扉の向こうの青い空 15

 昼休みが終わった後。

ホークアイ中尉がチヒロを案内することになった。

司令部の敷地内を用事でどこかへ行くたびに地図を書くのでは面倒なので、一度きちんと教えておこうということになったのだ。

「午後の分はお茶の時間までに終わらせておいて下さいね。でなければチヒロさんの淹れてくれたお茶を飲ませませんから。」

 やるといったら必ずやる人だ。せっかくチヒロが淹れてくれたお茶を飲めないのは辛い。仕方なく仕事に手をつける。

 そんな私に部下たちが複雑な視線を送ってくる。

「仕事…なさるんですか?」

「…何か問題でも?曹長。」

「い…いえっ。」

「チヒロさん、さまさまですね。」

「この効果がどれ位続くかだなー。」

「…全く。この間から仕事をしてばっかりだ。」

「それ。普通っスから。」

 軽口を叩きながら書類を処理していく。

半数は必要な書類だが、あとの半分はどうでも良いようなものだ。こんなものが混じっているから、やる気が出ないのだ。

 そう言うと、『言い訳っスね。』とツッコミが入る。

 和やかなのはこれといった事件がないのと、仕事が溜まっていないからで…。

そう、考えるとたまには真面目に仕事を進めるのも良いかも知れない。何より部下たちが口を開くたびに『仕事しろ。』と言わないのが良い。

「うっわー。珍しいなあ。」

 鋼のが入ってきて、私の机の上の書類を見て笑う。

「君こそ。こんな時間に資料室から出てくるなんて珍しいじゃないか。」

「チヒロと中尉が資料室に寄ってくれたんだ。お茶にするからって。今、給湯室でわいわいやってる。」

「それは、楽しみだね。」

「けど、来るまでにそれ、終わらせなきゃなんねーんじゃねえの?」

 机の上にはまだ後、3枚の書類が残っていた。

「どーでも良いんだ。こんなものは。」

 吐き捨てるように言って、ぱぱっとサインをする。

「わー。てきとー。」

「…見るかね?」

「あ゙ー?何これ?『街の緑化』?…あんたの仕事?」

「いちいち街路樹なんか植えていられるか。こんなものは街のご婦人方に声をかければ一発だ。」

「は?」

「ベランダや、庭先に鉢植えを置いてもらえばいいのだからな。」

「…ナルホド。…で、こっちは?『司令部内の規律強化』?」

「…全館禁煙にでもするかな。」

「止めて下さいっ!!」

 ハボック少尉が必死に叫ぶ。

「絶対、止めて下さいよ!!」

「どうするかな、チヒロが煙草を嫌いと言ったら全館禁煙も考えるかな。」

「じゃあ、大丈夫っスね。キライじゃないって言ってました。」

「チヒロも吸うのか!?」

「それは見てませんが。」

 そこへ軽いノックがして、中尉とチヒロが入ってきた。慌てて最後の1枚にサインを済ませる。

「やあ、チヒロ。済まないね。」

「いいえ。私に出来ることはこのくらいなので…。あの、お口に合うと良いんですけど…。」

「ありがとう。」

 はっきり言って元が不味い軍の紅茶なのだから、格別に美味い訳でも香りが良いわけでも無い。

 しかし、初めての事も覚えていこうというチヒロの気持ちが普段のものより美味しく感じさせてくれる。

「美味しいよ。」

 そう言うと嬉しそうに笑った。

貰い物のクッキーもついていて全員のティータイムとなり、仕事の手が止まったのでそのままチヒロの今後の話に移ることにした。

「働く、と言っていたね。」

「…それがないと、始まりませんよね。」

 社会人としてはそうだろう。しかし、こちらの事が何も分からないチヒロにいきなり他人と接する仕事はどうかと思われる。

かと言って、家の中で出来るようなものではいつまでたってもこの世界に慣れる事は出来ないだろう。

「実は先程、食堂の方から要請があってね。」

 と、最後の一枚の書類を持ち上げた。

「昼食時に人手が足りないので、一人補充して欲しいということなのだが…。」

「ここの食堂ですか?」

「ああ。時間は9:00から14:00まで。その後、ここへ来て文字などを勉強するというのはどうかね?」

「良いんですか?お仕事の邪魔になってしまうんじゃ…。」

 仕事が立て込んでいるときには当然そちらを優先すること。

事件などが起これば全員が出動することもあるので連絡係として誰か居てくれれば助かるということ。

チヒロを軍で保護しているという形をとっている以上、簡単に他で働くことは出来ないだろうということ。

食堂といえど軍の施設なので、新たに人を雇い入れるとなれば身辺調査など膨大な手間が掛かるということなどを話した。

 つまり軍にとってもチヒロにとっても悪い話ではないのだ。

「分かりました。食堂で働きます。…働かせて下さい。」

「よし。書類上の手続きなどが必要だから、実際に働き始めるのは2・3日後になるな。通勤ももう少し慣れるまで、ハボック少尉と一緒にすると良い。」

「はい。」

「俺が又夜勤とかの時はどうするんスか?」

「次はいつだね?」

「来週の終わりですね。」

「それまでには、道を覚えられるね。」

「はい。大丈夫です。」

 と、元気に頷く。

「取り敢えずは、それでもよろしいですが…。処遇はどうなさるおつもりですか?」

 とホークアイ中尉。

「中央への報告か?…それについては、少し考えがある。」

「わー、やな感じ。」

 チヒロ、気をつけろ。と鋼のは顔をしかめる。

「考えがあるだけだ。選ぶのはチヒロ自身だ。」

「へーへー。」

 首をすくめる鋼の。自分のときの事で分かっているはずだ。彼の時だって私は『国家錬金術師』という道があると提示しただけで、選んだのは彼自身なのだから。

「ところで、チヒロ。」

「はい?」

「話は変わるが、君は煙草を吸うかね?」

「いいえ?」

「煙草をどう思うかね?」

「どうって…ジャンさんですか?」

 煙草といえばハボック少尉らしい。まあ、この司令部内の人間の多くはそうだろうが。

「煙草のにおいや煙をどう思うかね?」

「えーと、…そうですねえ。例えば部屋中が真っ白く煙るほど凄いのはイヤですけど…。別にキライということもありませんが…。」

「好きなのか?」

「好きか…と言われると微妙ですね。」

 そう言って、何か考えている風だったが『言って良いのかな?』とためらいがちな様子で口を開いた。

「あの、父がやっぱり煙草を吸う人で…。家族みんなで禁煙しなさいって言ってたんですけど、結局止めることはなくて…。

家に帰って玄関を開けると煙草のにおいがしたんです。

 え…と、ジャンさんの健康のことを考えたら、やっぱり禁煙して下さいっていうべきなんでしょうけど…。

 あの、昨夜も夕食をいただくのにジャンさんのお部屋に入って…煙草のにおいがして…、何か、家みたいだな…って。

 だから…その、好きって訳じゃないんですけど…キライじゃないっていうか…。」

 誰も、一瞬言葉が出なくなる。

 煙草のにおいが二度と帰れない家を思い出させる。

そこには二度と会えない家族との思い出が沢山あって、辛いけれどそれと同じだけ懐かしく安心するのだろう。

 チヒロが無条件にハボック少尉に懐いた理由の一旦が分かったような気がした。

「…そうか。ハボック少尉、首の皮一枚で繋がったな。」

 努めて普段と変わらない声音でハボック少尉に話を振った。

「じゃ、全館禁煙は無しっスか? うおー。チヒロ、サンキュ。」

 過たず私の意図と汲み取ったハボック少尉が、おどけてチヒロの頭をぐりぐりとなでている。

「はあ?」

「チヒロがキライって言ったら、全館禁煙になるところだったんだ。」

 鋼のが苦笑する。

「少尉。ですからそれをすると、髪がぐちゃぐちゃになってしまうと言ったじゃありませんか。」

 とハボック少尉はホークアイ中尉に止められる。

 きれいに纏められていたチヒロの髪が見るも無残な状態となる。

「おお、悪い。」

「いえ、良いですよ。全館禁煙にならないでよかったですね。」

「お前、良い奴だなあ!」

 直しかけた髪を再びかき混ぜられて…。

「きゃあ?」

「少尉!」

 ホークアイ中尉に叱られるハボック少尉に皆が笑った。

 

 

 

 

 

20051017UP
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チヒロは当分食堂で働くことになりました。
一応色々と考えた結果です。
文字が読めなくても出来る仕事で、多くの人に接する仕事。
けど、一線を引ける仕事で、ある程度目の届く(監視できる)仕事…。
さて、大佐のサボり癖はいつまでチヒロに隠して置けるのか!?

 

 

 

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