To Shine
武蔵森 VS 桜上水






武蔵森のロッカールーム。武蔵森ではメンバー入りした26人だけが入ることになっているこの場所にはまだざわめきがある。リザーブのメンバーを主体としたざわめきの中で、はレガースを片手にベンチへと腰を下ろした。カタ と、隣にレガースを置く。とうとう来たな と思った。 とはいえ、言ってしまえばこれはまだ地区大会の1回戦だし、勝てるかどうかわからないという相手でもない。けれど、いつもとは何かが違う気がする。はぁと息を吐けばそれは思った以上に長いものになって、もしかして緊張でもしてんのかな と他人事に思った。

先輩たちも、こんな気持ちだったのだろうか。去年の先輩も、一昨年の先輩も。今年はとうとう自分たちの代だ。3年は夏大会で引退。公式戦は、これを含めてあと2回。2回、しかない。この春大会は、全国へは繋がっていない。けれどこの大会で、夏の全国のためのシードを取らなければならない。今年は、自分たちの番なんだ。

先輩」

ふとかかった声に、ストッキングベルトをつけていたは顔を上げる。そこにいた笠井を確認してから、隣に腰を下ろした彼に声をかけた。そうすれば、特に意味はなかったんですけど と笠井が苦笑する。 ――― あぁそっか とは思う。その気持ちは、なんとなくわかる気がした。
笠井は、DFとしてスタメンに入っている2年だ。きっと自分のポジションは、来年は笠井が勤めているのだろう。もっともっと強くなって。そんなことを思って、がストッキングベルトを止めるためにかがんでいた体を起こして口を開く。

「緊張してるか?」
「・・そうです、ね。公式戦は、やっぱり違いますし」

笠井にとって、自分がスタメンとしてDFラインに入ってから、公式戦は2大会目だ。1回目であった新人戦は、DFの要であるもいなければ司令塔の三上もいないという散々な状況で、そう考えるとベストメンバーで挑む公式戦はこれが初めてになる。今回はベストメンバー。負けるわけにはいかない。いや、あの新人戦だって、負けるわけにはいかなかったのだ。この代で、このメンバーで、地区予選を戦うなんてことが、あってはならなかったのに。そう思う。だからこそ、次の、最後の公式戦である夏の大会では勿論本大会から、シードの出場になる権利を得なければならない。この大会で。そう思って、ぐっと拳を握った笠井に、が小さく笑う。

「そんな気負うなって」
―― 気負ってなんて、いません」
「そうか?ならいいんだけどな」

思わず返した笠井の言葉に、がからかうように笑う。それを見て、笠井はなんだか毒気を抜かれた気持ちになった。この人は、とても頼りがいがある人だと思う。サッカーだけではなくて、常日頃から。という人はなにか、安心させる人だ。なにをしているでもなくても、そこにいるだけで。

「・・・まぁ、気負うなってのは無理だろうけどさ」

決して大きくはない、けれど通る声で、が口を開く。自分へと視線を向けた笠井に、はふと2年前のことを思い出した。
入学した年の、けれどあれは、夏の大会。センターバックではなかったけれど、あのころからスタメンとして試合にでるようになった。同じ1年のスタメンには渋沢がいて、だからまだよかったのかもしれないけれど、確かに公式戦の緊張感に呑まれそうになっていた自分がいた。あのときの先輩がかけてくれた言葉を、今でも覚えている。

「俺がいるから。三上も、渋沢も」

ちょっとは先輩を頼りにしとけよ?と笑うは笠井にとって、今でも ―― こうして同じフィールドに立つことができるようになっても ―― “憧れの人”だ。きっとそれがなくなる日なんてないのだろうと思う。現にこの2年間で、その気持ちは薄れるどころ募っていく一方だ。先輩がいないDFラインなんて、考えられないと笠井は思う。いや、この人がいない武蔵森なんて。そう思う笠井に、なんて、とが付け足す。

「俺もこれ、受け売りなんだけどな」

俺たちがいるから、お前は好きなようにやれ。1年のにそう言ったのは、2つ上、3年生のセンターバックをしていた先輩だった。強い人だった。いろいろな面で、見習いたいと、見習おうとしている人。今は高等部のサッカー部で活躍している。その人の言葉は、そのときのにひどく染みこんだ。それだけのことを自分がしてやれているかなんてわからないけれど、でも少しでもそういう存在になれたらいいとは思う。それが自分があの人からもらったもので、それが先輩としての仕事だと、そう思うから。


「失敗したって俺がいる。みんながいる。だから、思うようにやれよ」


ポン、と、笠井の肩を叩いて、が立ち上がる。笠井はそれを止めることはしない。そのまま横においていた袋を取って、がロッカールームを出る。ベンチにそれを置きに行くためと、それから、もう1つの理由のために。パタンと閉まったドアを見ながら、笠井はふぅと息をついた。はい と遅れた返事を小さく口にして、やっぱりあの人はすごい人だ、と思う。先輩らしいなと口元が歪んだ。公式戦の初戦の前に、こんなに心が軽いなんて、あの新人戦からは考えられない。やっぱり貴方はいなくちゃいけない人です、先輩。
そんなことを考えてから、笠井は今、フィールドを踏んでいるのだろうを思い浮かべる。という選手は、まず一番にフィールドを踏む。ボールを蹴るわけでも、足を慣らせるわけでもない。ただそのフィールドを踏む。笠井は一度だけ、その姿を見たことがあった。今思えばあれがキッカケだったと思う。同じポジションの人に、これほど強い憧れを抱いたのは。


トン、とスパイクで、はフィールドを踏みしめた。新人戦に出られなかったにとって、これが自分たちの代になって初めての公式戦。それを思って、はちらりとスタンドへと目をやった。すでに、チラホラと観客の姿が見える。それから、どこかのチームのジャージを着た、偵察の姿も。自分へと向かってくる視線を受けて、始まるな とは思う。

「・・勝つのは、俺たちだ」

小さく、自分に向かって呟いた。ここから、最後の一年が始まる。負けるわけにはいかない。







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