ここにいるよ。8

「さ…さて、私は中尉の所へ言ってくる。」

「あ、うん。」

 ゆっくりと傷を庇いながらマスタングが病室を出て行った。

 ジュディは先ほどマスタングのベッドでしたように、ハボックのベッドの上にもサインが出来るようにテーブルを用意した。

「はい、書類。」

「………。…俺、女の趣味…悪いかな…?」

「どうせ、顔と胸しか見てなかったんでしょ。」

「そ…かなあ。」

「性格で選んでたら、少なくとも裏切らないし。今までの彼女にしたって、すぐにロイになびいたりしないと思うもの。」

「それも、そうか。」

「ま、過ぎたことはしょうがないよ。とりあえず今はこっち。」

 と書類を広げる。

「……はいはい。」

「サイン終わったら、煙草吸ってもいいよ。」

「本当か!?」

「ナイショね。」

「やった、もう辛くて。」

 足が動かせないから、喫煙所にすら行けずにいるのだった。

 ハボックは猛然と書類に目を通し、サインをし始めた。

 最初の数枚は純粋に仕事のものだった。代わりに作成してくれた者たちに心の中で感謝しつつ進めて行くと。

「ん?」

 労災申請、住所変更、住宅手当申請、障害保険申請…。と、思いっきり個人的な書類へと変わっていった。

「これは…。」

「取れるものは取っとこうよ。これを全部使えば、新しいマンションの家賃もジャン君の負担分は今までと変わらないくらいになるらしいし。」

「え?本当か?」

 ジュディの住んでいるマンションは所謂『高級マンション』と言う奴だ。

 家賃だけで毎月の給料なくなるかも…とビクビクしていたのだ。

 不動産屋や、引越し業者の契約書にもサインする。

 そんな風に次々と書類をめくっていって…。

 最後の1枚は…『長期休職願』。

すでに、マスタングのサインが入っているそれ。

 サインを入れながら、自分の手が震えるのが分かった。

 自分からリタイア宣言をしたくせに。心の中では『退職』すら考えていたのに。

 まるで、見捨てられてしまったような気分になる。

 黙りこんだハボックにジュディは言った。

「ロイが大総統になるまでには、まだ何年もかかると思うわよ、現実的に考えて。今ここでほんの少し足踏みしたって、追いつくチャンスはいくらだってあると思う。

 明日っからは、1日でも早く復帰できるように前向いていかなきゃ。」

「………。」

「でもさ…。」

 ジュディが優しくハボックの頭を抱え込んだ。

「今日は、今のために泣いとこっか。」

 そっと背中をなぜられて、こらえていた涙がこぼれる。

 女に騙され浮かれていたこっけいな自分。護衛官のくせしてその対象である上司に守られた情けない自分。大切な時にリタイアするふがいない自分。

 そして何より、自分自身の足すら満足に動かせないもどかしさ。

 がっちりと腕を回してしがみ付いてしまったジュディの細い身体。

 相当苦しかっただろうに、文句一つ言わず。

 ただ、ずっと髪や背中をなぜてくれていた。

「大丈夫、大丈夫よ。 あなたの世界はあなたのものなんだから。 全て上手く行くわ。 大丈夫。」

 言い聞かせるように、なだめるようにそっと囁き続ける。

天使の歌声といわれている、この国で一番美しい声で…。

 

 

 そのまま眠ってしまったハボック。

 ベッドにきちんと寝かせてあげた方が楽に眠れるのだろうけど…。

 しがみ付いて離れない腕をどうしたらいいのか?

「…重い。」

 ジュディは小さく溜め息を付いた。

 出会った頃は、二人目の兄が出来たと嬉しかった。

幾つも年上なのに、『おともだち』だと言ってくれるこの人のことを、自分はいつから好きになったのだろう。

緊張でガチガチになっている時は、そばにいるだけで落ち着いた。

心配事を相談すれば、『なんでもない』と笑い飛ばしてくれた。

落ち込んだ時に、その声を聞けばそれだけで気分は浮上していた。

 いつだって、ジュディに光をくれる人。

 貰ってばかりの光を、いつか返すことが出来たらいいのに…と思っていたけれど…。

 まだまだ大人になりきれない自分には難しい事だった。いつになったら追いつくことが出来るんだろう?

 まだ、自分にしがみ付いたまま眠るハボックをぎゅっと抱きしめてその髪にそっと唇を落とす。

 いつも首が痛くなるほど見上げていた視線。

 今日は自分よりもずっと下にある。それが悲しかった。

 

 

「ホークアイ中尉。」

「何ですか?」

 書類を確認している手を止めずにホークアイが返事をする。

「先程ジュディが、ハボックは女運が悪いんじゃなくて女の趣味が悪いんだ、と言ったんだよ。」

「…はあ。…まあ、騙されたということは少なくとも見る目はなかったのかも知れませんね。」

「何でそんなことになったのか、あいつは分かっているのかな…いや、分かっていないからこんなことになったんだな…。」

 後半は独り言のようなった言葉にホークアイは首を傾げた。

「大佐はお分かりになるんですか?」

「………。」

 そう聞かれて、マスタングは心底嫌そうに溜め息を付いた。

「私はね、中尉。あの子が12歳の頃から、もう嫁に出したような嫌な気分をずっと味わっているのだよ。」

「………。」

「おかしいかい?」

「いえ…。」

 ホークアイは、昨日見舞いに来たジュディにハボックの足が麻痺しているようだと伝えた時の様子を思い出していた。

 『可哀想に』というよりも、『悔しい』『何で』と言う怒り出さんばかりの表情で唇をかみ締めていた。

「これから、どうなるんでしょう?」

「………。」

 ホークアイはとっさに言葉が出なかった。

 一度に起こった様々な事態に翻弄され。目の前のことで一杯一杯で、先のことなんて考えることすら出来なかった。

 確かにハボックだっていつまでも入院しているわけじゃない。退院しても初めのうちは車椅子での生活を余儀なくされるだろう。

「家、どうするのかしら?今の部屋で車椅子なんて無理だわ。」

 ジュディも同じことを考えたようだった。

「バリアフリーってなるとお家賃高くなるのかしら?」

「…それ、軍の傷害保険やその他を使えば、ある程度何とかなると思うわ。」

「本当ですか?私が住んでるマンション、床はフラットなんです。エレベーターもあるし。確か同じ階に半年くらい空いてる部屋があったわ。広さはうちの半分くらいだと思うけど…男の一人暮らしだもの構わないわよね…。」

「ジュディちゃん…。」

「リザさんは書類揃えて置いてください。私、今から行って部屋見てきます。」

「構わないけど…会って行かないの?」

「………。良いんです。何か、ジャン君って私の前では『お兄さん』で居たいみたいだから…。明日、又来ます。」

 ジュディは小さく苦笑して帰って言った。

「……つまり、ハボック少尉はジュディちゃんという一番大切な子が居るのに。気付かずに他へ目を向けるから上手く行かないと…そういうことですか?」

「そんなところだろ。…何がネックなんだろうな?年齢が離れていることだろうか?歌手だということだろうか?」

「………さあ。」

 何よりこの兄がもれなく付いてくることが一番のネックなのではないかと思ったのだが。口にはしなかった。

 けど多分。

 これからは変わるのではないかしら…。とホークアイは思った。

 年齢差が10歳近くあるため、ジュディに年長者として保護者として余裕を持った態度で接するのが当然となっているハボック。

 仕事のほうも。今の年齢で少尉と言うことは、軍人としてもまずまず順調に来れた方だろう。

 けれど、ここでハボックは躓いた。

 年長者としての余裕も、軍人としてのキャリアも。足のリハビリの前では何の役にも立たない。

 そんなときこそ本当に大切なものが見えてくるはず。

「さて、そろそろ戻るか。書類はOKだろう。」

「はい。」

「ハボックの方の書類ももう終わっているだろう。」

「そうですね。」

 二人で病室へと戻る。

「お。」

「あら。」

「あ。ロイ〜〜。」

 ジュディが少しほっとしたように兄を呼ぶ。

「重いよ〜。」

 ジュディの体をがっちり抱きこんだまま眠ったハボック。

 一瞬ケシズミにするところだったぞ。とはマスタングの心の声。

「やはりほとんど眠れていなかったのですね。」

 ホークアイの言葉にマスタングも溜め息を付いた。

「眠れたのならこのまま寝かせておこう。」

 3人でハボックをそっとベッドに横たえる。

「お休み。」

 ジュディがポンと毛布を叩いた。

 

 

 

 

 

 

20061026UP
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もう一度…『原作無視です』。
というより、ハボ退職を言い出す前にジュディに先手打たれちゃった感じ?
次回は又少し、時間が飛びます。
(06、10、27)

 

 

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