扉の向こうの青い空 63

 俺が退役するつもりであることを告げると、大佐はかなり無理をしつつもとっとと退院していった。

 突然に一人部屋となったこの部屋。

 護衛に楽だからと一緒に押し込められた部屋なせいか、一人になってもそのまま使わせてもらっている。

 何というか…、一人ってのはなんとも退屈で時間をもてあます。

 1日ってのはこんなに長かったかなあと、ぼんやり思ったりする。

 暇だと考えなくてもいい事ばかり考えてしまうし。こんな状況だから、どうしても暗い方へと思考は沈みがちだ。

 昨日。

 チヒロは朝からこの病室に来てくれた。

 何しろ、退屈してた訳だし。ゆっくりと二人で過ごせるのは久し振りだし。

 正直言って嬉しかった。

 気まずい気分はあるものの、ちゃんと謝るべきところは謝って(勿論、許してくれるまで何度でも頭を下げるつもりだったし)。

 甘えているのは重々承知だが、にっこりと笑ったチヒロが傍に居てくれれば。それだけで少しは気分も晴れるだろうと思っていた。

 このところ滞りがちだったチヒロの勉強を手伝えれば、チヒロにとってもいいだろうと思ったし。……だが…。

 服装こそいつもの雰囲気に戻ってはいたが。

顔は…。険しい表情……というよりもむしろ無表情で。

 室内の空気は1日中凍り付いていた。

 チヒロは一言も喋らない。

 こちらを見ようともしない。

 一応、俺から話しかければ、事務的な口調で返事は返ってくる。

 食事の介助などもしてくれる。

 けれど、それ以外の時間はこちらに背を向けて、部屋に備え付けてある小さな机に辞書とノートを広げて1日中勉強をしていた。

 そんな時間。チヒロ自身だって楽しくないだろうにと思うのだけれど。朝から夕方すぎまで1日中きっちりとここに留まっていた。

 ……そして、今日。

「おはようございます。」

 抑揚のない声でそう挨拶してきたチヒロは、再び俺に背を向けて机に向かっている。

 また、今日もあの気まずい時間が続くのだろうか?

 内心溜め息を付く。

 やっぱりこれは怒っているというアピールなんだろうか?

 けどこれじゃあ、謝ることも出来ないじゃないか。

「…チヒロ…。」

 恐る恐る呼びかけてみるが。

「何ですか。」

 こちらを見もせずに…というか、ノートから目も上げずに答える。

「あの…さ…。」

「………。……はい。」

 相変わらず、背を向けたままだ。

 とにかく、こちらを向かせないと…。

 無い頭を必死に回転させる。

「…うっ……。……ってててて。」

「?」

 チヒロが振り返った気配。

「い…っつ…。」

 傷口を押さえてうめいた。

「ジャンさん!?」

 ガタリと椅子が鳴り、立ち上がったのが分かる。

「いっててて……うう…。」

「大丈夫ですか?痛むんですか?」

 先生呼びますか?と駆け寄ってきたところをぎゅっと掴んで抱き寄せる。

「ジャンさん?」

「あ〜〜、やっと捕まえた。」

「嘘!?」

「だってこうでもしなくちゃ、チヒロはこっち見てくれなかっただろ?」

「……っ、離して下さい。」

「やだ。」

 まだそれほど力は鈍ってないらしい。身をよじるチヒロを逃さぬようにぎっちりと抱きしめた。

 

 

『セントラルの街を案内してあげるわ。』

 その言葉を、そのまま受け取った俺。親切な人だと感謝さえした。

 その人は物腰も上品で父親のことを『お父様』とか言っていたから、どこかいいところのお嬢様なんだろうと思っていた。

 だから、連絡先を教えてもらえないのも家がうるさいからだろうと勝手に自分の中で納得して。

 俺みたいな田舎者で軍人なんていう知り合いが初めてで珍しいんだろう。どうせ、すぐに飽きられて連絡が来なくなるんだろうなと内心は思っていた。

 ただ凄い美人だったし、胸もでかかったし、目の保養であったことは否定しない。

 そういう女性を連れて、セントラルの街を歩けるというステイタスを楽しんでいたという部分も多かったと思う。

 大体普段モテたことがないから。親しく誘ってくれる美人を断ったらもったいない…なんて思いもあった。

 『デート』とか言っても。例えばブレダとかと男二人で出かけたときに、ふざけて『男同士でデートだ』とか言うのと同じ感覚で使っていた。

 珍しくモテたことで、ファルマンあたりに『新しく彼女が出来た』なんて言ったのは浮かれ過ぎだったかもしれないけれど。

 チヒロとの事を誰にもいえなかったのが、結構辛かった反動って言うのもあったと思う。

 また、いつか。イーストシティにいた頃のように。

 チヒロと『上手いレストランを見つけたぞ』とか『安い雑貨店があった』なんて話が出来たらいいと思っていた。

 …本当にそれだけだった。

 それが、ホムンクルスだった。

 何度殺しても生き返る醜悪さにゾッとしながらも。成る程連絡先を教えてくれなかった訳だと妙に納得したりして。

 向こうが『付き合ってる』とかいったので、マズイなあと思った。チヒロにもそう伝わるだろうか?

 浮気してたと思うかな?怒られるかな?

 いや、泣きそうだよな。 それも、一人で。

 今、誰も傍に付いていてやれないし…。

 そうしたら案の定。病院を訪れたチヒロは普段の様子とは明らかに違い、精神的にもとても疲れているように見えた。

 昨日、今日の態度だって普段からは考えられない。

 

 

「殴っていいぜ。」

 俺がそう言うと、腕の中のチヒロの動きがピタリと止まった。

「街を案内してもらっていたんだ。別に付き合ってたとかじゃない。けど、不安にさせたよな。」

 それから俺は、どう考えて彼女と会っていたのか…とか。セントラルに来てから、チヒロと少し距離の開いた生活が結構不安だったとか。

 自分に自信が持てなかったために、大佐にきちんと報告が出来ずに。そのために秘密の付き合いになってしまっていたこととか。

 それから、少しでも自信を持てるように仕事を頑張ろうと思っていたこととか…。

 とにかく思いつくままに、自分が何をどう考えていたのかを洗いざらい話した。

「………。」

 その間中、チヒロは視線を合わさずにうつむいて黙っていた。

「許せない。…と思っても仕方が無いと思う。」

「………。」

「心配もかけちまったし。」

「………。」

「知らせてない事もあったから、不安だったろ?」

「………。」

 何の反応も返ってこなかったけど、俺の言っている事をちゃんと聞いている気配はあった。

「チヒロ…。」

「………。」

「ごめん。」

「………。」

「あんまりにも情けなくって。俺のこと、嫌いになったか?」

「………。」

 言葉を尽くして、色々といっては見たが。相変わらず無言のチヒロ。

 かたくなに口を利かない。その様子はとにかく辛そうで。

「チヒロ?」

「………。」

「チヒロ。」

「………。」

「何か、言えよ。」

「………。」

「言いたい事、言っちまえ。」

「………。」

「ちゃんと聞くから。」

「………。」

「どんな言葉でも、ちゃんと全部聞くから。」

「………。」

「言って、良いんだぞ。」

「………っ。」

 ぽろぽろとチヒロの目から涙が零れはじめ、顔を両手で覆って激しくしゃくり上げる。

 その肩をぎゅっと抱きしめなおすと。

「……っ。」

「うん?」

「私……を…。」

「うん。」

「誰…か……と。」

「………。」

「比べ……ないでっ。」

「!?」

「私は……私……なの。」

「チヒロ?」

「美人じゃ……ないし……頭も…良く……ないし。…何、やっても……上手く…出来ないし……。何の…役にも……立てて……無い、…っけど…。」

「お前、何言って…?」

「でも! 私はっ…私…なのっ!」

 まるでそれが。彼女の魂の叫びであるかのように。

しゃくり上げながら、チヒロはそう叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

20060616UP
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大昔に、『超人ロック』を映画でやって(知ってる人居ます?)その主題歌の歌詞に。
『心の位置をずらして聞いた。夢が壊れる苦い響きを…。』というのがあったんですが…。
今のチヒロは『心の位置をずらしてる』というか『心と身体の回線を切ってる』というか。そんな感じ。
(06、06、29)

 

 

 

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