扉の向こうの青い空 36.5
彼の声 〜シリルの場合〜
「ん〜。」
「目が覚めましたか?」
「あ、あれ?アーサー?」
「ダメじゃないですか。チヒロさんに迷惑をかけては。」
「あ、チヒロちゃんが連絡してくれたんだ…。」
「聞いてますか?お嬢さん。」
「はいはい、聞いてます。」
「『はい』は1回。」
「は〜い。」
全くもう、それほどお酒が強いわけじゃないんだから、程ほどにしておかなければだめですよ。身体壊しますよ。飲むたびにつぶれるのは感心しません。
好きな人の背中に揺られながら聞くお小言は、何て心地良いのだろう。
クスクスと笑って、しがみ付く手にぎゅっと力を入れると。その声が途切れた。
「…聞いてませんね。」
「ちゃんと、聞いてるわ。」
そう、言ってるじゃない。クスリと笑えば、小さく溜め息が聞こえてくる。
「さっきの人は…。」
「うん?チヒロちゃん?」
「いえ、…金髪の…背の高い…。」
「ああ、ジャンか。」
なんだ、今日は残業だって聞いたけどもう帰ってきたんだ。あら、それとももうそんな時間?
「この間、送ってこられた人ですよね。」
「うん。そう。」
「お嬢さんの元カレだとか。」
「あら、良く知ってるわね。」
「…あなたがそう言ったんです。」
「あら。」
言ったかしら?…そういえば、酔っ払ってアーサーに絡んだ時にそんなことを言ったような言わなかったような。
「今日も、一緒だったんですね。」
「帰って来たんでしょ。私が起きてるうちはいなかったわ。」
「?帰って?」
「…ああ、言ってなかったっけ。彼の家、チヒロちゃん家の隣なのよ。」
「隣…ですか。」
「チヒロちゃんが難民だって話はしたっけ?最初から一人で暮らすのは大変だからって、丁度ジャンの隣の部屋が空いてたからそこへ住むことになったらしいわ。」
「…あの人は何をしている人なんですか?」
「ジャン?軍人よ。」
「軍人!?」
「見えるような見えないような、微妙な感じよね。あれで部下の人たちには結構慕われているらしいのよね。」
ふふふと笑うと、アーサーは又黙り込んだ。
「…お嬢さんは…、まだ好きなんですか?」
「はあ?誰を?ジャンを?まさか。…ああ、友人としては好きだけど。」
って言うか、チヒロちゃんの彼氏候補としては好きだけど。
自分の元カレを薦めるのもどうかとは思うけど、ジャンは優しいから自分に自信が持てないチヒロちゃんを(言葉は悪いけど)煽てて持ち上げてちゃんと自信が持てるようにしてあげられると思う。
私は、そうされると図に乗るタイプだったからダメだったけど。
「………。」
気が付けば、アーサーは黙り込んでいて。
なんでしょう?
「どうしたの? …ヤキモチ?」
冗談で、言ってみた。ちょっと、ドキドキ。
「っ!いけませんか?」
「は?」
いや、ちょっと待って?
「お世話になっているマスターのお嬢さんに…なんて、身の程知らずなのは分かっていますよ。けど、ほおっておけないんだから仕方が無いじゃないですか!」
でなきゃ、何でこんな夜中にわざわざ迎えに来たりするんですか!仕事だけだって大変なのに、弁当まで作って。人が心配して待ってるっていうのに、門限だってあっさり無視するし。
自棄になったのか、アーサーの言葉は止まらない。
ふふふ、好きな人の声って。何でこんなに心地良く響くんだろう?
それが、私のことをどれだけ好きかを力説してくれてるんだから。これはもう何物にも変えられない。
「アーサー。」
「…っ、…何ですか?」
「降ろして?」
「………。」
そっと降ろしてもらって、私はアーサーの正面に立った。
「私も、大好きよ?」
「!?」
驚いた顔。照れた顔。そして嬉しそうな顔。
正面に立って、真直ぐ言って良かった。めったに見られない顔を見れたもの。
普段は怒ってる顔ばっかりだったから。
ぎゅっと抱きつくと、そっと抱きしめてくれて。
お尻にランチボックスが当たったけど、そんなのは気にしない。
人通りの絶えた道路の真ん中で、私たちは最初のキスをした。
20060131UP
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アーサーはハボよりは少し背が低いけど、でもすらっと細身の男前。
きっとこの後、彼の料理だけでなく容姿目当ての女のお客さんとか増えたりするんだろう。
(シリルの実家の宿屋は、昼は食堂としても営業しているので)
で、そのたび「キー」とかシリルはヤキモチを妬くのだろうな。
(06、02、06)