扉の向こうの青い空 39

 食堂への扉を開ける時。

『驚くなよ』とジャンさんが言い、フュリー曹長がクスリと笑った。

「だから、何なんですか?」

 言いながらバタンと開けた扉の向こうには、人・人・人・人…。……え?

 大佐やリザさん、ブレダ少尉にファルマン准尉。将軍にその側近の方々。ジャンさん・ブレダ少尉の隊の人達。いつも優しくしてくれる受付のお姉さん方。資料探しを手伝ってくれる資料課の人達、食堂のおかあさん達。

 それから、それから。とにかく、中には大勢の人がいた。

 それは司令部内の全員ではなかったけれど、かなりの人数で。きっと街中には必要最低限の人員しかいないはず。(…それで、将軍は『イーストシティの憲兵は優秀』なんて話をしたのかしら?今頃憲兵さんたちは総動員されていることだろう)

 その全員が、私に気付いて『わーーーーっ』と手を叩く。

 な、何事!?

 唖然と立ち尽くした私に『おめでとー』と声が掛かり、あちこちで『パーン』『パーン』とクラッカーが鳴らされる。

「チヒロ。」

 大佐に呼ばれて、その傍へ行く。

「本日の主役が登場しましたので、グラマン将軍から花束贈呈です。」

 ブレダ少尉が声を張り上げた。

 すると、すぐ傍にいた将軍がやっと両手が回るような大きな花束を私に差し出した。

「誕生日、おめでとう。嬢ちゃん。」

「………は?」

 にっこりと笑って差し出された巨大花束を、ついうっかり受け取ってしまう。

「たん…じょうび…?」

 『おめでとー』『おめでとー』とあちこちから声が掛かり、再びうわーーんと盛大な拍手。

 戸惑う私に、大佐が小さな声で言った。

「今日は、チヒロがこの世界へ来て丁度1年目だよ。」

「え?本当ですか?」

「本当だとも。去年の今日、君はここへ来た。」

「………。」

 丁度…1年?…じゃあ、もしかしてジャンさんが作った調書に書いてあった私の生年月日の日付って…今日?

「では、マスタング大佐から乾杯の挨拶を。」

 ブレダ少尉はどうやら司会者。ヒューズ中佐が来ていれば、きっとこれは中佐がやったんだろう。

「チヒロ。誕生日おめでとう。」

 やさしい瞳でにっこりと笑う。この人が保護してくれているから、今私はのほほんと毎日を過ごせているのだ。

「君がこの世界に生れ落ち、そして出会えた幸運に感謝する。…乾杯。」

 大佐が少しグラスを上げると食堂中に『かんぱーい』と声が上がり、カツンカツンとグラスを合わせる音がする。

 そして、それぞれが立食パーティ形式でご馳走を食べ始めた。

 整然と並ぶ食堂の大きなテーブルの上にはたくさんのご馳走が並び、ケーキもある。

 一番傍に用意されているケーキには20本の蝋燭が立っていた。

「チヒロさん。こちらへ。」

 リザさんにそのケーキの前までつれて行かれる。

 パチンと大佐の指が鳴り、20本の蝋燭に次々と火がついた。

「どうぞ、一気に吹き消してください。」

 ファルマン准尉が穏やかに言う。

言われるままにふうっと吹き消すと、それぞれ食事をしながらもこちらを気にしていたらしく、再び『わー』『おめでとー』と声が掛かる。

 戸惑いつつも、ゆっくりと嬉しさがこみ上げてきた。こんなにたくさんの人に『おめでとう』って言ってもらったのなんて、初めて。

「ありがとう、ございます。」

 自然に口から出ていた。

「ほら、喰え。」

 ブレダ少尉がお皿にたくさんのお料理を取り分けてくれる。

「今日から解禁だな。」

 ジャンさんがニヤリと笑ってグラスにワインを注いでくれた。これはもう今更でしょう?

「あちらに置いてあるのは皆さんからのプレゼントですよ。」

 とフュリー曹長。奥のほうに置いてあるテーブルの上には、山のように積み上げられたプレゼント。

「え?あれ、全部?」

「お返しはいりませんよ。」

 ファルマン准尉が笑った。

「あなたは、気を使ってしまうから。」

 全員にお返しは無しだと、初めから通達を出してあるとリザさんが笑った。

「仕事を抜けられず、ここには来られなかった者からの物もあるぞ。」

 西方司令部からも届いている。と大佐がにこりと笑った。

 え?ミリアムさんからも?

「そして、これはわしからだ。」

 と、将軍が綺麗にラッピングされた箱を取り出す。

「あー、将軍。抜け駆けっスよ。」

 自分だってさっきフライングで『おめでとう』って言ったくせに、ジャンさんが不満そうに声を上げて、皆笑った。

 一通りお料理を頂いた後は、あちこちのテーブルを回った。

 たくさんたくさん『おめでとう』を貰った。たくさんたくさん『ありがとう』を言った。

 そのうち、お仕事の関係で途中から抜ける人や駆けつけてくる人、様々入り乱れ始めて訳が分からなくなる。

 それでも、2時間ほどたってブレダ少尉が『これでお開きです』と声を上げると。

大半の人がどやどやと食堂を出て行き(その間も『おめでとう』と声を掛けられる)、何人かがその場の片付けをするために残った。

何グループかは、来たばかりだからもう少し食べていくと残り物の料理を集めていた。

「チヒロは今日は主役なのだから、片付けなぞしなくていいぞ。」

「…でも…。」

「ハボック少尉。責任を持って送り帰れ。」

「イエッサー。」

 巨大花束を私がかかえ、ジャンさんは私のバッグと主だった人のプレゼントが入った紙袋を持ってくれて(中佐ご一家のプレゼントは後日贈られてくるという)。

私たち二人は帰路に着いた。

 

 

「びっくりしました。」

「あんなに大げさにするつもりじゃ、無かったんだけどな。」

 と、苦笑するジャンさん。

 始めはどこかのお店で、指令室のメンバーだけでやるつもりだったのだそうだ。それが、じわじわと噂が広がって参加者が増え、食堂でするしかなくなったのだと言う。

 今日一日皆が慌ただしかったのは、意地でも定時までに仕事を上げようと全ての部署が頑張ったかららしい。

「食堂のおかあさん達大変でしたよね。」

「いやあ、スゲエ張り切ってたぜ。」

 備え付けのオーブンをフル稼働させてケーキを焼いたのだと言う。

「朝から焼いていたらしいぜ。俺は良く分からんけど、スポンジが冷めないとクリーム塗れないんだって?」

「ああ、そうですね。」

 とってもおいしかったケーキの味を思い出しつつ、そういえば、と疑問に思っていたことを聞いてみる。

「あの。…今日を、誕生日って決めたのは…ジャンさん、ですよね。」

「まあな。一応大佐と中尉の了解は取ったけど。」

「…どうしてですか?」

「………。」

 少し、どう話そうかと考えている風のジャンさん。

「チヒロ…さ。最初の頃、自分が死んだ事とかで結構精神的に不安定な感じだっただろ?生年月日を言うのも、イヤイヤって感じだったし。」

 …分かって、いたの?

「その、元の誕生日に生まれたチヒロは死んじまったことになってる訳だし。この世界へ来て1から生活を始めたのはこの日なんだし。だったら、今のチヒロの誕生日は今日でいいんじゃないかって思った。」

「………。」

「勝手に決めちまったけど。…一応調書見せた時も別に何も言わないから、了承してるもんだと思ってた。」

「…あの時は、そこまで気が回っていませんでした。…でも、…じゃあ。」

「うん?」

「…前に、…春にケーキを買ってくれましたよ、ね。」

「ああ。…元の誕生日んときな。」

「…やっぱり、分かってたんだ…。」

「忘れてねーよ。…けど、1年に2回も誕生日を祝ってたらあっという間にばあさんになっちまうぜ?」

「ふふ、本当だわ。」

「一応、春の誕生日の後は酒飲んでも『未成年だから自重しろ』とは言わなかったはずだけどな。」

 あ。そういえばそうだ。『飲みすぎるな』とは言われたけど。

 何か…駄目だなあ、私。ちゃんとそういう周りの人の気遣いに気付けなければ、大人とはいえないよね。

「じゃあ、私。4ヶ月くらい得しちゃったんだ。」

「はは、そうだなあ。微妙な年齢になった時に、俺に感謝するかもな。」

 ガサガサと鳴る花束に顔を埋めるようにして笑った。…いい匂い。

 凄く嬉しかった。たくさんのおめでとうを貰って。…それはつまりみんなの優しさを貰ったって言うこと。

 でも、同時に前の世界の私はもう完全にいなくなってしまった。

 私が元の世界から持って来たものは、次々と使えなくなった。

 一番最初に使えなくなったのは名前。最初の頃はすんなりと『チヒロ・ナカハラ』って言えなかったけど、この頃は『中原千尋』に違和感を感じる。

 携帯電話も机の引き出しに入れっぱなし。持ってきたノートや教科書も、もう開くことはほとんど無い。ボールペンやシャーペンや消しゴムは一応まだ持っているけど、こちらの筆記用具に慣れてきたので頼ることは少なくなってきた。

 持ってきたバッグも紐のところが切れて、捨ててしまった。…そして、誕生日も。

 ほんのちょっぴり淋しく思った。

 でも、あの日。

私は一度死んで生まれ直したのだ。だから、ここへ来たこの日が誕生日。それは、大好きな人が決めてくれたとっても素敵な日。

「私、もう来年は元の誕生日にケーキは買いません。」

「そうか?」

「はい。今日だけでいいです。もう、覚えましたから。」

 優しくジャンさんが笑う。

「今後の目標、決めました。 私。『いい女』になります!」

「へ?」

「絶対『いい女』になります。」

「……別に…もう、いいんじゃねえ?」

「全然ダメです。まだまだですから。」

 意気込んで言うと。くわえ煙草のせいでよく聞き取れなかったけど、『ライバルが増える』とか何とか、口の中でブツブツ言っている。

 『ライバル』?『増える』?何か良く分からないけど。

シリルさんとかリザさんとかミリアムさんとかグレイシアさんとかマリアさん?

 ライバルなんておこがましい。『目標』だわ。

 よし、頑張ろう!

 自分に気合を入れていると、ジャンさんが苦笑気味に笑いながらぽんぽんと頭をなぜた。

 

 

 

 

 その夜。

 エドから電話が来た。

『チヒロ。今日、誕生日だろ?おめでとう。』

『おめでとうございます。チヒロさん。』

 エドの後ろからアルの声も聞こえる。

「ありがとう。」

 少し今日の様子や、近況を話して。

『これから、リオールっていう街へ行ってくる。なんでも「奇跡の業」ってのを使う奴がいるんだってさ。』

「そう。何か手がかりが見つかるといいね。」

『だなあ。その後、そっちへ寄れるかも知しんねーから。』

「本当?楽しみにしてる。」

『ああ、じゃ。』

「うん、気をつけてね。」

 

 

 

 

 

20060222UP

第2章:完

 

 

 

 

春の誕生日のお話のあたりで、モヤモヤしていたことがはっきりしました。
という訳で。
これにて、「扉の向こうの青い空」第2章は終了となります。
細切れUPの2章となりましたが、皆様お付き合いくださいましてありがとうございました。
掲示板へ感想などをいただけると大変嬉しいです。
第2章を終えてのあれこれは
こちら
(06、02、24)

 

 

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