やさしい気持ち 4
一方ハボックは『ああ、まずった。』と天井を仰いでいた。
本当に4ヶ月以上もの間、気持ちを伝えていなかった?
もしかして、もしかしたら。
リアーナが時折見せる遠慮がちな表情とか、自分が彼女だと公言できなかったのってそのせいか?だとしたら…全てハボックのせい?
溢れんばかりのこの愛おしさを、全て行動のみに摩り替えてたか?
そしてもう一つ、気になること。
さっき混乱したリアーナが口走った『記念日』という言葉。
いつのことだ? 何の記念日? 今日?
互いの誕生日は全然違う日にち。
初めてあったのは年度初めで、リアーナの転勤により再会したのも時期としてはその頃の日付のはず。
大体リアーナはあまり記念日を気にしない。
付き合い始めて1ヶ月目のときは、丁度金が無くてどうしようかと悩んだ。相談したら『は?』とか聞き返され、『いいわよ、別に。』とかそっけなく言われた。それでも何かと思って人気のケーキ店のショートケーキを2つ買って行ったのだ。
確かにそれは喜んで食べてくれたけど。相当甘かったケーキ(リアーナによると甘さ控えめだったらしいが)。ハボックは一口でギブアップし、結局リアーナが二つ食べた。『美味しいけど、太りそうだからしばらく要らない。』と言われたのだった。
2ヶ月目はたまたま半日だけ休みが重なったので、二人で映画を見に行った。2ヶ月目の記念日より、二人一緒に映画を見れたことの方を喜んでいるらしいリアーナに苦笑したんだっけ。
3ヶ月目のときはリアーナの家で夕食をご馳走になることになっていた日で(記念日だからではなく)。いつもより高いワインを買って持っていった。『美味しい!』と喜んでいたけど、3ヶ月目だと言わなければ、『珍しく奮発したのね。』で終わっているところだった。
ほんの少し前の4ヶ月目は懐に余裕があったので(何せ生まれて初めて定期預金を…)、ネックレスをプレゼントした。凄く嬉しそうだったし。いつも、今も、着けてくれているけど…。『ねえ、ジャン。凄く嬉しいけど…。これからも毎月やるつもり?別に何かくれなくても、私はここにいるわよ?』とか言われて。あれで、もう止めようと思ったのだけど…。
そのリアーナが気にする記念日って?
言ってこないってことはハボックには関係の無いものなのか?けど、思い返してみればいやに今日のレストランでの外食を楽しみにしていたようだし…。
「ジャン?……ジャン?…どうかした?」
「あ、いや。別に。」
「何か、顔が凄いことになってたわよ?」
「何でもねえって。」
「そう?」
首を傾げてニコリと笑う。ああ、駄目だ。マジ、かわいい。先ほどぎゅっと抱きしめたために少しずれたシップ薬まで愛おしい。
「もう、頭大丈夫か? 痛いとかねーか?」
「うん。…やっぱり、少しボーっとしてるかなぁ。お腹空き過ぎかしら?」
「ああ。夕食食い損ねたな。」
そんな話をしていると、ホークアイが入ってきた。
「ハボック少尉。大佐が夕食代を出してくださるそうよ。テイクアウトのものでよければ、買ってきてここで二人で食べたらどうかって。トウエン少尉、食べられそう?」
「はい。」
「私がここに付いているから、大佐にお金を貰って買いに行っていらっしゃい。」
「分かりました。」
行ってらっしゃいと手を振るリアーナに見送られ、医務室を出た。
執務室ヘ行くと、上司がニヤリと笑った。
「私と中尉の夜食の分もな。」
全くただでは金を出さない上司だ。自分で買いに行くのが面倒だっただけじゃないのか?
近くのテイクアウトの店で、少なくない量を買い込む。
マスタングとホークアイの分を執務室に置いて、医務室へ戻ろうとしたとき。
「なあ、ハボック少尉。ドロシー・グリーンという事務の子を知っているか?」
と、おもむろに声を掛けられた。
「は?ドロシー・グリーン? 知りませんけど。…最近来たんスか?」
「そうだ。資料課にな。」
『資料課?』何となく心の隅に引っかかりながら、
「多分、最近来たっていうならあの子かな? 今日休憩室で見かけた…。」
金髪で細身の美人で…。マスタングの言う容姿に当てはまる。
「ああ、そうだ。きっと、あの子だ。…で?その子が何です?今度のターゲットはその子っスか?」
「いや…。お前を、好きなんだそうだ。」
「はい?」
「だから。」
心底嫌そうに顔を顰める。
「お前を好きなんで、お前の休憩時間を見計らって休憩室を覗いていたんだそうだ。仕事もほっぽり出してな。」
「………。」
何だろう。何か胸の中に嫌な予感が広がっていく。
だって、休憩室で何を見られた?リアーナとのキスシーンだ。そのリアーナがありえない怪我をした。『資料室』で。その女は何課だって?『資料課』だ。
資料室は全く無許可で使用できるわけじゃない。使う頻度が半端じゃないからついルーズになりがちだけど、一応入室許可と資料を持ち出すときは届出が必要だ。それを提出するのは…資料課に…で。勿論、自分の名前も記入するから誰が資料室にいるかは資料課の人間なら簡単に分かって…。
「……大佐……まさか…。」
「トウエン少尉が座っていた脚立を蹴り倒して逃げたそうだ。」
「……!!」
「気分はどう?」
「随分いいです。」
「そう。たいしたことが無いようで、良かったわ。」
「すみません。本当に、ご心配をお掛けして。」
「どこか、他に打ったようなところはないの?」
「大丈夫みたいです。…あの…仕事は…。」
「資料のほうは、もう揃っていたから指令室の方へ運んでしまったわ。」
「すみません。明日は大丈夫ですから。」
「ふふ。どうせ私は今夜ここに詰めていなければいけないのだし、出来るだけやっておくわ。」
「え?」
「大佐の方からの指示よ。」
「ええ?でも、中尉にだって色々お仕事があるのに…。」
「ええ、そうね。レポートを全てまとめ終えるのは無理かもしれないわね。」
「じゃあ…。」
「大丈夫よ。後は大佐が何とかしてくださるわ。」
「けど…、ハクロっち…いえハクロ将軍からの言いがかりですよ?」
「そうね。けど、あの人だからこそ、中身の確認はしないと思うの。」
「ま…さか。」
「まとめきれなかった分はそのまま渡すみたいよ。」
「うわあ。大丈夫でしょうか?」
「『最初の10枚だけ、ちゃんとしてれば良い。』ですって。」
「………無茶な…。」
「だから、明日はゆっくり休みなさい。」
「…え?」
「お休みよ。」
「そんな。会議の前の忙しい時に。」
レポート以外にも仕事はあるのに。
「明日あなたが司令部内にいると、周りの皆の方が心配で落ち着かないのよ。」
「……はあ。…けど、ですね。」
「明日1日休んでもらって、明後日の会議当日は頑張ってもらうっていうのではどうかしら?」
「当日は、勿論ですけど。」
「幸い…というか。あなたの担当は私が把握しているから、他の人間にいくらでも振り分けることは出来るし。それでも人手が足りなかったら、あなたの隊の人に頼むわ。」
「そりゃ、もう。使って下さっていいんですけど。」
「大佐から伝言よ。」
「?」
「『遅くなったが、埋め合わせだ。』…だそうよ。」
「んな!?」
リアーナはしばらく絶句していた。
リアーナが要求した埋め合わせは、『ハボックと丸一日一緒の休み』だ。
その際、他の人間に迷惑が掛からないようにしてくださいと言い添えておいた。(もっともその一言のせいで、仕事をためがちなマスタングが容易に埋め合わせを実行できなかったのだが。二人も休まれたら仕事が滞るという事態を4ヶ月も維持し続けたのだ。)
「本当…に?」
「ええ。」
「4ヶ月も待たせて、明日?」
「そうらしいわ。」
クスクスクスと笑うホークアイ。
「中尉、笑ってる場合じゃないじゃないですか。」
「そう?」
「そうですよ。だって、埋め合わせってことはジャン…、ハボックも休みってことですよ?」
「そうね。」
「会議の前日ですよ!」
「あの人らしいわね。」
「……どうして…。…素直に休ませてくれないんですかね?んもう! 今からじゃ大した予定入れられないし。下手したら家から出してもらえないかも知れないし。」
ハボックと一緒にどこかへ出かけたり、遊んだりしたいからこその要求だったのに。
「ハボック少尉ならやりかねないかも知れないわね。」
「しかも、絶対に仕事のこと気になっちゃうし。」
「それなら少し、レポートの話をしても良いかしら?あなたのことだから、資料揃えながらある程度構想は出来てるんでしょう?」
「ええ、まあ。…東部における事件件数の推移とその内訳でですね。」
何冊かの資料を揃えれば、大体の傾向は分かる。どんな順番で、どんな風にまとめるか…。すでに頭の中では組み立ててあった。
しばらく、仕事の話をして…。
「ねえ、リアーナ。」
「?はい?」
「ドロシー・グリーン。知ってるわね。」
「っ……。」
「ハボック少尉があなたを発見する少し前に、資料室を出入りしているのが目撃されていたの。先程、事情を聞いたら告白したわ。脚立を蹴り倒したことを。 残念だけど、彼女には辞めてもらうことになったわ。元々勤務態度も良くなかったようだし。」
「………。」
「何故、黙っていたのかしら…?」
「………。」
「考えられることは二つね。一つは彼女を庇った。二つ目は…。ハボック少尉に知られたくなかったから。」
「……っ。」
「ハボック少尉のことだもの、自分を好きな子があなたに危害を加えたなんて知ったら、感じなくていい責任を感じてしまいそうだし…。 あなたは知っていたんでしょう?彼女がハボック少尉のことを好きだってこと。」
「…はい。」
困ったように黙り込んでいたリアーナは小さく溜め息を付いて、頷いた。
「他の事務の子たちから相談を受けていたんです。ハボックを追いかけてあんまりサボるので…って。 朝の出勤時間にお昼休み、退勤時間。それに午前と午後の休憩時間。…他にも巡回の予定を調べたり、練兵場での訓練のときはずっと眺めてたり…。」
指折り数えて並べ上げるリアーナに、ホークアイは呆れた声を上げた。
「…まあ、それってほぼ一日中じゃないの?」
「そうなんですよ。配属されて2ヶ月もたつのに、まだまともに仕事出来ないらしくて…。注意してくれって泣きつかれて…。でも、ですね。…ハボックと付き合ってる私が、ハボックを好きな子にやめなさいって注意するのも…。『好きでいることを止めなさい』って言ってるみたいじゃないですか。さすがにその権利はないし…。
それに、こういう話って一方の言い分だけを聞くって訳には行かないでしょう?だからもう少し様子を見ておさまらないようなら、申し訳ないですけど中尉の方から一言言ってもらえたらって思っていたんです。」
「それは別にかまわなかったけど…。」
「そうしたら、今朝の騒ぎで私たちが付き合っているっていうのを知って…。で、休憩室でも一緒のところを見られて…。」
「タイミングが悪かったわね。」
「それもありますけど、誰かから言われていたらしいんですよね。サボっているといずれ私に注意されるって。何かそんなのが色々重なって…、一言言わなきゃ気が済まなかったみたいでした。」
「そう。」
「ああいう時って、どうすればいいんでしょうね。いちいち反論したって、本人に説得される気なんて無いんでしょうし。黙って聞いていれば、バカにしてるって怒るし。」
「黙って聞いていたの?」
「ええ、まあ。だって答えられます?『ハボック少尉は2・3ヶ月で彼女を替えるって聞きますよ。あなたは珍しく4ヶ月続いているらしいけど、どうせ近々捨てられるんです!』何て言われて…。今までハボックは捨てられたんで、捨ててきたんじゃないわって言った方が良かったですかね?」
冗談めかして苦笑気味に言っているが、笑い方に力がない。
「つまり、あなたにとってもその点は心配のタネだったということね。」
「…っていうか…。今まで付き合っていた人たちと、私では明らかにタイプが違うでしょう?…絶対に違うって言ってください。」
「ええ、違うわね。ふふふ。」
「笑わないで下さいよ〜。」
今までハボックが付き合ってきた女性たちを、リアーナが直接どうこう評価するのを聞いたことがない。ホークアイからみて、とてもじゃないが趣味が良いとは言えなかった彼女たちをリアーナがどう思っているのか…?気にはなっていたのだ。
やはり快く思っていなかったのだと知ることが出来て何となくほっとする。
「だから、ですね。やっぱりいつまでもつかな、っていう不安は有る訳ですよ。そこへもってきてあのドロシー・グリーンって子でしょ?」
「?」
「前にハボックが付き合ってた子達とタイプが似てるじゃないですか。義務より権利が優先するっていう感じが…。」
「あら、上手いことを言うわね。」
「いや、そんなこと褒められても…。だから、あの子の存在を知られたくなかったんです。もし、知ってしまって自分のことを好きだって分かったら…。」
「あちらへ行ってしまうかも…?」
「………。」
小さくこくんと頷いた。
「リアーナ。もう少し、自信を持ちなさい。ハボック少尉と付き合うようになってから、あなたずっと綺麗になったわよ?」
「は?」
「それに、ハボック少尉も。今までの、何ていうのかしら?少し危なっかしい感じが消えて、ずっと落ち着いて安定した感じよ。だから大佐も一段上の仕事を任せようっていう気になったのよ。あなたたち二人共良い方向に変わって来ていると思うわ。」
「…そう、でしょうか?」
「そうよ。あなたが今一番しなければならないことは、自分に自信を持つことね。」
「自信…ですか…。でも、そうですね。さっき、凄く欲しかったプレゼントをもらってしまったので…。少しは自信付いたかな?」
「プレゼント?」
「ええ、今日はですねえ。」
リアーナはふふふっと笑って、今日の記念日のことをホークアイに話した。
20050826UP
NEXT
くっ付いた時に、きちんと気持ちを伝えていなかったツケがここに…。
リアーナにしてみれば「やさしければ誰でもいい」の範疇なのか、本気で好きで付き合っているのか図りかねていたところ。
だからこそ我儘は言えないし、いつまで続くのかも不安になってしまいます。
ハボにしてみれば、自分の事をずっと好きだったはずのリアーナがどうして恋人になったのに甘えてくれないのかが分からない。