扉の向こうの青い空 10
「もう、寝ちまってもいいぞ。」
「うあーい。」
大分眠そうな返事。
夕食を食堂で終え、指令室に戻ってくればチヒロはもうやることがない。
「シャワーの使い方。分かるか?」
「えーと、多分?」
「…今のうちに、教えておこうか?」
「お願いします。」
ぺこりと頭を下げる。全く意地を張らないこの素直さは何だ?
一通りシャワーの説明をして自分の席へと戻った。
大佐が仕事を終えていってくれたので、今夜の仕事は明日提出分の書類を上げれば良いだけだ。全くチヒロ様々だな、と内心苦笑する。いつもこうだと良いのに。
それから3・4時間たっただろうか?真夜中が近くなり、そろそろ休憩するかなーと伸びをした時。指令室の扉が遠慮がちにノックされた。誰だ?
「はい?」
カチャリと開いた扉からチヒロが顔を覗かせた。
「あれ?寝なかったのか?」
「寝ました。…今、いいですか?」
「ああ。」
「良かった。」
そっと入ってきたチヒロ。白い半袖で前釦のワンピースみたいなパジャマ。その上に淡いピンクのシャツを羽織っていて…。手にはケイタイとやら。すっげ、かわいい。
「ど、どうした?」
「あのっ。ちゃんと寝たんですけど…。ちょっと、目が覚めてしまって。」
「枕が変わると眠れないか?」
「や…そこまでデリケートじゃないですから。」
「じゃ、一人が寂しかった…?」
「あー、そんな感じです。多分。」
それでも、一旦寝たというのは本当らしく随分スッキリとした顔をしている。
「それが、9800センズのパジャマか?」
「はい。かわいいでしょ。」
「おう。けど、男の前でするかっこじゃねーぞ。」
「ジャンさんはいいんです。」
「…どうして…?」
「どうしても。」
「………。」
「あの、ジャンさんは軍人さんですよね。」
「ああ。」
「その…どんな、お仕事なのか…聞いていいですか?」
「うん?何で?」
「あ…あの…。」
「…ああ、戦争…って事?」
「……はい。」
「ま、あるにはあるよ。国境線はいつも緊張状態だし、南部の方は内乱起こしかけてるし…。ここも…まあ、治安がそう良い訳じゃない。」
「え?そうなんですか?」
「ま、座れよ。」
隣の席を勧める。
「この東部は数年前に大きな内乱があったんだ。…イーストシティではないけどな。その影響で、未だにテロなんかが結構あるんだ。」
「…テロ…。」
「銀行強盗とかの犯罪も多い。」
「………。」
「チヒロにゃあんまり聞かせたくないが、引ったくりや婦女暴行なんかもな。」
「…昼間は…そんな感じしませんでした。」
「今日行ったのは、街の中心部だから。ビル1つ占拠するような大きなテロは、そうそうおこるもんじゃねえけど無いわけじゃ無い。」
「そうなんだ…。」
「ここにはマスタング大佐もいるしな。」
「え?大佐?」
「そ、国家錬金術師の肩書きはダテじゃないって事。」
「有名人ってことですか?」
「そう。国家錬金術師には二つ名ってのが贈られるんだ。それぞれが得意とする錬金術を表すのな。エドワードは『鋼の』だろ。鉱物を得意とするんだ。」
「大佐は確か『焔の』って。」
「そう。焔を練成するんだよ。ドカンとな。…前の内乱。…イシュヴァールって土地で起きたんだけど、そこで大佐も参加しててな。『イシュヴァールの英雄』って言われてたんだ。」
「英雄?…凄かったんですか?」
「そう、凄かった。…何もかも、焼き尽くしてた。」
「………。」
「軍にとって、あれほど効率のいい錬金術はなかったろうと思うよ。」
「…ジャンさんも見たんですか?」
「ああ、最後の数ヶ月な。イシュヴァールへ行ったから。」
思い出したくもない。生き物が焼ける臭い、硝煙の臭い、死体の腐っていく様、…少しずつおかしくなっていく精神…。
「すいません。」
「…へ?」
「何か…変な話をしてしまって…。」
俯くチヒロ。
「いや。ここは軍事国家だしな。イシュヴァールの内戦は大きかったし。ここで生きていくなら必要な知識だよ。」
そう、チヒロにとって軍に保護されていながらそれを“知らない”というのはマズイはずだ。
どういう経緯で内乱が始まったのか、どう終結したのか、そこで国家錬金術師がどうかかわっていたのか。市民感情はどうなのかを話して聞かせた。
あらかた話し終えると、シンと部屋が静まった。
「…戦争って、始めるのは簡単なんですね。」
「ん?」
「誰かが、始めるぞって言えば始まってしまう。けど、終えるのは大変。…そして、終わった後も…。」
「…そうだな。」
「本当は、戦争をしないための努力を一番にしなくちゃいけないんですね。」
そう言って、チヒロの世界で起こっている戦争の話をしてくれた。
高いビルがテロで壊され、多くの人が亡くなったこと。そして戦争が起こり、収拾がつかなくなりつつあることを。
「戦争ってどこでも起きるんだな。」
「ですね。」
そこから、チヒロの国には軍隊が無いこと。それに変わる組織があることなどに話が変わっていく。
「あー、それ。今やってる仕事と似てるかも。」
「そうなんですか?」
「この間なんか水道管が破裂して水浸しになったのを、どうにかしてくれって言われて。半日かかって水止めて、道路に溜まった水を汲み上げて…。全身びっしょり。夏だったからまだ良かったけど、冬だったら大変だった。」
「うわあ、ご苦労様です。」
「うおー、お前かわいい奴だなぁ。」
ぽんぽんと頭を叩くと、『ジャンさんそればっか。』と苦笑される。
「軍人なんか、嫌われてるからな。何かってーと苦情持ち込むくせに、やって当たり前みたいなとこあるし。」
「やんなっちゃう?」
「やんなっちゃうね。」
「でも、皆さんいい人なのに…。」
「ここはな。何せ司令官がアレだからさ。」
「アレ?…ああ、大佐ですか…。」
「街の女性にゃ大人気だしな。他の街に比べりゃ、市民感情も良い方かもな。…ただ、ま。軍人にもいろんなのが居るし。」
「やな人もいるんですか?」
「いらっしゃいますよー。むしろやな人の方が多いかもなぁ。嫌味タラタラ言う奴とか、金で出世しようとする奴とか。」
「へえ。ジャンさんは?出世とかって…考えます?」
「んー?…まあ、適当に。程ほどでいいのよ、俺は。」
ぷかーと煙を吐く。
「…少尉さんって、どのへんなんですか?」
そう聞かれて、軍の仕組みを説明する。
「一般で入ると、一兵卒な。一等兵や二等兵から始まるわけ。士官学校を卒業すると准尉から、俺もブレダもそう。今日休みだったフュリー曹長は技術職だから、ちょっと特殊かな。」
「ファルマン准尉は?」
「ファルマン准尉は元々事務職で入ってるから。そこから軍人へ転向したから、士官学校は出てないんだ。」
「へー。」
「で、国家錬金術師は少佐から始まる。大佐もそう。エドワードは軍人じゃないから『少佐相当官』って奴だな。いざとなりゃ、少佐としての権限はある。」
「…ジャンさんより、偉い?」
「はは、そう。で、もっと上に行くと、将軍様方が居て、一番上には大総統が居る。」
「へえ。ということは、大佐って割と偉いんですね。」
「あれで、そこそこ有能なんだ。」
「あれで……って、素敵じゃないですか?」
「へ?苦手なんじゃ?」
「苦手ですよ。けど、別にキライなわけじゃないです。」
「ふーん?」
「ちなみに、ジャンさんも素敵だと思いますけど。」
「へ?俺?」
「はい。背、高いですし。顔だっていいですし。優しいですし。」
「そーかあ?大佐に彼女取られてばっかなんだけど…。」
「え?でも、美人の彼女いらっしゃるんでしょう? やっぱりかっこいいです。」
「そんなおだてたって、何も出ねーぞ。」
「えー、残念。今度はチョコレートアイスにしてもらおうと思ってたのに。」
ふふふっと笑うチヒロは大分落ち着いたようだった。
「取り敢えずコーヒー飲むか?」
「あ、はい。頂きます。」
「うっし、ちょっと待ってろ。」
この時間にブラックでは眠れなくなりそうだから、チヒロの分にはミルクと砂糖を入れる。カップを2つ持って、指令室へ戻ると、チヒロは『ケイタイ』を机の上に置き、両手で頬杖を付きながらそれを眺めていた。
「どうした?」
「あ…いえ。ありがとうございます。」
カップを受け取って口へと運ぶ。
「昼間、買い物に出たときもそれを持って行ったよな。」
「…癖…ですかね。向こうでは、取り敢えずお財布と携帯を持ってれば何とかなりますから。」
「へー。」
「時刻が分かるから時計は要らないし、電話出来るし、メールも出来るし、メモも取れるし、電卓付いてるから計算も出来るし、写真もムービーも撮れるし、ダウンロードすればゲームも出来る。…そのうち財布もいらなくなったりして。携帯で支払いが出来る店、増えてきたし…。」
「……ほう。」
あまりピンと来なかったが、色々と出来るので便利らしいことは分かった。こんな、ちっせえ機械がねえー。
「この、いっぱいくっついてるのは何だ?」
「ストラップですね。自分のだっていう目印みたいなもんですけど…。」
「ふーん。」
「人から貰ったり、自分で買ったり、おまけで付いてくるのなんかもあったりして。ついつい数が増えちゃうんですよね。」
「へー。」
「あ、…『鋼の錬金術師』のマスコットのストラップもあったかな?あー、買って置けば良かった。」
「や、それはどうかと…。って、俺のもあった?」
ちょっと、意気込んで聞いてみる。
「えーと、…見たことは無かった…かな?」
「う…。」
「あ…や…、きっと探せばありますよっ! 友達が大佐のファンだったので、大佐のつけてるのは見たことあったんですけど…。」
「大佐のファン?友達って女の子?」
「勿論。」
「うー、大佐の奴。他の世界の女の子にまで魔の手を…。」
「や、…魔の手って…。彼女ちゃんと彼氏いましたよ。ここは現実とは別の世界で…、……って、…私には、それが現実になっちゃったんですよね。…変なの。」
相変わらず、ケイタイに目をやりながら言う。
「…なんかあるのか?その『ケイタイ』に。……さっきから眺めてるけど…。」
「や……何でもっ。」
「…無い。って感じじゃねーけど?」
そういうと、困ったような視線がこちらへ流れてきた。そして、あいまいに笑う。
「いえ。……もう、…メールも電話も来ることは無いんだなぁ……って。 …未練がましいですよね。 へへ。 ……持って歩いたって、意味なんか無いのに…。」
淋しく笑うチヒロに何も答えられなくて…。
そのうち話は違うほうへ移っていき、コーヒーを飲み干したチヒロが『仕事の邪魔しちゃ悪いから』なんて言って、窓辺に椅子を持って行き外を眺め始めたりして…。
俺は残りの書類に手をつけて…。
あらかた終わってふと顔を上げると、チヒロは窓の桟のところで腕を枕にして眠っていた。
「しゃーねーな。」
よいしょと、その身体を抱き上げた。起こさないようにそっと。そして、机の上に残された『ケイタイ』も持って。
多分まだ、もう少し。これはこの子のお守りになるはずだから…。
20050725UP
NEXT
二人っきりですよ〜。
ハボック以外の設定はこんな感じで、お願いします。
ちなみに、チヒロがトリップしたのは04年の秋という設定ですので、彼女は
その後のこちらの世界情勢を知りません。
そして、さり気なくお姫様抱っこクリア!
(05、10、22)