扉の向こうの青い空 54

『ああ、マズったなあ』

 マスタング大佐の中央行きが決まった。

前々から話はあったようで、『やっと』という感もあるが…。

とにかくご栄転だ。

 それはいい。

 問題は、その時俺が口にした一言。

 『俺、最近彼女できたんスけど』

 …………。ああ、バカか俺は?

 俺はその時『チヒロはどうなるんだろう?』と思ったのだった。

 確かにチヒロは『マスタング大佐の元で2年勉強』との話だった。

だが、それはチヒロを中央から離したかったというのもあったからこその提案だった訳で…。

 …じゃあ、大佐が中央へ行くとなったら、…チヒロは?…と思ったのだ…。

 チヒロだけ東部へ置いていくのだろうか?

 確かに将軍は大変に可愛がっているから、優遇はしてくれるだろうが。大佐の後任がハクロのおっさんでは、今までと同じ待遇は望めないかもしれない。

 錬金術の勉強は基礎だけにしておくようだから、図書館や資料室でも事足りるかもしれないが。込み入った科学の話になれば教師の適任はやはりマスタング大佐となるだろう。

 そして何より、俺は離れたくない。

 何で、そのまま『チヒロはどうするんですか?』と聞かなかったのだろう。

 それまでの俺だって、チヒロのことは特別に可愛がっていたのは周知の事実だったのだから。開口一番に俺がそれを聞いたって、誰もおかしいとは思わなかったはずだ。

 なのに、チヒロを抱いてしまって。それを誰にも言えずにいる俺の後ろめたさが、はっきりと彼女の名前を出して聞くことをためらわせたのだ。

 しかも、『俺、最近彼女できたんスけど』の大佐の返事が『別れろ』…って…。

 迂闊にも大ダメージを受けてしまった俺だった。

 本当にチヒロと別れろと言われたような気がした。

『少尉』でしかないお前が、今後中央での注目度の上がるチヒロを本当に守れるのか?と言われたような気がしたのだった。

自分で不安に思っていることを、大佐に指摘されたようで。

実際。チヒロと付き合おうと思ったら、大佐は避けては通れない関門で。

恐らくはその第一関門があまりにも大きすぎるために、図らずもチヒロとの関係は『秘密』になってしまっているのだ。

チヒロ自身がそういうことを言いふらすタイプじゃないのを幸いに(シリルには言っているかもしれないが)ズルイ大人に成り果てている俺。

…ああ、情けねえなあ。

自己嫌悪にさいなまれる。

 

ヒューズ中佐が亡くなった事。それにより少し元気のないチヒロへの心配。

中央への移動に伴う大量の書類整理や引継ぎ。引越しの準備。

公私にわたる様々な葛藤や雑務におわれて。

…あの女のことなんてすっかり忘れてしまっていた。

 

 

 東方司令部内に噂が駆け巡った。

 ロイ・マスタング大佐の中央への移動に伴い、ホークアイ中尉をはじめとした指令室の皆も移動になるというのだ。

「え?それじゃあ、ハボック少尉も?」

 唖然とする私に先輩達は再び不審な目を向けてくる。

「……知らなかったの?」

「本人から聞いてないの?」

「彼女なんでしょ?」

 『はい』と即答できなくなっている自分が情けない。

 あれ以来、司令部内を追い掛け回しては見たものの。ほとんど外での作業をしている少尉とは会えず。

かと言って、作業現場まで行けるほどの休憩時間など取れる訳も無く。まともに会うことなどできずに居た。

 この頃は家で一人。『ああ、やっぱり二股なの?きっと二股なのよ!』と悲嘆に暮れてみたり。

 しかも、移動の話が出てからは。書類整理だとか引継ぎだとかで指令室の皆さんは物凄く慌ただしくなったようで、呼び止めることすらためらわれるほど鬼気迫る様子なのだ。

「チヒロちゃんもセントラルへ行っちゃうのね。」

 受付の先輩達が、挨拶に来たチヒロさんと話をしている。

 この人も謎だ。本当はハボック少尉とどんな関係なんだろう?

「元気でね。」

「はい。色々とお世話になりました。」

「いいのよ。あなた達がいなくなると寂しくなるわ。」

「急なことで何もお礼できなくて…。」

「やだ、そんなこと気にしないで。」

「ケーキ買ってきたので、皆さんで食べてくださいね。」

「あら、悪いわね。」

 それじゃ、と行ってしまう。

「淋しくなるわね。本当。」

「指令室の皆、個性の強い人達だったからね。」

「私は大佐がいなくなるのが寂しいわ。」

「あー、目の保養だったよねー。」

「次はハクロ将軍だってさ。」

「うっわー、イヤ〜。」

 皆のんきに話し込み、お茶の時間はこのケーキを頂きましょうなんていってるけど…。

 私はそれどころじゃ無かった。

 定時で仕事を終えた後。このところ指令室の皆は残業続きだと聞き、ハボック少尉を探して司令部内を走り回った。

 今話さなきゃ、もう今しかない。

 必死に走り回っていると、廊下の向こうからハボック少尉の姿が近付いてきた。

「少尉!」

「…あ……。」

 抱えている大量の書類を崩さないようにとゆっくりと立ち止まった少尉。

「あのっ!」

「あ〜、あんた、えーと。…なんて名前だっけ…」

「っ!」

 彼女の名前を忘れるなんて!

 失礼だわと憤る気持ちの中に、小さくだけど『やっぱり』って思った自分。

「メアリー・ライトです。あのっ。」

「ああ、メアリー・ライトさんね。そうだった、そうだった。えーと、何かちょっと勘違いはあったようだけど。…まあ、俺もセントラルへ行くし、君も元気で。」

 あっさり言われる。

「ハ?」

「うん?」

「あの……」

「何?」

 きょとんと見返されて徐々に怒りがこみ上げる。

 それは多分少尉に対して…というより自分自身に対してだったと思う。

 そして、自分で認識するより先に手が動いていた。

 ブワッチーーン 

 少尉の頬を渾身の力で叩いていた。

 その弾みで抱えていた書類がばらばらと散る。

「うわっ、書類!」

 私より書類を目で追う少尉に悲しくなる。

「私と仕事と、どっちが大切なんですか!」

「へ?」

 いや、そりゃ仕事よね。内心自分に突っ込みながらもキッと少尉を睨みつけた。

「失礼します!」

 くるりと振り返ってずんずん歩く。

 絶対絶対、涙なんて出ない! 叩いた手だって痛くない!!

「きゃあ、ジャンさん?」

 後ろでチヒロさんの声がする。

「な…何です?その顔…と、書類!」

「あ…はは。」

「もう、忙しいのに散らかして!」

「うっ、すみません。」

 チラリと見やると、二人でせっせと散らばった書類を集めている。

「……どうしたんですか?……そのほっぺた。」

「あの、受付の子に…。」

「…叩かれたんですか?」

「はは。」

「……付き合ってる…と、彼女が思ってたから…ですか?」

「!?何で知ってんだよ!」

「え…皆知ってますけど。」

「み、皆?」

「女性職員…とブレダ少尉と。ああ、指令室の皆と…大佐は知ってるかどうか分かりませんけど…。あと、ジャンさんの隊の人達に…。」

「何で俺に言わねーんだよ。」

「だって、ジャンさん仕事で疲れてたから…。」

「はあああぁ」

 大きな少尉の溜め息が聞こえた。

 ああ、何だ。

 そーっと私はその場を離れた。

私の勘違い、だったんだ。

 『本当に付き合ってるの?』

 何度も聞いてくれた先輩達。

 はじめのうちと比べると、途中から口調が変わっていたのは。本気で私を心配してくれていたから。

 『早く気付きなさい』

 ずっとそう言ってくれていたんだ。

 ああ、バカみたい。かっこ悪い。

結局私はハボック少尉に迷惑しか掛けられなかったんだ。

 ジンジンする手の平を見た。…赤くなってる…。

 痛かったよね少尉。ごめんなさい。

 …けど、多分。忘れられることだけは無いかな…。

 そう思ったら、溢れる涙と一緒に少しだけ笑いがこみ上げてきた。

 

 

 

 

 

 

20060510UP
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メアリーは、ハボのほっぺたひっぱたき要員でした。…そのために出て来たのでした…。…ヒドイ。
この後しばらくは、ハボ受難。…というか鬱々ジメジメって感じ。
きっとバイオリズムが下がっているのに違いない。
(06、05、12)

 

 

 

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