扉の向こうの青い空 60

「しばらく晩飯、要らないや。」

「え?」

 ジャンさんに言われた言葉に、思いのほかショックを受けた。

「仕事でさ、泊り込むことになりそうだから。」

「そう…なんですか…。」

「エエと、ブレダも出張中だし…。ファルマンは動けねえし。中尉もフュリーも…無理か…?

 あ〜〜〜仕方ねえな。何かあったら大佐に電話しろ。」

「………はい。」

 なんだろう、なんだか嫌な感じ。

 昨夜、マリアさんが逃亡した。

 …事になってるけど。大佐たちが逃がしたって言うのが真相らしい。

 詳しいことは話して貰えなかったけど、『ロス少尉のことはもう心配要らない』とだけ教えてもらった。

 司令部内では、大佐が燃やしてしまったとか噂になっているけれど。私の目を見て、真直ぐに言ってくれた大佐がそんな解決方法を取ったとは思えないから、何かカラクリがあるんだろうと思う。

 けど、なんだか心がザワザワする。

 よほど不安な顔をしていたのだろう、ジャンさんが困ったように頭をかいた。

「悪いな。話せない事が多くて。」

「えっ!?…あ、いえっ。」

 いけない。ここは司令部だった。

「頼ってばっかりじゃいけないのかも知れないけど。不安だったら、グレイシアさんのところへ泊まったりしてみれば?」

「そ、そうですね。」

 やっぱり時々不安定になるのだろう、私が帰ろうとするとエリシアちゃんが泣き出してしまうこともあったりするので。毎晩はご迷惑だろうけど、たまにはいいかも知れない。

「泊り込みってどれ位なんですか?」

「わかんねー。…けど、きっとそんなに長くは掛からないだろうと思う…。」

「分かりました。無理しないでくださいね。」

「ああ。」

「……あのっ。」

「ん?」

「今度、『フロレゾン』って言う美味しいケーキ屋さんに行きたいんですけどっ。」

「『フロレゾン』?…ああ、知ってる。美味いらしいな。」

「…知って…るんですか…?」

「ああ。この間差し入れで貰って…って言ってなかったっけ。」

「はい。」

「巡回の時に、絡まれてた女性を助けたんだよ。そしたら、次の日お礼にってそこのケーキをくれたんだ。…ああ、そうか。あの日チヒロは来てなかったんだっけ。お前に食わしてやろうと思ってたんだけど、目を離した隙に皆に食われちまってたんだった。」

「そうですか。」

「ちなみに俺も一口も食べてないから。…今度一緒に買いに行こうか。」

「はい。」

 『今度一緒に』…この言葉がこんなに嬉しい言葉だなんて始めて知った。

 まだ。そう思ってくれてるんだ。

 この間、資料課の人からこんなことを言われた。

『ハボック少尉が、凄く綺麗な女の人と歩いてたわよ。』

 『凄く綺麗な』と言う形容詞が付く時点で、それは私じゃないと分かる。

 リザさんかと思ったけれど、軍の人ならリザさんを知っていると思うし。

 思い返してみれば、私がグレイシアさんのお宅に行っている日に。ジャンさんが半休だった日があって。

 言ってくれれば、一緒に過ごしたのに。

『街の探索をしてた。』

 戻せない時間を悔やみつつも、夕食は一緒にとることが出来て。その時ジャンさんはそう言っていた。だったら尚更一緒に出かけたかったのに。

 心の中で、助けを求める。

 グレイシアさん。これって、ヤキモチを妬いてもいい場面ですか?ジャンさんを問い詰めてもいいの?私にはまだ、その権利がありますか?

 それとも、ジャンさんならいい加減なことはしないと信じて、話してくれるのを黙って待つべきですか?

 ………やっぱり…。やっぱり私は。比べられた時に切り捨てられる方なんですか?

 

 

 今夜はグレイシアさんのお宅にお泊まりの予定だった。家を出る前に一応確認の電話を入れた。すると、なんだか泣いているようだった。

 慌ててお宅へ行くと、泣きはらした赤い目をしたグレイシアさんが居た。

 そんなお母さんを心配して、エリシアちゃんも半べそをかいていた。

「ど、どうしたんですか?」

 このところ、とっても落ち着いてきたのに。

 『仕事でも始めようかしら、それとも習い事にしようかしら?』なんて笑っていたのに。

「昨日。エドワード君達が来たの。」

「エド達?」

 そういえば、セントラルに来ているって大佐が言っていた。

 ただ、彼らは彼らでバタバタしていたらしく会うことはなかったけど。

 そして、グレイシアさんから3人の様子やどんな話をして行ったかなどを聞いた。

「ホテルに泊まっているようよ。」

 そういうグレイシアさんに、ホテルの場所を聞き。私はそこへ向かって走っていた。

 ホテルに駆け込み、フロントで部屋番号を聞く。

 そのまま階段を駆け上がり、目当てのドアをドンドンと叩いた。

「エド!アル! いるんでしょ!?」

「チヒロ?」

 ドアを開けてくれたエド。

 部屋の中には、アルと見たことのない女の子がいた。幼馴染の子かしら?

「グレイシアさんに、会ったわね。」

「お…おう。」

 気まずげに視線を逸らしたエドに、ムカっとした。

 バチーン。

「!?チヒロ?」

 バチーン。

「チヒロさん!?」

 もう一発。バチーン。

「い…痛てえって。」

 都合3発エドのほっぺたに平手打ちをした私の手も痛かった。

 唖然とするエドに、私は詰め寄った。

「グレイシアさんを、泣かせたわね!」

「う。」

「この頃やっと笑えるようになってきたのに!習い事でも始めようかしらなんて言う様になってきたのに!」

「チヒロ…。」

「チヒロさん。」

「何で会ったりしたの!」

「…新聞記事を見た。…俺は…俺達はあの記事を見るまでヒューズ中佐が亡くなったことを知らなかったんだ。」

「………。」

「ロス少尉が犯人なんておかしい、あの人はそんな人じゃない。なのに、大佐は少尉を燃やしちまうし。」

「………。」

「訳が分からなかった。誰を、何を信じればいいのか分からなかった。…ただ、ヒューズ中佐の死が俺達と無関係とは思えなかった。だから、グレイシアさんには話しておかなきゃと思った。」

「それで、何か変わったの?あなたが楽になるだけじゃないの?」

「………っ。」

「あなたが、それを話せばヒューズさんは戻ってくるの?」

「………。そうは、思ってなかった。………罵ってくれれば良かったんだ。お前達のせいだって。」

「もう、バカ!」

「っ。」

「出来るわけないでしょ?本当に罵って欲しかったら。そういう顔をして行くものよ!」

「『そういう顔』?」

「俺達なんかに係わった、ヒューズさんが悪いんだ。俺達はこれっぽっちも悪くないって。おせっかいなヒューズさんが悪いんだって、ふんぞり返って行きなさいよ。そうすれば、グレイシアさんだって、あなた達のことを心置きなく罵れたわよ。」

「………。」

「あなた達みたいな子供が、申し訳ありません。ごめんなさい。って、後悔しまくった顔して行ったって、罵れるわけないでしょ?」

「………。」

「本心では罵りたくったって、…出来るわけ…ないでしょ?」

「………。」

「笑いたくなんかなくったって、無理して笑って『いいのよ』って言うしかないでしょ?」

「………。」

「………。」

「………ごめん。」

「………。…ううん。叩いちゃったから…おあいこ。」

「……ハハ、痛てえよ。…何で、俺ばっか。」

「…だって。アルは叩いたら私が痛いし。女の子は叩けないし。…だから3人分。」

「げ、なんだよ。それ。」

 フッと、目を合わせて。笑い合ったとき、部屋のドアがまたしてもノックされた。

「へいへい。どちら様…?」

 エドが出ると、ドゴンと物凄い音がして、エドが廊下へ吹っ飛んだ。

「いきなり何すんだよ、少佐!」

 少佐?アームストロング少佐?

「むう!!いかん!!機械鎧が壊れてしまったな!これはいかん!!うむ!由々しき事態である!!すぐに直さねばならん!どれ、我輩がリゼンブールまで送ってしんぜよう!」

「はあ?…わざわざ帰らなくったって、ウィンリィがいるし…。」

「なあに、遠慮する事は無い!」

「何?リゼンブールへ帰るの?」

 アルや女の子。多分、ウィンリィちゃんと一緒に廊下を覗いた。

「おう、アル。聞いてくれよ…。」

「おお、アルフォンス・エルリック!おぬしは目立つから中央にいるように!」

「え?」

「ようし、すぐに汽車の手配だ!行くぞ。エドワード・エルリック!」

 わはははは、と。豪快に笑う少佐に引き摺られてエドはリゼンブールへ連れて行かれてしまった。

「えーと…?」

「エドー?」

 唖然とする私たちの後ろから。

「おでかケ?」

 と。妙なイントネーションの声が掛けられた。

 

 

 

 

 

 

20060615UP
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初体験…。何が?勿論。チヒロが怒りに任せて他人をひっぱたいたことが…です。
初体験の相手はエドでした。
実は、原作読んだときに私がこの3人に腹が立ったので…。変わりにチヒロに怒ってもらいました。
理由は書いてある通り。
で。チヒロにとってグレイシアの苦しみ…というか辛さって他人事じゃなくて。内心『明日は我が身』と思ってるので。
半分感情を共有しているようなつもりになっているので。一言文句を言わずにはいられなかったという感じ。
ただ、エドも『罵られたい』ってのは、そうされれば少しは自分も楽になるんじゃないかと思っていたと思うのね。
案外チヒロに怒られて、少しは気持ちが楽になったんじゃないでしょうか?
(06、06、22)

 

 

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