父がその当時世間を騒がせていた怪盗ジュールだと知ったのは、母が死んだ後だった。
そのときの私は母の死を受け入れることでいっぱいいっぱいで世間で何が起きてるかなんて知らなかったけれど、後から聞いた話だと、母が死んだ後、さっぱりと怪盗ジュールが現れていないらしかった。けれどそんなことには興味はなかった。怪盗ジュールに構っているよりも、手続きだとか、相続だとか、受け入れた後にはやらなくてはいけないことがたくさんあった。それらがやっと、落ち着いたころだった。母の死んだ次の日から、今までからは考えられないくらい家にいた ―― とはいえ話したのは数えるほどだった ―― 父が、自分は怪盗ジュールだ なんて言ったのは。








見えなかった





つかむように








ふと目が覚めて、いつもの天井が目に入った。――― じゃぁ、さっきのは夢だ。そう理解して、はぁ とはため息をついた。5年前、父が怪盗ジュールだと知ったときの夢。怪盗としての仕事をしていたために、母の死に目に会えなかったのだと知ったときの夢。たしかあのとき、大泣きをした気がする。どうして黙っていたのか、どうして母の反対に頷かなかったのか、どうしてそんなことで最後にお母さんにあってくれなかったのか。全てが悲しくて、全てに怒りがわいて、全てが嫌で、そう、泣いたんだ。そのとき父は、覚えているなかでは初めて私を抱きしめた。力がすごく強くて、暴れたって出られなくて、父はこんなに力が強かったんだと驚いた気がする。結局父の腕の中で泣いたそのときの私は父の顔なんて見られなかったけれど、夢のなかで、第三者の視点で見たあの光景の中で、父は酷く辛そうな顔をしていた。妙なほどに覚えている夢に、は目を閉じる。 ――― あぁ、どうして今、あんな夢を見たのだろう。

ベッドから起きて視線をずらせば、そこには1枚の絵画の写真があった。絵に詳しくはないも素直に綺麗だと思うそれは、ジュールが盗んだ最後の品だった。 ――― 母が死んだ日に、父が盗んだ絵。あの夢はこれのせいかな と思いながら、はベッドから出る。この絵を盗みだすのは、今日だ。これを盗み、持ち主へと返せば、ジュールの盗品は全て持ち主へと戻る。それは警察もわかっているだろう。怪盗 I として現れなかった期間に、警察は怪盗 I の目的に気づき、元の持ち主の下にも警官を配置するようになった。けれど誰かが気づくところに置けばいいのだから、それほど問題はない。家の人に見つかっても警官に見つかっても、その人のところへ返ればそれでいいのだ。けれど最後の分、警察は張り切ってくるだろう。それから、探偵の彼も。そう思って、は小さく口元を緩めた。怪盗 I として彼に会うのは、最後になる。少し残念な気もするけれど、それはしょうがない。はそのままに、既に作り終えているカードを手に取った。彼にだけは、わかるかもしれない。




「くそ・・っ」

悔しさを滲ませた目暮の声が響く。厳重すぎるまでに警備網を敷いたはずの絵画は、見事になくなっていた。絵画があった場所には、一枚のカードがはりつけてある。いつもの、怪盗 I のカード。それはつまり、絵画が怪盗 I に盗まれたということを意味していた。いつもだったら、新一が手にするカード。それがはりつけてあるということは、その程度にはこの警備網は怪盗 I を苦しめたのだろう。けれど、逃げられてしまっては意味がない。新一は考えるように眉を寄せながら、はりつけてあるカードへと歩みよった。そのカードを手にして、内容に目を通す。そのとたんに、新一の目が見開かれた。少しの間を空けて、新一が高木刑事、と声をかける。

「怪盗ジュールの盗品は、これで最後でしたよね」
「あ、あぁ・・そのはずだけど・・」
     目暮警部」

背を向けるようにしてカードを見ていた新一が、振り返って目暮へとカードを渡す。ん?と目暮と、そして横から高木が覗き込んだカードに書かれた内容は、それぞれの予想とは違っていた。

『 滄海の展望 たしかにいただきました。 次が最後の仕事です 』

確かにそう書かれたカードを前に、目暮は なにぃ!?と声をあげる。そうして、隣の高木にもう一度ジュールの盗品を洗いなおせ と命じた。はい!と大きな返事をして高木が部屋を出て行ったすぐ後に、目暮の携帯がなる。それは元の持ち主のもので待機していた刑事からで、捕まえられなかったという報告だった。




「やっぱり、あれが最後です。他にジュールの盗品はありません」

高木の声に、目暮が唸る。再度確認したが、ジュールの盗品はあの絵画が最後だった。新一は口元に手を当てた。新一に話を振ろうとした目暮は、その様子に動作を中断する。新一が、物を考えるときの癖だ。こうなってしまえば、周りの声は聞こえていないだろうと配慮した目暮は、高木に元の持ち主に絵画が返されたときの状況を詳しく聞くために声をかけた。一方の新一は、やはり聞こえていないのだろう、考えに没頭する。
ジュールの盗品が他にないというのは、きっと本当だろう。ならば、彼女の最後の仕事というのはジュールの盗品を盗むことではないのか?もしかしたら盗むことと返すことは別の仕事と考えて、後は返してしまえば終わるという意味で最後の仕事と書いたのかもしれない。けれどそんなまどろっこしいことをするだろうか。まず、最後の仕事はなんなのか。盗むことなのか、それとも別に、怪盗 I としてやらなければいけないことなのか。そもそも彼女がジュールの盗品を返していった意図がわからない。ジュールはどうして自分の盗品を持ち主へと返していく I に対して何も行動を起こさない?今更関係ないと考えているのか、自分たちの知らないところで接触してるのか、もしくは既にいないのか ――― いないということは、既に死んでいるということだ。ただでさえジュールは急に姿を消したのだ、そのほうが合点がいくかもしれない。

亡くなった      そんなことを考えて、新一は最近亡くなった人を思い出した。直接面識があるわけでもない。けれどその人の死は、新一の知り合いの親族だった。1週間ほど前、49日が終わり、彼女の父親の遺骨は墓へと収められた。その後で墓参りに行くというについていったのは、つい先日のことだ。

「・・・お母さんの形見は?」

死んだら、母の形見を墓に入れてくれって。そう父が言っていたのだと話したの言葉を覚えていた新一は、墓参りからの帰り道に、に問いかけた。そのとき、は小さく笑って、首を横に振った。

「それは、私が出来る最後のことだから・・今度、改めて来るよ」

        

バッ と。新一は近くの机の上に置いてあったファイルを開いた。その突然の行動に、目暮や高木を始め、周りの人たちが驚いたように新一に視線をやる。ど、どうしたんだね、新一くん と目暮が声をかけるけれど、それこそ新一には届いていなかった。バクバクと心臓がうるさい。すごい速さでファイルを捲っていた新一の手は、事件が起こった日にちを記してあるページで止まった。割合定期的な間を空けて書き込まれている日にちの中で、ひとつ、見事に空白の時期がある。その20日ほどの期間には、の父の命日があった。