扉の向こうの青い空 33
当時、チヒロはもう気付いていたんだろう。どう頑張っても姉には追いつけない自分に。
チヒロが家族を悪く言ったことはない。
ある意味、余りにも違いすぎる姉妹を、両親はそれぞれ愛したんだろうと思う。
けど、『それぞれ』ということは、チヒロには姉とは違う基準での対応だったのかもしれない。
多分一番傍で見ていた両親には、姉と同じだけのことをチヒロに要求したらチヒロがもたないと分かっていたんだろう。
けれど、そのチヒロの為を思っての態度が。おそらくはチヒロのコンプレックスをさらに刺激したのだ。
時々聞くチヒロの家族の話は、どこか薄いカーテンの向こう側に居るようにリアリティが無く、生身の人間の匂いがしない。
姉妹喧嘩の話も無い。悪戯をして怒られたとか、こんなおかしなことがあったとか。そんな話は聞いたことも無い。
それは、チヒロ自身にとっても、家族は薄いカーテンの向こうに居るようなものだったんじゃないかと思える。
勿論チヒロだって、家族を家族として愛してはいたと思うが。(でなきゃ、会えない家族を思っての涙など流さないだろう)
チヒロが一番認められたかったのは両親なんじゃないのか?
けど、何一つ姉にかなわなくったって両親にとっては大切な娘であったはず。
多分お互いが、お互いに気を使いすぎてきちんとコミュニケーションをとってこなかったからこその行き違いだろう。
どちらかがただ一言『大好きだ』と言えば、それだけで済んだこと。
大佐とチヒロを見ていると、そう思う。
元の世界でのチヒロの死を、一番悲しんでいるのは両親だろうに。
大佐にしがみ付き、泣きじゃくるチヒロの頭を後ろからポンポンと撫ぜながら。
まだ、兄でしかない自分が歯がゆいと思ったり。チヒロがもっと自分に自信を持てるようになるまでは、兄でも良いかなと思ったり。
溺愛する父だけでなく、シスコンの兄がいればチヒロの自信回復はそれ程先のことにはならない気がした。
次の日の朝。
「「いってらっしゃい。」」
「ああ、いってくる。」
昨日までは晴れ間も出て、日なたは何となく暖かかったけど。今日は厚い雲が空を覆っていて、とっても寒い。
そんな中、ジャンさんと二人で大佐をお見送り。
「鍵は午後、持って行きますから。」
「ああ、分かった。ではな。」
大佐はお迎えの車に乗って、寒空の中司令部へと出勤していった。
今日私は家でレポート書き。ジャンさんは午後からなので、私を送ってくれてからの出勤となる。
使った本などを片付けて、キッチンも綺麗にして。
ジャンさんと連れ立って大佐の家を出る。
「…何かすいません。ちっとも、休めないですよね。」
「あー、けど。ここに居たって、別に休めねーから。」
「ふふ、そうですか?」
「むしろ、時間は短くても自分の家の方がいい。」
「それもそうですね。」
昨日大泣きしてしまったので、何となく気恥ずかしい。
けど、すっきりしたことはすっきりしたので…。
大佐に当たり前に認めてもらって、やっと自分の中で消化できたような気がする。
『私は、お母さんに否定されたんじゃなかった』
思い返してみれば、お母さんもお父さんも。私を否定したことはなかった。
ただ、いじけた私が悪いほうへ悪いほうへと考えてしまっていただけで。
あの、白い空間で。『真理』くんは私にこういった。
『お前の両親は、目覚めないお前のために少なくない医療費を払い続けることになる』と。
私のお父さんお母さんなら、迷わずそうする。と私は思ったのではなかったか?
あの時の私は、ちゃんと愛されてると分かっていたはずなのに。何時の間に忘れてしまっていたのだろう。
お母さんは、クラブだ生徒会だと家に帰るのが遅かった姉より、家にいて家事を手伝う機会が多かった私にいろんなことを教えてくれた。
いっしょにワイドショーとかを見て、あれこれ言い合うのも楽しかった。
ボーイッシュな服が好きだった姉よりも、スカートやふんわりしたシルエットの服が好きだった私を、お父さんは女の子らしいと嬉しそうに見ていたっけ。
『お前は普通に結婚してくれよ』そう言っていたお父さん。『うん』って頷いたはずなのに。 その約束は守れなくなってしまった。
ゴメンね。
初めて、心の底からそう思った。
ああ、ダメだわ。ちょっぴり泣きそう。
「それ、貸せ。」
ぼんやりと、両親のことを思っていたら。ジャンさんが、本やノートの入った私の重たいトートバッグを取り上げるようにして肩から担ぐ。
「…ありがとうございます。」
いいです、と遠慮しそうになって。何かいいや、甘えちゃえ。と荷物もちをお願いする。
大佐もだけど、ジャンさんも本当に優しいよね。
いつだって、私は私のまんまでいいよ。って言ってくれているような気がして。
まあ、だからといって、すぐに自信満々にはなれないけれど。
指令室の皆は大人だから。
私が、きちんと頑張っていれば、それをちゃんと見ていてくれて。時々甘えてしまったって、にっこり笑って受け入れてくれるような気がする。
その時、ぴゅーと冷たい風が吹き抜けた。
「…ひゃー。寒い!」
イーストシティの冬は、雪は少ないようだけど乾いた北風が強くて。
「お前。マフラーは?」
少し呆れたようなジャンさんの声。
ジャンさんは私が作ったマフラーをしてくれている。…と言うか、ジャンさんだけでなく指令室の皆はちゃんと使っていてくれる。
「え゙〜と〜。その。この冬は大量にマフラーを編んだので…何かもう、自分の分は作る気になれなかった…と言うか…。」
「それは。言葉を選んじゃいるが、つまり『うんざり』だったってことだな。」
「ア…ハハハハ。」
乾いた声で笑いながらも、冷たい風に首を竦めた。
「お店で買おうかとも思ったんですけど…。中々気に入ったものが見つからなくて…。…大丈夫ですよ。その分たっぷり重ね着をしてますから。」
それにやっぱり、人には自分が作ったものを押し付けておいて。自分は店で売っているものを付けるのは何か気が引けたりしたのだ。
ジャンさんは、はあっと溜め息を付いた。
「ほら。これをしていけ。」
自分のマフラーを外して私の首に掛けてくれる。
「え、でもっ。」
「良いから。」
そのまま、強引に巻きつけられる。と、ふわんと煙草の匂いがしたので思わずにっこり笑ってしまった。
「何だ?」
「いえ、このマフラー。確かに私が編んだものなんですけど、もう『ジャンさんの物』になってるなあって思って。」
「そうか?」
「だって、煙草の匂いがしますもん。」
「ああ、成る程。」
そう言って、ニヤッと笑うとすかさず煙草に火を付けた。…煙草吸いたかっただけなんじゃ…。
荷物が何もなくて、手持ちぶさたな手を何となく握ったり擦ったりしていたら…。
「…ったく。風邪引いても知らねーぞ。手もこんなに冷てーじゃねーか。」
手袋をしていなかった私の手を取る。
び、びっくりした…。
「…ジャンさんの手。暖かいですねえ。」
ジャンさんだって手袋をしてないのに。
「男の方が、熱量が多いみたいだしな。」
「あ。アパートの部屋。ジャンさんが帰ってくると、暖房を入れたわけでもないのに暖かく感じるのってそれでかなあ。」
「そうか?」
「はい。」
まあ、私が一人でドキドキしているからかも知れないけど。
すると、ジャンさんが信じられない行動に出た。
私の冷たい手を握りこんだまま、自分のジャンパーのポケットに二人の手を入れたのだ。
「あったけーだろ?」
「…っはい。」
キャー、キャー、キャー! 頭の中が真っ白になる。何なのっ!?
…と。目の前を白いものが落ちていった。
「あ…雪?」
見上げると、どんよりと曇った空からは細かい粉雪がふわふわと落ちてきていた。
「ああ、本当だ。…こりゃ風で飛んできただけだな。」
「じゃあ、積もらない?」
「ああ、多分。」
「…ちょっと残念かも…。私にとってはこっちの世界での初雪なのに。」
「俺は…積もらない方がいいなあ。」
「?…どうしてですか…。…あ、もしかして。積もったら除雪作業があるとか…?」
「当たり。」
「うわー、じゃあ。積もらない方が良いですね。…どうか積もりませんように!」
空に向かって言って見る。
「お前。…可愛いなあ。」
しみじみといった様子で言ったジャンさんは、そのまま開いた手で私の髪をぐしゃぐしゃとかき回す。
片手をポケットの中に封じられている私は、されるがままで…。
「や、止めて下さいよ〜。もう。」
ここは司令部の中じゃなくて、もう随分アパートに近付いては来てるけど街中なんですよ。
きっとこれからお仕事とかに行くのだろう、多くの人が急ぎ足で歩いていて。何人かは何事かとこちらを見ている。
恥ずかしいですってば!
すると、近所の顔見知りのおばさんがこっちを見て笑っていた。
「おはよう。仲が良いわね。本当の兄妹みたいよ。」
「あ…はは。おはようございます。」
「おはようございます。何時も、チヒロがお世話になって…。」
「良いのよ。チヒロちゃん、良い子だし。」
それから。
開店準備をしているお店のご主人や。
買い物で良く顔を合わせる近所のおばさんや。
いっつも元気に走り回っている男の子の登校に行き会ったり。
皆が声を掛けてくれる。
私も笑顔で返す。
元々は、結構人見知りな私。
こうやって、たくさんの近所の人と挨拶するなんて元の世界ではなかった。
被害妄想なのは分かっているけれど、近所の人は皆心の中では私を嘲笑っていると思っていたから。
けれど、こちらへ来て。何にも分からなくて、しり込みなんてしていられなかった。
話しかけるのは勇気が要ったけど、頑張ったから、こうしてたくさんの人と知り合いになれた。あんまりにも的外れな事を聞く私なのに、皆親切にしてくれた。
『お前はすっげえ、頑張ってるよ。ちゃんと、分かってるよ』
そう言っているかのように、ジャンさんの大きな手が優しく私の髪を撫で付けてくれた。
20060113UP
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これで、冬編は終了です。
突貫工事の割には何となく、上手くまとまったのでは?
くっ付いてないカップルは難しいねえ。
これからは、チヒロも家族のいろんな話をハボに聞かせるんじゃないかな。
(06,01,16)