扉の向こうの青い空 38
「嬢は、『変化をもたらす者』だな。」
将軍の言葉を思い出す。
「『変化をもたらす者』?」
「そうだよ。」
そう言って、2・3度頷く。
「大勢を変えるような大きな変化ではないよ。言ってみれば、人の心の内の小さな変化だ。」
「…はあ…。」
「現状で良いと満足していた者が、もう少し努力してみようと思う。目標に向かってキリキリと余裕の無かったものが、ふと立ち止まって我が身を振り返る。…そういう小さな変化だ。」
「………。」
「たいしたことは無い…と思うかな?」
「あの、…はい。」
「けど、この小さな変化が人間には大切なのだよ。」
そんなものなのだろうか…?そして、本当に私はそんな風な役割を果たしているのだろうか…?
ぐるぐると考え込みながら昼食をとる。
何故か…というか、やはりというか…。食堂のおかあさんたちも必死だった。
今は丁度昼食の時間だから。注文に応じて対応をしながら、なにやら別口のお料理の仕込みをしているようだった。
私はここへ来てすぐの頃に、食堂でお手伝いをしていたことがある。
軍に正式に所属するようになったからはやめてしまったけれど。(アルバイト扱いになってしまうのだそうで。それは禁止されているから)
だから『おかしい』ってすぐに分かる。
夕食の仕込みには、早すぎる。…それに、作っているものをちらりと見た感じではいつもの定食みたいなメニューとは違うみたいだし…。
何なんだろうなあ?
のんびりと昼食をとる私の周りでは、相変わらず皆慌ただしくて…。早送りのビデオを見ているようだ。
「チヒロ。」
「あ、大佐。」
「どうした?ぼんやりして。」
『どうした?』って、聞きたいのは私の方なんですが…。
「今、お昼ですか?」
「ああ。…何とか定時までには上がりそうだよ。…この後大きな事件が起こらなければ…だが。」
「はあ。…頑張ってくださいね…?」
「ああ。」
そういえば、ジャンさんも朝『定時』がどうの…って。…定時の後に何があるんだろう?
私が聞いてもいい話なのかな?聞いたらまずいのかな?
「ヒューズの奴がな。」
「…中佐?」
「今日は来れないそうだ。」
「は?」
来る予定だったの?
「エリシア嬢が熱を出したそうでね。」
「エリシアちゃんが?大丈夫なんですか?」
「熱自体はたいしたことは無いらしいが、さすがにこっちまで連れてくる訳には行かないと言っていた。」
「はあ。」
来るって…エリシアちゃんも?ってことはきっとグレイシアさんも…だよね。
全くもう、何がなんだか…。
「あの。…大佐?」
「………?」
何から聞いたらいいのだろう?言葉を捜していると、訝しげにこちらを見ていた大佐が、ふとにっこりと笑った。悪戯を思いついた時の顔だ。
「なるほど。『秘密』というのも中々良いな。」
「はい?」
「サプライズと言うのも又、楽しいかも知れん。」
「あの…?」
「これは良いな。」
ふむふむと何か頷いている。
「大佐ぁ。」
訳分かりません〜。
「じゃあ、また。後でな。」
にっこりと、女性なら誰もが魅了されそうな満面の笑みを浮かべて席を立った。
ゆっくりと楽しむ食事をするときは、実に優雅に食べるくせに。急がなければならないときはあっという間に食べ終えてしまう。
「ああ。…もう少しでハボック少尉の仕事が上がるだろう。暇なら、あいつに遊んでもらえ。」
「は…あ。」
遊んで…って…。でも一人でほっとかれるよりは良いかなあ。
けれど、結局ジャンさんの身体が空いたのは、午後の巡回が終わった後だった。
休憩室で煙草を吸っているジャンさんのところへ行く。
いつもはポツリポツリと使う人がいるこの部屋も、今はジャンさんと私だけだった。
「もう、終わりですか?」
「ま、あらかたな。」
大きな事件が無いと良いんだが…って、大佐と同じことを言う。
「…何だ。退屈してるのか?」
「はあ、まあ。」
「うーん。外には連れて行けないんだ。…屋上にでも行くか。」
「はい。」
二人で相変わらず慌ただしい廊下を歩いて、屋上へ向かった。
「わあ。」
夕暮れの近付いたこの時間。街はなんとも言えない色に変わっていた。
「綺麗ですね。オレンジ…でもないし、紫でもないし…。何色って言ったらいいのかな?」
「丁度良いタイミングだったな。もう少ししたら、すぐ暗くなっちまう。」
「日が短くなりましたもんね。 …やっぱり、秋が近付いてるんですね。」
「ああ。」
しばらく二人で黙って街を見下ろした。
「ねえ、ジャンさん。」
「うん?」
「今日…皆、変でしたよね。」
そういうと、ジャンさんは小さく笑った。
「チヒロ。知らなかったんだってな。昼に大佐が小躍りしながら戻ってきたぞ。」
「…はあ。」
「その前なら、教えてやったんだがな。大佐の緘口令が布かれたから今は言えない。…ま、定時まであと少しだ。もうちょい我慢してろや。」
やっぱり定時の後に何かあるんですね。
「………。ねえ、ジャンさん。」
「ん?」
「私。…私、この世界に来て、色々自分を変えてみようと思って頑張ってみたんです。…何か…変われたんでしょうか?少しは成長できてるんでしょうか?」
「…俺は、元の世界でのチヒロを知らないからな。チヒロが自分のどこが悪いと思っててどう変えたいと思ってるのか分からないけど…」
ああ、そうよね。
「チヒロが頑張ってるのは分かってる。…けど、無理矢理変える必要もねーんじゃねえ?」
「そう…でしょうか?」
いつもの飄々とした様子で何でも無いみたいに言われて。今まで、とにかく頑張らなくちゃと思っていた気持ちがふっと緩む。
「今より、少しでも良く変わりたいと努力することも大切なんだろうけどな。」
「はい。」
努力は必要。でも、無理はダメってことですよね。
元の世界の私は、何をしても姉には適わなかった。それでも、親に認めてもらいたいと思っていた。
だから、いい子…というか『性格のいい子』になろうと思っていた。せめてそうでなければ認めてもらえないと思っていた。
嫌なことがあっても笑っていたし、不満があっても我慢していた。
でも、きっと。本音で話せば両親はちゃんと考えてくれたと思う。ただ、私にはその勇気が無かっただけ。
こっちの世界では、何だかんだ言ったって大佐が私のお父さんみたいなもので…。
大佐は私を私として、認めてくれる。
例えば、少しくらい我儘言ったって。必ずそのまま聞き入れてくれるかどうかは分からないけど、ちゃんと考えてくれると信じられる。
だから、私はもう自分を抑えて『性格のいい子』でいようとしなくても良い。
それは、分かっている。 『もういいんだ』って知ってる。
…けど…そうじゃなくて…。
私が今、一番変えたいと思うのは。多分『子供』である私…なんだと思う。
毎日頑張っているけれど、それで私は大人になれているのかしら?
シリルさんに貰った化粧品。あれから練習して毎日普通に化粧しているけれど、それは少しは成長できたということ?
誰にも言っていないけど、20歳の誕生日を迎えた。それは『大人』になれたということになるの?
だから…うん、つまり。
ジャンさんに、妹ではなく大人の女性として見てもらえるようになれているのかしら?
毎日一番傍にいられて、嬉しいけど。想いが通じないことが切なくて苦しい。優しくされるとくすぐったくて胸がどきどきする…。
自分の考えに没頭していた私。ふと、視線に気付いて顔を上げると、ジャンさんがじーっとこっちを見ていた。
大分日が翳って薄暗くはなってきたけど、その表情ははっきり見える。
ひどくいとおしそうに目が細められていてドキリとした。
想いが通じない事が切なくて苦しい。
けれど、想いが通じてしまって『恋人同士』になるのは。…まだ怖い。
そんな私は、やっぱりまだ子供なのだ。
不意にのばされた大きな手がぽふんと頭にのる。そっと髪を梳き、優しく頬をなぜる。
大きくって、暖かくて、マメとかあって、ちょっと荒れてて、ゴツゴツしている。
私がこの世界へ来た時に、一番最初に受け止めてくれたのはこの大きな手。そして、漂ってくる煙草の香り。
運命なんて信じないと思った。
だって、交通事故で死んで漫画の世界へ飛ばされるなんて、普通ありえないでしょう?
…けど、この人を好きになることは決まってたことなのかも…そう思った。
決まってたんならしょうがないよね。そう思ったら少し気が楽になった。
すると、ジャンさんの顔が近付いてきて…、おでこにキスをされる。
…なんかもう、この程度の接触には慣れつつある自分が怖い。
そして、ぎゅっと抱きしめられて。
「…おめでとう。」
「は?」
何かめでたいことでもありましたか?
「…ちょいと抜け駆けだけど、一番先に言っておきたかったから。…決めた本人としては。」
「………?…あの…何…?」
戸惑う私から、ジャンさんの腕が離れたその時。
バタンと屋上の扉が開き、フュリー曹長が顔を出した。
「あー。やっぱり、ここでしたね! 準備、出来ましたよ!」
「お、そうか。 …では、姫様。参りましょうか?」
おどけて手を出すジャンさんにつられて、その上に手を重ねてしまった。
そして、訳も分からずに食堂まで連れて行かれたのだった。
20060220UP
NEXT
なんか、まあ。
…だから、くっ付いてないカップルをいちゃつかせるのは難しい…と。
是非、『小躍りする大佐』を見たいと願う月子でありました。
(06、02、22)