年上の彼女と年下の彼氏 6

 昼休みももう終わる。

『そこの公園に行ってる。』と言い置いて行った隊長を呼び戻すべく、副官のギルバート・アルギスは公園に足を踏み入れた。

 何故か女運の悪い上官で、しょっちゅう『振られた』『大佐に彼女取られた』と凹んでいる。まあ、程なく次の彼女が出来る辺りはさすがというかなんと言うか…。

先ほど公園へ行くときも、きれいな女性を連れていた。確か、少し前に引越し用トラックに乗ってやって来ていた人だ。紅い髪に白い肌の、少し派手目のほっそりときれいな人。

 又、凹むことになるのではないか…?意地悪ではなく内心そう思う。ああいう美人はそのうちマスタングの目に留まるだろう。そうなると、大抵の女性は地位もあり金もあり顔も良いマスタングの方へ行ってしまう。

 うちの隊長だってそう捨てたもんじゃないはずなんだけどな…。昨年結婚したばかりのギルバートは少し余裕でそう思う。

 ギルバートより1歳年下の隊長は、部下には慕われているし南方司令部でもそこそこ名前が残る位には良い働きをしていた。銃の腕だって良い。…まあ、仕事が忙しすぎてデートが出来ないのは難点かもしてないが…。

 キョロキョロと辺りを見回していた視線が目的の人物を見つけた。ベンチに座る彼女の膝枕で、食後の昼寝中らしい。『ああ、これは声が掛けづらい。』

 けれど、もう時間なので起こさない訳にもいかず、そっと傍へ近付いた。

 自分のかぶっていた帽子を、ハボックの顔の上のほうにかざして影を作ってやっている彼女。『へえ、見かけが派手な割には、細かいことに気の配れる人なんだ』と、ある意味かなり失礼なことを思いながら近付くと、不意にいとおしそうにハボックを見つめていた彼女の視線が上がった。『こんにちは』というように小さく笑む。

 『どうも』と頭を下げつつ、ギルバートは自分の認識を改めなければと思った。

 『派手目の美人』と思っていたけれど、グレイの瞳は穏やかでむしろ『知性あふれる落ち着いた美人』というほうが正しい。しかも、化粧も薄く素で美人なのだ。…凄いっス隊長!

「副官のギルバート・アルギス曹長です。」

 少し潜めた声で挨拶をした。

「ティナ・モネリーです。」

 やはり、ほんの少し潜めた声。けれど、ギルバート程ではなく。

「…起きてますか?」

「はい。つい先ほどから。」

「…あれ、…何で分かった?」

 目を瞑ったままハボックが言う。

「何でって…何となく?あなたが起きたからアルギスさんが来たことに気付いたのよ?」

「ふーん? …時間か?」

「はい。」

 ギルバートがそう答えると、よっと声を出して起き上がる。体を伸ばしたりねじったりしながら大きなあくびを1つ。クスリ、彼女から笑みが漏れた。

「大きな猫みたいだわ。」

「むしろ犬って言われてるんですよ、普段は。」

「ああ、ナルホド。犬もいいわね。」

 ギルバートの軽口に答えてから、ティナも帽子をかぶってバッグを持った。

「じゃ、先に行ってます。」

 このまま3人で歩いたら、自分は明らかにお邪魔だと足を速めて立ち去った。

 充分離れたところでそっと振り返ると、少し屈んだハボックがティナに軽くキスをしたところで…。

 ギルバートはこのところ寝顔しか見ていない妻に早く会いたくなってしまった。『今日は早く帰れるかなあ…。』…無理だろうなあと、大きな溜め息を付いた。

 

 

 

『文句は言わせん!付いて来い!』

『あ、大佐、まずいっス。問題が1つ…。』

『何?』

『俺、最近カノジョ出来たばっかなんス。』

『別れろ。中央で新しい女をつくれ。』

 …はい? 

 

 

 ティナは、ほぼ毎日弁当を作ってくれていた。あれ以来自分の分も持って来て、2人で一緒にベンチで食べる。話す。

 会える時間は短かったけど、毎日会って話せるのは楽しかった。大分前にティナが言っていたとおり、2人で共通の話題が増えるにしたがって、マスタングの話が出ることも少なくなっていった。

 だいぶ恋人同士らしくなってきたと思っていた矢先なのに…。ハボックはがっくりと肩を落とした。

 来週には移動なのだけど、なかなか言い出せずに居た。

 内示があってから、ハボックは作業には出なくて良くなった。だが、移動に伴う書類整理などがあり、深夜まで司令部に詰めることが続く。

 ただ『書類整理が忙しくなったから』としかティナには言えず、『そう。無理しないでがんばってね』なんて言われると後ろめたさで言葉が続かなくなる。

 マスタングから移動の話は聞いていないのだろうか?そのとき、『ハボックに彼女と別れろ…と言ってやった』なんて。他力本願すぎか?自分で言いたくないから、誰かから伝わればいいなんて。

 ぐずぐずしているうちに、明日にはセントラルという日になってしまった。さすがにこれ以上引き伸ばして行くのは気が引けるし、自分の中でけじめも付かない。

 司令部から電話をかけた。もう夜中だったけれど、ティナは変わりなく電話に出た。

「今、司令部なんだけど。」

「え?まだ仕事してるの?大変ね。」

「ああ、いや。今帰るところなんだけど。…ちょっと話があるからそっちへ行ってもいいかな。」

「?うん。」

「いつもの公園に出てて。」

「………。分かったわ。」

 何故だか、返事に間があったけど…。受話器を置いて、ハボックは司令部を出た。

 公園に着き辺りを見ると、2人でよく弁当を食べたベンチにティナが座って待っていた。

「あ、ジャン。」

 にっこり笑って手を振る。これからしなくてはならない話に、気が重くなった。

 近付いていき、隣に座らず前に立った。

「ティナ、悪い。夜遅くに。」

「ううん、平気よ。……何かあったの?」

「え…。」

「顔色、悪いわよ?」

「暗いから。」

「違うわ。分かるわよ、それくらい。 …何?話って。」

「う…ん。」

 なかなか決心が付かない。そんなハボックの顔を覗き込むように、ティナもベンチを立ってハボックの前に立った。

「実は…。」

「うん?」

「大佐が中央へ移動することになった。」

「ああ、だってね。」

「それは、聞いてるんだ。」

「何か、仕事の合間に電話してきたの。それだけ言って切れたわ。」

「そっか…それで、俺たちも付いていくことになったんだ。」

「…え?」

「俺や中尉たち。あの司令部の5人。」

「そ…なの?…いつ?」

「明日。」

「明日!?」

 驚いたように絶句する。

「それで…。」

「なぁに?」

「大佐から、彼女と別れろって言われた。」

「え?何で?」

「…セントラル行きに邪魔だから…?」

 自分でも納得のできる理由を見つけられずにいるハボックの口調はとても頼りない。

「私、別に邪魔しないわよ?行っちゃ駄目なんて言わないし…。」

「そ、なんだけど…大佐が…。」

 心の中にもやもやとした迷いがある。その為口調はさらに言い訳がましくなった。ティナの表情が険しくなる。

「ロイが、何?」

「だから、彼女と…別れろ…っ!」

 全て言い終わらないうちに、バッチーーーンと頬が打たれた。

「私と仕事とどっちが大切なのっ!」

「え……。」

 唖然とハボックはティナを見た。ティナ自身とても仕事を大切にしているし、ハボックが仕事で忙しい事にもとても理解があった。だから、彼女の口からそのセリフが出てきたことが信じられなかったのだ。

言葉も出ずにいるハボックの見守る中、ティナも『ん?』と眉を寄せる。

「あ…ら?」

「ティナ…?」

「ごめん。間違えちゃった。」

「は?」

「やり直して、いいかしら?」

「へ?」

 おもむろに手を振り上げるティナ。慌ててその腕をつかんだ。

「や、そこは省略してください。」

「あら、そう?」

 少し不満そうに眉が顰められる。絶対に手形が残っていると思われるくらい、頬がジンジンしている。これを2発食らうわけには行かなかった。それに、ティナの手だって相当痛いはずだ。

「私と、ロイの言葉とどっちが大切なの?」

「…は?」

「ジャンはロイに言われたら、彼女と別れるのも平気なの?じゃあ、結婚してたら?子供がいたら?それでもロイが別れろって言ったら別れるの?」

「………。」

「ロイは確かにあなたの上司だけど、それは仕事の上でのことでしょう?プライベートまで、なんで言いなりなの?」

「………。」

「確かに、彼女と…この場合は私だけど。私と付き合ってることが、明らかに仕事の妨げになっているのならわかるけど…。でも私、極力仕事の邪魔はしないつもりだし…。」

「………。」

「どうして…?どうして、簡単に諦めちゃうの?」

 始めはハボックをキッと睨んで話していたティナだが、その視線は徐々に下がり声にも勢いがなくなってきた。ついにはうつむいて、黙り込んでしまう。

 そんなティナを見つめつつ、ハボックは『そうなんだよな』と心の霧が晴れるようだった。マスタングに言われ、なぜ無条件にそのまま『彼女と別れなきゃ』なんて思ったのか?己の馬鹿さ加減に腹が立つ。プライベートでそこまで言いなりになる必要はないだろう、さすがに。

 うつむいているティナにあやまろうと口を開きかけたとき…。

「ごめん。」

「え?」

 その言葉がティナの口から出たのだと気付くのに少しかかった。

「ティ…ナ?」

「ごめんね。痛かったよね。」

「いや、これは俺が悪いんだから…。」

「ううん、ごめんね。」

 顔を上げたティナの瞳は今にも泣きそうだったけれど、涙は出てはいなかった。むしろ、にっこりと笑い顔だ。

「別れたいって、思うのも仕方ないよね。私、4歳も年上だし、作家とか地味な職業だし、うっとうしい上司の幼馴染だし…。」

「…何、言って…。」

「舞い上がっちゃって、毎日お弁当とか作っちゃって迷惑だったよね。ごめんね。」

「ティナ…ちがっ…。」

「セントラルへ行ってもがんばってね。危険な仕事だと思うけど…身体には気をつけて。……じゃ…。」

「ティナ!」

 ハボックの脇をすり抜けて行こうとするティナを、後ろから抱きしめて止める。

「…っ、離し…。」

「駄目だ。…駄目だよ。」

本来は、別れ話をしにきたのだから、そのまま引き止めなければ良かったはずなのにハボックには出来なかった。悪いのはハボックなのに、このままではティナは自分のせいで別れるのだと思ってしまう。自分に魅力がないから…と。

「……っ。」

 腕の中の細い肩は小さく揺れていて、泣いているのが分かる。ああ、いつも素直に感情が表情に出る人なのに、無理に笑わせてしまったんだ。

 一緒にいて、年の差を感じることなんてほとんどなかった。作家という職業だって、地味というよりむしろ雲の上という感じだし(大体ハボックの給料では、ティナの住むマンションの家賃なんて払えない)。2人で共通の話題が増えるにつれ、彼女が上司の幼馴染なのだということは忘れていることが多くなった。弁当は信じられない位うまかったし、昼休みだけでもほぼ毎日会えるのも嬉しかった。

 会える時間が少なかったとはいえ、自分はティナにちゃんとそういう感情を伝えられていただろうか…と、ハボックは自分に問いかけた。

 『別れろ』といわれたとき。話の流れでセントラル行きの障害になりそうだと思ったから、マスタングはそう言ったのであって…。ハボックは結局、ティナと別れなくたってセントラルへは行くだろうし、そんなハボックをティナは引き止めないだろう。

問題があるとすれば『会えなくて寂しい』という2人の感情だけで…。それらは自分たちで時間を作りどうにかしていくべきことで、上司に言われてどうこうするものじゃない。

「ごめん。」

「………。」

「ごめん、ティナ。俺が馬鹿だった。いくら大佐に言われたからって、何も言われるままにティナと別れることなんてなかったんだよな。」

「………。」

「さっきの話…取り消すから…もう、泣かないでくれよ。」

「………。」

「ティナの事、大好きだから。…大佐に別れろって言われたとき、ショック過ぎて頭の中真っ白になって何も考えられなくて、そのまま言っちゃったけど…。」

「………。」

「大佐は、あの人なりにちゃんとティナの事を大切に思ってて。その大佐に言われたから、『お前じゃ駄目だ、役不足だ』って言われた気がして、もう別れるって選択肢しか頭になくなってた。」

 ハボックは腕の中のティナをくるりと回し、自分の方へ向けてぎゅっと抱きしめた。

「明日からセントラルで、今まで以上に会えなくなるけど。これからもずっと俺と付き合って下さい。」

「……うん…。」

 ハボックにしがみついたティナが、腕の中でこくんと頷くのが分かる。

「は……はは。すっきりした。最初からこう言ってれば良かったんだ。」

「…ジャン…本当に、いいの…?…私…。」

 まだ不安気な声のティナ。涙に濡れる目元に口付け、拭う。

「なんで、ティナが自分の事をそんな風に思うのか分からないよ。はじめは高嶺の花だと思ってたし…。だから、付き合えるようになってすっげえ嬉しかったし。毎日、手作りの弁当食えんのも嬉しかったよ。」

「……そ…っか…。それなら良かった。」

 にっこりと笑うティナ。

「……っ。」

 涙目でっ!上目使いでっ!その表情はっ!ずるいだろっ!

「…ティナ…。」

 ハボックは自分の声が掠れるのが分かった。

「なぁに?」

「今から、部屋へ行っても良い?」

「!?」

 きょとんと見返してくるティナは壮絶に可愛い。だが、次いでふふふっと笑った顔は妖艶で、こんな時ばかりは年上なのだと思ったりして。

 伸び上がるようにハボックの首のところに腕を回す。

「早くそう言ってくれないかなあ、と思ってたわ。今日だって『公園に出てて』何ていうんだもの…。」

 耳元に囁かれ、背筋がゾクリとする。

 肩を抱いて部屋へと向かう。隣で小さく微笑むティナを見て、やっぱりこれで良かったんだと、ハボックは思った。ティナも幸せそうだし、何よりも自分自身が物凄く幸せだから。

 

 

 

 

 

 

200050607UP
NEXT

 

 

 

「〜っス」って「〜です」の略…だよね?だから気安い敬語…って感じ?
そうなると、ハボは時々自分の彼女に対して敬語を使っていた…という訳で…。
そりゃあ、距離を感じて不安になるよね。
さて、「年上の彼女と年下の彼氏」の本編(?)はこれで終わりです。
この後は「おまけ」…おまけ長すぎだよ。

 

 

 

前 へ  目 次  次 へ