To Shine
Player number "10"






部内が活気付いてから数十日が過ぎて、ここ最近、武蔵森はある噂で持ちきりになっていた。しかしそれも、仕方のないことだろう。その内容は、 水野竜也が武蔵森に編入してくる というものだった。
いまや、桐原監督と水野が親子だということはみんなが知っていることだった。 ―― まさか水野が?それじゃぁ、三上は? ―― 練習中は表にこそ出さないものの、それでも各々がその話を気にしていることなど、誰が見ても明らかだった。集中しきっていない部員たちに、桐原が檄を飛ばす。けれど、その当人が絡んでいる問題なのだから、集中など出来るはずもない。そうしてそのまま終わった練習のその後で、は桐原を呼び止めた。 ――― 噂の真相を、確かめるために。

「桐原監督」

の声に振り向いた桐原は、さして驚いたふうでもなく、なんだ と返す。桐原とて、噂を知らないわけではなかった。ここまで広まった噂に、そろそろ誰かしら来るだろうとは思っていたのだ。きっと ――― 渋沢かかの、どちらかが。

「水野がうちに来るって話、本当ですか」

まっすぐ、真剣な眼差しで自分を見てくるに、桐原は視線を返す。は、これまでこの噂について、口にこそしなかったが、十分に憤りを感じていた。水野が嫌いだとか、そういうことではない。むしろ、彼の真面目な性格や、サッカーに対する姿勢には好意を持っていた。けれど彼は、『桜上水の10番の水野竜也』だ。その水野が、突然武蔵森にやってきて、うちで10番をつける? そんなこと、にはどうしても納得が出来なかった。

――― 本当だ」
「三上は、」

三上は、どうするんですか。
桐原の落ち着いた声に、は間髪いれずに言葉を返した。予想できなかった答えではなかったからだ。できれば、ほしくなかった答えではあったけれど。けれど、やっぱりか とそう思って、は視線をきつくする。三上は、どうするつもりなんだ。あいつは ――― 俺たちに言いこそしないけれど、きっと今、誰よりも。それを思って、はグッと拳を握る。

「三上には ――― ベンチに回ってもらう。竜也が10番だ」
「・・・・ 本気で、言ってるんですか?」

桐原の硬い声音に、は薄く眉を寄せた。たしかに、予想はしていた ―― わざわざ水野を呼ぶということは、そういうことだ ―― けれど、本人の口から言われると、それは倍以上の重みを持ってにのしかかった。
桐原は、武蔵森の監督だ。この三年間、彼の下でやってきたのだし、彼も自分たちのことについてはよく知っているはずだ。いつもきつく、横暴なところもあるけれど、だからといって自分たちをないがしろにはしないことを、だってよく知っていた。だからこそ、ここで三年間やってきたのだ。それなのに、こんな、三年の、最後すら見えてきてしまったこの時期に彼がこんなことをするなんて、心の底では思っていなかった。思いたく、なかった。ぐちゃぐちゃした気持ちがどんどん頭を回っていくのを感じながら、はその感情をもてあますように口を開く。

「10番は・・そんな、軽い番号じゃないはずです」
「三上より竜也のほうが上手いから10番をつける。それが世の中だ」
「・・・だからって、上手いってだけじゃ10番はつけられない」
「・・・・次からうちの10番は、竜也だ」

感情が抑えきれなくなってきたのを自覚しながら、はグッと唇を噛む。相手は、桐原監督だ。俺は選手で、ここの部員。ここで三年間やってきた。だけど。 こんなの、ちがう。 頭の中でその声がした瞬間、は強く拳を握った。

――― 監督は!」

もう、止まらなかった。

「監督は、水野が息子じゃなくてもそこまでしましたか」
「・・・何を言っている」
「・・っ自分の子どもさえよければ、三上はどうでもいいんですか!?」

思わず、の声が荒くなる。桐原が拳を握ったのが目に入ったけれど、今のにとって、そんなことはどうでもよかった。 許せなかった。監督は、三上の三年間を知っているはずなのに。三上がどれだけ努力して、どれだけサッカーが好きで、どれだけ この武蔵森のためにがんばってきたのか。俺は知ってる。だってあいつは、俺たち武蔵森の仲間だ。監督だって、知っているはずじゃ、なかったのか?

「俺は、三上がどれだけがんばってきたか知ってる。」
「・・
「俺たちは三年間一緒にやってきて、・・なのに、こんな・・・っ」

ぐちゃぐちゃして、もうわからなくなって、思わず出てきた涙をは止めるために、腕で乱暴に目をこすった。ここで泣くのは俺じゃない。三上のほうが、ずっと、ずっと苦しいんだ。
この三年間、練習だって軽くなんかなくって、サッカー部ってだけでいろいろ締め付けもあったりして、だけど、それでもみんなでがんばってきたんだ。一緒に練習して、一緒に悩んで、一緒にチームを引っ張って、一緒に、サッカーをするために。三上の武蔵森に懸ける思いは、きっと誰だってわかっているはずなのに。



その三上以外に、誰が10番をつけられるというんだ。




「三上を降ろすっていうなら、俺、辞めます」
!」

考えて口から出た言葉ではなかった。無意識に、出たものだった。だけど、その言葉を自覚しても、は後悔なんかしていなかった。今だってもちろん武蔵森は大切だし、武蔵森への気持ちだって変わらない。だけどそれは学校名にかけるものじゃなくて、一緒にやってきた仲間たちに対する思いだ。
自分がやめたって、三上が喜ぶなんて思わないし、むしろ怒鳴られることぐらい、にもわかってる。三上のためにではなくて、これは、自分のエゴだということも。わかってはいる けれど。

「うちの部員が強くなってレギュラーになるんなら、文句なんてあるわけない。けど、ポンと入ってきてただ上手いだけでうちで勝とうとするなんて、許せない。」

言葉を捜すように言いながら、はだんだんと思考が整理されていくのを感じていた。俺がこれだけ武蔵森に懸けているのは、ここが強豪だからとか、有名だからとか、今までの伝統があるからとか、そういう理由じゃない。そんなの、あるとしたって極一部だ。

「俺は、ここで一緒にやってきた仲間と、勝ちたい」

そのために、やってきた。甘い考えかもしれないし、所詮子どもだと思われるかもしれない。だけど、それでも構わなかった。
俺はそんなことをすんなり受け入れられるほど大人じゃないし、ただ言うことを素直に聞けるだけの子どもでもない。勝ちたいと思ってやってきた。だけど、それはより合わせのメンバーでじゃない。一緒にやってきた、仲間がいてこその話だ。

「・・・・俺の話は、これだけです。」
「・・・・・・・」

口を開かない桐原に視線をやって、は自分を落ち着けるように、詰まっていた息を吐いた。そうして、握っていた拳を開く。強く握っていたようで動きにくくなっている指が、掌にひっかかっていた。爪が食い込んでいたのかもしれないけれど、どうでもいいか とは思う。そんなこと、本当にどうでもいいことだ。

「失礼します」

一言だけ言って、は踵を返した。後ろから自分を呼ぶ桐原の声が聞こえたけれど、それには聞こえない振りをする。ふと掌を開けば動きは鈍くて、掌には深い凹みがあった。赤くなっているそこからは、わずかに血が滲んでいて、は苦笑を浮かべて、小さくあーあ と呟いた。







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