扉の向こうの青い空 59

 スタートが1週間遅れたことだけが原因じゃないと思う。

 セントラルの人の多さには本当に閉口した。

 元が田舎者だから。イーストシティでもでかい街だと感心していたというのに。

「私も、人ごみは決して好きじゃないですけどね。」

 とチヒロは苦笑していた。

「けど、『シブヤノスクランブルコウサテン』に比べれば…。」

 と、呪文のような言葉を並べて、意外とあっさりこの街に慣れてしまった。

 ヒューズ准将の奥さん、グレイシアさんの存在も大きいと思う。

 イーストシティに居た頃は、毎日のように司令部へ通っていたチヒロだったけど。このセントラルでは1日おき程度。

 それ以外の日はグレイシアさんと、料理の勉強だの街へ出て買い物をしたりだのしてるらしい。

 それはグレイシアさんにとっても良い気分転換になっているらしく。『この頃明るくなった』と大佐もほっとした様子だ。

 とにかくそんなんで。スムーズにセントラルに馴染んでいくチヒロ。

 それに引き換え俺は…。

 仕事上、車の運転はするので。仕事で使用する道と場所だけはすぐに頭に入ったが、それ以外はさっぱりだ。

 セントラルへ来てから、以前にもまして仕事が慌ただしいせいもあっただろう。じっくり探索する余裕も無い。

 もっともチヒロは、そういう俺の分もと張り切って街に慣れようとしているようだったけど。それは尚更俺の焦りと孤独感を募らせる結果となってしまった。

 知らない世界に来て、慣れないチヒロを保護しているつもりだったのに。いつの間にかその立場が逆転しつつあるように感じたりした。

 勿論チヒロには知らないことも多くて、俺が教えてやれることも多かったけど…。

 前と同じように、よく夕食は作ってくれていた。

 グレイシアさんの指導の賜物か、どんどん美味くなっていったしレパートリーも増えていった。

 けど、隣に住んでいたときとは違い、俺の帰りが遅くなる日は温めるだけにして帰ってしまう。

 俺がそう言い置いていたのだから、それは良いのだけれど。

 隣で、半分同居しているようだった今までとは違い。大佐に報告もしていない状態で『泊まっていけ』とも言いづらかったし。

 そうやって、イーストシティに居た頃のベッタリといっていいほど一緒にいられたチヒロとの距離がほんの少し、離れた。

 それはチヒロが自立しつつあるということで、本当なら喜ぶべきことのはずなのに…。

 つい寂しいと思ってしまう自分がいる。

 

 仕事の面でだってそうだ。

 セントラルで『少尉』というのは、本当に下っ端だ。

 イーストシティでは、大佐や将軍が好きにやらせてくれていたから。本来の権限よりも自由にあれこれ出来ていたけれど。ここではそうは行かない。

 そうなるとやはり、『出世』ってのが頭に引っかかってくる訳で…。

 さすがに。そのために、なりふり構わず…とか、どんな手段を使っても…とか。そこまでしようとは思わないけど。

 やっぱり出来ることは出来るだけやっておくべきだろう…と考え方が少し変わったと思う。

 ………。…焦っていた…とは思いたくないけれど…。

 

 

 そんなあれこれが続いた日々。

 結構自分的には辛かったんだけど。

 昨日は良い事が在った。

 市街巡回に出たときに、女の人が柄の悪い男達に絡まれていた。

 ので、助けたら…これがすこぶる美人だったのだ。

 美人でボイン。そんな女性に、にっこり笑いかけられ、感謝され、良い気分で司令部へ帰ると、給湯室にチヒロが居た。

 久しぶりに二人っきりで。(って無理やり俺が密室にしたんだけど)

 キスしたら、チヒロもしがみ付いてきて。

 夕食こそ一緒にはとれなかったけど、又してもチヒロの手作りの料理を食べて。

 何かいいことばっかりの1日だったな。

 ニヤニヤとほくそ笑んで、今日も巡回に出ていると…。

 昨日のボインが、にっこり笑って俺を待っていた。

「軍人さんなんて、怖い人ばかりだと思っていたけど…。優しくて素敵な人もいるのね。…これ、昨日のお礼なの、受け取っていただけるかしら?」

 ケーキか何かが入っていると思われる白い箱を渡される。

「ああ、いや。仕事だから。」

 それから少し話をして、セントラルへ来たばかりだという話になった。

「人も多いし、街も複雑でしょう?よろしければ、私が案内しましょうか?」

「えっ!?本当ッスか?」

「ええ、勿論。…ご迷惑でなければ…。」

「いや、迷惑なんて。全然!!」

「ふふふ。じゃあ、また改めて。…ああ、私の名前はソラリス。」

「お、俺は。ジャンです。ジャン・ハボック。」

 スゲエ、こんな美人でボインが俺に声をかけてくるなんて。

 改めて会う約束をして…。

 その時俺は、こっそり街に詳しくなって、チヒロを驚かせてやろう何て思っていた。

 

 

『マリア・ロス少尉を 先月のマース・ヒューズ准将殺害事件の犯人と断定!!』

 な………。

 私は新聞と、大切に鏡台にしまっておいたものをぎゅっと握ると司令部へと走り出した。

 そのままの勢いで大佐の執務室の扉を開けた。

「チヒロ!?」

 室内には大佐とリザさんとブレダ少尉がいた。

「どうしたの?チヒロさん。」

「こ、これっ。この新聞っ。」

「……ああ。見たのか。」

「嘘です!!!こんなの!!!」

「?…チヒロ?」

「マリアさんが、ヒューズさんをなんて。嘘です!!!!!」

「チヒロ?マリア・ロス少尉を知っているのか?」

「はい。去年ヒューズさんのお宅で年越しをしたときに、駅に迎えに来てくれたのがマリアさんだったんです。」

「…そうか。」

「お二人で一緒のところも見ました。全然、険悪な感じはありませんでした。それにっ。」

「それに?」

「これ。会ったばっかりの私に、これをプレゼントしてくれたんです。」

 あの時、マリアさんにプレゼントしてもらった白いシニヨンを差し出す。

「これは…。」

「大佐も、センスが良いって褒めてくれましたよね!私にとっても似合うって!!」

「ああ。これをくれたのはロス少尉だったのか…。」

「絶対に絶対です!マリアさんがこんな事する訳ありません!!!!!」

 必死で叫ぶ私を、困ったように見た大佐は小さくリザさんとブレダ少尉と目配せをした。

そして、ゆっくりと私に言った。

「とにかく、チヒロ。落ち着きたまえ。」

「でも、大佐!」

「…チヒロ。これにはおかしな事がいくつかある。」

「…おかしなこと?」

「本来、軍人による軍人の殺害などと言うのは外聞の良いことじゃない。それをこんなに大々的に新聞で発表するのはおかしい。」

「…え…。」

「それに、ロス少尉の連行も大勢の人間のいる目につく場所で行われた。」

「………。」

「どういうことか、分かるか?」

「…え…と…。」

「彼女は、…あるいは嵌められたのかもしれん。」

「嵌められた?」

「そう。スケープゴートだ。…もしかしたら、私が色々と調べているのに気付いた何者かが私の目をそらせるために…。」

「そのために、マリアさんを?」

「その可能性もある…ということだ。」

「………。」

「今、彼女について色々と調べさせている。」

「助けて…上げてください。」

「…チヒロ。」

「絶対に犯人なんかじゃありません。…だから助けてあげてください。」

「ああ。出来るだけのことはしよう。」

「お願いします。」

 私は深々と頭を下げた。

 あの時、挨拶程度ではあったけど。

 マリアさんとグレイシアさんは会話を交わしている。

 大人の女性同士の、落ち着いた会話だった。

 マリアさんはエリシアちゃんにも笑顔を向けていた。

 そんなマリアさんが…ヒューズさんを殺したなんて!!!違う!!絶対に違う!!!

「それよりな。チヒロ。」

「はい?」

「家から、そのまま来たのか?」

「へ?」

 私は改めて、自分の服を見た。

「きゃ。」

 ラフな部屋着にエプロンを着けたままだった。

 東方司令部だったら、多少笑われても好意的に受け取られるであろう格好だけど。この中央司令部では…。

 ここに来る時は、スーツとまでは行かなくても。ブラウスと落ち着いたスカートとジャケットとか…割ときちっとした服を着るようにしていたのに。

「…ああ、ハボック少尉。」

 丁度部屋に入ってきたジャンさんに大佐が声をかける。

「チヒロを家へ送ってやれ。」

「はい?チヒロ?」

 ジャンさんが驚いてこっちを見た。

「ぷっ。」

「う〜、笑わないで下さい〜。」

 見れば、大佐もリザさんもブレダ少尉も笑っている。

 ああ、慌てて出てきたとはいえ、恥ずかしいよう。

 家まで送ってくれたジャンさんは、玄関のところで私のことをぎゅっとしてキスもして。

「あ〜あ、この後が隊の演習でなければベッドまで寄ってくんだけどなあ。」

 とすんごい大きな溜め息をつきながら司令部へ戻っていった。

 私は着替えてグレイシアさんの家へ行った。

 『犯人はマリアさんじゃありません』と伝えるために。

 

 

 

 

 

 

 

20060614UP
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何というか…、もっとハボのジリジリとした焦燥感を出したかったんですが…力不足でした。
そして、ソラリス姉さん登場です。
まあ、この人の場合。チヒロサイドから見ると、姿は見せずに存在だけ…と言う感じなので今後も出番はハボの頭の中だけと言うことになるでしょうか?
(06、06、20)

 

 

 

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