よりの証拠だ。執務室の机の上に積み上がっていた書類を思い浮かべる。あの量がそう簡単に終わるもんか。

 そして、入ってきた途端に突然喚き始めた。…何なんだ?

 ほら見ろ。チヒロが驚いている。コップを取り落として、俺の軍服にしがみついている。コップの中が空になっていて良かった。…にしても、庇護欲掻き立てられるなあ。

「俺が何かしましたか?」

「女性にセクハラしている。」

「あんたが驚かせるからでしょう。」

「…そう、なのか…?」

 うんうんとエドワードやアルフォンスにも頷かれて、気まずげに視線をそらす。…と、そこへ。

「マスタング大佐。」

 冷静なホークアイ中尉の声。

 途端に、大佐の顔色が青くなる。

「や…やあ、中尉。」

「まだ、書類が残っていたようですが。」

「う…いやその…。…やはり、彼女のことが気になってね。何しろ司令部の敷地内で起こったことだし…。」

 全く好奇心の強い人だ。

「とにかく、お戻りください。」

「や…その。」

 何としてでも、チヒロと話したいらしい。

 はあ、と中尉が溜め息をついた。中尉はチヒロのバッグの中を見ている。中尉自身も気にはなっていたはずだ。

「お気持ちは分かりますが、先に仕事を終えて下さい。終わったら時間を取ります。」

「う……そ、そうか?」

 未練タラタラな様子。

「あ、あの…。」

 俺のすぐ傍で遠慮がちな声がする。

「どうした?」

「あの、私良く知らないんで…。あの、大佐と中尉と少尉って…誰が一番偉いんですか?」

「ああ、それなら私だよ。…と、自己紹介がまだだったね。ロイ・マスタング。地位は大佐、ここの司令官だ。よろしく。」

 対女性用の笑顔。

「あ、よろしく…お願いします。」

 一瞬中尉の方へ視線をやりながら挨拶をする。中尉の方が偉く見えたか?やっぱ。

「リザ・ホークアイ中尉よ。よろしく。」

「よろしくお願いします。」

 ぺこりと頭を下げる。うーむ、やっぱり。

「あの…大佐…さんが、一番偉いんでしたら…。その…何度も話したい話じゃないので…。…一緒に聞いて…いただけたら…って。あの、…すいません。」

 俺にぎゅっとしがみついたまま言う。エドワードとアルフォンスが顔を見合わせた。

 汗と涙で濡れたチヒロの顔を見て、中尉も何か思ったのだろう。

「分かりました。」

 と、頷いた。そして、先生の方へ一旦引っ込む。

 チヒロが離してくれない以上、俺もこのベッドに腰掛けた姿勢から動けないし。先程まで座っていた椅子を、足でズリズリとずらして大佐の方へ押しやった。

「お前なあ。」

 溜め息交じりの呆れた声を上げたが、俺が作成していた調書を渡すとその椅子に座って難しい顔をして読み始めた。そこには、落ちてきた時の状況やチヒロの持ち物なんかも書いてある。怪訝そうに俺の顔を見る大佐に首を竦めて返した。

「名前は『チヒロ・ナカハラ』さんでいいんだね。」

「はい。すいません、言ってませんでした。」

「いいのよ、チヒロさん。はい、これで顔を拭いて。さっぱりするわよ。」

 暖かく濡らしたタオルを中尉が持ってくる。

「はい、すいません。え…と、リザさん。」

 素直に受け取って顔を拭く。そういう気遣いは女性特有のもので、さすがと感心する。

 チヒロが顔を拭いている間に、俺が簡単に先程までの話を説明する。

「違う世界?」

「それと、手を合わせての錬金術だ。」

 エドワードが補足する。

「『思い出した』って言っていましたよね。」

 アルフォンスの言葉に、チヒロはこくんと頷いた。

 顔を拭く間一旦離れていたチヒロの手は、再び俺の服の端をぎっちりとつかんで小さく震えていた。

「思い…出しました。…私が、死んだときの事を…。」

「「「「「えっ!?」」」」」

 

 

 

 

 

 

20050612UP
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千尋ちゃん。実は初稿では「翠ちゃん」という名前でした。
ところが「やさしい気持ち」で「ドロシー・グリーン」という子を出してしまったので、軽くかぶるかなあと思って
名前変更となりました。
そんなわけで、物語のどこかに何気なく「ミドリちゃん」が出現するかも知れません。
気が付かれた方は、お知らせ下さい。…一応、何度もチェックはしているのですが…。

 

 

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