日本2/3周日記(千葉東京) 友情の関東東海編(千葉東京)

12月4日(木)雨 ただふらふらと房総

 案の定、明け方から雨。
 アクアラインが通れれば、房総半島の先端まで行こうという気にもなるのですが、ちょっと時間的に余裕がないので、半島の真ん中付近までちんたら走って、6日に東京入りするほかありません。
 千葉には何人か知り合いがいますが連絡取れないし、これといって見たいものも思いつきません。
 まあいいや、とりあえずまた九十九里方面に向かってみようということで、雨の中を走り出しました。
 八街市付近のスーパーでパンなどを買って食い、ふらふら走っていくと海岸沿いの道に出ました。荒れた海でも見ながら走れるとこれはこれで一興なのですが、有料の九十九里道路が立ちはだかっていて、海が見えないのが残念です。
 三時頃白子町に入り、半分崩れたような公園を発見。あまり雨をしのげそうにありませんが、ひとけが無いのが気に入ったのでプール管理棟の軒下で早々にテント設営。
 雨がひどく、調理ができないので、菓子類と酒を飲んで寝てしまいました。
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12月5日(木)晴 いつ落ちる笠森観音

 嵐といってもいいほどの風と雨でした。折悪しく、房総半島が特に大雨だった様子。ヘボテントの床からはどんどん雨水が浸透してきて、一晩中タオルで水を吸い取ってはコッヘルに絞り、外に捨てなければなりませんでした。
 朝には雨が上がったのが幸いでした。
 朝飯は昨夜から水につけておいた米を炊き、おかずはハゼの佃煮とインスタント味噌汁。
 テントやシートを干してから、ようよう荷造りして出発。1qほど走った時点で、公園に手袋を忘れたことに気がついてUターン。
笠森観音
笠森観音

 茂原市内を通過し、笠森観音を見物。拝観料は200円くらいだったかな。
 山門までの参道も、鬱蒼とした堀切道でいい雰囲気でしたが、本堂はさらに壮観。
 岩山の頂上に建つ「四方懸崖造」という、少々無茶なお寺なのでした。今でこそ柱の下はコンクリートで固めてありますが、昔は柱が岩の上にそのまま載っていたわけで、よくまあ地震や大風でお堂が落ちなかったものです。
 きっと実際は、何度も落ちて建て直しをしているのでしょう。そこまでして、なんで不安定な山のてっぺんにわざわざ?とも思いますが、猫とお寺は高いところが好き、ということなのでしょうか。
 まあ、ここの笠森寺は天台宗らしいから仕方ないか。と、妙な納得の仕方をするぼくでした。
 
 市原市を通って千葉市に入り。交通量の多さが並でない国道16号を走って、蘇我駅前の公園にねぐらを求めました。今井公園という公園でした。
今井公園にて
今井公園にて

 やっぱり都市部での野宿は面倒くさい。夜になってまたお巡りさんに職務質問されました。
「ここは本当は野宿禁止なんだよ。明日には撤去してね」
「はあ、そりゃもちろん」
「この辺は治安あんまり良くないからね、気をつけてね」
「はー、気をつけます」
 
 中国産のウナギが350円と安かったので、今夜はうな丼です。ご飯の蒸らしの時にウナギをコッヘルの中に入れておくと、卒なくあったまって皮も柔らかくなりました。
うまかったです。
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12月6日(金)曇 イマイを励ますかい?

 今井公園の隣に神社があったのでお参りしてみると、案の定「今井神社」でした。
 身支度をしていると、自転車整理のおじちゃんがやってきて、
「ここはねえ、駐輪禁止なんだよ」
野宿してしまったぼくに向かって駐輪禁止もないだろう、と思いましたが、
「すいませーん」
と頭を下げておきました。
「なに、ここでキャンプしてたの?こんないい自転車、よく盗まれなかったねえ。20万円くらいするでしょう」
「そんなにしませんよー。6万ちょっとです」
「へええ」
 
 今日は東京近在の友人たちが「イマイ君を励ますかい?」を開いてくれるということで、午後7時に都内に集合です。
 時間には余裕があるので、竹芝港に行ってゆっくり伊豆観光の計画を練ろうという計画です。
 国道16号を走ります。でっかい国道は車道を走るわけに行かず、交差点はほとんどが歩道橋になっていて高低差がめんどくさい。また、意外と歩道が入り組んでいたり、橋の手前で歩道が無くなったりするケースも多く、進路に迷うこともしばしば。つくづく都会は自転車にとって不利だなあと思います。
 公園で少し休んでいると、おばさんが一人近寄ってきて
「こういう雑誌ご覧になったことありますか」
と、『目覚めよ!』を差し出しました。エホバの証人さんです。
「ええ、以前住んでたところで何度も訪問いただきまして。ろくに読まずに申し訳ないなと思ってたんですけど」
「お宅はご近所ですか」
「いえいえ、今は旅の途中です」
「そうですか。お気をつけて」
おばさんは少しがっかりしたような顔で遠ざかっていきました。
 宗教の営業も楽じゃないなあ。
 
 ディズニーランドを左に見て、都内をうろうろしてようやく竹芝桟橋に到着。
 伊豆諸島行きの窓口でパンフレットを入手しました。
 よく読んでみると、割安の客船は土曜〜月曜しか運行せず、しかも高速船は輪行袋に入れないと自転車持込不可とのこと。東京都のくせに妙に不便な交通です。今のぼくの自転車は輪行袋に入れられないので、島から島へ渡り歩くのも実質的に不可能なのです。
 いろいろ考えた末に、とりあえず伊豆大島に行くことにしてチケットを予約しました。
 本当は八丈島も興味あったんだけどな。
 
 すっかり外が暗くなったころ、そろそろ集合場所に行った方がいいなと思ってターミナルを出発しました。
 集合場所が「千代田線千駄木駅」から「千代田線根津駅」に変更になったのですが、都内の地理に疎いぼくは、「千駄木」と「千駄ヶ谷」を間違えてしまい、
「根津駅というのはきっと、千駄ヶ谷の近くだろう。きっと根津美術館の近くに違いない」
などと思い込んでしまいました。田舎者ですね、つくづく。
 付近に着いて「どうもおかしい」と気づき、コンビニで地図を立ち読みしてようやく自分の勘違いに気がついて慌てました。
 大急ぎで夜の東京をぶっとばしました。金曜の夜だけあって車も人も多く、特に危ないのは路肩から急に発進するタクシー。
 結局外堀通りを走って、夜の都心を一周してしまいました。約10分遅れで集合場所へ。まだあんまり集まってなかったからよかったけど。
 飲み会の会場は、根津の韓国料理屋でした。来てくれたのは
 
ホームズ氏(仮名:三つ上の先輩)、
ウネ氏(仮名:二つ上の先輩)
馬氏(仮名:一つ上の先輩)
ダイホー君(仮名:同期)、
ゑさん(仮名:二つ下の後輩)、
ら花さん(仮名:二つ下の後輩)
それに、先日一緒に三日月村で遊んだマングース氏とホームラン君です。
 
 ぼくみたいな浮浪者のためにこんなにたくさん集まってくれて、ありがたい限りです。特にダイホー君は幹事をしてくれました。ありがとうです。
 ホームラン君を除く全員は日記読者なので、こういうときは日記を送っていてよかったなあと思います。
「お前の日記読んどるで。オレの地元は兵庫やから、行きと帰りで二度楽しめたわ。『なんでお前そこで名物食わんのや』なんて、イライラしたで」
とホームズ氏。
「イマイ、お前こないだメールで『アクアライン通る』とか言ってたけど、どうした」
「すいません、通れないことを知りました」
「せやろ。オレも、アクアラインやレインボーブリッジを自転車で通ろうとしたことあったから、知っとるんや。こう見えてもオレ、大学の頃実家まで自転車で帰ったりしとったんやで」
「えー、ホームズさんも自転車小僧だったんですか。意外だなあ」
その他は、学生時代の思い出話など。
「いやあ、ダイホーの『出来心』は絶品だったよ」
「俺、そんなのやってないよ」
酒が回って記憶もいい加減。すいません、『出来心』じゃなくて『替わり目』の間違いでした。こんなところで謝っても仕方ないけど。
 
 二次会までやってもらい、その後はダイホー君のアパートにホームズ氏、マングース氏、ホームラン君とでおしかけました。マングース氏とホームラン君は、明日朝イチで仕事なので、二人仲良く寝ておりました。
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12月7日(土)曇のち雨 根津谷中そぞろ歩き

 マングースさんとホームラン君は、朝早くに静かに出勤していきました。
 残った雑魚寝人のうち、最初に起きたのが部屋の主ダイホー君、その次がぼくでした。
 シャワーを借り、隣のコインランドリーで洗濯。
 ホームズさんが目を覚ましてから、三人で近くのうどん屋に飯を食いに行きました。
 ダイホー君がよく利用している店だそうで、関西風のだしがおいしかったです。
 
 関西今夜九時初の伊豆大島行きの船に乗る予定なので、今日は時間的余裕があります。
圓朝の墓に祈る:撮影ダイホー君
圓朝の墓に祈る

 気遣いの男、ダイホー君は、店を出た後周辺の散歩に連れて行ってくれました。近くには谷中霊園や三遊亭圓朝の墓、根津神社などがあるのです。
 谷中霊園の中の道をぶらぶら歩くと、頭上でカラスがギャアギャア鳴いています。
「野宿って、どんな基準で場所を選ぶわけ?たとえばこの辺はどう?」
「うん、トイレや水道があるから、天気さえよければここも悪くないね」
「墓地でも野宿するわけ。怖くないの?」
「あんまり怖くないよ。チンピラの多そうな駅前のほうがよっぽど怖い」
「そうかもねえ」
 甘味処に寄って、マダムさんたちと交じってあんみつなどを食いました。全部、ホームズさんが奢ってくれました。
 ありがたやありがたや。
「まだ夜まで時間あるね。どうしようか」
「そろそろ竹芝に行くよ」
貴重な休日を、長々とつき合わせるのも申し訳ない。
 ホームズさんと駅で別れ、冷たい霧雨が降ってきたので、二人でバスに乗ってアパートに帰り、ぼくは身支度を整えて出発しました。
 
 傘の多い歩道などとても走れる状態ではないので、車道をごいごい走ります。明るいうちなら標識も見やすく、昨夜よりも車の量も少ないので、スムーズに進めます。銀座を抜けて、すぐに竹芝のターミナルに着きました。東京って、やっぱ狭い。
 少し二日酔いが残っていたので、待合ロビーの床に銀マットを敷いてうとうとしました。
 
 近くのヤマザキストアでパンや菓子を買い込み、ほか弁で晩飯。
 自転車を手荷物窓口に預け、乗船。
 「はまゆう丸」は意外と小さな船で、二等客室はけっこう混んでいました。 
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12月8日(日)雨 三原山のキレンシャー

 島へ渡る客船の雑魚寝部屋で、一人だけ銀マットとシュラフで寝てました。テープで一人一人仕切られたスペースに寝るのですが、狭いので少し動くと隣の人と「ふれあい」してしまいます。
 銀マットはつるつるしているので、体をつっぱっていないと、船が横揺れするたびにずるずる滑っていってしまうので少し疲れました。
 
 5時前ころ、ノイズの多い小鳥のさえずりが流れて起こされました。
 揺れによろめきながらシュラフをリュックに詰め、伊豆大島の岡田港に上陸。桟橋で自転車を渡してくれたおじさんが
「いつ帰るの。今日、明日?」
あんまりしっかり考えていなかったので言い淀んでいると、
「そう、当分いるんだ。高速船は輪行袋ないと乗れないからねえ」
そーなんだよなー。
 
 まだ辺りは真っ暗です。雨も降っています。伊豆大島は暖かいというイメージがありましたが、吹いてくる風はけっこう冷たいです。
 
 港のターミナルで洗面を済ませ、三原山の地図を入手してからさっそく三原山に向かいました。
 まだ暗いので港町の様子はよく分かりませんが、こぢんまりとさびれた、ただの漁村といった印象です。これが伊豆大島の表玄関かしらとちょっと拍子抜け。
 港を出発すると、大島一周道路に出るまでがいきなり急な上り坂。『珍日本紀行』にも載っていたリス村の前を通って、三原山登山道路を上ります。
 坂の途中で怪しいコンクリート小屋のようなものがあったので、雨宿りして汗に濡れたトレーナーを脱ぎました。
 
 ところどころビュースポットらしき場所がありましたが、霧に包まれて何も見えませんでした。
 バス停「三原山火口」に着いたのは7時ころ。駐在所に明かりがついているだけで、売店などはどれもひっそりしています。休憩所らしき建物もカギがかかっています。仕方ないのでトイレの軒下に自転車とリュックを置き、山頂を目指すことにしました。
 
 登山遊歩道とはいうもののしっかりと舗装されており、これなら自転車でも通れたな、と思いました。
 外輪山を下り、荒々しい草原を抜けると、旧登山道は1986年の溶岩で塞がれていました。
 脇に新歩道があるのですが、試しに溶岩の上によじ登ってみました。真っ黒でゴツゴツ尖った大小の岩が積み重なっているという状況で、これがどろどろした流れが固まったものとはなかなか理解しづらい。
うりゃあ〜〜〜!
あいかわらず、ばか

 岩の上にカメラを置いて自己写真を撮ってみたら、真っ黒な溶岩原を背景に全身真っ黄色のレインウエアが一際目立ち、
「おや、こんなところになぜ黄レンジャーがいるのかしら」
みたいな絵になりました。
 さして高い山ではないので道も楽なのですが、山頂に近づくにつれて風が強烈になってきます。
とうとう途中から雨が雪(みぞれ?)に変わりました。伊豆大島で雪に出くわすとは意表を突かれました。
 雪が顔に当たってすごく痛いので、向かい風の時は後ろ向きに歩きたくなるほどでした。
 山頂の手前には、溶岩にあわや呑み込まれる寸前といった体の三原神社のお社がありました。
ようよう噴火口のほとりに着くと、
「ここが登山道の終点です。噴火口の神秘的な風景を心ゆくまでお楽しみください」
と書かれた立て札があるだけで、柵の外はひたすら真っ白。こういう状況でこういう下世話な立て札を見ると腹立つなあ。
 噴火口を一周する歩道もありましたが、風景が見えないのではつまらないので、とっとと山頂から下ることにしました。
 バス停に戻ると、他の観光客もちらほら来ていて、休憩所も開いていました。ストーブがボンボン焚かれて、極楽のような暖かさでした。誰もいないのをいいことにレインウエアから靴下まで乾かし放題。
 早くもメインイベントの三原山登山を終えてしまったことだし、天気も悪いし、輪行袋売ってる自転車屋もあるかどうかわからないので、あしたの13時55分発の船で竹芝に帰ることに決め、東海汽船に予約電話を入れました。
 
 朝飯のパンとおにぎりを食べていると、ようやくぼちぼち他の観光客もストーブに寄ってきました。ハイキングのおばさんがぼくのでっかいリュックを見て
「本格登山ねえ」
「いえいえ、テント張りながらの自転車旅行のついでです」
「スパッツ履いてこなかったんだけど大丈夫かしら」
「足元は大丈夫ですけど、風強いですよ。雪も降ってるし」
ほどよく体も暖まったので、
「それじゃどうも」
と言っておばさんたちと別れ、御神火スカイラインを下りました。
 
 少し霧も薄らいで、眼下に元町港がよく見えます。三原山が噴火して大騒ぎになったのはぼくが中一の頃だったかな。
 溶岩が迫った「元町港」という名前は今も記憶に残っています。確かに山のすぐふもとで、溶岩流に襲われるのも仕方ないと納得できる立地条件です。
 
 しゃああと元町まで下り、「為朝館跡」と「為朝神社」を見物しました。
 保元の乱で敗れて伊豆大島に流された源為朝は、流人のくせに元町に館を構え、伊豆諸島の島々を支配して権勢をふるったので朝廷に討伐されてしまったのだそうな。おとなしくしてりゃよかったのに。
 それでも伊豆諸島の各地には為朝神社があって、信仰的には現在もかなり権勢をふるっているようです。
為朝神社
為朝神社

 館跡のすぐ近くにある為朝神社は、小さな茅造りの社殿がユニークでした。屋根も壁も茅で作られており、なんとなく沖縄の海洋博公園で見た、沖縄の昔の民家みたいでした。
 中をのぞくと妙な石と小さな祭壇が置かれていました。
 神社の周囲は狭いながらも南国風な照葉樹が茂っていて、雰囲気も御嶽に少し似ているような。
 沖縄の伝説では、為朝が生きながらえて琉球にやってきたとされています。ここから沖縄まではずいぶん遠いですが、何か文化的な繋がりもあるのでしょうか。
 
 昼飯を買いに、近くのスーパー「べにや」に入りました。安売りなど期待できそうにもない小さなスーパーでしたが、けっこう客が多いところをみると、どうやらこれが元町最大(というか、唯一)のスーパーのようでした。
 菓子パンや弁当、ラーメンなどを物色していると、どこからか妙な臭いが漂ってきます。なにかしらんと行ってみると、一角に「くさやコーナー」が設けられているのでした。
 ビン入りから真空パック入り、プラスチックケース入りなど容器も様々で、ムロアジに限らずトビウオやイワシのくさやもあります。
 ボリュームも、ちっちゃなもの(260円)からでっかい開きの三枚セット(900円)まで揃っています。開き一匹を丸ごと焼いたら、半径百メートルまで汚染できそうだ。
 一番安いパック(60gで260円)をついつい買ってしまいました。
 どうせ新鮮な海鮮料理など手を出せない身分ですから、せめてこれくらいで「大島の味」を経験しようかと。
 かつてイワシのくさやを食べたことがありますが、臭いのきつさは別にしても、干物としては美味しいと感じた記憶があります。
 真空パックでも臭いを放っているので、さらにビニール袋で包みました。しかし、こんなのテントの中で食べたら、その後が怖いなあ。テントにも服にも臭いがしみついて取れなくなるのではあるまいか。
 
 火山博物館前のバス停でカキフライ弁当と菓子パンを食って昼飯。
 火山博物館は雲仙でゲップが出ているので入らず、さっさと左回りで大島一周にでかけました。
バームクーヘン地層
バームクーヘン地層

 途中、バームクーヘンみたいな地層の露頭があっておもしろかったです。どういう地球的圧力がかかったのか、見事に波打って褶曲しており、それが削られ新たな地層が積もる様子がしっかり分かって、地学の勉強にはもってこいでしょう。
 それから、道端にくさや屋があって、くさかったです。
くさや屋さんは毎日くさやを漬けているのですから、きっと骨までくさや臭が染みついているでしょう。くさや屋には就職したくないなあ。
 
 あと、寄ったのは波浮港。規模は小さいですが、宿場町みたいな家並がちょっといい雰囲気。どの家にも二階に手摺り窓がついているあたり、きっとかつては遊郭だったんだろうと想像させます。
 今は年寄りの姿さえほとんど見かけず、ひっそりとしていますが。
 道の奥に「踊り子の里」とかいう古い旅館を展示施設に改造したモノがありましたが、建物のの修繕中とのことで中には入れませんでした。入場無料なのに、ちぇっ。
 
 波浮港は岡田港の真裏にあたり、ちょうど島を半周したことになるのですが、それでもまだ2時過ぎ。朝が早いと、一日が長く感じられます。
 今夜は大島公園で野宿しようと、走りだしました。
 島の東側は一転してカーブの多い峠道。集落など一つもありません。峠道から見下ろすと、波浮港の周辺は「密林」という言葉がふさわしいほど森に覆われているのがよくわかります。溶岩の上に茂る森なのですから、富士の樹海と同じようなものでしょう。
 
 坂を下って来たジョギングおじさんが「がんばって」と声をかけてくれましたが、それ以外は通行人もなく、たまに自動車が通るだけ。
 こんな辺境なのに、走っている車がすべて品川ナンバーというのは合点がいきません。
 道の途中に「大島砂漠」などと名付けられた場所がありました。溶岩が砂になって真っ黒い砂地を作っているのです。
天気のよい日なら空の青と森の緑と砂の黒が鮮やかなのでしょうが、なにせ雨の降る夕方なので、陰鬱なだけの風景に感じられます。
 上り下りはありますが、路面自体は走りやすいので、天気がよければ気分よく走れたものを。
 
 4時過ぎ、大島公園に着きました。椿園や動物園がある公園のようです。道端にバス停を兼ねた東屋があったので、ここをねぐらに選びました。
 うっかりしていたのは、ロウソクが切れていたのを忘れていたこと。
 手持ちのライトも故障中なので、今夜は飯を炊くのをあきらめ、暗闇の中で手探りで菓子パンなどをかじり、晩飯としました。
 くさやにも手を付けませんでした。
 伊豆大島のくせにけっこう寒く、夜は久しぶりにすべての衣類(レインウエアを除く)を重ね着して眠りました。
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12月9日(月)雨 ヨツバ君の巣窟

 ビトビトと雨が降っていました。
 朝飯は、ごはんと味噌汁、それと缶詰。
 飯を食い終わり、テントの中でリュックに荷物を詰めていると、外で車の停まる音がして
「もしもーし」
と声がしました。
「はーい」
と返事して顔を出すと、若いおまわりさんが立っておりました。
「自転車旅行ですか。この島、条例で決められた場所以外キャンプ禁止になってるって、知ってました?」
「あ、そーなんですか。知りませんでした」
なんだよー、小島ならともかく、伊豆大島もキャンプ禁止なのかよ。今日はもう東京に戻るから関係ないけど。
「夏場は多いですけど、今の季節野宿してる人は珍しいですね。最近この島でもいろいろ犯罪とか多くてねえ、住民の人たちがテント見つけると不審がって駐在所に連絡してくるんですよ。いや、今は通りがかりで見つけたもんだから声かけさせてもらったんですけどね。この島には研究かなにかで?」
「いえまさか。ただの旅行ですけど」
「自転車で日本中回ってるんですか。すごいですねえ。もう大島一周しました?この自転車もいいやつなんでしょ?20万円くらいするんですか」
「いえまさか。6万ちょっとですよ」
「すいませんが、身分証明書みたいなものあります?」
素直に免許証を渡すと、
「ああ、昭和49年生まれですか。ぼくと一緒ですねえ。お仕事は」
「去年会社辞めまして」
「リストラですか?」
「まあ、リストラと自分の意思と、半々ですね」
「そーですかあ。今大変ですからねえ。大学出てらっしゃいます?はあ、関東の方。ぼくは高校卒業してすぐ警察に入ったんですよ。頭悪くって大学行けなかったから。でも高卒だと昇進が遅いんですよね。ぼくは丸10年かかってようやく巡査長になりましたけど、大卒で入ってくる人たちなんてすぐ警部補とかでしょう。そういうの見ると、何なんだろうって思いますよ。それでも、この仕事はぼくの性に合ってるんでしょうね。一緒に入った人たちは八割がた辞めていきましたからね」
 28歳の巡査長さんは、訊きもしないのにいろいろ身の上話を聞かせてくれました。半分は愚痴が入ってましたけど。こんな島の駐在さんをやっていると、同世代の話し相手が少ないんでしょうか。
「これからのご予定は。ああ、今日の船で東京へ。途中またパトカーにいろいろ訊かれるかもしれませんけど、まあせいぜい『ここはキャンプ禁止だよ』って言われるくらいですから。それじゃ頑張ってください」
「どーも、ごくろうさまです」
 
 すでに伊豆大島を四分の三周してしまっているので、岡田港へはすぐです。
 時間はたっぷりあるので大島公園の動物園や椿園などを見学するというのも手なのですが、あんまり興味なかったし、雨降りで面倒くさかったのでさっさと岡田港に向かうことにしました。
 伊豆大島のくせに、やたら冷たい雨です。ちらりと海を見ると、海面が煙立っています。湯気なのでしょうか。
 午前10時ごろ岡田港のターミナルビルに着き、自転車と荷物を置いて、昼飯を買える店でもないかと周辺をウロウロしてみました。
 2〜3軒の土産物屋の他に食堂のようなものもありましたが、パンなどを買える店はなかったので、狭い路地を抜けてぐるりとその辺を一周し、すぐにターミナルビルに戻りました。
 二階の畳敷きの待合所でコンセントを借りて日記打ち。昼飯は自動販売機のカップラーメン。テレビを見上げると、東京では12月としては記録的な積雪だそうで、なにやら大騒ぎしている様子。船の切符売場でも、高速船が出航するのしないのといろいろ騒いでいます。
 幸いぼくが乗る「はまゆう丸」は予定通り運行するようですが、問題は今夜のねぐらです。
 大雪となると露天ではテント建てにくいし、やはり東京のど真ん中で野宿するのは、安全面からも避けたいところ。
 ということで、東京の友人、ヨツバ(仮名)に電話してみました。彼とは高校時代の同級生で11月の友人の結婚式に一緒に参列した仲です。「東京来るんだったら泊まってけよ」と言ってくれていたのでした。
 ヨツバの携帯は留守電でしたが、メッセージを入れておいたら折り返し電話がかかってきました。
「泊まるのはいいけど、こっち大雪で大変だぞ。何時ごろになる?」
「いつも何時に仕事終わるの?」
「まあ、普通だと9時か10時頃かな」
「ふーん、俺は夕方7時ごろに竹芝桟橋に着く予定なんだけど、ヨツバんちってどこだっけ?」
「板橋区」
「ってどの辺だっけ。まあいいや、たぶんそっちに着くのもちょうど9時ごろになると思う」
「自転車で板橋まで来る気か?遠いぞ。…ま、とにかく船が着く頃また電話くれや」
「りょーかい」
ということで、なんとか今夜は野宿せずに済みそうです。
 
 東京行きの「はまゆう丸」は昨日と打って変わってガラガラで、全席自由に座れました。ぼくはコンセントがそばにある椅子に陣取って、ゆうゆうと日記の続きを打つことができました。
 予定通りの時刻に竹芝桟橋着。小雪がちらつく中を、板橋目指して走りました。
 と言っても、東京の地理にはいたって疎いので、途中何度もコンビニに立ち寄り、地図を立ち読みして場所を確認しなければなりませんでした。
 池袋までたどり着いたところでヨツバから電話が来ました。
「今どこよ」
「池袋」
「おう、なんとかそこまで来たか。そっから川越街道をずっと来りゃあいいんだ」
 ヨツバからのナビゲーションで板橋区に入り、ようやく彼と遭遇できた頃は9時をとうに過ぎていました。
「遅せえよ、お前」
「かんにんして」
「でもまあ、良く道間違えずに来れたな」
「コンビニで何度も地図見たから」
「ヘボ。イマイが来るからってよ、珍しく風呂掃除して炊いてやったよ。コタツも出しちゃったし」
「お世話になります」
「その代わり、部屋は汚いぜ。なにしろここ数年間掃除してないからな」
ヨツバはコンビニに寄ってぼくの分も晩飯を買ってくれました。
 
 本人の言葉どおり、彼のアパートはかなりスゴイものでした。ゴミ箱には煙草の吸殻が山盛りになって、辛うじて表面張力を保っていました。
「こんなヘボアパートで6万以上するんだぜ。板橋のくせに。大学時代からここに住んでんだけど、その頃はもっと安かったんだ。途中で大家が変わりやがってさ、室内改装するからって値上げしやがった。引越しするのも面倒だからそのまま居続けてるんだけどさ、金さえありゃあこんなトコさっさと出ていきてえよ」
「それはそれとして、この汚さはスゲエな」
「うるせえよ。こう見えても俺は会社じゃ清潔好きで通ってんだ」
「ほんとか?早くカノジョなり嫁さんなり作って掃除してもらえよ」
「ほっとけ」
 
 飯を食いながら古い友人の話などをしました。
「中学高校といろんなのいたなあ。忘れちゃったけど。そういや、恐竜みたいな顔したあの女、名前なんて言ったけ」
ヨツバは相変わらず毒舌でした。
 
「イマイみてえな奴が出てくる漫画があるぞ。おもしれえから読んでみろよ」
と、ヨツバが漫画を出してくれました。小田原ドラゴンの「おやすみなさい。」という漫画でした。自閉気味の童貞男が主人公のギャグ漫画(らしきもの)でしたが、確かになんだか他人事ではなくて、ほとんど笑えませんでした。
「近頃はこういうマンガが流行ってるのか?」
と訊くと、
「流行ってるわけねえじゃん」
と言われました。
「三巻から面白くなるんだよ」
とヨツバが言うので、彼が寝た後頑張って三巻まで読んでみましたが、やっぱり何がなんだかわかりませんでした。
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12月10日(火)晴 甲州街道雪景色


 ぼくは昨夜買った(というか買ってもらった)パンを朝飯に食いましたが、ヨツバは何も食べませんでした。ぼく自身、勤めていた頃は朝の食欲がありませんでしたが、今では朝に腹が減らない人のことを不思議に思うほどです。
「『おやすみなさい。』、三巻まで読んだけど、やっぱあんまり面白くなかったよ」
というと、ヨツバは
「ああ、本当は五巻あたりから面白くなるんだ」
本当かよ。

「いやあ、ほんとお世話になりました」
「べつに何日泊まってってもいいんだぜ。ゆっくり東京見物してけよ」
「うーむ、でも東京で何を見たいってのもないしなあ。強いて言うなら、泊めてくれたお礼に、泊りがけでお前んちの掃除してやりたいってくらいかな」
「俺、他人に自分の部屋掃除されるの大嫌いなんだ」
「そーか、じゃあ仕方ない」
「これからどこ行くんだ?」
「山梨方面に行きたいんだよね。一応富士山拝んで、それから身延山にお参りして」
「20号に出るなら環八行くのがいいぜ」
ヨツバは丁寧に道を教えてくれました。口は悪いのですが、やはりいいやつです。何かお礼になるものはないかと思い、リュックを漁ったら、一つ出てきました。
「お礼と言っちゃなんだけど、これ伊豆大島のおみやげ」
「なんだこりゃ」
「くさやだよ」
「…俺こういうの苦手なんだ。お前食えよ」
「なんだあ、せっかく買ったのに」
ということで、ぼくは素直にくさやを引っ込めました。まあ、もともと自分で食べるために買ったんですけど。

 アパートの前で、地下鉄に乗って出勤するヨツバと分かれました。
 今日はどうやら晴天のようです。昨夜の都心部はさほどでもなかったのに、板橋あたりでは歩道や路肩にしっかりと雪が積もっています。こんなまとまった雪を見るのは青森以来です。雪解け水で路上が濡れ、後輪の泥はねが不愉快です。
 国道20号(甲州街道)は、学生時代の夏休みに自転車で走ったことがあります。こんなに狭くて走りにくい道だったかなあ、と思いました。路肩も余裕ないし、歩道も狭い。街路樹や路肩駐車も邪魔くさい。車も歩行者も多い。
 午前11時頃、府中市のスーパー「サミット」に寄って袋ラーメンやロウソクやレトルトカレーを買いました。、スーパーのエスカレーター脇のベンチに座り、天井からぶら下がっている防犯カメラのモニターをぼんやり眺めながら、パンと牛乳と巻寿司を食いました。

 八王子では、武蔵野御陵に寄りました。木立に囲まれた砂利道をじゃりじゃり歩いていくと昭和天皇のお墓がありました。石積の上円下方墳(?)でした。御陵入口のアスファルトの広場では、雪解け水が蒸気になって立ち上り、逆光で見るとけっこうきれいでした。まあ、それだけでした。

 中央線の高尾駅前を過ぎると、いよいよ道は上り坂になっていきます。屋根や畑に積もっている雪も、ぐんと厚みを増してきます。うう、本当にもうこんな季節なんだなあ。今夜は氷点下何度まで下がるのかしら。
 学生時代にこの道を通った時は、高尾と相模湖の峠道がやたらしんどかったと記憶していましたが、今日はさほど苦しいという印象もなく峠を越えました。気温が低かったのが幸いしたということと、やっぱり全国のいろんな峠を越えてきて、免疫ができたということなのでしょうか。
 道路工事の交通整理員さんが「ごくろうさまー」と声をかけてくれたのと、久しぶりに自転者さんとすれちがったのを覚えています。ぼくが手を挙げて挨拶すると、照れたような会釈が返ってきました。まだ走ってる人がいるんですねえ。

 夕方になって、相模湖を通過しました。もうここまでくるとすっかり雪景色です。道路沿いで寝られそうな場所を探しながら走るうちに陽はとっぷりと暮れてしまいました。何とか山梨県に入り、上野原町にスーパーがあったので晩飯用の野菜と鶏肉を買いました。

 結局テントを建てたのは、道路わきの「光ファイバー埋設工事中」の看板の裏。落石してきそうな崖の下です。ポイ捨ての空き缶やペットボトルをどかし、落葉の下の石ころを掘り出して地面をならしてシートを敷きました。
 晩飯は人参、ブロッコリー、鶏肉のスープ煮。定番ですねー。くさやを食べなきゃ、と思うのですが、どうしてもテントの中で開く勇気がありません。
 今夜は晴れて放射冷却が強そうです。
 明日は大月から富士吉田へ向かい、富士浅間神社にお参りするつもりです。この調子なら、5〜6日で飯田に帰れそうだ。
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