扉の向こうの青い空 58

 その日から度々、私はグレイシアさんのお宅を訪ねた。

 レシピを教えてもらいながら、一緒にお料理を作ったり。

 この国に伝わる昔話や御伽噺を教えてもらったり。

 セントラルの街を案内してもらいながら、色々なお店を教えてもらったり。

 他にも、流行っている歌だったり。子供なら誰でも一度はやる遊びだったり。正式なお茶のお作法だったり。花の名前だったり。

 もう本当にたくさんのことを教えてもらった。

 今まで1年と少し。

 この世界に来て、色々覚えて。生活に不自由がないくらいの知識は持てていたけれど。

 逆に今まで持っていた知識って言うのは、生活していく上で必要なものばかりで。『余裕』に繋がる部分のものはほとんどなかった。

 グレイシアさんは本当に教え上手で聞き上手で。そして褒め上手だ。

 お礼にとエリシアちゃんのエプロンを作ってプレゼントしたら、とっても褒めてくれたし。『私の服も見立てて?』なんていわれて、恐る恐る選んだ服を即決で買いあさったりした。

「そ…そんなにお金使って大丈夫なんですか?」

 失礼にも聞いてしまった私に。

「軍人の年金って結構もらえるのよ。2階級特進なんてしちゃったし。」

 とグレイシアさんは苦笑した。

「まさか一生こんな使い方続けるつもりはないわ、エリシアの将来のこともあるし。 …ただ、歩き出すには、ね。 えい、やあ。って気合が必要なのよ。」

「はい。」

 思い起こせば私だってそうだった。

 この世界に来て、右も左も分からなくて。心細くて、最初の1歩を出すのにとっても勇気が必要だった時。

 大佐が出してくれたお金で。

 リザさんとジャンさんと。大量に買い物をしたんだった。

 両手に大量の荷物を持たされたジャンさんが『やるなあ。お前』って溜め息ついたくらい。

 あの時買ったものは、とりあえず生活に必要なものばっかりだったけど。一番に気に入っていたパジャマは、今でも私の大のお気に入りだ。

 そして、あの時ジャンさんに奢ってもらったストロベリーアイスの味を。私は一生忘れないだろう。

「あ。又、ハボック少尉の事考えてる。」

 グレイシアさんが顔を覗き込んで、私をからかう。

「う〜。」

「明日は、司令部へ行くんでしょう?会えるといいわね。」

「………はあ。」

 

 

 この頃私は1日置き位で、司令部へ『出勤』している。(で、1日おきにグレイシアさんと会ってるんだけど)

 東方司令部に居た時とは違い、割と好奇の目で見られるのが不快なのもある。

 ほとんどの人は、私を難民だと思っているわけだけど。それだけに、色々と不躾な言葉を掛けてくる人もいるし…。

 それに、大佐も急がしそうで。

 一応、グレイシアさんの様子などは小まめに話しているけれど。それ以外の、科学の話だとか錬金術の話だとかはなかなか出来なくて…。

「体壊しますよ?」

 暇さえあれば、寝る間も惜しんで資料室に篭る大佐に何度そう声をかけたか分からない。

「大丈夫だよ。軍人は体が資本なんだ。」

 そう笑う大佐は、でもやっぱり少し痩せたように思う。

 ヒューズさんの死について調べているらしいけど。

 同じ本や資料を読むにしても。好きな錬金術の物を読み漁る時の様子とは違って、なんだか辛そうだから、余計に心配だ。

 ああ、ヒューズさんに大佐のことは任されていたのに…。

 そして…。

 ジャンさんもお仕事が忙しいようだった。

「いや。自業自得だから。」

 冷たく言い放ったのはブレダ少尉だった。

「はあ。」

「新しい勤務地に移ったら、普通毎日出勤してたって落ち着くまでは物凄く忙しいんだぜ。それを1週間も休みやがったんだから当然だ。」

「や…でもそれは。」

「ま。理由に多少同情の余地がない訳じゃないが。…どっちにしろ、自分の隊がまとまるまではもう少しバタバタするのはしょうがねえよ。」

「そ…ですか。」

「ましてやここは中央司令部だしな。」

「?何か違うんですか?」

「結構難しいんだぜ。実務経験豊富な奴と、そうじゃない奴の差が激しいからな。」

「?」

「だから、各地の司令部や戦闘の最前線とかで手柄を立ててご栄転してきた奴らと。元々ここに勤務してて、東部の憲兵に毛が生えた程度の仕事しかしたこと無い奴らと両方いるからな。」

「そうなんですか。」

「ああ、どっちの奴らに合わせた隊を作るか迷うところだな。」

「ブレダ少尉はどうしたんですか?」

「決まってんだろ。いざと言う時に使えないと意味ねえからな。」

 つまり、経験豊かな人たちに合わせた隊を作るってことだよね。

「ジャンさんがこの間、隊の訓練のメニューをうんうんうなって考えてましたが…。」

「じゃ、あいつもそうなんだろ。」

 つまり、出来ない人には訓練して出来るようになってもらいましょうということね。

「なんかな。あいつ、この頃結構真面目にやってるからな。」

「?…今までだって…。」

「まあ、不真面目だった訳じゃねえけど。割と余裕もってやってた感じだろ?『出来ない事は出来ないんだからしょうがねエだろ』って感じでさ。」

「そう…かもしれませんね。」

「それがな、もうちっと頑張ってみようかって感じなんだよな。」

「へえ。」

「程良いうちはいいけどな。頑張りすぎなきゃ…。」

「………。」

「それに、あいつの実家は本当に田舎の方らしいからな。セントラルは人が多くてそれだけで疲れるらしいし。」

「………。そう、なんだ。」

 …知らなかった。

…知らなかったことがショックだった。

セントラルに来て。あまりにも生活が変わりすぎていて、ジャンさんの事が分からなくなってた。

今まで、疲れてるんならその理由は知ってた。

どんな風に仕事をしているかなんて、すぐ傍で見ていた。

どんなに会えなくても、1日に1回以上は顔を合わせてた。

昨日はグレイシアさんのところへ行っていたから、一度も会ってない。

夕食を作って置いてきたけど、『夜は早めに家に帰れ。物騒だから』と言うジャンさんの言葉を守って。少し帰りは待ってたけど、結局顔を見ないうちに自分の家に帰った。

さっきの、昼食は時間が合わなかったのか。食堂でも顔を合わせなかった。

「…ジャンさん。…今、どこにいますかね?」

「ああ…。あいつは今、巡回中だろう。」

「そ…ですか。」

 じゃあ、お茶も入れて上げられないんだ。

 

 給湯室で、皆の分のお茶を入れる準備をしながら溜め息をついた。

 会えないと分かったら。会いたくなっちゃったな。

 と…。

「あ。」

 フッと、煙草の香りがした。ジャンさんだ。

 意気込んで振り返ると。廊下の向こうから来るのは、やっぱりジャンさんで。

「ジャンさん!!!」

「お?チヒロ。」

 よお。と手を上げる。

「巡回終わったんですか?」

「おう。お茶入れてんのか?タイミング良かったな。」

 ニッと笑うジャンさん。

 身体に染み付いた煙草の香りは相変わらずだけど。前より薄いように感じるのは、きっと東方司令部よりここのほうが喫煙にはうるさいからだろう。

 じーっと見つめてしまっていた私に『ん?』と首を傾げる。

「え…と。煙草…。」

「ああ。今休憩室で吸いだめしてきた。」

「す、吸いだめ…ですか?かえって身体に悪いんじゃないですか?」

「仕方ねえよ。今度の指令室は俺らだけじゃないし…。」

 そう、ここの指令室はとっても広くて。たくさんの人が一緒に居るのだ。(私の科学の勉強の話や、錬金術の話が出来ないことの理由の一つがそれだ)

「………っと。」

 給湯室の中に私しか居ないのを確認すると、ジャンさんはすっと入ってきて扉を閉めてしまった。ガチャリと鍵まで掛ける。

「…?ジャンさん?」

「口直し。」

「は?…まだ、お茶入ってませんけど…。」

「紅茶じゃなくて、こっち。」

 くいっと顎を持ち上げられて、ジャンさんのキスが落ちてきた。

 びっくりして、硬直してると腕が背中に回ってきてぎゅっと抱き込まれる。

 驚いたけど、ジャンさんの腕の中はとっても暖かくて安心できる。

 グレイシアさんやエリシアちゃんといるのはとっても楽しいけれど。元気付けなきゃなんて気負いもあって、少し疲れる。

 司令部内だって、まだまだ知らない人ばっかりでほっとできる場所なんて限られるし。

 それに。

 会いたいと思ってて、会えないと諦めて……でも、会えたから。

 それがとっても嬉しくって。

 私の方からも、ジャンさんにぎゅっとしがみ付いた。

「……珍しく、チヒロが積極的。」

 少しだけ唇を浮かせて、ジャンさんがクスリと笑った。

「せ…せせせせ、積極的…って……。」

「気分が良いからもう一回。」

 もう一度唇が重なって、今度は舌も入ってきて…。

「んんっ。」

 驚いて身体は逃げたけど、がっしりした腕に抱き込まれているため、逃れられずに受け止める。

 ああ、けど。

 二人だけの時間なんて、どれ位振りだろう。

 改めてそう思ったら、すぐに思い出せないくらいに久し振りなのに気付いて……。

…又、ショックを受けた。

 

 

 

 

 

 

 

20060613UP
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セントラルでの生活パターンが安定してきたからこそ気付いた、すれ違い。
東方司令部に居た頃のように、自由に振舞えないもどかしさ。
お互いに相手の行動の90%以上を当たり前に把握していた今までとは、違う距離感。
(06、06、15)

 

 

 

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