扉の向こうの青い空 26
「撤収だ!」
「はい!」
そしてジャンは次々と指示を出していった。
「残党が居ないか、念のため付近を捜索させろ!」
「はい!」
「爆発物にも気をつけるようにな!」
「はい!」
「被害者の私物もきちんと回収して置けよ!」
「はい!」
ジャンの出す指示に、気持ちの良い返事が返る。
チヒロちゃんを心配そうに見ていた人も、『お昼食べ損ねた』発言辺りからほっと仕事に戻っている。
けれど、近くで見れば分かる。まだ、手が小さく震えていた。
心配している皆を安心させるために、わざと言ったんだ。
「よいしょっと。」
一通り指示を出し、ライフルを部下の人に渡すと。ジャンはチヒロちゃんをひよいっと抱き上げた。
ジャンもチヒロちゃんの震えに気付いていたんだろう。
「んじゃあ。傷の手当して、メシ喰うか。」
「…もうすぐ、夕食になっちゃうね。」
チヒロちゃんがやっとほっとしたように笑う。
『大佐がサボる』『書類が多くて残業』そんな愚痴ばかり聞かされてた。この間は水道管が破裂した後処理なんてこともやってたっけ。
自分の隊を持っていることは知ってたけど、隊長として指示を出してるのなんて初めてみた。
傍に居る副官らしい人はどう見てもおじさんで、そんな人がまだ20代のジャンに『はい!』と敬礼する。
それは多分階級が上だからって言うだけじゃなくて…。
大きな背中の後に続きながら、『あ〜あ、ちょっともったいなかったかも…』なんて思ったりした。
開いたドアから見えたのは、大佐が何時も使っている軍の車。
広い道の向こう側にあって、その脇に大佐とリザさんとファルマン准尉が立っていた。
そして、物凄く強い視線が飛んできた。
慌てて顔を上げると、ビルの3階に何か光るもの。
『…ジャンさんだ』
そのものがピストルの弾のような視線。
周りの景色なんて消えてしまって、私に見えていたのは(本当なら見えるはずなんか無いのに)こちらを向いているライフルとその向こうに覗く金髪だけだった。
だから、『動くな』と言う大佐の声が、私に向けてのものだってすぐに分かった。
身体を硬くしていると、隣の犯人の銃が飛び、次いで肩を打たれて倒れた。腕を掴まれたままだったので、私も一緒に引き倒される。
「チヒロさん。」
ジャンさんの隊の人で、顔見知りの人二人がそっと起こし、ロープを解いてくれる。
「大丈夫でしたか?」
「ああ、怪我されて…。」
親切に掛けてくれる声に『大丈夫です』とこたえるのが精一杯だった。
14歳の頃。
我が家は修羅場だったと思う。
当時16歳だった姉が、ある日突然『結婚したい』と言い出したからだ。
しかも、お腹の中には子供が居るという。
父は怒って、母は泣いた。
何せ、姉は優秀な良い子だったから。
それも、ただ勉強が出来るというだけではない。
明るくスポーツ万能。誰からも好かれる人でしかも美人だった。
そんな姉と何時も比べられてがっかりされるのには閉口したが、姉自身はとろい私にも優しかった。
どれだけ努力しても結局姉には追いつけない。
そんな状況の中でも何とか笑って過ごしていられたのは、姉が私を馬鹿にしたことがなかったからというのもあるだろうと思う。
そんな姉が妊娠したというのが分かってから、多分1ヶ月以上。連日家には父の怒声が響いていた。
又、相手が思いっきり不良の人で。夜の街にたむろするグループや、それこそ今は珍しい暴走族とかのカリスマみたいな人で、その筋一歩手前みたいな人だったから尚更だった。
姉のことを、手のひらを返したように口汚く罵る人もいたし陰口を叩く人もいた。私にまであれこれ言ってくる人も居た。
『お姉さんは優秀なのに妹の方はどうして…』そう言われ続けた私にとって対象が姉に変わっただけなのでどうということは無かったが、やっぱり姉を好きだったので良い気持ちはしなかった。
姉は申し訳無さそうに何度も謝ってきたけど…。
そんな時、『ああ、この人も私のことを分かってくれていた訳じゃなかったんだ』と思ったりした。
「平気よ。慣れてるから。」
さすがにそれを言ったら嫌味よね。そう思って飲み込んだ言葉。
そして、結婚の件は結局姉の粘り勝ちとなった。
だんだん大きくなるお腹に、両親が根負けしたのだ。
今でも仲の良い姉夫婦。生まれた姪は可愛いし、お義兄さんの両親とも姉は上手くやっているらしい。(何せそれをきっかけにお義兄さんがきちんと職に就き頑張っているのだから、あちらの両親にしてみれば姉は女神様のような存在なのだろう。とても大切にされているらしい)
だから、姉が選んだ道は、姉にとって間違ってはいなかったのだろうと思う。
しかし、14歳という(自分で言うのもなんだけど)多感な時期に、そんな修羅場を目の当たりにしたのだ。
告白、デート、手を繋ぐ、キス。
そんなドキドキをすっ飛ばして、いきなり妊娠、結婚を目の前に突きつけられた。(姉夫婦もそれなりにプロセスをふんだのかもしれないが、私に見えたのはその部分だけだったのだ)
まるで恋愛の行き着く先を思い知らされたようで、以来私は恋愛を疎ましく感じるようになった。
恋愛とはとても大変なもの、しんどいもの。そうインプットされてしまったのかもしれない。
それにたとえ誰かを好きになっても、その人が私なんかを好きになってくれるはずが無い。と言う諦めもあったと思う。
誰かと私を比べて、私のほうを選んでくれる人など居ないと思っていた。
何となく『良いなあ』と思う先輩、話しやすい男子同級生。そんな存在にめぐり合うたびに、少し距離を置くようになった。
心の中で『あの人、良い人だなあ』そう思って、ふんわり優しい気持ちになる位がちょうど心地良い。恋愛なんて、まだまだずっと先の話。
いや、もしかしたら私は一生恋愛なんかしないし、結婚だってしないかも…。
そんな風に思っていた。
そんな時、見知らぬ世界へ飛ばされた。
慣れない世界。恋愛どころの騒ぎじゃない。
親切にしてくれる人は沢山いる。皆を大好きだと思う。
けれど、右も左も分からない私はどう見てもお荷物でしかなく。恋愛対象になるはずがないと分かっていた。
生活のベースが整うまで、人を好きになる余裕なんて無いと思っていた。
それまで『学校』と言う同年代の人間ばかりが集まる場所に居たのに、何の心構えも準備もなく突然社会に放り出された。
エドやアルはともかく、周りの人間は皆社会人で大人だ。
しっかりと地に足のついていない私は気後れしていた。尚更自分を子供だと思った。
大人の恋愛の相手などなるはずも、なるつもりもなかった。
実際、最初の頃。私を女性として扱おうとする大佐が苦手だった。
優しく笑いかけてくれたり食事に誘ってくれたりするたびに、嬉しさや気恥ずかしさよりも、嫌悪感が先にたった。
それは決して大佐のことを嫌いだったからではない。自分が『女』として見られていることへの嫌悪感だったと思う。
その先に『恋愛』があったらどうしよう。と言う不安があったのだ。
そのうち、大佐の中で私が女性で無くなった。以来、安心して甘えられるようになった。
逆に最初から甘えられる人もいた。ジャンさんだ。
煙草の香りが家を連想させてくれたのもある。
けれど、初めから妹のように接してくれた。美人の彼女も居る。
それだけで、安心できた。
何でもないみたいに手を繋ぐ。背中をさすってくれる、抱き上げる、支えてくれる。少しくらい寄りかかったってびくともしなさそうな広い背中。優しく笑う瞳。
その全てが好きだった。素敵なお兄さんが出来たと嬉しかった。
もしかしたらほんの少し淡い恋心くらいはあったかもしれないけれど、今までと同じように、『憧れの隣のお兄さん』で充分だと思っていた。
だって、美人の彼女が居たのだ。それを自慢していた。
実際美人だったし素敵な人だった。
けれど、私とは違うタイプだとも思った。
だから、別れたと聞いた後も、恋人の候補に私が上がるはずが無いと安心していられた。いつまでも妹で居られると。
軍人さんなのだし、ただ優しいだけの人じゃない。と言うのも分かっていたつもりだった。
セントラルへ行った時の、大総統府での大佐と並ぶタヌキっぷりは頭も良いし、優秀な軍人なのだと思わせた。
…けれど、あの時…。
立てこもった犯人に連れて行かれて外を見たときに、飛んできた余りにも強い視線。
驚きや心配。
けれど、何よりも犯人に対する強い怒りが込められていて、まるで視線に焼かれてしまいそうだった。
それまで、私の中のどこかで眠っていた感情が引きずり出される。
ドキドキする心臓。
切なく人を思い焦がれる気持ち。
触れたい、触れて欲しいと願う欲。
誰にでも優しいその瞳に、じりじりとこみ上げる嫉妬心。
良い感情も、悪い感情も、一度に噴出し私の身体を支配する。
『淡い恋心』?何?それ。
本当に、本気で好きな人が出来てしまったら、感情のコントロールなど利かないのだと思い知らされた。
そして、今日も。私に向けられるその笑顔に、小さく溜め息をつく。
20051124UP
NEXT
ま、なんですかね。チヒロも少しは大人になるって言うことですか…。
彼女の姉と比べられ続けたコンプレックスってのは相当で…。
例えば、そのお姉さんが外面は良いけど本当は性悪…とかだったら、チヒロにも救いはあったんだと思う。
けど、『非の打ち所が無い』人だったからこそ、チヒロにも優しかったからこそ辛かっただろうなあと推測。
『いやな奴』と嫌えない為。(いや、私が考えた設定なんですが…)
『恋愛はしんどい』『自分は比べられた時に切り捨てられるほう』という2点で、チヒロはちょっと恋愛恐怖症。
最初の頃の大佐への態度の理由はその為。…判明するの遅いよ!
そして、ハボックのかっこ良さ度、少しは上がったでしょうか…?
(05、12、19)