扉の向こうの青い空 37

 かっと暑い夏も終わりに近付いたようだ。朝・夕は随分と涼しく感じられるようになったもの。

 けど日中はジリジリと暑い。…この暑さには覚えがある。

多分、私がこの世界へ来た頃のあの暑さと一緒。

 …ということは…、もうそろそろ1年になるんだ…。

 

 

 季節が変わるたびに小さな驚きがあった。

 クリスマスやバレンタインが無いと聞いて、とっても驚いた。

 時々ファルマン准尉が披露するマメ知識の中に、日本の情報が入っていて『やっぱり漫画だ…』と思ったりした。

 ブラックハヤテ号という仲間が増えた。

 日々、当たり前のように起こる犯罪の多さにショックを受けたりした。

 この世界では、一人ぼっちだったはずの私に家族とも言える人たちが出来た。

 元の世界の家族のことを思い出すことが、少なくなってきた自分に気付いて驚いたりした。

 初めて本当に好きな人が出来て、切ない気持ちをもてあましたりした。

 この頃会うたびにアーサーさんとのことをノロケるシリルさんを、羨ましく思う。

 軍に保護され、軍に所属しているということで白い目で見られて辛い気持ちになったりした。

 色々な経験をした。

 たくさんの勉強をした。

 単語は随分覚えたし、簡単な文章や決まった形式の書類なら読めるようになった。

 錬金術も、大佐に教えてもらって何となく成功するようにもなってきた。

 司令部内は覚えたし、イーストシティ内なら大体の地理も分かるようになった。

 けれど、この1年。私はどれ程変わっただろうか?変われたのだろうか?それとも全く変わっていない?

 あの日。頑張ろうって決めた。

 元の世界では人の後ろに隠れていた私。

 でも、ここではそれじゃやっていけないと思ったから。分からない事は何でも聞いたし、いろんな人に話しかけても見た。

 もう、私の中ではいっぱいいっぱいなくらいに頑張ってきたのだけど…。少しは成長出来てるのかなぁ?

『はあ』と、溜め息をつくと。『どうした?』って、隣を歩くジャンさんが聞いてきた。

ああ、司令部へ出勤の途中だった。

「いえ。ジリジリ暑いなぁって思って。」

「ああ、そうだなあ。中々涼しくなんねーなあ。」

「…暑いのも嫌いじゃないですけどね。」

 そう言うと、へえ。と驚かれる。

「真夏の暑さよりも、この位の方が好きかも知れません。」

 初めて、ジャンさんに奢ってもらったアイスの味を思い出すから。

「そうだなあ。夏場はな、日差しが…な。」

「ああ。ジャンさん、目が弱いですもんね。」

 ジャンさんみたいに、目の色の薄い人には良くあるらしい。強い日差しが、目に悪いのだそうだ。

 夏の初め。濃い色のサングラスをして部屋を出てきたジャンさんを見て、どこのチンピラさんかと一瞬引いてしまった。

 先週辺りから、ようやく外せるようになってきたみたいだけど。

「…サングラスも、かっこ良かったですけどね。」

「最初見たとき、固まってたくせに。」

「あ…はは、バレてました?」

「おう。丸分かり。」

「すいません。慣れてなかったので…。」

 姉の旦那さんを思い出して。

…義理の妹である私には、優しく接しようと努力はしてくれていたみたいだけど。とっさに出る乱暴な言葉やしぐさが、凄く怖かったのを覚えている。

 馴染まないうちにこっちへ来てしまったけど。姉が好きになった人なのだから、きっと本当はいい人だったはず。と、思えるようになった。

「ジャンさんは…今日、お仕事忙しいんですか?」

 何気なく聞いた言葉。

 何となく、シンと沈黙してしまったので、話の取っ掛かりにと言った軽い質問…なのに。

「あっ、ああ!大丈夫!定時までには必ず終わらせるから!!」

 と、何故か必死に言われる。

「そ、そうですか…。」

 他に、私になんと答えようがあっただろう?

 首を傾げつつ、司令部へと入ったら…。

 中は何故か大騒ぎだった。

「な…?」

 亜然と見ていると、『じゃ、俺も仕事あるから!』とジャンさんも走っていってしまい。呼び止めようと上げた手が、空を切る。

「…何…?」

 廊下を歩く人は皆小走りで必死の形相だ。

「あの…。」

 すれ違う人に声を掛けてみるが。『おはよう!じゃ、忙しいから!』と行ってしまう。

 何か、そんなに大きな事件があったかしら?

 …仮に大きな事件があったにしたって、こんな全ての人が忙しいなんてことはない。

 変なの。首をひねりつつ、指令室へと向かうと。そこはさらに凄いことになっていた。

「資料、取ってきますっ。」

 と小走りに走り去るブレダ少尉。

 ジャンさんもファイルをあちこち開きつつ、書類を書いている。

 フュリー曹長は呼び出されて、何かの修理に駆け出して行ったし。普段穏やかな表情を崩さないファルマン准尉までもが、必死の形相で机に向かっている。

 大佐の机の周りには書類が舞っていたし、リザさんも硬い表情で時計を見やりつつ大佐の署名の入った書類を確認している。

「あ…の…。おはようございます。」

 恐る恐る声をかけると、ピタと一斉に手が止まり部屋の中に残っている人たちの目線がこちらへ飛んできた。

 う、な、何?

「やあ。おはよう、チヒロ。」

 にこりと笑った大佐は引きつった顔で手元に視線を戻し作業に戻る。

「おはよう。チヒロさん。」

「おはようございます。チヒロさん。」

 リザさんもファルマン准尉も答えてはくれるがすぐ仕事に戻る。

 ジャンさんは左手を上げただけだった。(まあ、一緒に来たからだろうけど)

 何なんだろう?この指令室中…いや、司令部中に充満するピリピリとした空気は。戸惑いつつも席に着くと。

「チヒロさん。皆にコーヒーを入れてくれるかしら?出て行った二人もすぐに戻ると思うので全員分。」

「あ、はい。」

 特に忙しくも無い自分を何となく申し訳なく思っていたので、ほっと席を立った。

 給湯室でコーヒーを入れる準備をしつつ、そういえば元の世界ではコーヒーと言えばインスタントだったよねえ、と思う。

 1年間。ほぼ毎日コーヒーや紅茶を入れ続けたので、当初は面倒臭いと思っていた様々な作業もなんとも思わなくなってきた。

 お湯を沸かしつつ、ガリガリとコーヒー豆を挽きながらそんなことを思う。

 軍の紅茶は不味いと評判らしいけど(要は香りが薄いんだと思う)。本当にたまにお湯の温度だとか茶葉の量だとか抽出時間だとかが丁度良かった時に、いつもより少しおいしく入れられたりすると、凄く嬉しくて。

 …それって、インスタントやティーバッグでは中々味わえない醍醐味だよねと思ったり。

 すっかり覚えてしまったそれぞれの好みの量のミルクと砂糖を入れ、指令室へ運ぶ。

 全て配って自分の分を飲んでいると、又してもリザさんが。

「飲み終わってからで良いので、将軍のところへ行ってくれるかしら?」

「将軍?…何か御用なんでしょうか?」

「今日は皆が忙しくしていて、お相手をして差し上げられないので淋しいようなの。」

 と、苦笑気味に言う。

「…はあ。」

 コーヒーを飲み終えて、相変わらず小走りの人たちの行き交う廊下を将軍の部屋へ向かう。

なんか、体よく『暇人は暇人同士、暇をつぶして来て』って言われたみたいな気がしたんだけど…気のせいかなあ?

 将軍の部屋の扉をノックして中に入ると、にこやかに出迎えられた。

「嬢ちゃん。よく来たね。」

 皆が忙しいというのは本当らしい。

 いつもなら、取り次ぎの人がいるのに、今日は全くのお一人のようだった。

「なんだか皆さんお忙しいようですね。」

「そうなのだよ。今日は1大プロジェクトがあるのでね。」

「1大…プロジェクト…ですか?」

 なんだろう? 私、そんなの聞いてないけど…。

「将軍は参加されないんですか?」

「いや、参加しておるよ。ここで、嬢と遊ぶのがわしのプロジェクトだからね。」

「…は?」

 そういうと、将軍はトランプやらチェスやらを引っ張り出してきた。

「そうそう。この間、嬢に教えてもらった『オセロ』とか言うものも作ってみたぞ。」

「え?作られたんですか?」

「ふっ、ふっ、ふっ。どうだね、中々良いできばえだろう?」

「わあ、凄い。」

 何かのチップかコインのようなものにインクで(ペンキかな?)白と黒の色が付けられている。

「早速やってみますか?」

「ほっほっ、望むところだよ。」

 チェス盤にコマを置いていく。

「嬢ちゃん。」

「…はい?」

「どうだね。こちらの世界は?」

 将軍は全ての事情をご存知だ。大佐が全て話した。

「え…と。さすがに随分慣れたと思います。」

「ふむ。」

 そう頷いて、また黙る。目は盤の上に向けられているので、次の手を考えているのかなとも思うけど。

「嬢が来てから、この司令部は随分和やかになったな。」

「え?」

「東部はそれほど治安が良い訳じゃない。…セントラルあたりの憲兵なんて、本当に役に立たんぞ?」

「そうなんですか?」

「良いのか悪いのか、イーストシティの憲兵は優秀なんだ。」

 つまり、それだけ軍人の補佐としてのお仕事をしているってことで…本当に良いのか悪いのか分からない。

「嬢にも分かるだろう?毎日毎日たくさんの事件が起こる。ここの軍人達は、それこそ寝る間も惜しんで対処しなければさばききれない。」

「はい。」

「だから昔はこの司令部も、もっとピリピリしていたんだよ。それが、嬢が来てから随分と感じが変わった。」

 そ…それは。それこそ良いのか悪いのか…。

「あの、すみません。」

 とりあえず、謝ってみると。『違う違う』と笑われる。

「良かった。と言っているのだよ。普段リラックスしている分、事件が起こったときは集中できるし、心に余裕があるから市民への対応も丁寧になったし。」

 へえ、そうなんだ…。

「嬢のお陰だな。」

「………。」

 びっくりした。

将軍は私のことを『嬢』とか『嬢ちゃん』とか呼ぶ。

古着屋のおじさんと一緒で、勿論親しみを込めて呼んでくれているのは分かっているけど。そう呼ばれるたびになんだか子供扱いされているような、一人前と認められていないようなそんな気がしていたのだ。

 将軍はとても優しい人なので、もっとしっかりしろなどと叱られたことは無かったけど。

「あいた、しまった。」

 将軍がぺシリと自分のおでこを叩いた。

 チェスでは絶対に適わないけど(というか、まだルールを教わりながらの状態だ)オセロなら何とかいけるみたい。

 盤の上は私のコマ、黒の方が多かった。

「私の勝ちですね。」

 ふふふと笑うと、『もう1ぺん』とコマを片付け始める。

 将軍はとっても頭が良い。『いいですよ』と頷きながら、勝てるのなんてもう後何回かだろうなと思った。

 

 

 

 

 

 

20060217UP
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トリップして来て1年くらいたったようです。
1年目にして将軍初登場!周りが慌ただしくとも、この二人はマイペース。
夏の終わり、秋の初め。そのくらい。…なので、背景はコスモス。いや、悩みました。
(06、02、20)

 

 

 

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