扉の向こうの青い空 64

「美人じゃ……ないし……頭も…良く……ないし。…何、やっても……上手く…出来ないし……。何の…役にも……立てて……無い、…っけど…。」

「お前、何言って…?」

「でも! 私はっ…私…なのっ!」

「分かってるよ。そんなの。」

「全然……ダメでも…。毎日…頑張って………。」

「知ってる。」

「おね……がいだ…からっ……私を……誰かと…比べないで。」

「………。」

 チヒロが何を言いたいのか、分からなくなる。

 比べるって誰とだよ?

 あのホムンクルスの女とか?

 それとも他の誰か?

 けど『比べるな』って事は、比べられたら勝てないから…だよなあ?

 『私は私』と言いながら、『比べないで』?

 そう考えて、思い出したのが。『非の打ち所の無い姉』だった。

 まだ、引き摺っているんだろうか?姉へのコンプレックスを?

 この世界でチヒロ以外の誰一人、知ることの無いその人を?

 ……例えば。俺は大佐に適わないところはたくさんあるけれど。それでも『俺は俺』と思えるのは。まあ、俺のほうが勝ってると思うこともあるからだ。

 銃の腕とか、性格の良さ(?)だとか。そして、それなりに自分って人間を好きだし、認めている。だから、大佐は大佐。俺は俺。と思えるのだ。

 チヒロはそうじゃない?

 自分を好きじゃない?認めてやれない?

 ああもう。何でだよ?

 この世界で。

チヒロと出会って親しく接する機会のあった人間は、皆チヒロのことが好きなのに。

 腕の中のチヒロを抱きしめなおす。

「いつだって比べてるよ。」

 ビクンとチヒロの体が震えた。

「いつだって比べてる。そして、チヒロが一番だって嬉しくなる。」

「!?」

 驚いてあげた顔。泣きはらした目は真っ赤だった。

「一番だよ。チヒロが。」

 その目を見て言った。

「一番大切で、一番傍に居たくて。一番好きだ。」

「………。」

 言葉も無く。唖然、といった様子で俺を見返すチヒロ。

 その、瞼に頬に唇に。何度も何度も口付けた。

 腕の中のチヒロは再び涙をこぼし始めたけれど、それは先ほどまでの辛い涙とは違うようだった。

 何かは分からない。けれど、確実に何かがチヒロの中で変わったようだった。

 

 

 ひとしきり泣いて、まだ時々しゃくり上げるものの。随分と落ち着いた様子となる。

「……でも…。」

 少しかすれる声で、チヒロが口を開いた。

「何だ?」

「…でも、…ジャンさんは私たちを見捨てるんでしょう?」

「!?」

 見捨てる?

「俺が?」

「そう。」

「俺を…じゃ無くて?」

「ううん、違う。ジャンさんが、私たちを。」

「………。」

 俺が退役することを言っているのだとは思うけど…。

 俺が、見捨てる?チヒロたちを?

「俺が?」

「そう、ジャンさんが。」

「チヒロたちを?」

「そう。私や大佐を。」

「………。」

「見捨てるんでしょう?」

「見捨ててなんかっ…。」

「でも、軍を辞めて田舎へ帰っちゃうんでしょう?」

「淋しいか?」

「そりゃあ…。」

「一緒に来るか?」

「………。行きません。」

「………だよなあ。………。 ………っ!!」

 一瞬背筋に戦慄が走る。

 …何で、チヒロは1日中ここに居る?

 昨日も今日も。見舞いなら適当に居て帰ればいいのに。気まずい思いにも耐えて、丸1日ここに居たのはなぜだ?

 朝。ドアの外にちらりと見えたのは憲兵。憲兵の護衛付きでここまで来ているのか?

 外で、何が起こっている?

「…チヒロ。…何があった?」

「………。」

「教えてくれっ。」

「スカーが、セントラルに現れたの。」

「!?スカーが? …皆、大丈夫…なんだよな。」

「何人か殺された人は居るって。ただ、今のところエドや大佐たちは大丈夫。…なんだけど…。」

「何だ?」

「良く、分からないけど…スカーを餌に…何とか…って。エドは街中でおおっぴらに錬金術使ってるし。」

 まさか、ホムンクルスを釣る?

「私、この間スカーに顔を見られてるから。国家錬金術師じゃないけど、顔を合わせたら危ないかもって。」

 下手に街中に居られないって事か。

「だからって、俺んとこ来たって…。」

「大佐が。まさか、病院にはこないだろうし…って。」

「…まあな。」

「それに。スカーに限らず、何かが襲ってきたとしても。ハボックならどうにかするだろう…って。」

「え?」

「あいつなら、足が動かない位どうってこと無い。援軍が来るまでの間くらい私を守ってくれるからって。」

「………。」 

 『どうってこと無い』…だって?

 枕の下や毛布の下に隠してある何丁もの愛用の銃を思い浮かべる。

 大佐には内緒で調達したのに、バレてたのか…。

 あの人に適わないと思うのはこんなところだ。

「あ、後これ。」

「うん?」

 チヒロはバッグから何かを出してきた。

「ブレダ少尉から。」

「これ…ハンドグリップ…。」

「遊び相手が退院して、退屈してるだろうからって。」

「……はあ。誰も足が麻痺したからって、休ませちゃくれねーのな。」

 溜め息をつきつつ言った言葉。けれど、顔は笑っていたと思う。

 そんな俺を見て、チヒロもやっとほっとしたように穏やかな表情に戻った。

「やっぱり軍は辞めちゃうんですか?」

「…ああ。このまましがみ付いてても、何にも出来ないだろ。まずはこの足をどうにかしねーと。」

「どんな方法があるんでしょうね。今度、先生と相談してみましょうね。」

 それって、

「チヒロこそ。」

「はい?」

「俺のこと、見捨てたりしない?」

「ふふふ。当たり前じゃないですか。」

 にっこりと笑う。不安やわだかまりは取れたのだろうか?だったら、良かった。

 軍は辞めるけど、田舎へ帰るのは無しだ。

 こんなに可愛いチヒロをセントラルに一人で置いておいたら、どんな悪い虫が付くか分からない。

 ずっと、一緒だから。

 そんな気持ちを込めて、抱き寄せると。チヒロも俺の背中に腕を回してきて…。

二度と気持ちが離れないように、二人してぎゅっと抱き締め合った。

 

 

 

 

 ほっとして、普段のつもりで煙草に手を伸ばす。

「1日1本ですよ?それ、吸ったら終わりですよ?」

 チヒロが確認するように言った。

「え?許してくれたんじゃねエの?」

「それとこれとは別です。」

「べ…つ?」

「病院に居る間は1日1本。私、この間そう言いましたよね?」

「え…そうだっけ?」

「そうです。言ってなかったとしても、そういう意味で言ったんです。」

「えー、勘弁。」

「ダメです。」

「うー。まけて。」

「まかりません。」

「うー。」

「火、つけるんですね。今日の分は終わりですからね。」

「あー、もう。チヒロ、愛してるから。好きなだけ吸わせてくれ。」

「ありがとうございます。でも、ダメです。1本。」

「せめて5本。」

「1本。」

「じ…じゃあ、3本。」

「…ジャンさん。」

 お。脈ありか?

「1日1本。病院に居る間は守ってくださいね。」

 にーっこりと綺麗に笑う。

「え〜〜〜〜。」

「…あんまり文句を言うと、その1本も無しにしますよ!」

 母親か姉のように言われて。

「はい。すみませんでした。」

 やっぱりもうしばらく立場の弱い俺は、小さくなって頷くしかなかった。

 ちっくしょう。

 とっとと退院してやる!そして、煙草を思いっきり吸ってやるんだ!!

 

 

 

 

 

 

 

20060617UP
END
第3章:完

 

 

以上を持ちまして、『扉の向こうの青い空』本編完となります。
今まで、皆さまありがとうございました。
第3章を終えてのつれづれがありますので、読んでやろうという方は
こちらへ。

え〜と。
なんだか、64話書いてきてやっとこさチヒロがタフなハガレンキャラの仲間入りをしたような気がします。
ハボに1番だと認めてもらったからでしょうか?
以前大佐に『うちのチヒロが一番だな』などといわれたのは、彼女の中ではもう身内の身びいきにカウントされています。
だから、認めてもらいたい人に認めてもらえたのは今回が初めて。
そんなこんなで、自信をつけたチヒロはきっとハボより強くなる?

 

 

 

前 へ  目 次