扉の向こうの青い空 18
昨夜、ぽつりとチヒロが言った。
「今日ね、エドとアルと買い物に行ったでしょ?」
「おう。服、可愛く作ってもらえてよかったな。」
「はい。 …で、…街でね、皆アルを見るの。」
「………。そうか。」
「うん。」
それきり、アルフォンスの話は出なかった。
チヒロはそれ以上聞いては来なかったし、俺も何も話さなかった。
本人たちの許可もなしに、俺が勝手な判断で話せることじゃないと思ったから…なのだが…。
そして、今日。
チヒロの視線がアルフォンスを追う。じーっと見る。じーっと、じーっと。
定時の少し前、大佐の執務室で例によって例のごとく中尉の淹れてくれたお茶を頂きつつチヒロの世界の話になっていた。
一段落したとき、やはりチヒロの目はアルフォンスを見ていた。
じーっと、じーっと、じーっと。
「あー、はいはい。分かったから。」
エドワードがポンポンとチヒロの肩を叩いた。
「アルの体は…無いんだ。」
パカリとアルフォンスが鎧の頭をはずした。
「わあ!?」
びっくりと見つめていたチヒロはそおっとそこから中を覗いた。
「……一人も居ない。」
「あったりまえだ!誰が、ちいせーって!?」
「だから、エドが小さいとは言ってないってば。」
「あ……ははは。二人はいるのは無理だよう、いくらなんでも。」
首を傾げた俺と大佐に、以前エドワードの弟ならもっと小さいのだから二人くらい入っているのか?と聞いたチヒロの言葉が披露される。
「「ぶっ。」」
期せずして同時に噴出した俺たちにエドワードがひとしきり怒って、やっと話は元へ戻った。
「…はあ?人体練成?」
チヒロはあんぐりと口をあけた。
「それって、やっちゃいけないって大佐言ってなかったっけ?」
「ま、な。だから、それなりにペナルティがあるのさ。俺は脚を、アルは体を失ったんだ。そのアルの魂を鎧に定着させるために、俺は腕も持っていかれた。」
「へえ…。」
感心して聞いているが、『かわいそうね』とか『大変ね』というよりは、どこか呆れたような表情だった。
「エドは、錬金術は科学だとかって言ってなかったっけ?」
「言ったな。」
「…じゃあ、やる前に気付きなよ。科学で人間が出来る訳ないじゃない。」
「チヒロの世界でもそうなのか?」
「作れるとしたら…女の人?」
「は?」
俺と大佐は思わず顔を見合わせた。嫌な予感。
「え?知らないの?エド?」
「へ?」
「もう、14歳でしょう?この世界の保健体育ってどうなってるの?」
「『ホケン…』?」
「だからあ。男の人と女の人がー。愛し合って…、まあ、稀に愛し合ってなくてもですねー。」
「うわー!し…ししし知ってる!」
エドワードが真っ赤になる。
アルフォンスの声が聞こえないのは、固まっているからと推測される。
「え、やだあ。じゃあ、最初からそう言ってよ。こっちが恥ずかしいじゃない。」
気まずげに視線が泳ぐ。
丁度と言うかあいにくと言うか、この部屋には彼女以外の女性はおらず、皆が気まずい思いを…。
「じゃあ、チヒロは知ってるのだな。」
あ…一人だけ平気な人がいた。
「そりゃ、知ってますよ。」
「ちなみに経験は?」
「そんなことは大佐には教えてあげません。セクハラですからね、それ。」
「良いじゃないか。」
「ダメですー。」
再びそれ始めた話を何とか元に戻す。
「つまり、チヒロの世界にも人体練成は無いんだな。」
「人体練成なんて、…そもそも錬金術が無いんだから。」
「そうじゃなくて、科学的な技術で人間を作るって言うのは?」
『無い』と即答するかと思いきや。
「んー。クローン技術ってのは研究されてるかなあ?例えば、エドの細胞だかDNAだかを取り出して培養するともう一人エドと同じ性質の体を持つ人間が出来上がる…と。」
「出来るのか!?」
「まだ、人間には使われてないね。羊だか牛だかでやってたかなあ?…技術的には人間にも応用可能って言ってる研究者もいるらしいけど…。」
「否定的な言い方だな。」
「うーん、と。…だって、誰を作るの?エドのお母さん?アル?」
「…アル。」
「元の体が無いからダメだと思う。」
「…作れ、無いか。」
「ちなみに、お母さんのほうは記憶が無いからダメだと思う。」
「は?記憶?」
「うん。だから、仮にお母さんの細胞とかとってあって、体を作ることが出来たとして、それがお母さん本人か…って問題があるじゃない?」
「うん?」
「え…とさ。ああ、そう。だから、例えばー。
ここにエドとエドの細胞から作ったクローンエドと二人のエドがいるとするじゃない?
一人はエド本人ね。もう一人は〜。うーん。お金持ちの家で育ってお坊ちゃまとか呼ばれて、自分の事をボクとか言ってて、お母さんのことはママで。
んーと、フリルのついたブラウスとか着てて、ピアノとか弾いちゃって、紅茶飲むときにはカップを持つ小指が立ってて…。」
「うっわー、もう良い!!」
「気…気持ち悪いよう…。」
「チヒロ、酷いな。鳥肌が立ったじゃないか。」
「どこのどいつだ、そいつは!」
皆の猛烈な抗議を受けて、苦笑するチヒロ。
「形が一緒でもさ。どう生まれて、どう育ってきたのかとか。何を経験してどう感じてきたのかで、違う人間になると思うのね。
お母さんの場合だって、そういう情報を入れられなければ、体を作ることは出来ても、『エドとアルのお母さん』にはならなかったってことになると思う。」
「一応、魂の情報のつもりで俺やアルの血をいれたけど…。」
「それは体の特徴のほうでしょ?髪の色とか目の色とか…そういうのって材料用意する段階で、どうにかならないのかしらね?」
「?」
「だって、アルの体をきっちり再現できれば魂はそこにあるわけだから…。」
そこ、とチヒロが指差したのは大きな鎧。
「あら?ちょっとまって、ああ、クローンじゃダメなのか。一つの体に二つの魂になっちゃう?」
「出来れば、新しく作ったアルじゃなくて元のアルの体が良い。そのほうが拒絶反応が少ないと思うんだ。」
「拒絶反応?へえ、魂の練成にもそんなのあるんだ?アルは良くそこに収まったね。」
「選んでられなかったって言うのもあるのかな。後、錬成陣が兄さんの血だったって言うのもあるかも。」
「エ?血?」
これこれとアルが再びパカリと頭を外す。
「あ…これね。」
「結局、別々になってしまったアルの体と魂をもう一度一緒にするって言うのが最善だとは思うんだけど…。」
そう言ってエドワードは『賢者の石』の話をする。
「…伝説っちゃあ、伝説だけどな。」
「そっか、それで色々と調べ物をしていたのね。」
チヒロはにこりと笑った。
「凄い偉いなあと思ってたんだ。…私14歳の頃はもっとボーっと過ごしてたもの。」
「ははは。」
チヒロのボーっと過ごしてきたさまが目に浮かんで皆が苦笑する。
「偉くなんかねーよ。自業自得さ。やっちゃいけないことを、己を過信してやった。その報いだ。」
「それだけ、お母さんのことが好きだったんだ。…きっとお母さんだって喜んでるよ。」
「んな訳無いだろ。」
「んー。エドやアルがその為に辛い思いをしてるってことに関しては『困った子ねえ』と思ってるかも知れないけど。
どうしても取り戻したいと思うくらい自分を大切だと思ってくれたってことには喜んでると思うけど?」
「…そっかなあ。俺はとんだ親不孝したと思ってるけど。」
こんな素直なエドワードの言葉なんて、初めて聞く。相手がチヒロだからだろうか?
「あら、親不孝なんかじゃないわよ。」
「うん?」
「私の世界でさあ。本だったかなあ、ドラマだったかなあ?」
「『ドラマ』?」
「あ、うん、えーと。演劇?映画?」
「映画?」
「映画はあるの?うん、そんな感じのもの?何かで見たんだけど…。
凄く悪い人がいたのよ。何度も逮捕されるような人ね。
で、その人があるおばあさんに会って、色々と影響を受けているうちに改心するわけ。
そして、苦労をかけた母親のところへ戻って親孝行をしようという気持ちになったの。
ところが、いざ帰ろうって時にそのお母さんが亡くなったって知って後悔するわけ。苦労ばかりかけて親不孝だったってね。
それを見ていたおばあさんが言うのよ。『あんたは親孝行の良い子だよ』って。
そのおばあさんの息子はとても良い人だったらしいんだけど、早くに病気で亡くなってたの。
親にとって自分の子供が自分より先に死んでしまう事が何より辛いって。だから、親より長く生きているあんたは親孝行の良い子だって。」
「………。」
「だから、エドもアルも親孝行の良い子だよ。」
「チヒロ…。」
「その理屈で言えば、うっかり死んじゃった私はとんだ親不幸者だよね。」
あっさりと苦笑交じりに言う。…けど皆言葉を失ってしまった。
そうか、『いい子だな』って言うたびに、かたくななまでに『そんなことない』と言い張っていたのはそういう訳か。
すると、大佐が穏やかに言った。
「チヒロ。」
「はい?」
「この世界で新たに保護者となった私からのお願いだ。ぜひとも私より長生きをしてくれたまえよ。」
「ふふふ。はい。」
チヒロは嬉しそうに、にっこりと笑った。
20051026UP
NEXT
クローン技術に対するチヒロの意見は、彼女の持つクローンに対するイメージですので。
本当は…とか学術的には…とかのご指摘はとりあえず置いておいてくださいませ。
それと、チヒロのしたたとえ話。
そんな話、ありませんでしたっけ?どっかで、なんかんで見た(読んだ?聞いた?)気がするのですが。
はい。月子はチヒロ以上にいい加減です。ははは。(と笑って誤魔化す)
昨今の殺伐としたニュースを見ると、全く色々と不安になります。
うちの子にも、ぜひとも私より長生きして欲しいものです。
(05、11、11)