Angel's Wing 5
大佐の家の書斎で文献を読んでいると、コーヒーの良い香りがしてきた。
「飲む?」
ジュディが部屋に入ってきた。
「ああ、サンキュ。……今、何時?」
「もう、遅いよ。」
教えられた時間はそろそろ日付が変わろうとしている頃だった。
カップの半分位、コーヒーを飲んで。又、本へと戻る。
暫くして、ジュディが再び部屋へと入ってきたのが気配で感じられた。けれどそれはとても静かで、俺の意識を呼び戻すようなことは無かった。
区切りの良いところまで読んで、ふうーっと溜め息を付いた。
すっと意識が現実に戻ってくる。
「…♪……n〜…♪……。」
小さくメロディが聞こえる。
「!?」
隣を見るとジュディが座っていて、大きな楽譜に何か書き込みつつ…ポツポツと呟くように歌っているのだった。
「ジュディ?」
「んー?」
「何…してんだ?」
「あ…はは、…仕事?」
何故、疑問形?
「思い浮かんだ時に書き留めておかないと、忘れちゃうのよね。」
「ふーん?…曲とか書いてんだ?」
「うん。メロディーと詩と両方。…曲によってはどっちか片方のこともあるけど…。」
「へー。…あれ?」
何か暖かいと思ったら、俺の肩にブランケットがかけてあった。見るとジュディも自分の肩に掛けていて。…そうか、もう秋だもんな。夜は随分と冷え込むようになってきた。
「サンキュ。これ。」
「ううん。」
にっこりと笑う。
「なあ、ジュディ。」
「ん?」
まだ小さく口ずさんでいて、邪魔かなあと思ったけど話しかけたらあっさりとこちらを向いた。
「アルのことなんだけど…。」
「うん。」
「アルをどう思う?『可愛い』の他に。」
「うーん?他に?えーとねえ。…『風』かな?…『草原』。うん。『草原に吹く風』。小さな花とか咲いてて、さわやかな風が吹いてて…。」
「………。」
それって、リゼンブールなんじゃ…。アルの姿からその光景が見えたとでも言うつもりなのか?
「お前、リゼンブールを知ってるのか?」
「『リゼンブール』?」
首を傾げる。…大佐の気持ちが少しだけ分かった。ほんの少し背筋がぞっとする。
「俺たちの故郷だ。」
「そう。」
「…じゃあさ。アルの身体については、どう思う?」
「………空っぽだわ。」
今度は実に単純明快な言葉が返ってくる。
「珍しく分かりやすいな。」
「私には、訳が分からないけど…。」
「…の割には、何も言わなかったじゃないか。」
「だってエド、『そのうち』って言ったじゃない。」
「…言ったか?」
「言ったわよ。初めて会ったときに。」
「…ああ、そっか。言ったな。…まさかそれで今まで黙ってたのか?」
「あら、誰にだって色々と事情はあるものでしょう?
『そのうち』ってことは、エドが『こいつになら話しても良いな』って思ったときには話してくれるんだろうって思ってたもの。私から催促するわけには行かないでしょう?…話をするかしないかを決めるのは私じゃなくてエドなんだから。」
「…それで、今まで黙ってた?」
「うん。」
何かすげえぞ、こいつ。突き放すのでもない、ずかずか入り込んでくるのでもない。人との距離のとり方が絶妙だ。
「…長くなるかもしれないけど、聞いてくれるか?」
「うん。」
そして俺は、母さんが死んだことから始まって。どう考え、どう行動して、どんな罪を犯したのか。そして、今。何を目的として旅をしているのかを話した。
途中、ジュディは小さく相槌を打ったり、補足的な質問を幾つかしたが、静かに話を聞いてくれていた。
全て話し終えて。
「そっか…。」
そう言って少し黙って。ジュディは小さく溜め息を付いた。
「本には書いてあったけど、人体練成って本当にやっちゃいけないのね。」
「ああ。…やりたいと思ったことはあるのか?」
「無いわ。」
即答。
「そこまでして、生き返って欲しいと思う人も居ないし。…兄さんが死んだら分からないけど…。」
「そっか…。」
「あ〜あ、残念。」
「?何が?」
「その場に私が居てあげられなくて。」
「?」
「居れば多分分かったと思うもの。…何が出来上がるのか…。」
「………。」
「じゃあ、今は。元の身体に戻るために手がかりを探す旅をしているわけね。」
「ああ。」
「戻れる?」
「分かんねー。けど、やらないではいられないし。俺はどうなってもアルだけは戻してやりたいし。」
「エドっ!!」
「な、何だよ?」
人体練成の話も冷静に聞いていたジュディが声を荒げたのに驚いた。
「それは、駄目。」
「?」
「『俺はどうなっても』は駄目。」
「でも、俺のせいなんだぜ。」
「それは違うわ。あなたのやったことに巻き込まれたわけじゃないのよ。何年も二人で一緒に勉強したんでしょう?二人で準備をしたんでしょう?二人とも悪かったのよ。
アルだって人体練成はいけない事を知っていた。なのにやった。アルは確かに被害者かもしれないけど、加害者でもあるの。」
「でも。」
「でもじゃないわ。確かにあなたが誘ったのかも知れないわ。けど、アルにはそれを断わる権利も止める義務もあったの。なのに、それをしなかった。」
「じゃあ。…もしも、俺をアルが同罪だって言うんなら!何で、俺は足1本で済んで、あいつは身体全部を持って行かれちまうんだよ!」
「そんなこと。…私に分かるわけないじゃない。私が決めたんじゃないもの。」
「…っ。」
冷静に言われて言葉につまる。
「けどね。エド。」
ジュディの声が優しくなった。
「私には、二人とも同じだけ罰を受けているように見えるわ。」
「え?」
「アルは身体を持って行かれて、エドは心を縛られちゃったのね。
毎日アルを見ているの、辛いでしょう?アルがあの身体で不自由な思いをしているのを見てるのが。辛いけど辛いって言えなくて、笑って元気にしてるしかなくて。
ちょっと弱気になっちゃっても『もう、止めたい』って思っても、絶対アルには愚痴れないし。」
「…ジュディ。」
「辛いけど、アルはもっと辛いんだって自分で自分を縛ってる。だから、『俺はどうなっても』なんて思っちゃう。
でもね。エド。アルが元の身体に戻った時にはあなたがちゃんと傍に居なきゃ。」
「………。」
「あなたが自分自身を犠牲にして取り戻した身体なんて、アルは嬉しくないと思うし。ましてや、あなたを取り戻すために、又、人体練成しようとしたらどうする?」
「…それは、困る。」
ほんの少し沸いた怒りの感情がすっとどこかへ消えていった。
「…守られるだけって、結構辛いのよ。」
「?」
「ほら、ウチにも『兄』が居るから。」
「ああ。」
「年が離れてるから余計にね。」
「けど、今は別々に暮らしてるんだろう?大分心配はしてるみたいだけど。」
「…うん。…じゃあ、今度は私の話を聞いてもらおうかな。」
「?ああ。」
「私の実家ってね、結構お金持ちだったらしいの。」
あんまり良くは知らないんだけど…。とジュディは笑った。
「兄さんの母親って人が病弱な人で、病気で亡くなったんですって。…で、その後後妻に入ったのが私の母親なの。」
つまり、異母兄妹というわけか。
「私の母親は、財産込みで父親が好きだったらしいのね。」
「…込み?」
「そう。自分や今後生まれる自分の子供に財産が流れてくるようにしようとしたら、邪魔なものがあるでしょう?」
「…大佐だ。」
「うん。表立ってあれこれはなかったみたい。兄さんはあの通りソツのない人で、けちのつけようのない跡取りだったし。父親のほうも後継者として扱ってたらしいし。けど、居心地は悪かったみたいで、早々に全寮制の学校へ行ってしまったの。…そこで錬金術に目覚めたんだけど。
…で、私が生まれたの。けど、女の子でしょう?もう、どうでも良くなっちゃったみたいなのね。」
「どうでも?って?」
「子供なんて。…って言うか、私なんて…かな。育児放棄って言うの?一応お金持ちの家だから、乳母みたいな人が居てね。私の面倒を見てくれてたんだけど、余り丁寧に見ると怒られたらしくて…。」
「………。」
「私より2歳か3歳下に弟が出来てからは、本当にどうでも良かったみたい。…私ね、5歳の頃まで片言しか言葉を喋れなかったのよ。」
「…んな!?」
「教えてくれる人、居ないし。兄さんが学校が休みで家に居る時は教えてくれてたけど、次の休みの時まで覚えていられないのね。話す相手が居ないから…。」
「………。」
「その両親が死んだの、弟も一緒にね。私が5歳で兄さんが18歳の時。…車の事故だったらしいんだけど…。どうも叔父夫婦がやったらしいのね。」
「『やった』?」
「車に細工して。…兄さんに聞いただけだから詳しくは知らないけど。叔父夫婦は会社や土地の権利書を全部持って行っちゃったらしいわ。」
「大佐は何をしてたんだよ。」
「セントラルで大学生。元々家にはほとんど居ない人だったし、父親の後を継ぐ気も無かったみたいだしね。…だから、まあ。会社のほうはどうでも良かったの。ただ問題は当座の学費と生活費。」
一気に話が身近になる。
「私ね、本当に物を知らない子供だったと思う。…でも、その時。両親が死んで家も他人のものになったって聞いて、さすがに『ああ、私は施設に預けられるんだわ』って思ったわ。」
「…ジュディ…。」
「お葬式とかが一通り終わった時。兄さんが私に言ったの。『一緒に暮らそうか』って。…私…嬉しくて、嬉しくて……何も考えずに…『うん』って………言って…しまったの…。」
「…良かったんじゃねーの?」
「…私にとってはね。でもね。兄さん、その時大学1年生で学生寮に入ってたのよ。
妹は一緒に住めないから、他に住むところを探さなきゃいけないし。今度は私の生活費や学費もかかってくるし…。……兄さん、どうしたと思う?」
「その叔父さんってのを締め上げて金を出させた。」
「あはっ。半分当たり。ある程度のまとまったお金は引き出したみたい。部屋借りるのにも引っ越すのにもお金はかかるしね。…勿論食費もかかるし。…結構な金額だったらしいんだけど、未成年の収入の無い兄妹が不自由なく暮らせていけるほど、…全てをまかなえるほどの金額じゃなかったの。」
「…じゃあ?」
「兄さん。…仕官学部へ編入したの。」
「?」
「元々、経済学部に居たのよ。父親の後を継ぐと見せかけるために。」
「見せかける?」
「そ。で、大学では錬金術の勉強をしてたみたい。」
「あ…なーる。」
「多分。兄さんの本当の希望としては、錬金術の本を好きなだけ読んで研究して。そんなんで、一生を終わりたかったんじゃないかなぁ。」
「じゃ、何で軍人なんて。」
「…仕官学部ってね。奨学金も使えるし、成績優秀なら報奨金も出るし、卒業して軍に入れば奨学金を返さなくて良いのよ。」
「…そういうことか!」
「そ。セントラルの中央大学。知ってる?」
「一流大学じゃん。」
「あそこって、一般の学部と仕官学部の間で結構自由に編入できるのよ。兄さん、あそこに在籍してたから。大学を変わると手続きが大変だけど、学部が変わるだけなら…ね。」
「なる程。」
「で、卒業して普通に軍に入って、何年かいてほとぼり冷めたころに止めようと考えてたんだと思うんだけど…。」
「…そうはならなかったな。」
「うん。大学に居る間に錬金術を勉強してたでしょ。元々火とは相性が良かったらしくて、酸素濃度の変化で炎の色が変わるんだって言って。私のバースディケーキの上の蝋燭が全部違う色で燃えるの。凄く綺麗な7色の炎見せてくれたっけ。」
「そういうのって、コントロール難しいんだぜ。」
大技の方が力の限りやりゃあいいから、雑な練成でも出来る。
「そのうち発火布の研究とか初めて…。」
「ジュディのプレゼントがヒントだったって。」
「うん。いちいち練成陣かくのが面倒だからって言ってたけど…。」
「あー、言いそうだなあ。」
「ふふふ。……その頃、兄さんを担当してた教授がね。点数稼ぎのために兄さんを売ったの。」
「!?」
「兄さんは軍に入ることは決めてたけど、国家錬金術師になる気は無かったのよ。3年だか5年だったか…奨学金を返さなくてもいい期間を過ぎたら辞めるつもりだったんだもの。でも、その教授が軍に報告しちゃったの。こんな人材が居ます。って。
成績は良かったし、実技…射撃とかの成績も良かったし。その上錬金術まで使えるって言うんで大総統まで出てきちゃって、断わるに断われなくなって資格まで取ることになっちゃって。それでも兄さんはいつかは辞めようと思っていたと思うわ。…そこへ…。」
「…イシュバールの内戦。」
「……そう。兄さんは一気に注目を浴びてしまって辞めるに辞められなくなった。…『大総統になる』なんて言い出したのは帰ってきてからだった。」
「………。」
「…あの時、私が兄さんと一緒に暮らすなんていわなかったら…。」
「…ジュディ?」
「そうしたら。少しくらい大変でも、自分でバイトして自分の分だけ何とかして…。少なくとも軍には入らなくても良くて…イシュバールで辛い思いなんてしなくて済んだのに…。」
「………。」
「戻ってきて、兄さん毎晩うなされてた。私、毎晩兄さんを起しに言ったわ。一生懸命、背中なぜて。…何時もびっくりするくらい汗をかいて、身体が冷たくなってて…」
「………。」
「どう見たって大丈夫なんかじゃないのに。いっつも『大丈夫だよ』って『心配するな』って言うの。酷いわよね。そんな事言われたら、もう心配も出来ないじゃない。
兄さんが苦しんでるのなんか気が付かない振りして『兄さんが守ってくれるから幸せです』って顔して笑ってるしかないの。」
「ジュディ。」
「私、何度『ゴメンね』って『私のせいで辛い思いさせてゴメンね』って言いそうになったか分からないわ。でも、私が罪悪感を抱いてるって知ったら、兄さんはきっと私の前で弱いところを見せられなくなってしまうって思ったから必死に我慢したの。でも本当は、今でも『ゴメン』って謝りたい。」
「…大佐は…今こうなるって分かってても、やっぱりジュディに『一緒に暮らそう』って言ったと思う。」
「…そうかしら…。」
「そうさ。大体あいつのことだ、ジュディのせいだなんて思ってないよ。これっぽっちもな。『兄』の俺が言うんだから間違いない。 …だから、泣くなよ。」
そっと身体を寄せて、肩に腕を回して引き寄せた。二人の間にあったほんの少しの隙間が埋まる。
俺や俺たち兄弟を思っての涙は苦手だ。何で俺のために他人が泣く?それで俺の何が変わるんだ?と思っていた。けれど、親切で…と言うか優しさから来る涙だと思うから面と向かって文句も言えず…。
けど兄を思って、自分を後悔してその上で兄に対して怒りながら泣くジュディの涙を見て。何かを変えようと思って泣いてるんじゃないんだって始めて分かった。何も変わらないことがたまらなく辛くて泣いているんだ。
「エドもちょっとは泣いたら良いのに。」
「は?」
「良い男は簡単に涙を見せるものじゃあないけどね。ストレス解消には良いんだよ。」
「ストレス?解消?…泣くってそんなもんなのか?」
「そうよ。」
そう言ってうっすらと笑いながらもジュディの目からはぽろぽろと涙が零れていた。
「そういや、大佐の奴さ。」
「うん?」
「大総統になったら軍の女性の制服をミニスカートにするんだって言ってたぜ。」
「えっ…?」
ぱちりと目を見開いたジュディ。最後の涙がポロリと零れてやっと止まった。
「ミニスカート?」
「おう。」
「そっか。…でも、そうなったら素敵ね。」
「え?」
「だって、もう戦争には行かなくて良いってことでしょう?」
「………!」
確かにミニスカートで戦争が出来るとは思えない。…大佐。そこまで考えてのミニスカ発言か?…イヤ、ただのスケベ心だろう。
…けれど、このとき。初めて大佐が大総統になって、作りたい世界はどんななんだろうと思った。
「見てみてーな。」
そう言ったら、ジュディは小さく笑った。
「ミニスカートを?」
「ちがーう!!」
20051201UP
NEXT
一区切りつけたくて、この打ち明け話を先にUPさせてもらいました。
捏造、捏造!
説明ばっかりでしたが、分かりましたでしょうか?
ちなみに最後のジュディの台詞は、エドの真意を分かった上で言っています。
エドも伝わってることは分かってて突っ込んでる。
実は初稿の段階ではアニメ設定が残っていて、大佐の寝室には人体練成の錬成陣があった。
一応消しては見たものの綺麗には消えずに…。つまりジュディには大佐が何を作ろうとしていたかわかってしまって…。
うなされる大佐を起しに行くには多大な勇気が要ったはず。
何せ、エドたちが人体練成して出来たああいうものが部屋の中に見えるんですから…。
サイト開始する時に、一応アニメ設定はすっぱり切り捨て!の方針を決定したので、その描写はカットしました。
(05、12、14)