雲貴高原少数民族紀行
〜ミャオ族の祭り・剣河の姉妹飯節〜
 今度の旅は姉妹飯の撮影が目的であった。メジャーな施洞の姉妹飯が今年はゴールデンウイークに当り旅行費用が割高なため来年にしようかと思っていたが、一ヶ月前に剣河と言う所にも姉妹飯がありツアーが組まれた。
 マイナーな所なので不安があったが、”不安的中”全く寂しい姉妹飯で、祭りの主役の若い娘さんは二人いただけ、それも午前中だけ。祭りが行われる場所も狭いところであったが、それでも閑散としてなんとも締まらない。前日の上郎徳村の歓迎式の方がはるかに豪華、盛大であった。

 姉妹飯以外の少数民族は、所謂”歓迎式”が組まれ、撮影は思う存分出来るが、貴州省の少数民族は普段は民族衣装を着用している人は少なく、特に若い娘さんは日常は殆どの人が着ていない。
 歓迎式は非日常の衣装で、本当は日常の姿を見たいのだが、最早、中国で外国人が訪れることが出来る場所では、普段民族衣装を着ている人々を見るのは難しい。

 龍勝の棚田は最初から水が張られていないことは分かっていたので大きな期待はしていなかったが、観光地の桂林に近いことから、ここも一大観光地で土産売りも沢山いた。
 ホテルも沢山あり、観光産業に従事している人々も多いようだが、農業をおろそかにすると観光も駄目になると言うことが危惧される。ここは、棚田があるから観光客が来るのであって、棚田がなければ誰も来ない。

 やはり貴州省は天気の悪い所で、十日間殆ど太陽は出なかった。また、天候も不順で前半はTシャツ1枚でも暑くてフウフウ言っていたのが、後半はジャンバーやコートが要る位。

 とにかく今回は大外れの旅。姉妹飯がなければ勿論参加しなかったのだが。あまりにもマイナーな祭りは行くんではないと肝に・・・・?
 おまけに、久し振りに銀塩も撮影しようと持って行ったカメラが早々に故障。スーツケースも鍵が不調で、キーロックで毎日難儀をするし。で・・・・”踏んだり蹴ったり”とはこのことか?
日程(2007.3.27発)
日次 コ  ー  ス 宿泊地
関西空港→(中国南方航空)→広州→(中国南方航空)→桂林 桂林・観光大酒店
桂林→龍勝→三江 三江・三江飯店
三江→肇興→従江 従江・観音閣山荘
従江→三都 三都・都柳江賓館
三都→丹賽 丹賽・金秋賓館
丹賽→凱里→剣河 剣河・久格里吉山荘
7 剣河 剣河・久格里吉山荘
8 剣河→安順 安順・神奇福運大酒店
9 安順→六枝→安順 安順・神奇福運大酒店
10 安順→貴陽→(中国南方航空)→広州 広州・華厦大酒店
11 広州→(中国南方航空)→関西空港



(西遊旅行パンフレットより)
@ 2007.3.27(火) 関西空港→(中国南方航空)→広州→(中国南方航空)→桂林
 関空を午後発ち、広州で添乗員の一行と合流。国内線に乗り換えて桂林に。
A 2007.3.28(水) 桂林→龍勝→三江
龍勝・龍脊棚田
チワン族、紅ヤオ族
 初めての桂林は車窓から眺めるだけで龍勝の棚田へ。
 棚田はまだ田植え前で水は殆ど張られていないし、苗代らしきものも見当たらない。スケールはそこそこだが、やはり元陽の棚田と比べると物足りないのは仕方ないこと。
 ここは、桂林に近いことからだろうが一大観光地で、村人はホテル、ガイド、土産物売りと観光業に従事している人が多そうだ。
 ここで目に付く少数民族はチワン族と紅ヤオ族。土産物売りや写真モデルは民族衣装を着てはいるが、農作業では着ていない。こうしてみるとカラフルな衣装で普通に農作業している北ベトナムは凄い?
B 2007.3.29(木) 三江→肇興→従江
馬鞍寨(トン族)
 トン族は風雨橋という独特の橋を架ける民族で、最大といわれる程陽橋(左の写真)は観光地で、ここを渡るには料金が必要。(地元の人々は?)
黔東南苗族トン族自治州肇興郷(トン族)
 いよいよ貴州省に入り最初の村でトン族の歓迎式。村の中心部には鼓楼が建ち、この前の広場で色々な行事がおこなわれるようだ。
C 2007.3.30(金) 従江→三都
丙妹鎮芭沙村(芭沙ミャオ族)
 ここでは歓迎式はなかったが比較的多くの人が民族衣装を着ているしし、小学校の児童もかなりの子どもが着ている。
 この民族は、女性の民族衣装より男性の辮髪(べんぱつ)に特徴がある。

三都水族自治県(ザンライ)水族寨(水族)
 大勢の子供たちが歓迎式を見学。よくあることだが我々一行が逆に見世物。ここも民族衣装を着ている子どもは少ない。
三都水族自治県巴卯(バウ)村(水族)
 ここでは普通の歓迎式の他に”先祖祭”という厳粛な行事が行われたが、現地のお役人は我々と集落の人々の集合写真を撮影し、観光パンフレットや新聞類に用いるようだ。
D 2007.3.31(土) 三都→丹賽
丹寨県雅灰郷送龍村(白鳥衣ミャオ族)
 冠や衣装の裾に鳥の羽を飾り付けた豪華な衣装が魅力的。
丹寨県排調鎮也改村(短裾ミャオ族)
 この村では歓迎式は用意されていなく、村人も殆ど見かけず静かな佇まいなのだが、近くで6日市(6日毎に行われるらしい)という市が開かれていて、皆出かけているようだ。(売り手か買い手か?)
 ここの短裾はスカートが短いのではなく、短い前掛けから短裾と呼ばれている。
E 2007.4.1(日) 丹賽→凱里→剣河
丹寨県南皋郷石橋村(石橋ミャオ族)
 地名から石橋ミャオと呼ばれているミャオ族だが、この民族は紙漉きが伝えられている。実用品が主だったと思われるが、観光用の工芸紙も創られているが、素朴と言うより幼稚な工芸紙である。
 ここは歓迎式も行われず、民族衣装も着てはいないが、髪だけは祭りなどのために用意しているようだ。

丹寨県丹渓鎮青曼甲郷(青曼ミャオ族)
 石橋村から30分位走っただろうか、途中で市が開かれていたので立ち寄った。
 ここも石橋村と同様で民族衣装は着ていなかったが、帰りがけに突然民族衣装を着た一人の女性が現れた。同行の人は皆バスに乗っていて撮影したのは自分だけだがシャッターは3枚だけ。何の為に現れたのか謎。まさか我々の為ではないだろうし?
雷山県郎徳鎮上郎徳村(長裾ミャオ族)
 ここは多くの観光客が訪れる村なのだろうか。我々が着いた時は先客の歓迎式が行われていた。
 本や地図にもよく載っていて内容も洗練されているが、これ以上洗練されてしまうと、もうショーになってしまい、素朴さも失われてしまいそうだ。
F 2007.4.2(月) 剣河
姉妹飯・剣河県屯州村(紅繍ミャオ族)
 ここの姉妹飯は素朴な姉妹飯だが、あまりにも素朴すぎた。夜半の雷雨の影響もあったのだろうがあまりにも人出が少ない。
 祭りの会場も狭く、よしんば人が集まってもこれではいちどうに揃いようもない。
 今回は姉妹飯の為だけに参加したのだが見事に外れた。
G 2007.4.3(火) 剣河→安順
剣河県南寨郷繞号(ロウゴウ)村(錫繍ミャオ)
 昨日から天候は急変し今日は10℃以下の気温だそうだ。前半は30℃を超える日もあり、差引25℃の違いでいっぺんに夏と冬を体験した。
 この村も普段は民族衣装の着用は殆ど無いようで、僅かにお年寄りが1人だけ。
剣河県観”口に馬”郷巫包村(紅繍ミャオ)
 この村はお年よりは結構民族衣装を着ている。姉妹飯の村も紅繍ミャオ族と呼ばれているが衣装には違いがある。同じ村のミャオ族でも数種類の名前を付けられていたりして、ミャオ族の呼称は外部の人々の思いのままのようだ。
H 2007.4.4(水) 安順→六枝→安順
六枝梭戛郷龍”口に戛”村(長角ミャオ族)
 最後のミャオ族は六枝の長角ミャオ族だが、このミャオ族も有名なミャオ族で、やはり歓迎式も洗練されつつある。
黄果樹大瀑布
 黄果樹大瀑布は貴州省で最大の観光地で多くの人で賑わっている。
 この滝は前後、左右、上下とどの方向からも見ることが出来る滝として有名である。
I 2007.4.5(木) 安順→貴陽→(中国南方航空)→広州
貴陽市(トン族)
 今日は貴陽の市内のトン族レストランで昼食。デモでトン族の民族衣装の女性の歓迎。
 食後レストランを出たら日が射していて青空も覗いていた。10日間で初めて太陽を見たような気がし、まさしく太陽が貴重な貴陽市である。貴陽市では風景写真家は成り立ちそうもない。
J 2007.4.6(金) 広州→(中国南方航空)→関西空港
 早朝の起床でのフライト。東京組は更に1時間早く発ち、見送り後7時にホテルを出発。9時20分に飛び立ち定刻よりやや早く関空着。期待した姉妹飯が外れなのでやけに疲れを感じた。
 
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