扉の向こうの青い空 42
…なんだか、雨が降りそうだわ。
どんよりと曇った空を見上げて、そう思った。
案の定、しばらくするとザンザン降りの雨となった。
そんな時エドから連絡が入って、大佐は険しい顔をしていた。
「あの…エド、どうかしたんですか?」
「鋼のが…ではない。綴命の錬金術師のショウ・タッカーが…。」
言いよどむ大佐に首を傾げた。
「自分の娘と飼い犬をキメラに練成したそうだ。」
「は?」
キメラ?キメラって、合成獣のことだよね。…合成?…って、…まさか。
「えと、…あの。合体させちゃった…ってことですか?」
「ああ。2年前、彼が国家資格を取得した折に練成したキメラも、彼の奥方を使ったそうだ。」
…確か『死にたい』と人語を喋ったという…。
人間を使ったから人語を喋ったと…そういうこと?
錬金術って、そんなことまで出来るの?
「ショウ・タッカーは恐らく中央で裁判に掛けられるのだろうが…。娘は…。研究所送り…だろうな。」
「そんな。」
「格好の研究材料だ。軍もほおってはおかんだろう。」
「………。」
まるで頭痛に耐えるかのように、額を押さえる大佐。…そっか、大佐はその女の子に会ってるんだ…。
そして、これからそのキメラも目にするのだ。…自分も国家錬金術師で…。
どんな気持ちなのだろう?
その女の子や犬と仲良く遊んでいたという、エドやアルは…?
「大佐。車の準備が出来ました。」
ジャンさんが扉を開いて顔を出した。
「ああ、分かった。」
「行ってらっしゃい。」
「ああ。行ってくる。」
「リザさんもジャンさんも気をつけて。」
「ああ。」
「行ってくるわね。」
そっか、ジャンさんもエドたちを迎えに行った時にその子を見てる。
リザさんは会ったことがあるのか分からないけど、でもこれからそのキメラを見る。
決して良い気持ちなんかじゃないだろう。
大佐が『行くか?』と言わないのをいいことに、『私も行きます』とは言わなかった。…言えなかった。
そのキメラを見るのが怖い。
人と犬の合成獣ってどんななんだろう?可愛くてもグロテスクでも、やっぱり辛い気持ちになるだろう。
本当。錬金術ってなんだろう。
人体練成が出来ないと聞いて、私は多分ほっとしてた。
錬金術で…つまり科学で…人間を作ることは出来ない。そう、そんなの無理。
でも、人間と動物を合わせて違う生き物を作ってしまうことは出来る。
…それって、科学なの?
その、タッカーって人は何故そんなことをしたのだろう?
名誉のため?お金のため?
奥さんや娘さんのことは好きじゃなかったのかしら?でも、優しいお父さんだったようだって聞いた。
査定が上手く行かなくて、国家資格を剥奪されたら、どうなるのかしら?
収入が無くなって娘を手放さなくてはならない?それが嫌だったから?
でも、結局。研究所に送られたりしたら、離れ離れになってしまうのに。自分が研究するって事で、手元に置いておけると思ったのかしら…?
ああ、ダメ。いい人であって欲しいと思うけど、やっぱり小さな女の子が『人間として生きられなくなってしまった』と言う事態に相当するだけの理由は思いつかない。
「チヒロ。大丈夫か?」
ブレダ少尉が心配そうに声を掛けてくれた。
「はい。…錬金術ってそんなことも出来るんですね。」
「…まあ。こんなことはめったに無いがな。…ただ。…一度だけ大佐に聞いたことがある。『イシュヴァールは実験場だった』と。」
「実験場?」
「錬金術が武器としてどう使えるか…とかな。」
「………。」
それは、逆に言えば人はどうされたら死ぬのか…って事?
そういえば元の世界でも、昔の戦争でドイツの収容所でひどい実験が行われたって聞いたような…。
「特に大佐はな…。焔を出すだろう?」
「…ジャンさんが前に、軍にとってあれほど効率の良い錬金術は無い…って。」
「ああ。ハボックは抜擢されて大佐の…当時は少佐だったけど、その護衛官を努めた時期があるんだ。一番傍で見ていたからな。…大佐はほとんど毎日、戦場へ引っ張り出されていたらしいから…。」
「………。」
つまり、それだけ人を殺したと言うこと…。…辛く…無かった訳無いよね。
そして、それをただ見ているだけしか出来なかったジャンさんも。
「人って無力ですよね。」
「でも、人を殺すのも人殺しをさせるのも、人間だぜ。」
「………。」
「殺される人間にとって、相手は自分の生命を握る絶対的な権力者だ。軍人はその権力者となる場合が多い。だから、嫌われる。」
「………。」
「その時、軍人がどんな気持ちで居ようが…心の中で詫びていようが…殺される側には関係ない。」
「…はい。」
大佐に殺された人は、大佐を恨んだだろう。
お父さんにキメラに練成された娘さんは?お父さんを恨んでいるのだろうか?
私だったら…。うん、私だったら恨まない。恨まないけど、やっぱり悲しいと思う。人間の娘として傍に居たかったと思う。
元に戻すことは出来ないのかしら?やってしまったことを『無し』に出来たらいいのに…。
タッカーさんは、元々は『生体練成の研究者』と言われていたそうだけど…。人間を使ってしまったら、人体練成の一部…って事になるのかしら?
人体練成してしまったものを、無かったことに出来るなら…。きっと、とっくにエドとアルの身体は元に戻ってる。
一緒に遊んだ女の子がキメラにされてしまって…それも自分の父親の手で…。
エドもアルもたった15歳と14歳なのに、それをしっかり見てるんだよね。…私は逃げてしまったのに…。
二人が強くって、私よりもしっかりしているのは分かってる。けど、顔を見せてくれたら安心できるのに。
そう思って1日指令室で待っていたけど、二人は現れなかった。
司令部の前までは来たそうだけど、そのまま宿に帰ってしまったらしい。
「私、やっぱり頼りないのかな。」
1日待ちぼうけを喰らった私がそう言うと、ジャンさんは。
「いや、落ち込んでかっこ悪いとこ見せたくなかったんだろ。」
って、小さく笑った。
…この人も不思議な人だ。
前に『出世は適当でいい』とかって言っていた。
だから、大佐に言われたことだけ『ハイハイ』ってやる人なのかと思ってたのに…。
今日ブレダ少尉から聞かせてもらった話を思い出す。
「ハボックが、あちこちたらいまわしされた話は聞いたか?」
「あ…はい。ピンと来ないですけど。」
「何しろあいつの最初の正式な上官がマスタング大佐だからな。」
「…はあ。」
「それまでは、学生で動員されたから雑用って言うか手伝いって言うかそんな感じだったから。上官ってのは居たけど『上司』ってよりは『指導員』みたいな感じだったしな。」
「ブレダ少尉もイシュヴァールへ行ったんですか?」
「動員はされたぜ。けど、俺が配属されたのは手前の補給基地だったんだ。まあ、食料や物資を狙っての奇襲なんてのが全く無かった訳じゃないけど、最前線に比べりゃ平和だったな。」
「そうですか。」
「ハボックも始めは荷物運びだの装備の手入れだのをやってたと思うんだ。…一緒に動員されたほかの学生と一緒にな。…で、ハボックの話じゃ。ヒューズ中佐の目に止まって、そこからマスタング大佐の護衛官になったらしいんだけど…。
大佐は、多少態度に問題があったってやるべきことをやってりゃ文句は言わない。むしろ、あれこれ噛み付いてくる方が面白いって考えてる。その分実力主義で任せるべきところは絶対の信頼で任せてくれる。」
「…はい。」
「これほどユニークで仕え甲斐の有る上官も珍しいだろ。最初にそんな人に会っちまったから、その後どこへ言ったっておとなしくなんてしちゃいないのさ。
部下には慕われるが、意に染まない上官には平気で苦言を呈す。必要最低限の敬語と敬礼で済ましちまう。そりゃ煙たいわな。」
「…はあ、もう、何やってんでしょう…。」
「本当だよな。南方司令部内でもあちこち動かされたらしいが、とうとう引き受けるところが無くなってな。持て余したところへハクロのオヤジが名乗りを上げたのさ。」
「え?将軍のほうから?」
「そうだ。懐かない野良犬を見事調教して見せましょうって事だろ。得点アップを狙ったんだな。ところがあっという間に噛み付かれちまった。それまでの最短記録だ。ましてや自分の足元の不正まで暴露されて…。」
「大佐がお持ち帰りした…って。」
「そ。で、それまでふらふらしてたハボックが、マスタング大佐の下でもう2年以上落ち着いている。つまりハクロ将軍が『調教』しそこねた野良犬を、見事マスタング大佐が『調教』したと。
曲りなりにもハボックの方だって、大佐には忠誠を誓っちゃってるしな。そりゃ、将軍にしてみたら面白くないだろうよ。」
「はあ。」
忠誠を、誓っちゃってるんだ。
そんな軍人っぽいこと、何か想像できない。
例えば銃の腕だとか、体術だとか…そういうのが凄いのは分かってる。
そうじゃなくて、精神論の部分で『軍人なんて』って思ってるんだと思ってた。
ブレダ少尉にそう言うと。
「あー、そうも思ってるかもなー。」
と笑う。
「大佐がわりと規格外だからさ。軍人なんて、軍なんてって思ってるけど、目が離せないっつーか。」
あ、そうか。つまりブレダ少尉もそう思ってるんだ。
『軍』って言う規格に納まりきらない人たちが大佐の元に集まる。だから、『軍』から見ると、問題児の集まりのように見える。
…そっか。大佐が『褒め言葉だと思っておけ』って言ったのはそれでなんだ。
その夜は、憲兵さん達がタッカーさんの家を見張っていた。
主に、タッカーさんが逃げないように…。
けど、夜間に進入した何者かによってタッカーさんもその娘さんも殺されてしまった。
その知らせを受けたのは早朝で。ジャンさんは朝食もそこそこに出勤して行った。
私は。…私は、連日起こるショッキングな事件にちょっぴり打ちのめされながら、ノロノロと準備をする。
まだ降り続いている雨の中、薄いグリーンの傘をさして家を出た。
20060307UP
NEXT
ブレダはきっと、南方からもれ聞こえてくるハボの噂話を聞きながら。
『なにやってんだよ』『もうちょっと、上手く立ち回れよ』とずっとヤキモキしていたんだろうな。
大佐にお持ち帰りされてきたハボ。一番喜んだのはブレダかも知れません。
チヒロにとっても、周りの皆は良いお兄さんお姉さんではなく『軍人』なのだ…と。
そして、自分も『軍』というものに所属している人間なのだという自覚が出来てくるのではないでしょうか?
(06、03、15)