To Shine
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年の瀬も間近となったこの時期は、やるべきことが多い。寮生活をしている武蔵森サッカー部の面々もそれは同様で、寮の大掃除をしたりだとか、部屋の片付けが一向に進まない後輩をけしかけたりだとか、そうやって師走という名の通りに十二月を慌ただしく過ごしていた。はと言えば、今日は年越しのための買い出しに来ているところである。この冷え込んだ時期においても街の人通りは多く、年末特有の雰囲気を感じながら、重い買い物袋をぶら下げて歩いていたの目に映ったのは、見覚えのある薄い茶色であった。

「・・あれ、水野?」

意識しないうちに零した声はどうやらその相手に届いたらしく、その茶色い髪が揺れる。そうして振り向いたのは、やはりというか、水野であった。驚いたような顔をした水野もまたと同じく手に買い物袋を提げており、どうやら年越しの買い物中であるらしい。よ、と声をかけて近付けば、ああ、と彼からも声が返ってくる。

「久しぶり。水野も買い物?」
「ああ・・今は母親を待ってるところ」

問いかければ、げんなりした様子で答える水野に、おおよその現状は把握できて、そりゃお疲れー、とは笑う。他人事だと思って、とでも言いたげな視線はしっかりと感じたけれど、他人事に違いないのだし、母親に振り回されているという、普段の水野のイメージからはあまり直結しないその様子が単純に面白くもあった。水野とが直接会うのは大分久しぶりではあるが、選抜などでお互いの知人の係わりがあることもあって、近況などは話に聞いている。そのためか別段真新しい話題などもなく会話をしていれば、思いだしたように水野が口を開いた。

「・・なあ、は高等部に進むのか?」

軽くはないけれど、決して重くもない調子で問いかけられた言葉に、はぱちりと瞬く。それはにとって目下の悩み事ではあったけれど、そうと知っている人間は極僅かであったし、水野の口から出てくるとは思っていなかった。どちらにしてもはっきりとした答えなど、むしろ本人でさえもまだわからないのだから答えようもなく、は水野に問い返す。

「・・どうしたんだ、急に?」
「いや・・・まだ早いけど、俺たちもそういう調査が始まってて」

水野の答えに、ああ、そういえばそんな時期か、と、は昨年の今頃を思い返す。もちろん公立の学校と、エスカレーター式での内部進学のある私立の学校では勝手も違うのだろうが、初期調査というものなのだろう。去年の今頃は、何の疑いもなく高等部に進学すると思っていた自分を思い返して、思わずの顔に苦笑のような、なんとも言えない笑みが浮かぶ。そんなに、そのさ、と、言いづらそうに水野が言葉を続けた。

「武蔵森の高等部って、基本は持ちあがりなのか?」
「・・・そうだな・・だいたい毎年、内部が6割位って聞いたけど」

かけられた問いに少し驚きはしたものの、ともかく、とは先輩たちから聞き及んでいる高等部の人数構成を答える。もちろん1軍なのか、3軍なのかによって人数比は全く違うだろうが、今水野が聞きたいのはそんな細かいことではないだろう。水野が武蔵森に転校してくるという騒ぎがあったのは、もう半年前のことになるだろうか。あのときは頑なにそれを拒否していたという話を聞いたけれど、こんな話を聞いてくるとなると ――― そうやって少し考えてから、は水野に問い返した。

「うちの高等部に興味があるのか?」

考えはしたものの、結局はストレートに発せられたの問いに、ちがっ、と水野が反射のように声を発する。けれどその声はそのまま止まり、水野はバツが悪そうに視線を外した。その様子はまさに先ほどの問いに肯定の答えを示すもので、へえ、とは内心で驚きを零す。以前の水野は武蔵森に ―― というよりも、父親である桐原監督に、だろうか ―― 反抗意識を強く持っていたようだったし、中等部に受かっておきながら蹴ったという事実もある。そんな水野の心境の変化は一体どこから来たのだろうか。そんなふうに考えていたの視線に促されるように、水野が視線は返さないままで声を零す。

「・・・選抜で、プレーするようになって・・親父の言うことが理解できるようになったんだ」

落とされた言葉に、桐原監督?とが首を傾げた。そんなに、ああ、と水野が頷く。武蔵森を蹴って、桜上水という無名の公立のチームに所属した自分に、名門チームの監督を長年に渡り担ってきた父親から向けられた言葉。それは意識はせずとも水野の中に深く残っていた言葉だった。

「環境が優秀な選手を育てる、って」
「・・・・」

そうして水野が口にした言葉に、は唇を結ぶ。水野の言葉、即ち桐原が口にした言葉は、現在のにとっても深く刺さる言葉であった。けれど、水野が言った、理解できるようになった という言葉の意味もわかる。桜上水では、きっと水野が一番上のポジションにいるのだろう。それが周りのレベルがぐんと上がったことで、きっと、純粋に楽しいと感じたのだろう。それは、少しずつ異なってはいるだろうけれど、がドイツに短期留学して感じたものと同じであった。

「正直・・・悩んでる」

そう零したのは、水野だっただろうか、それとも、の内心であっただろうか。水野の気持ちは身に沁みてわかって ――― 同時に、自分は彼よりもずっと時間がない身なことをまざまざと感じて、は水野から視線を外した。けれど同時に、自分の周囲がその点について悩んでいないためだろう、他にもこうして進路に悩んでいる人がいるのだということは、の気持ちを少しだけ軽くした。はあ、と知らぬ間に詰めていた息を吐けば、この寒さから白くなって消えたそれに、何とはなしに、ふ、と笑みが零れる。

「そっか、水野が来るかもしれないのか」
「まだ決めたわけじゃ・・」
「わかってるよ、もしかしたら、な」

それまでよりも軽くなった声色でがそう呟けば、すかさずに訂正が入った。けれどそれは強いものではなくて、笑って言葉を付け足す。もしかしたら、とは言いつつも、には水野が武蔵森に来るということが、何故だかとても可能性がある未来のように思えた。詳しくは知らないけれど、親子関係も以前よりは良くなっているようだし、単純に、武蔵森という場は水野にとっても悪くはないだろう。水野と三上が中盤をつくるなんてこともあるのだろうか、それはまた面白いものになりそうだ。そんなことを思い浮かべて、は今更に、当たり前のことに思い当たって、はは、と笑った。

「そうだな。高等部にも、強いやつがたくさん来るんだろうな」

そう、今と同じメンバーはいるけれど、新しいメンバーもたくさん来るのだろう。今年は全国ベスト4に入ったこともあって、例年よりも増して有望な選手の入学が見込めるなんて噂もあるくらいだ。同じ武蔵森という名を冠するけれど、同じ武蔵森ではない。そんな当たり前のことに、今になって実感を持つのも、エスカレーターと寮生活という、ある意味隔離された場にいたからだろうか。しみじみとそんなことを感じるの様子に、?と水野が訝しげに声をかける。そんな後輩 ―― と、今現在厳密に呼べるかは別として ―― に、さんきゅ、と笑ったの心は、手にしたままの買い物袋の重さに反して、寮を出てきたときよりも軽くなっていた。







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