扉の向こうの青い空 21
「…ねえ、シリル。あんたの彼氏って、確か軍人だったわよね。金髪でノッポの。」
「…ジャンの事?そうだけど?」
「私、この間。見かけたんだよね。…女の子と歩いてた。」
「はい?」
「…気になったからさあ…。」
「あ、金髪で美人の人じゃない?上司だってよ。」
一度、私も勘違いしてもめたことがあったけど。綺麗で優しいけどおっかない上司なんだそうで、全然恋愛感情などない!と断言していた。
「金髪?違うわよ。茶色がかった黒。それにどう見ても10代だった。」
「…妹さんではなく?」
確か妹が二人居るとかって。
「んー、まあ、髪がアレだけど、違うとは言い切れないわね。けど、17・8歳くらいの妹と手を繋いで歩かないよね…あんまり。」
そういうベッタリな兄妹もあるかも知れないけどさあ…、ともごもご言っている。
手ぇ…繋いだ…?
「私、気になったから暫く後を付けてたんだけど…。」
「あんた…。」
「そしたら家具屋へ入っていってさあ。ベッドやらタンスやら一通り買ってたよ。んで、その後鍋だとか食器だとかも一そろい…。」
「………。」
「その後レストランで昼食食べてた。」
「…って、昼間!?」
「そ、だよ。」
私には仕事で忙しいとか言ってデートも何もお預け食らわしやがってるくせに!
「…ちょっと…シリル?」
がたんと立ち上がった私を、引き戻すようにツンツンと服が引かれたけど…。
「ジャンに会ってくる!」
「シリルっ!ちょっと、もう夜中だよー!」
少しお酒が入っていた勢いもあったかも、私は店を飛び出した。
夜中だって何だって、会おうと思った時に会っとかないと次いつになるか分かんないじゃない!
このところ仕事が落ち着いているとかで良く電話では話すけど。もう、3週間も会ってない。どっちかっていうと気が強くて我儘な方だと思う私が、こんだけ我慢しているって言うのに!女の子と歩いてたって?家具に食器ってどういうことよ!まさか同棲!?
一気にアパートの階段を駆け上がって、ドンドンドンとジャンの部屋のドアを叩いた。
「どちらさん?」
中からとぼけたような、相変わらずの口調。
「私よ、シリル。」
「シリル!?」
ガチャリとドアの鍵とは違う音がして、ガチャっと今度はドアが開く。
「どうした?こんな夜中に?今日は友達と飲みに行くんじゃ…?」
怒っている私の顔を不思議そうに見ている。
「入っても良いかしらっ!」
「…?どうぞ?」
身体をずらして中に入れてくれる。その時ちらりとズボンのベルトの後ろに拳銃が挿してあるのが見えた。1個目のガチャリって音はこれか…。
こんな時、このやる気の無さそうな男が軍人で少尉なんだって改めて実感する。
さて、気合を入れなおして。
ずんずんと中へ入り、キョロキョロと見回した。以前来た時と家具も食器も変わっていない気がする。寝室やバスルームまで覗いたけど、誰も居ない。
「…あらあ?」
「『あら』じゃねーよ。どうしたよ?」
怒っているというよりは純粋に疑問に感じているらしい。
ほんの少し気まずい気分で、でも女の子と歩いていたのは本当でしょう、と問い詰めたい気持ちもあって。先程聞いた友人の話を突きつける。
「あ…あんとき感じてた視線はそれか。」
なんて、煙草をふかしている。
「気付いてたの?」
「まあ、半分仕事みたいなもんだったし。」
「デートが?」
「違うって。今、軍で女の子を保護してるんだよ、難民の。着の身着のまま、バッグ1個で来たからさ。生活用品、一切合財買わなくちゃいけなくて…。」
「手を繋いでたのは?」
「街の中がとにかく珍しいらしくて、キョロキョロ眺めてるうちに人にぶつかるわ迷子になりそうだわで。」
「………。」
「疑惑は晴れましたかね〜。」
ニヤリと笑う。…ゔ。
「悪かったわ。」
「いや。俺も随分会えなかったし。不安にさせたか?」
「少しね。」
「悪かった。こんな理由でも会えて良かったよ。」
額にチュッとキスされる。
「…起きてるかな?紹介しょうか?そのほうが疑い晴れそうだし。」
「もう、疑ってないってば!」
「はは、隣なんだ。」
「う…そ。」
「ちょっと、呼んでくる。」
寝てたら勘弁な。なんて、出て行った。
隣?隣かよ!これは…疑いは晴れるの?深まるの?
暫くしてバタンとドアが開き、めったに見ない厳しい顔をしてジャンが戻ってきた。
「…どうしたの?」
「……うん。」
『うん』だか『ああ』だか、良く分からない声。そのままずんずんと電話へ向かった。
「…今日の夜勤は…中尉か…。」
慣れた様子でダイヤルを回す。
「ジャン・ハボック少尉です。指令室のホークアイ中尉をお願いします。」
東方司令部?
「あ。中尉。お疲れっス。…はい。チヒロが熱を出して倒れました。」
はい?
「今、ベッドに寝かしてきましたが、あの様子じゃ多分38℃か9℃位あると…。
……はい。今夜は様子を見て、下がらないようなら明日軍の病院へ。……はい。…休み?良いんですか?……はい。分かりました。
セントラル行きまでには下がると良いんですが…。そうですね。
…大佐には、…はい。よろしくお願いします。それじゃ、失礼します。」
ガチャンと受話器を置く。
「熱?」
「ああ、倒れてた。見に行ってよかった。シリル、悪い。手伝ってくれ。」
「良いけど、何?」
「…俺が着替えさす訳には行かないだろ?」
「了解。」
ジャンに付いて隣の部屋へ行く。
「ここ、スリッパに履き替える家だから。」
「は?何で?」
「チヒロの国がそうだったんだと。」
「チヒロ?チヒロちゃんって言うの?」
変わった名前。難民というのは本当なんだ。
寝室へ行くと、女の子が寝ていた。茶色がかった黒髪、この子だ。
「着替えさせれば良いの?」
「ああ。あと、体温測ってやって。」
いつの間に手にしたのか、体温計を渡される。
「チヒロ、チヒロ。」
「…んー…。」
だるそうに瞳が開く。
「パジャマに着替えろ。起きれるか?」
「ジャンさん?…あれ?」
「『あれ』じゃねー、熱出して、倒れてた。」
「…すいません。」
「こいつに手伝ってもらって着替えろ。」
「はい。」
彼女の視線がこちらへと向く。誰?と首を傾げられるが、ジャンは部屋を出て行ってしまった。
「あの、こんばんは。」
「…あ、もしかして、ジャンさんの彼女さんですか?」
「あ、うん。」
「本当だ。美人さんですね。ジャンさんが自慢していたとおりです。」
と、にっこり笑う。
「あ…はは…そう?」
ジャンが自慢していたなんて、ちょっと嬉しい。
少し感じていた彼女への嫌悪感なんて、あっさり消えていた。我ながら単純。
「ジャンが戻ってくるまでに、着替えちゃいましょう。」
「はい。」
言われた場所からタオルとパジャマを出し、身体を拭いてやって着替えさせる。パジャマがワンピースの形だったので、ベッドから立たずに着替えられた。
布団を掛けなおしてやり、体温計を脇に挟む。脱いだ服は洗濯機に入れて…。
…って、私。何かいがいしくやってるんだろう?そういう性格じゃないのに。
むしろ、具合の悪い相手の世話なんて、ウザイと思っていたほうだ。
「着替え、終わったか?」
ジャンが氷枕と氷を入れた洗面器を持って戻ってきた。
「うん。今、体温測ってる。」
「悪かったな。居てくれて、助かったよ。本当。」
そう言われるとくすぐったい。
入るぞー、と声をかけて寝室へ入っていく。
ジャンはてきぱきと氷枕や冷やしたタオルをセットしていく。…手際よすぎだ。私、居なくったって大して困らなかったんじゃ…?
「…38.7℃」
「…そんなに?」
「『そんなに』じゃないだろ、無理しすぎだ。あせったって、しょうがないだろ。」
「うー、はい。」
「それとも、不安だったか?」
「………。」
「大丈夫だよ、大佐も一緒だし。」
「はい。」
安心させるかのように、ジャンの大きな手がチヒロちゃんの髪を梳いてそっとなぜる。
その手がとても優しくて。チヒロちゃんを見つめるジャンの表情が本当に愛おしそうで、恋人同士じゃないのは分かっているのに、入り込めない雰囲気を感じる。
…そのうちに、チヒロちゃんは眠ってしまった。
「疲れてる感じなのは分かってたんだがな…。明日の朝の様子を見て休ませようかと思ってたんだ…。今日、休ませるべきだった…。」
「ジャン。…さっき何か『セントラル行き』とかって言ってなかった?」
「ああ、週明けにセントラルへ行くんだ。…で、大総統と面接。」
「は?何で?」
「チヒロは他国の進んだ知識を持ってて…それを軍の中で生かしていけるかどうか…。」
「…何?それ。」
「技術員か何かになれれば生活は保障されるし。」
「けど、軍人になるってことでしょう?」
「これ、見てみな。」
机の上に置いてあったノートを見せられる。
「…何?…これ、何が書いてあるの?」
「チヒロの国の文字。」
「………。」
「言葉は何とか通じるけどな。文が分からないから今、勉強を始めたところだ。この国のことも余り分からない。
1から生活を始めるのって大変だぜ。ここの家賃もこの家具やその他一切合財、今のところ全部大佐もちだ。チヒロはそれをとても気にしている。いつまでも頼っちゃいけない、早く自立しなきゃ…って。」
「…もしかして、大総統に会うんでそれで緊張して?」
「…ああ、それもあるかもな。後、早く慣れなきゃって頑張りすぎたのかも…。」
「…薬、飲ませなくて平気?」
「明日病院に行ってからな。今のところ、どんな薬が合うか分からないから飲ませられない。身体に合わないのを飲ませて、余計に悪くするわけにはいかないし。」
「………。」
思わず私が言葉を失ってしまった時。仰向けに眠っていたチヒロちゃんが寝返りを打ち、こちらへ顔を向けた。額に乗せていたタオルがぱたりと落ちる。
「寝苦しいのかしら。」
「かもな。」
……と、すぅーと、涙が零れた。
「チヒロ?」
「………。…お母さん…。」
小さな小さな声だった。
ああ、この子。どんな事情かは分からないけど、もう家には帰れないんだわ。これから、たった一人で生きていかなきゃいけないんだ。
…と、ジャンがポケットから煙草を取り出した。
「ジャン、病人の居るところでタバコは…。」
「いいんだよ。」
ふうーと煙を吐く。…と、ぼんやりとチヒロちゃんの目が開いた。
「……お父さん…?」
「え?」
「こいつの親父も煙草吸ってたんだと。」
「そ…か。」
「チヒロ、今中尉が居ないから、代役だけど。ほれ、姉ちゃん。」
と言って、ジャンは私の手を取りぎゅっとチヒロちゃんの手を握らせた。
「こっちにも、お前の家族は居るぞ。…大佐はきっと今頃心配して、部屋の中をうろうろ歩き回ってる。」
チヒロちゃんの口元が小さく緩んだ。
「エドワードやアルフォンスだって。もし、チヒロが熱出したって聞いたらすっ飛んで戻ってくる。」
こくん。と頷く。
「明日休んだら、ブレダたちも食堂のおばちゃんたちも、俺の隊の奴らも心配する。」
「…うん。」
「後、古着屋の親父もな。」
「うん。」
「大丈夫。チヒロは一人じゃないよ。」
「うん。」
小さく笑って、でも涙は止まらないまま。チヒロちゃんは再び眠ったみたいだった。
私は胸がぎゅっと切なくなって、チヒロちゃんの手をさらに力を込めて握り締めた。
「悪いな、送っていけなくて。」
「良いのよ。チヒロちゃんについててあげて?」
「…俺、こっちに詰めてるから。もし良かったら俺のベッド空いてるし、泊まっていけば?」
「ここに居たら、結局気になっちゃって眠るどころじゃなくなると思うし。」
「…こんな遅い時間に、一人で帰すのが心配なんだよ。」
「ん…ありがとう。…でも、何か、今日は家族を大切にしたい気分なの。」
「…ああ。チヒロか。実は俺もこの間、久々に実家に電話しちまった。」
照れくさそうに笑うジャン。
家族なんて親なんて、うっとうしいと思うことは多いけど…。ああして会えない家族を想った涙を見ると、さすがにぐっと来るものがある。
「じゃ、おやすみ。」
「ああ、気をつけてな。セントラルから戻ってきたら、少し落ち着くと思うから。」
「ん。分かった。」
くるんと振り返って家へ向かう。
でも、もう私は恋人としてジャンとは会わないだろうと思った。
『ほっとけない』そんな恋愛感情とは違う親切心なのだとしても、今ジャンの中で一番存在が大きいのはあの子だって分かってしまったから。
だって、あんな優しい目が私に向けられることはなかったもの。
妹みたいな子に振り分けて、仕事に振り分けて。その残りの気持ちだけじゃ満足できないの。私は100%の気持ちが欲しいのよ。
…おかしいな。
恋人と別れようと決心したって言うのに、どうしてこんなに心が穏やかなんだろう。
笑いさえ零れそうな気分なのに、涙が出てくるのは何でなんだろう。
小言ばかりで口うるさい両親の顔を早く見たいなんて思うのは何でなんだろう。
これから、一人で生きていくあの子を、応援したくなるのは何でなんだろう。
…ふっと、先程握り締めた手の感触を思い出す。
ああ、ジャン。どうか、あの子に出来るだけのことをしてあげて…私の分も。
本当はライバルなのかも知れないあの子に、そう思ってしまったのは何でなんだろう。
20051110UP
NEXT
う〜ん。個人的には結構痛い話。
彼氏の部屋に彼女が来て、二人きりだったらキスくらいするよね。
けど、この話はチヒロとハボックの話しだし…。
と言うことで、大分チヒロのことが気になりだしてきているハボックは額にキスが精一杯でした。
…と言うことに…。 精一杯だったのは私か?
今回のハボックの元カノは結構良い子。そのうち又出てくるのでその時はどうぞヨロシク。
(05、11、21)