日本2/3周日記(大隈) 自転車大破東九州編(大隈)

8月19日(月)晴 田の神様と少女の笑顔

 ハブにかまれることもなく朝を迎えました(しつこい)。
 6時半ごろに起きたかな。飯は、おむすびと豚骨ラーメン。風の強い甲板で食べたので、汁が風下の人に飛ばないか、用心しいしい食いました。
 
 開聞岳が見えてきて、鹿児島港に近づいたころ、船内アナウンスで
「お客様の中に、お医者様はいらっしゃいませんか」
が流れました。ギャグのネタとしてはよく聞くフレーズですが、実際のアナウンスに出くわしたのは初めてだったので、ニヤニヤしてしまいました。
 鹿児島港に入り、いざ下船という段になって、再びアナウンスが入りました。
「船内でお亡くなりになった方がいらっしゃいますので、海上保安庁の調べが終わるまでお待ちください」
とのこと。へええ、死んじゃったんだ。死因は船酔い?それとも、寝てる間に隣の人に頭を蹴られて脳挫傷?
 いずれにしても、いるんですねえ、こんなところで亡くなる人が。
 
 予定の時刻よりは少し遅れ、9時ころに鹿児島港に上陸。行きにもらった市内マップを改めて眺めましたが、さして面白そうなスポットもないので、先に進むことにしました。
 今後のルートは、鹿児島神宮、桜島を経て、大隅半島をぐるりと回り、霧島とか高千穂とか椎葉とか阿蘇山を見て、宇佐八幡宮をお参りして九州脱出、というのがおおまかな予定です。
山も多いし、道もあっちこっちするので、九州を出るのは早くても9月上旬になるでしょう。
 
 鹿児島市内の国道10号沿いで、「西郷隆盛蘇生の家」というのがありました。
 西郷隆盛は若いころ、勤皇派の月照という坊主と心中しようとしたことがあって、月照は死んだものの西郷は助かって、この家で息を吹き返したのだそうです。西郷は生涯、このことを恥じていたのだそうですが、そりゃ、坊主と心中なんて、色っぽくありませんやね。
 鹿児島市内の観光名所は、何かというと西郷モノばっかりで、ぼくはさほど興味なかったのですが、「蘇生の家」まで保存してあるとは、ちょっとばかばかしくて面白かったです。
 西郷隆盛なんて、そんなにファンが多いんですかね。征韓論を唱えた、植民地主義者のハシリでしょ?
 
 鹿児島湾の最奥部、加治木町には「椋鳩十記念文学館」があって、企画展として「熊谷元一童画展」をやっておりました。椋鳩十も熊谷元一も我が地元下伊那の出身なので、
「なんで九州の果てまできてこんな連中の名を見にゃいかんのだ」
と不愉快でしたが、正直言うとほんの少しなつかしかったです。
 せっかくなので見物してやろうかと玄関に立ち、自動ドアが開かないのを知ってようやく今日が月曜日だということに思い至りました。
 
 一人で照れながら先に進み、途中「ふれあい」物件を見つけて自転車を止め、標識を写真に撮っていると、通りがかった中学生の女の子が
「こんにちわあ」
とあいさつしてくれました。
「こんにちは」
咄嗟にあいさつを返しましたが、あいさつとともに彼女が広末涼子の上をいくほどの可愛い笑顔で会釈してくれたので、
「おお、加治木って田舎臭いけど、いいとこかも」
と思ってしまいました。単純。
 
 隼人町に入り、隼人塚を見物。奈良時代に反乱を起こし鎮圧された隼人の霊が祟ったので、それを鎮めるために作られた塚だとの伝説があるそうなのですが、実は「隼人塚」という名称は明治時代の人が紹介したもので、江戸以前にはそんな呼び名はなかったのだそうです。
 実際の発掘の結果でも、この塚が平安時代後期のものであることは明らかで、もとはここに寺があり、その関連の遺構ではないかとのことでした。
 なあんだ。
 
 次に行ったのは鹿児島神宮。
 南九州唯一の延喜式大社で、別名を正八幡というそうです。全国八幡宮の本社と言えば宇佐八幡を思い浮かべますが、鹿児島神宮は全国「正八幡」の本社なのだそうです。元祖と本家の争いみたい。
 『今昔物語』などによれば、八幡神はまずこの地に現れ、後に宇佐に移ったのだそうです。
 また、鹿児島神宮はかつてとなりの石躰神社に社殿があり、ヒコホホデミ命(山幸彦)が豊玉姫とともに住んだ高千穂宮のあった場所なのだそうです。
 神宮の境内社の一つ「隼人風神社」は日本武命を祭っているのですが、
小野重朗(民俗学者)に言わせると、滅ぼされた隼人の霊が悪い風となって祟ったのを、日本武の霊力によって鎮圧するために作られた神社ではないか、とのこと。
 見る限りただの社で、そんな恐ろしげな信仰的背景は何も感じないのですが。
 
タノカンサア
タノカンサア

 神宮の斎田の畦には鹿児島独特の「田の神」の石仏がありました。地元では「タノカンサア」といい、大黒様みたいな顔の田の神様が、しゃもじとお椀をもって踊っている姿です。
 タノカンサアを見るのも今回の九州の旅の楽しみの一つだったのですが、ようやく実物に一つ出会えました。
 タノカンサアは盗まれるのが好きだという言い伝えがあり、よその集落のタノカンサアを盗んでくるという風習があったそうですが、さすがに神宮のタノカンサアを盗むとバチが当たりそうな気がします。
 
 もう一つ、神宮付近にあった怪しい神社が「卑弥呼神社」。嘘臭えな、と思ったら、案の定思い込みの激しい地元のじいさん松下兼知氏(本名)が、昭和57年に建ててしまったものでした。
 卑弥呼のでっかいブロンズ像が立ち、
「卑弥呼が隼人地区に居城を持っていたことが解ったのでここに神社を建立した」
とのことなのですが、一体何が根拠なのやら。卑弥呼神社の御利益が「縁結び」と「心身症の回復」というのも、少し唐突な気がするんだけど。
 
 隼人町を出て、国分を過ぎ、今日は根性で桜島まで走りました。
桜島を眺めながら背中を拭く
桜島を眺めながら背中を拭く

 桜島の溶岩の展望台で野宿。天気がいいので、ベンチで寝ます。まわりは一面の溶岩。まばらに松が生えている程度。人も来なくて静かで最高。
 晩飯は食パンとソーセージ、そして沖縄で買った最後の泡盛。
 夕映えの桜島を見上げると、火口から噴煙が上がっているのがよく見えます。近くにはコンクリート製の退避壕もあります。
 ハブを気にせず野宿できるってのはいいですね。
 
 沖縄での野宿と同様、シュラフカバー一枚で十分かと思っていたら、風が少し強くて肌寒い程だったので、久しぶりにシュラフを出してくるまりました。シュラフで寝たのは約二カ月ぶりではないでしょうか。
 明日は桜島を一周して、大隅半島を南下します。
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8月20日(火)晴 ぐるりと桜島

 夜の風に飛ばされて、シュラフカバーの袋がどこかへ消えてしまいました。くやしい。
桜島
桜島

 明るくなると、桜島の山肌がよく見えます。草木が生えておらず、積もった溶岩や火山灰が今にも崩れそうです。
 ご飯を炊いて、みそ汁と梅干しの朝飯を食っていると、観光客のおっさんが二人やってきました。
パンクしなかったかとか、若いうちでなきゃできんことだとか、いつもの会話でした。
 休憩所の電源を借りて日記を打っていると、今度は外人のお髭のおじさんが話しかけてきました。
「外の自転車、アナタの?」
「いえーす」
「Oh,Zaurus,new model!」
とかなんとか喋ってくれるので、ぼくも適当に日本語で返しました。
 
 今日は桜島一周。火口の風下を走ると、火山灰が舞っているのか、目にゴミが入りやすくて往生します。
 桜島ビジターセンターを観、近くのAコープで食パンとしゃきっとコーンとマヨネーズを買い、サンドイッチ風にして食い、低脂肪乳1Lが半額だったので買って飲み干しました。
 公園の木陰で気持ち良く昼寝し、3時ころ再び出発。桜島は、鹿児島市から見えない北東側が、上り下りがきつくてしんどいです。
 ペダルが少し重く感じられたので後輪を見ると、後輪の軸が緩んでガタガタしておりました。漕ぐたびにタイヤが揺れて、ブレーキシューに当たり、ペダルを重くしているらしいのです。
 ぼくの手には負えないので、どこかの自転車屋で修理してもらわねばならないのですが、
「直すのに一週間かかりますね」
とか
「買いかえなきゃ駄目ですね」
と言われるのが怖くて自転車屋に行く勇気がありません。今のままでどこまで走れるかなー。
 
 桜島周辺で面白いのは、お墓に屋根がついていることです。墓石を囲うように簡単な小屋みたいなものが作られているのです。そういう風習なのかな、と思いましたが、おそらくは桜島の火山灰除けでしょう。
 大正時代の大噴火で埋まった鳥居などを見て、夕方5時にようやく桜島一周完了。
 
 錦江湾の東岸を、佐多岬めざして南下。途中のスーパーで買い物して発泡酒を買ったんですが、やっぱ沖縄の方が安いな。沖縄のスーパーでは350ml缶を105円くらい普通に売ってますが、こっちだとスーパーで買っても120円くらいはするようです。
 
 今夜は、垂水市の運動公園のベンチで寝ます。剥いた柿の皮が捨ててあったり、どこからか小便の臭いがただよってきたりして、あまりきれいなところではありません。
 ここ最近泡盛が続いており、酒屋では焼酎は芋焼酎ばかり売っていたので、ひさしぶりにウイスキーを買いました。
 昼に飲んだ低脂肪乳1Lがまだ胃に残っている感じだったので、ウイスキーの水割りだけ飲んで寝てしまいました。
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8月21日(水)曇 落城寸前?涅槃城

 昨日の低脂肪乳のおかげで、夜になって下痢しました。おなかがぐるぐるきゅるきゅる言うので、トイレに行きました。半額セールの牛乳を1L一度に飲むと、ぼくの腹でも処理できなくなるようです。
 
 朝にはすっかり調子が戻り、朝食は冷やしサラダうどん。生の細うどん(これも半額)を水ですすぎ、キャベツのみじん切りとハムをのっけて、味付けはマヨネーズと醤油とポン酢。今頃ですが、夏らしいメニューです。
 
 鹿屋市の郵便局で溜まったパンフレット類を自宅に送りました。
 一緒に送ったのは、石垣のツケおじさんからもらった貝殻や、シャツ。 去年大阪の石井スポーツで買った速乾性のシャツが、のべ7カ月着っぱなしていたら肩が擦り切れてしまったのです。捨てられない貧乏性。
 その後しばらく走って海水浴場で一休みして日記を打ち、大根占町の道路地図看板を見ているとき、
「こんにちはー」
と、軽装のサイクリングのお姉さんに抜かれました。
 佐多町に入って、Aコープで買い物し、佐多岬目指して曲がりくねった道を上り、トンネルを抜けると、
何なんだこのオッサンは?
涅槃城の看板(一部)

「無垢世界 涅槃城」
というでっかい看板が出現しました。
 開聞町のムー大陸博物館と同じ新興宗教「平等大慧会」の「聖地」の一つです。
 看板によれば、急な山間の道を3.8qも入っていかなければならないらしいのですが、せっかくなので行ってみることにしました。
 途中の道で猪が出現するほどの山の中です。
 ひいこら漕いだり押したりしていくと、牛小屋の向こうに金ぴかの「涅槃門」が出現しました。
 あまりにトートツです。
 門から本殿へは関係者以外進入禁止で、アスファルト道にしたがって坂を下りていくと、広い駐車場と売店、ばかでっかいお釈迦様の涅槃像がありました。
涅槃城
涅槃城

 涅槃像はでかすぎて、下から見ると台座の向こうに頭が少しのぞく程度。涅槃像への階段の両脇には、白像に乗った変な仏様の巨像が一人ずつそびえています。大きさは見るものを圧倒しますが、形や質感などは、駄菓子のおまけのゴム人形みたいで、威厳とか荘厳さはまったくありません。
 脇仏の片方の台座が展示室になっていたので、入ってみることにしました。
 
 誰もいないので志し料の箱に100円入れ、来観者名簿には氏名とおおまかな出身地だけ書きました。
 番地や電話番号なんて怖くて書けません。
 ムー大陸博物館みたいに、すごい展示かと思ったら、わけのわからん教義の解説パネルでした。
 パネルを見ていたら、奥から受付担当らしきおばんさんが現れ、いろいろ説明をしてくれました。
 ビデオを観ますかと訊かれたので、観させてもらいました。
 平等大慧会は広島に本部がある仏教テイストの宗教で、教祖の梅本レイキヨ(漢字難しい)氏が「妙法華経」というオリジナルなお経を感得し、始めた宗教のようです。
 何十万人もの信者を集め、教祖は池田湖畔の多宝仏塔やこの涅槃城など「仏所」を作ることに力を注いだのだそうです。
 偉大な教祖は平成11年に亡くなり、サンヨー電機に勤めていた息子の梅本道生さんが二代目を襲名して現在に至っています。二代目は顔を見る限り、頼り無さそうな普通のパパでした。
 道生教祖より、その女房の方が野村サチヨ似で、幹部をアゴで使って悪いことしそうな感じでした。
 若い女性信者へのインタビューもあったのですが、
「妙法華経をちゃんと唱えさていただいたら、その朝通勤するとき、一度も赤信号で停まらずに職場までいけたんですよ」
と熱っぽく語っておりました。便利な気もするけど、その程度のことでいいのか?
 一生懸命お祈りする信者たちは約七割が女性。
カメラの映像は、中でも映りのいい若い女性信者をアップで写すのですが、「おいおい、その人目の下に隈ができてるぞ」って人もいたので、ディレクターはもう少し被写体選びに気を使った方がよかったのでは。
 ビデオのナレーションでは「大衆を救うために」という言葉が何度も繰り返されていましたが、大衆の一人として、
「こんなうさん臭い宗教に救ってもらいたくはないなあ」
というのがぼくの感想です。
 
 階下の展示室には、仏像などが陳列されているのですが、教団独自の珍奇な仏様は多くなく、ほとんどが伝統的な仏像だったので面白くありませんでした。
 どうせなら、密教もびっくりなすごく気持ち悪いオリジナル仏を作ってほしいものです。首長如来とか、百目菩薩とか、悩殺天とか。
 ギャラリーの奥には閉じられたシャッターがあって、信者になるとその向こう、涅槃城の天守閣(?)に入れるのでしょう。
 
 受付のおばさんは熱心に解説してくれ、こっちが申し訳なく思うほどでした。
「あなた、宗教に興味があるんでしょ。東京にも名古屋にも支部がありますからね、どうぞいらっしゃいよ。こういうすばらしいところに来たのも、縁なんですから」
うーん、ぼくは宗教に興味あるけど、べつに信心はしたくないんだよなー。
 動物園の猿を眺めるのは楽しいけど、猿になりたいとは思わないんだよなー。ひでえたとえ。
 売店はもう閉まっていたのですが、おばさんがイベントのパンフレットをあげるからと言ってわざわざ自動ドアの電源を入れて中に入れてくれました。
 売店には、オリジナル芋焼酎「涅槃城」なんてのが売られていました。飲んだとたん涅槃の境地に行けてしまうのでしょう。
 ここでまたプライムテンを一本飲み、おばさんにお礼を言って城を後にしました。
 
 戻りは、下り坂が多いので楽です。
 今夜は、佐多岬の手前の「佐多ふれあいパーク」で寝ることにしました。ここの東屋は電灯付きでリッチです。
 ぼく以外にも、トイレの近くに車を止めて、テントなしのキャンプをしている家族連れがいます。
 いつも公園のお世話になっているぼくが言うのはなんですが、家族連れはちゃんとキャンプ場を利用した方がいいと思います。
 ジプシーや山窩の一家なら、仕方ないかも知れませんが。
 
 晩飯は、ニンジンやキャベツを入れてラーメンでも煮たっけな。
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8月22日(木)晴のち曇 試練の県道74号

 ベンチで寝たのですが、蚊に顔を刺されました。
 朝飯は、ごはんにみそ汁にサバ缶。ちっちゃなゴキブリがたくさん寄ってきています。野生のゴキブリが繁殖しているのは奄美や沖縄ばかりではなかったんですね。
 蚊とゴキブリのいない国に行きたい。
 
 佐多岬目指して走っていったら、6kmほど手前で有料道路になってしまいました。歩行者や自転車は通行禁止なので、バスに乗り換えろとのこと。
 財布には500円程度しか入っておらず、往復のバス代はちょっと無理そうです。さして岬フェチでもないので、佐多岬は行かないことにしました。
 
 近くのさびれた海水浴場に公衆トイレとシャワーがあったので、洗濯をしてシャワーを浴びました。
 その後、海岸伝いに志布志方面へ。この、佐多町から内之浦町までの県道74号線が、地獄のような道でした。
 距離はおよそ30qほどでしょうか。地図を見る限りさほど距離は感じないのですが、海へ突き出た高い山をいくつも越えなければならないので、カーブが多いうえに上り下りがかなりキツイのです。
 人家はほとんどなく、あったとしても典型的な過疎集落で、まともな店はありません。
 あるものはといえば、陸上自衛隊の射撃訓練場がある程度。
 これほど寂しい道は、これまでの旅でもそうは多くありません。
 どこかの郵便局で金を下ろし、晩の食材を買おうと考えていたぼくのあては完全に外れました。
 飲料水を補給する水道もないので、沢の水を汲んで飲みました。そのまま汲むと塵が入るので、ハンカチで漉して汲みました。
 こういうところの水は水道水よりおいしいのですが、寄生虫や病原菌がいないか少し不安です。
 
 今日中に内之浦の中心部まで出られるだろうと思っていたのですが、結局、途中の峠越えの手前で力尽き、砂防ダムの建設現場付近の空き地でテントを張りました。
 晩飯は、ニンジン。細く切ってマヨネーズ味噌をつけてかじりました。
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8月23日(金)曇 素朴なロケット発射場

 人里離れた山の中の県道なので、静かなのはよかったです。
 米を切らしていたので、奄美で買ったソテツ澱粉を水に溶き、火にかけてどろどろにして、醤油を垂らして食いました。ほんとに非常食だな。
 
 工事現場のすぐ近くで寝たので、工事のおじさんたちが来る前に出発。
 金も食い物もなく、心細いままに山の中の細い道をただひたすら走ります。
小さなハエみたいな虫がまとわりついてきますが、これがブヨってやつかな。最近虫に刺されたところがいつまでもかゆいのは、こいつのせいか。
 国道448号との合流点に近づき、ようやく自動販売機が出現したので、炭酸飲料を飲んでカロリーを補いました。
 
 内之浦町の中心部に入る手前の山の中に、宇宙科学研究所のロケット発射基地がありました。
日本のロケット発射場というと種子島宇宙センターしか知らなかったので、こんなところにこんなものがあるというのは少し意外でした。
 見学無料ということで、せっかくなので入ってみました。
ロケット組立室
ロケット組立室

 海に面した山の中腹に、ロケット発射台やパラボラアンテナ、資料館などが点在しています。もっと広くて平らなところに作ればいいのに、と素人は思ってしまいます。
 この施設は昭和37年に東大の研究所から発展したもので、日本初の人工衛星を打ち上げたところなのだそうです。
 ぼくは素人なので、宇宙科学研究所と宇宙開発事業団がどう違うのかがよくわかっていません。
 こっち(宇宙科学研究所)の主力ロケットはM-V型ロケットというものだそうですが、最近よく聞くH-2型ロケットとどう違うのでしょうか。
 宇宙科学研究所と開発事業団のそれぞれが別々のロケットを開発しているということなら、それってかなり無駄なんじゃないの、と素人は思ってしまいます。
 施設を見学した印象としては、
「けっこうボロっちいな」
というのが率直な感想です。全体的に薄汚れてて、老朽化してそうな感じ。
 受付のおじさん以外には職員らしき人影がなく、ホントに今でもロケット打ち上げやってんのかな?と思ってしまいます。まあ、年に数度の打ち上げ以外には、発射場は使わないので人がいなくても当然なのでしょうが。
 資料館がこれまた古臭いものでした。説明してあることはロケットや衛星の構造など、かなり専門的な内容なので、文系のぼくにはほとんど理解できませんでしたが、磁気テープが回ってるコンピュータのイラストなどを見せられれば、だれでも直感的に
「これって、いつの時点の最先端?」
と思うはずです。
 出るときに再び受付に寄って、職員のおじさんに
「ここって、今後もロケット打ち上げの予定があるんですか?」
と訊いてみました。
「ありますよ。具体的な日時は決まっていませんけどね」
と即座に答えが返ってきたので、やっぱり今でも打ち上げは行われているのでしょう。それにしても、最近M-V型ロケットなんて、ニュースで聞いたことないんだけどなー。
 開発事業団のH-2もこの前まで自爆してばっかりだったから、人工衛星打ち上げよりもテポドン迎撃ミサイルを開発した方がいいんじゃないか?
 
 そんなことを思いながらロケット基地を後にして、内之浦の町内に入ると、橋の欄干から学校のモニュメントまでロケットづくし。町のキャッチフレーズも
町境に林立する看板
町境に林立する看板

「ポンカンとロケットの町うちのうら」
だそうです。なんだそりゃ。
 毎週漁協が「ロケット朝市」というのをやっているようなのですが、やはりロケットを売っているのでしょうか。
 漁協だから、海に落下したロケットの残骸を吊り上げてたたき売りしているのでしょう。
 ロケットは煮付けにすると旨いらしい。
 
 内之浦の中心部でようやく金を下ろし、Aコープで昼飯を買いました。店先で充電しつつ寿司と乳酸飲料1Lとクリームパンを食いました。
 腹一杯食えるって、幸せだなあ。
 
 気を取り直して自転車を漕いでいると、ワゴン車に乗ったおっさんが車を停めて、
「おれんとこにマウンテンバイクのしっかりしたやつがあるぞ。18段だ。いるか」
と言いました。
 ぼくの愛車コルド丸(最近名前を付けました。商品名CONCORDにちなんで命名)も、タイヤがガタガタしたりギヤが不調だったりで満身創痍なのですが、それでもぼくは強がって
「いや、この自転車にも愛着ありますんで」
とお断りさせていただきました。
 
 国道220号に入ると、それまでの山道がまるで嘘だったかのように、真っ平らな道になりました。
牛糞の香り漂う田舎の国道を、志布志湾に沿って走ります。
 志布志町を経て、あと数kmで宮崎県という地点で、なんとか岬という薄汚い海水浴場があったので、今夜はここで寝ることにしました。
 廃屋と化した旅館が軒を連ね、向こうに見えるショボい遊園地も、営業しているのかいないのか。
 芝の生えた空き地にテントを建て、晩飯は袋のインスタント焼きそば。ニンジンとピーマンを一緒に煮て、お湯を切ってソースをかけて食いました。
 お湯を捨てるのはもったいないので、残り湯であしたの朝ご飯を炊くことにしました。
 
 明日は都井岬へ行って、日南市へ向かいます。
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8月24日(土)曇のち雨 はるかなる馬糞岬

 ゆうべの焼きそばの残り湯にお米を浸けてふやかしておいたのですが、そのコッヘルをテントの外に出しておいたのが災いしました。
 朝になってコッヘルのふたを取ってみると、小さな蟻の大群がびっしりとたかっていたのです。水に溺れた蟻の群で水の表面は真っ黒。
 ぼくがアリクイならば大喜びするところですが、ぼくには蟻食いの趣味がないので、水を捨て、米を洗い直して炊きました。
 おかずはみそ汁とふりかけと梅干し。姉に持たされた梅干しも、放浪5カ月が過ぎて、ようやく3分の1ほどに減ってきました。
 ペースト状になって原型を留めていませんが、腐らないというのは驚異です。
 
 なんだか雨が降りそうな天気ですが、なんとかもっています。
 ついに宮崎県に入り、串間市を過ぎ、丘をいくつか越えて都井岬へ。
 都井岬は、「岬馬(みさきうま)」という野生の馬が放牧されているということで名所になっているらしいです。
 佐多岬みたいに自転車歩行者通行禁止、ということはありませんが、途中に料金所があって自動車や二輪車は「野生馬保護協力費」という名目で通行料金を徴収されていました。
料金所のおじさんに
「自転車は?」
と訊くと、無言のまま横柄な仕草で「通れ」と顎をしゃくられました。なんだその偉そうな態度。不愉快だな。野生馬なんてみんなツブして肉にして、国産牛肉のラベル貼って国に買い取らせて焼却処分しちゃえ。
岬馬
岬馬


 都井岬の道は、そこらじゅうに馬糞の山ができておりました。
 草山と道路は柵で隔てられているのですが、柵のないところも多く、馬がぱからんぱからんと道を歩いていたりするのです。
 棒を持った馬追い(?)のおじさんたちが、柵の外に出た馬を追いかけて牧草地に追い込んでいました。いいなあ、ひがな一日馬と追いかけっこ。楽しそう。
 とうとう雨が降ってきたので、潰れたホテルの軒下で雨宿り。かといっていつまでもじっとしているわけにもいかないので、久しぶりにレインウエアを着込んで走りだしました。
 ウエアを着ると雨が止み、ウエアを脱ぐと雨が降る。その繰り返しです。
 山の上に「白蛇神社」があったので見にいきました。
 数年前に白蛇が見つかったので、それを神様に祀ったのだそうです。薩摩半島の長崎鼻や、沖縄本島の辺戸岬にも、白蛇が祭られていましたが、岬には白蛇がつきものなのでしょうか。
 白蛇神社にはおばさんが一人いて、
「長野から自転車で?マー、この山まで坂がきつかったでしょ」
と感心していました。
 
 都井岬には「馬の館」というビジターセンターがあり、「360度のマルチビジョンシアター上映中!」
とのことでしたが、500円も取られるらしいので入りませんでした。マルチビジョンったって、どうせ馬の映像だろ。
 近くの広場では仮設ステージが作られ、昨日今日と「火祭り」というイベントが行われているようでした。プログラムを見ると、「大松明点火」の外にはバンドや歌手のステージショーばっかりで、面白くなさそうでした。
 「岬馬の屠殺解体ショー」「馬肉吊るし切り直売」くらいはやってほしい。
 
 岬の先端には灯台がありました。食パンに魚肉ソーセージをはさんで昼飯を食った後、150円払って灯台の中を見物しました。
 子供のころ、ムーミンの本を読んで以来、灯台守という職業にあこがれがあります。
 こんな、屋台の並ぶ観光地の灯台ではなくて、誰も来ない寂しい岬で、ほそぼそと畑を耕しながら、役に立つのか立たないのか分からないような灯台に毎晩火を灯している灯台守。いいなあ。
 灯台守がダメなら、墓守でもいいや。
 
 降ったりやんだりの天気の中を、海岸伝いに日南市へ。
 途中に浮かぶ幸島は、海水で芋を洗う猿で有名らしいですが、そんなエピソード、今でも知られてんのかな。
 国道はやがて背の高いヤシの並木道となり、なんとなく宮崎らしい風景。
 途中の道の駅ではドラゴンフルーツが1個700円で売られていました。石垣島では80円だったぞ。恐ろしい。
 日没前に日南市に入り、デパートの食品売り場で買い物。フィリピン産のマンゴーが、小振りながら198円と安かったので、買ってみました。
 デパートの玄関の喫煙所のベンチで、発泡酒を飲みながら食パンにポテトサラダを挟んでおやつ。
 その後寝場所を探しながら国道220号を北上し、建設会社の現場事務所の脇にテントを張らせてもらうことにしました。
 
 マンゴーをヨーグルトに混ぜて食べたら、けっこうおいしかったです。
 晩飯は、キムチスパゲティ。キムチとマヨネーズを混ぜてスパゲティのソースにすると美味い、と姉が教えてくれたので試してみたのです。
 味は、うーむ。まあ悪くないが、あまり頻繁に食いたいとは思わんなー。
 鵜戸神宮へあと6kmほど。なかなかいいロケーションの神社らしいので、楽しみです。

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