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To Shine
「―Never mind,」
武蔵森学園中等部のサッカー部寮である松葉寮には、生徒達が生活に使うのとは違う、所謂来客用の部屋がある。そこは稀にいる来客者 ―― 例えば保護者だったり、サッカー関係者だったり ―― がまず通される部屋であるが、今日このとき、その部屋は後者のために開かれていた。座られた2つの椅子のうちの1つは制服姿の、そしてもう1つはサッカー関係者 ――― ナショナルトレセンコーチの榊である。 「ということで、特別枠参加ということで固まったよ」 「ありがとうございます」 受けた説明と渡された資料の総括とも言える榊の言葉に、受け取った資料から顔を上げたが御礼を言う。先日の電話から、いや、もっと前から動いてくれていた榊への素直な感謝の気持ちだ。その言葉に、先ほどまでのきっちりとしていた態度を少し崩した榊がいや、と笑う。 「私を含めトレセン委員も皆の賛成だ。つまるところ、君の実力だな」 元々、東京都選抜にが入っていないということはトレセンコーチ陣やサッカー関係者にとっても、処置をどうするかという議論の種ではあった。しかし今回は、選抜不参加の理由となったのがドイツへのサッカー留学であり、それがサッカー協会側から提示したセレクションに合格してのものであったことで、方々からの非難も打ち消すことが出来るだろうという結論に至ったというわけだ。同年代の中でも経験豊富な不動のセンターバックが不在となってしまえば、その影響は大きい。更にの属する年代代表は、これからU−17世界大会などへ向けて編成されていく代表なのだ。そんな中で規則どおりに、なんて頭を固くしている場合ではない、というのが榊の意見であった。 「だが今回は、トレセンも今までとは違う形式を取る」 しかしそれとはまた別として、今回のトレセンは対抗戦方式となる。それもまた、将来の日本を背負って立つサッカー選手たちを強くするために決められたこと。ともすれば代表にしても、当然勝ち上がり、多くプレーを見せられたほうが選出において優位になる。だがしかし、そうだとするとには問題があった。 「君はトレセン枠だ。東京選抜に組み込みという形をとることもできるが ―― 」 「・・いえ、それは辞退します」 「そう言うと思ったよ」 申し出を固辞したに、榊はわかっていたように笑う。実際にわかっていたのだろう。選抜に参加していないということは、確実に試合には出られないということだ。もちろん合同練習はあるとは言えども、対抗戦形式となれば、それは大きな痛手である。けれど今になって東京選抜に入るつもりはには微塵もなかった。話を聞いていればようやくチームが出来てきたというところらしいし、そもそも自分がそのチームの一員だという自覚がなければチームプレーもなにもないだろう。とて、そのハンデが生半可なものではないことは知っている。それでも、だ。 「どこにも属さないとなると、君が参加するのはほぼ半分 ――― いや、それ以下になる」 その資料にもあるように、合同練習はほぼ2日目だけだからね、とスケジュールを示す榊に、は頷いた。開会式などが行われる初日を除いた3日間のうちの1日。3日目以降はトーナメントに負けたチームから自主練習や合同練習という形にはなるのだろうけれど、それはあくまでもメインではない。つまりにとって自分の力を示せるのは、2日目のみということである。 「その中で誰もが納得するような力を見せてくれなければ、代表として選抜することはできない。いいね?」 再確認のようなその事項を、榊はどこか楽しそうに笑って口にした。その言葉は、出来るかと言う問いかけというよりも、やってみせろと言われたようにの耳に届く。それを受けて、は口元を上げた。 「勿論です」 そうでなければ、トレセンに行く意味などない。貪欲さと自信とを織り交ぜて笑ってみせたに、榊は満足気に頷いた。榊はに期待をしているし、また一指導者として、元サッカー選手として、というサッカー選手を好いていた。そうでなければ、単に資料を送るのではなくわざわざこうして武蔵森まで足を運ぶこともないだろうし、こうしてに発破をかけることもないだろう。そうしてもまた、それをきちんと理解していた。そのが資料を封筒へと仕舞い終えたのを見れば、榊がそれじゃあ、と立ち上がる。同じく立ち上がったが、閉じられていたドアを開けた。そうすればすぐに玄関の見える場所ではなるのだけれど、来てもらった側であるが玄関まで榊を見送れば、そうだ、と靴を履き替えた榊がに振り返る。 「ここからだとグランドはそっちから回る形か?」 「はい、そこを曲がってすぐです。」 「そうか、ありがとう。桐原監督に挨拶をしてから帰るとするよ」 強豪学校のサッカー部の監督とあらば、こういったナショナルコーチ陣と係わりのある人も居る。桐原もその1人であり、それを知っていたは、納得したように頷いた。そうして再度、ご足労頂いてありがとうございました、と声をかける。そうすれば、榊はにっこりと笑って、礼はプレーで見せてくれよ、という言葉を残して松葉寮を出て行った。そんな榊に一瞬面食らったは、けれど小さく笑う。了解しました、と届かない返事を口にしたなら、も同じく松葉寮の中へと戻っていった。 |