扉の向こうの青い空 20
「…じゃあ、まあ。中央へはこんな感じで報告しとくわ。」
「ああ、頼んだぞ。ヒューズ。」
「任せとけって。追って面接の日程が通達されると思うから…。」
「ああ。日にちが決まったら、ホテルの手配もしておいてくれ。軍の宿舎にはチヒロを泊めたくない。」
「分かった。」
マスタング大佐とヒューズ中佐の間で、暫くあれこれと細かい打ち合わせがされる。
直前になれば電話による連絡も必要にはなってくるだろうが、いつどこで盗聴されるか分からない電話より直接話すほうが確実っちゃあ確実で。
それらの話が一段落したら、早速ヒューズ中佐の娘自慢が開始される。
「でね。チヒロちゃん。見て見て、これがウチの娘のエリシアちゃん。」
「…はあ。」
手渡された写真を見る。
絶えろ、絶えるんだチヒロ。この人の娘ア〜ンド妻自慢は、誰もが一度は通らなければならない道なのだ。
「おいくつなんですか?」
「今?2歳よ2歳。も〜、可愛くって〜。」
「ああ、ですよね。そのくらいが一番可愛いかも知れませんね。特に女の子って口が達者だから、3歳すぎると大人顔負けのこと言いますからねー。」
したり顔でうんうんと頷くチヒロ。
「何?君も娘居るの?」
「やですねー。そんなわけないじゃないですか。姪です姪。姉の娘。」
「ああ。」
「言っておきますけど。姉は超美人だし、姪は壮絶に可愛いですよ!」
「うっ、ま、負けるもんか!」
何だか分からない対決が始まったらしい。
すちゃっとチヒロが取り出したのは『ケイタイデンワ』。
「何?それ?」
はじめてみるヒューズ中佐に、『これは携帯電話と言ってですね…』と再びケイタイの説明が始まる。
「…という訳で、写真を撮って保存できるんです。今、姉の写真を出しますからね。」
はい。と見せられた画面にはどこかチヒロと面差しが似ていて、その上物凄く綺麗な人が微笑んでいた。
「うっわー、美人!」
思わず言った俺に皆が頷きチヒロもそうでしょう、と満足げだ。
「お姉さんって、いくつ?」
「確か、21歳。」
「はい。」
「えっ、21歳?…で、子持ち?」
「ですよ。ほら、これが姪。今度4歳です。」
確かにそのくらいの可愛い女の子が、ぬいぐるみを持っている写真が表示される。
「…て…、17歳で子供生んだのか?」
「ですよ。16歳の時に出来ちゃった結婚をしたんです。」
「は?」
「あちらでは、16歳はまだ高校生ですからね。もう、大騒ぎでしたよ。」
「へ…え。」
「しかも、姉は勉強がとても良く出来て大学も期待されていましたから、学校を辞めて結婚なんて親も学校も血相変えて凄かったですよ。」
「ほう。それは又、思い切ったな。」
「ですよね。本当いうと、私もびっくりしました。」
「姉ちゃん、モテただろう?」
俺が聞くと、以外にもチヒロは首を傾げた。
「どうなんでしょうか?憧れていた人は多かったと思いますけど…。あんまり凄すぎたんじゃないかと思うんです。」
「『凄すぎる』?」
「はい。非の打ち所がないって言うんですか?勉強できるし、美人だし運動も出来るし、手先も器用でしたし性格良かったし。何時も人の中心にいたって言うか…。生徒会長…学生のリーダーとかもしてましたし…。」
「それは又、凄いなあ。」
本気で感心したように、ヒューズ中佐が声を上げる。
そして皆が同じことを思ったんじゃないだろうか。
そんな凄い姉がすぐ上に居て、この子はどう生きてきたのだろう、と。
客観的に見れば、チヒロは特に美人な訳じゃない。何かを特に器用にこなすというわけでもないし、格別頭が切れるという風でもない。
何時もにこっとしていて頑張りやで、性格が良いのは折り紙つきだが…。
言ってみれば『ごく普通』。
通常ならば、それは別に困ることじゃない。言い換えれば何でも人並み程度には出来る上、にっこり笑うとかわいい女の子。充分じゃないか。
けれど、たった2歳しか離れていない姉には非の打ち所がなかったのなら……。
比べられやしなかったろうか。酷くなじられたり見下されたりはしなかっただろうか…。
まさか直接本人にそんなことは聞けるはずもなかったので、その疑問はそれぞれの胸の内に収められた。
と、ヒューズ中佐が持ってきた写真と、チヒロのケイタイの中の写真をしげしげと見比べていたマスタング大佐が満足げに微笑んだ。
「ウチのチヒロが一番可愛いな。」
「…っえ?」
チヒロが真っ赤になる。
…ここにも一人親バカが居た…。
チヒロが肌身離さず持っている『ケイタイ』とやら。
色々な機能があるらしいけど、俺には余りピンと来ない。…ということは、元の世界ではともかくここで生きていくには余り必要がないように思える。
けど、チヒロがずっと持ち続けているのだから、何か意味があるのだろうと思っていた。
ヒューズ中佐の前で、姉や姪の写真を披露したチヒロに、ああそうか、と納得。
きっと、友人や家族の写真が入っているのだ。
その夜は、チヒロの家のキッチンで夕食を作った。
それまでは俺の家のキッチンで作っていたのだけれど、(俺の慣れた場所だったので教えやすかったのと、道具や器具が揃っていたのとでだ)数日前から朝食はそれぞれ自分の家で取っている。チヒロも湯を沸かしたり、パンを温めたり簡単なサラダを作ったり位は出来る。
とにかく一度作ってみないと足りないものも分からないだろうということで、そろそろチヒロの家のキッチンでもやってみようということになったのだ。
有るもので出来る割と簡単な料理を作りつつ、足りない道具や思いついたものを書き出していった。
そんな時にも、傍らには『ケイタイ』が。
「結構上手く出来たな。」
「…買い足さなきゃいけないものが、まだたくさんありますね。」
チヒロがメモを見つつ溜め息をつく。『ニホンゴ』が書き連ねてあるそのメモは俺にとっては暗号だ。そう言うと。
「じゃあ、読まれたら困ることは日本語で書けば誰にも分かりませんね。」
と、笑う。
「そういえば、大佐やエドワードたち錬金術師は研究メモを暗号で書いてるらしいぞ。」
「へえ。じゃ、私も錬金術の勉強をする時は日本語でしようかな。」
楽しそうにクスリと笑う。
そんな食卓の傍らにも『ケイタイ』。
「……あれ?」
前に見た時は真ん中にある四角いスペースが光っていなかったか?
「…それ…。」
俺が聞くと、ああ、と苦笑いする。
「これ、充電式なんです。」
「うん?」
「電気をためておいて使うんです。だから使い切っちゃったらもう一度充電しなくちゃいけないんですけど。充電器は持ってきてなくて…。」
「?つまり?」
「電気が無くなったらそれっきりってことですね。画面を見ることも写真を撮ることも出来なくなっちゃいます。」
「ついてないってことは、もう使い切っちまったのか?」
「……いえ……。消してあるんです。どうせ点けっぱなしにしておいたところで、電話やメールが届くはずもありませんし…。」
「ふーん?」
「や…やっぱ、未練がましいですよねっ。こうしてちょっとでも電気を節約して長く持たせようとするのは…。」
ああ、そういうことか。
「良いんじゃねえ?誰だってアルバムを開きたくなる時はあるしさ。戻れないと思えば尚更な。」
そう俺がいうと、チヒロは小さく笑ってありがとうございます、と呟いた。
次の日。
夕食の後、チヒロの勉強を見てやっていた時に、『ピーーーーーツ』という耳障りな音がした。チヒロがはっと傍らに置いてあった『ケイタイ』を手に取る。
「どした?」
「………。」
「……おい?」
「あ……はは、……電気、…無くなっちゃいましたぁ…。」
笑ってなんでもない事のように言おうとして、完全に失敗している。
多分この『ケイタイ』がチヒロの中では元の世界を象徴する物で、『届くわけがない』といいながらも、もしかしたら回線が繋がるかもとわずかに希望を繋ぐもので…。
それがもう使えないということは、元には戻れないと改めて思い知らされたようなものだ。
呆けたように『ケイタイ』を見つめるチヒロ。
泣く事すら出来ない彼女の頭をぎゅっと抱きしめた。
数日後。
すっかり気分は『チヒロの父親』のマスタング大佐が、写真屋へチヒロを連れて行き二人で写真を撮ってきた。
(ちなみに大佐はその写真を見せびらかしつつ、ヒューズ中佐や仲の良い同期の少佐を相手にたっぷりと親バカぶりを発揮したらしい。どうも、先日中佐たちが写真を使って自慢していたのが羨ましく、自分も写真が欲しかったらしい。…困った人だ)
それが司令部内でバレて、今度は司令部の全員で写真屋へ押しかけた。
2回とも、チヒロはただ言われるままに付いていって、にっこり笑って写真に納まっていたけれど。
現像された写真は2枚とも、大切そうにチヒロの寝室の棚で写真立てに入れて並べられている。
これが、こちらの世界で初めて撮ったチヒロの家族写真となった。
20051106UP
NEXT
久々、ハボックと二人のシーン。
多分ヒューズ氏に疑われて、携帯電話が使えなくなって。
やっとチヒロは覚悟が決まったと思う。
「頑張る」と心では思いつつも、軍に所属して生きていくと決めても、心のどこかで『もしかしたら帰れるかも』って
思いはどこかにあったと思うんだよね。
何だかんだ言ってチヒロが淡々と日常を過ごせてきたのって、だからだと思う。
これからが本当に『この世界で生きていくこと』になる…のかなと、思ったりして。
(05、11、18)