扉の向こうの青い空 31

 指令室で詰めていると、電話が鳴った。

 事件か?慌てて出ると。

「…チヒロ?」

『ジャンさん?』

「どうした?何かあったのか?」

『いえ別に。皆さんどうしてるかなあ、と。』

「そうか、何かあったのかと驚いたぞ?…こっちは相変わらずだ。さっきまで酔っ払いの相手しててさ。うんざりだよ。」

『あ、はは。』

「メシは?」

『はい。さっきヒューズ中佐ご自慢の美味しいご馳走をた〜くさん頂きました。』

「良いなあ。…俺なんか、今やっとパサパサの冷めたサンドイッチ食ったとこだよ。」

『うわー。』

 ヒューズ中佐の奥さんから料理のレシピを教えてもらうんだとか、中佐の部下の女性軍人からプレゼントをもらったとか、エリシアちゃんはやっぱり可愛かったとか。

楽しそうなチヒロの様子にほっとする。

 やはりこっちで一人で置いておくよりも良かったようだ。

『じゃ、頑張ってくださいね。』

「おう、おやすみ。」

『はい。おやすみなさい。』

 暫く話して電話を切る。

 フウ、と溜め息を一つ。

 …いつごろからだろうか?

 だんだんとチヒロを『妹』と思えなくなっていたのは。

 初めから、素直で可愛い良い子だとは思っていた。

 けれど、その頃はチヒロもこの世界に慣れるのが精一杯という感じだったし。俺にも彼女が居たし。間に恋愛感情が入ることは無かった。

 それが、この頃は変わってきたと思う。

 チヒロの様子も落ち着いてきたし、俺も彼女と別れた。

 妹と同居しているようで、安定していると思っていた生活は。少しずつ息苦しく辛いものへと変わっていった。

 抱きしめたい。

キスしたい。

…自分だけのものにしてしまいたい。

 そんな想いが湧き上がるのを誤魔化すのに必死の毎日。

 言ってしまおうか?抱きしめてしまおうか?

 そう想う度に、思い出されるのは初めの頃の大佐に対するチヒロの態度だった。

 大佐にしてみれば、女性に対する普通の気遣いであったり。大佐流の女性に対するマナーであったり(取り敢えず食事に誘ってみる…とか)。

 そんな軽いコミュニケーションだったと思う。

 普段、軍人として国家錬金術師として、そして自分を保護してくれるものとしての大佐と話す時は普通なのに。

大佐が一旦対女性用の笑顔を浮かべると、その度にチヒロが向けたのは嫌悪の眼差しだった。

 恐らくは男性として女性に対するように接すれば、俺だってああして避けられるのだろうと思う。

 普段素直なチヒロに、あの態度を取られたらかなり傷つくと思う。立ち直れないかも知れない。

…やはり、簡単には口や態度には出せない。

 

 チヒロは目立つ。

 センスが少し違うと思う。

 『センスが良い』といわれるたびにチヒロは苦笑する。『私のセンスじゃない』と。

 元の世界でファッション雑誌に載っていた普通の格好をしているだけなのだという。

 それが、自分の世界で当たり前の慣れたものだから、違和感無く着こなせているのだろう。

 それが、俺たちの目から見ると、少し変わったセンスと映るのだ。

 けど、まあ。目立つことは目立つので、下士官の間では結構人気があるらしい。

 一度、告白を受けている場面に出くわした。(さすがに相手が居る内は物陰に隠れていたけど。そいつだって、振られたところを見られたと知ったら気まずいだろうし)

 ぺっこりと頭を下げて申し訳無さそうにチヒロが口にしたのは『好きな人がいるから』だった。

「本当にいるのか?」

 良い機会だと思って聞いてみた。

「いますよ。」

「けど、告白はしねえんだろ?」

「…しません。」

 あっさり、にっこり笑う。

 好きな人はいるけど、告白はしない。ほかの誰かの告白を受けるつもりも無い。

…ということはつまり。

『誰かと恋愛し、付き合うという気がさらさら無い』ということだ。

「良いのか?それで。」

「…何か、まずいですか…ねぇ?」

「…いや、まずかないけど…。いや、まずいのか?」

「どっちなんです?」

 おかしそうに苦笑された。

 俺にとって、常時誰かを好きになっているのは普通だった。

 目の色を変えてがっついてるつもりは無かったけど、好きになったらアピールして振り返って貰って、出来ることなら付き合いたいと思うのは普通のことだった。

 なのにチヒロはせっかく好きな人がいるのに、その思いを伝えることも届ける努力も何もしないという。

その上、自分に好意を寄せてくれる人の気持ちにも応えるつもりもないのだ。

 チヒロの元の世界の恋愛観というのはそんなもんなのだろうか?それともチヒロ独特の価値観なのか?

「つまりチヒロには『恋愛』をするつもりが全くないって言うことだろう?」

「エ?でも、好きな人はいますよ?」

「それはチヒロが『好き』ってだけで、『恋愛』じゃないだろ?」

「…そう、なんですか?」

 首を傾げて、なにやら考え込む。

「何だかもう。『好き』ってだけでいっぱいいっぱいなんです。どうにかしようって言う気持ちの余裕が無くて…。」

 …気持ちの余裕でするものなんだろうか?

 やはり釈然としない。

 それに、…それほどに好きな奴って誰なんだろう?

 チヒロの交友関係は把握しているつもりだけど。例えば、街で見かけた誰か…なんてのは、さすがに把握しきれない。

 どこの誰だかわからないその男に、じりじりと抱く焦燥感。

 チヒロが今のところ、そいつと付き合うつもりが無いってことは俺にとっては良いことなんだろうか?

 結局分かったのは。俺がチヒロに対して何か行動を起したところで、先日の振られた下士官と同じ目に会うのは必至だということで。

 冗談めかして抱きしめたり。溺愛する兄の行動の一端だと思わせる程度の接触で我慢するしかないのか?

 それでも、離れているよりは目の前で笑ってくれる方がずっと良い。

 明後日の夜には帰ってくる予定が待ちきれなくて時計を睨む。

 

 

 嫌がらせのように中々進まないと思っていた時計の針は、いつの間にか12時を過ぎていて、とっくに年が変わっていたことを知った。

 

 

 

 

 

20051227UP
NEXT

 

 

 

ちょっと短めですが…。
ハボックのジレンマ。男の事情。
とっくに両想いじゃん、あんたたち…。
(06,01,05)

 

 

 

前 へ  目 次  次 へ