日本2/3周日記(奈良) 試行錯誤の近畿編(奈良)

4月4日(木)晴 バッグ大破の悲運

 別に誰に咎められることもなく朝を迎えた。
 河内長野市を通り、金剛山方面へ。
 途中、観心寺という由緒ありげな寺があったので、有料だったが寄ってみた。境内に七つの星塚があり、北斗七星を表しているのだという。
 楠正成の首塚や、彼が討ち死にしたために作りかけのままで残された「建掛塔(たてかけとう)」なるもののあったが、見る限り何がどう作りかけなのかよくわからなかった。
御影堂で勝手に修法
御影堂で勝手に修法

 御影堂には弘法大師像が祀られており、勝手に上がりこんで写真を撮り、面白がった。
 宝物殿には「寝て拝む如意輪観音」というのがあった。要はでっかい天井画。
 観心寺からさらに山に入る。素朴な足軽人形が寂しげに立つ千早城址を見て、工事中の道路を迂回しながら金剛山のロープウエイ乗り場に到達。地図を持たないぼくは、ここから山を越えて奈良へ出られるとばかり思っていたが、この先に道はなく別の道を通らねばならないことを知った。
 夕方でロープウエイはもう終わっていたが、もともと乗る気もなく、自転車でここまで来たことで満足することにしてUターンした。途中で五條市方面への道に入り、ようやく峠越え。
 五條市内のサティで買物し、マップ看板を見て寝られそうな場所にアタリをつけ、上野公園に着いた頃にはもう真っ暗。
 自転車を停めて偵察のために公園の中へ。管理棟がしっかりあるスポーツ公園で、ちょっと居心地悪そう。他の場所選んだ方がいいかなあと思いながら自転車に戻ると、自転車が横倒しになってフロントバッグがぶっ壊れていた。ハンドルに固定するプラスチック部品が割れてしまっていた。いつかはこうなることを覚悟していたものの、やはりショックが大きい。まだ旅が始まって一月も経っていないのに。
 なにはともあれ、バッグが壊れてしまっては移動できないので、公園前の自動販売機の裏側にテントを張ることにした。もとは畑のようだが、雑草が生い茂っているところを見ると、もう耕作をしていないらしい。
 晩飯は、砂肝と野菜を炒めたと思う。
 明日は吉野へ行くつもりなのだが、それよりもフロントバッグをどうしたものか。
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4月5日(金)晴 脳天大神に目が点

 洗濯物を干すためにダイソーで買ったロープがあったので、それでバッグをハンドルに縛りつけた。
見た目はすごく格好悪いが、安定感はずっとよくなった。世の中なんとかなるもんだ。
 紀の川を遡って吉野町へ。途中、サイクリングのおっちゃんに抜かれた。おっちゃんは、道を曲がる時にちゃんと手信号を出している。自転車の手信号は小学校の交通安全教室で習ったが、本当にやっている人は初めて見た。だいたい、カーブの時に片手運転して合図するのは危ないと思う。
 吉野山の桜は、とっくに盛りを過ぎていた。枝に残っている花びらは、最盛期の40%程度ではなかろうか。
 如意輪寺では、宝物殿を見るわずかな時間に、受付のおじさんにデジカメのバッテリーの充電を頼んだ。
「コンセントに差しておけばいいんですね?」
と、おじさんは快く引き受けてくれた。
 蔵王堂が望める道端でスケッチした。残りわずかな桜でも、逆光に映えればきれいに見える。通りがかりの他の客も、車を停めて写真を撮っている。
 だいたいスケッチが描き終った頃、行きに追い越された自転車おじさんと再会した。
「いい景色の場所があるって聞いて上ってきたけど、ここのことやな。お、なかなか器用に描くやないか」
おじさんは人懐こくぼくの絵を覗き込んだ。
「わしも北海道を自転車で一周したけど、よかったでえ」
みたいな話をしてくれた。ぼくがろくなマップを持たずに旅していることを知ると、
「このロードマップ貸したろか」
と言ってくれたけれど、
「いやあ、詳しい地図はない方が新鮮ですから」
と強がりを言って辞退した。
 おじさんと別れて、蔵王堂へ。マヌケな蛙跳び神事で有名なところだ。でっかい建物だった。迷ったけれど、御札をゲット。
 蔵王堂のちょっと下には吉野宮跡なるものがあったが、別に礎石などが残っているわけでもなかった。
脳天大神参道
脳天大神参道

 吉野宮跡から長い階段を下ると、「脳天大神」の幟が立ち並んでいた。
 脳天大神。
 すごい名前だ。一体どんな神様なのだろう。ワクワクしながら一番下まで降りていくと、何やら神社のようなものがあった。ずらりと提灯が並んでいて、夕方だっただけにいい雰囲気だった。
※後日ネット検索して得た知識によると、脳天大神の由来は以下のとおり。
 戦後、女性信者の修行場としてこの地に滝を作ったおり、頭を割られて死んだ蛇が見つかった。後日、その蛇が金峰山寺管長の夢枕に現れ、『我を脳天大神として祀れ。首から上の病に利益を授けよう』と告げたという。

 吉野山を下るともう夜。道に迷ったりしてうろうろしていたが、結局国道169号沿いの、小さな神社の階段脇のわずかな空き地にテントを建てた。
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4月6日(土)曇 さすらい太子の哀愁

 今日は明日香村へ向かう。道の駅「吉野路大淀」で柿の葉寿司を食った。けっこううまい。毎日うどんとラーメンばかり食ってりゃ、うまいものへの免疫も弱くなるのも当然だ(失礼な)。
 明日香村へはけっこう近かったが、軍資金が不足し、郵便局を探すのに苦労した。
 近鉄飛鳥駅でマップ入手。
 さすが天下の明日香村だけあり、サイクリングロードもしっかり整備されていて、レンタサイクルの観光客が漕ぎまわっている。森や丘や畑があって、のどかな風情だ。
 最初に行ったのは高松塚古墳。周辺はきれいな芝生の公園だが、客も多いし管理人もいるだろうから野宿には向かなさそう。古墳の隣に高松塚壁画館なるものがあり(250円)、壁画の複製品を見せていた。
 現在古墳内部には空調設備が整い、常に最適な保存状態が保たれているというが、飛鳥保存財団が赤字経営になったら、電気代節約のために空調を停める事態にはならないだろうか。
 キトラ古墳も見にいったが、シートがかぶせられたただの崖だった。
 亀石では、子供が大喜びで馬乗りになっていた。鬼の俎板を見た後、橘寺へ。
 橘寺(350円)は、二面石が変な顔だった。
 本堂には、田道間守(たじまもり)の像があった。垂仁天皇の御世に、常世国へ「時じくのかぐの木の実」を取りにいったおじさんだ。この木の実が実は橘だったということで、この寺と縁があるということらしい。
 「たじまもりの歌」なるものまであって、歌詞が貼ってあった。
♪香りも高い橘を
 積んだお船が今帰る
 君の仰せをかしこみて
 万里の海をまっしぐら
 今帰る田道間守

 おわさぬ君の御陵に
 泣いて帰りぬ真心よ
 遠い国から積んできた
 花橘の香りと共に
 名は香る田道間守♪
うーむ、田道間守なんて、記紀神話の中でもかなりマイナーな人だと思うが、こんな歌があったのか。
どこかの田道間守マニア(どんなんだ)が勝手に作った歌なのかと思いきや、
「これはねえ、戦前の唱歌なんですよ。お年寄りの中には、懐かしがって歌う人もおりますよ」
と、お寺の人が楽譜をくれた。うーむ、戦前の教育はあなどれん。
 もう一つ橘寺で面白かったのは、往生院。 「往生院の天井画をお見逃しなく!」
などと寺では宣伝していたが、注目すべきはそんなものではなく、部屋の脇にそそり立つ聖徳太子像だ。
けっこうでかい。2mくらいある。貼られていた新聞記事のコピーによれば、この像は近所の老人クラブが手作りし、「聖徳神社」のご本尊としてお祭りしていたが、参拝客から
おカオがちょっと面妖…

「仏教を広めようとした太子を神社に祀るのはおかしい」
とツッこまれ、長い間老人センターの舞台上にお蔵入りになっていたものだそうだ。
 橘寺境内に往生院が建てられたのを期に、寺に寄贈されて現在に至っているという。
 聖徳神社にツッコミを入れた参拝客は、たぶんぼくみたいなヤな性格のヤツだったんだろう。
「うるさい黙れ、文句があるなら参拝するな」 と一蹴すればいいのに、素直に神社を撤去してしまった老人たちが可愛い。
 経歴からして波乱万丈の太子像だが、その容貌はかなり不気味。お蔵入りになっていた理由は、絶対カオのせいだと思う。
 観音堂では「飛鳥時代の鬼瓦テレフォンカード」を「好評販売中!」だったが、誰が買うんだそんなもん。
 その後、酒船石を見物。斉明天皇が作った庭園が発掘され、その関連性が明らかとなっているやつだ。
 でも、個人的な感想としては、
「こんなものに水流して、何が面白いの?」。
子供の遊びじゃん。だからこそ「たぶれごころの渠」なのだろうが。
 天智天皇が作った水時計の遺跡なぞを見て、今夜のねぐらは橿原市営香久山墓園の東屋。明日は天気が悪いらしいから、濡れない場所があってラッキー。墓が近くだけれど、別に気にならない。どうせこのあたりは古墳ばっかだし。
 今晩の晩飯はウインナーとモヤシの炒め物。買った店はまたしてもオークワだ。
 明日は三輪山に登るぞう。
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4月7日(日)曇ときどき雨 蛇神に捧げる女の祈り

 大神神社へ行く途中、素戔嗚神社という小さな神社でお祭をしていたので、ふらりと覗き見。
 社殿の前の二本の木に、長くて太い注連縄がだらりと渡されている。なんとなく蛇の雰囲気。
 写真を撮ったり、おばちゃんと話をしているうちに、神事が終わっておじさんたちがやってきた。
 物知りのおじいさんに、磐座(いわくら)や神奈備(かんなび)の話を聞いた。
「大昔には、神は石や木に宿るとされておったんじゃ」 「へー、そーなんですかー」

感心した顔をして聞く。
「明日は大神神社のお祭りじゃからな、ぜひ見にくるとええぞ」
と言われ、お餅をもらった。
三輪山を望む
三輪山を望む

 ぽつぽつ雨が降ってきた。
 大神神社では、拝殿前に大きなテントが張られていた。大きな杉(?)の下に、卵がたくさんお供えされている。さすが、日本一の蛇神だ。
 宝物収蔵庫を見学(200円)。三輪山麓の狭井川一帯は、昔から出雲屋敷と呼ばれていたそうだ。大物主が出雲からやってきたことを示しているのだろうか。
古鉄鏡
古鉄鏡

 神孫のオオタタネコが和泉国陶邑の出身ということで、大量に出土した土器(須恵器)が展示されていたが、それよりもカッコよかったのは「古鉄鏡」。そこに描かれている模様は「美和」の字を図案化したものらしいが、全然読めない。諏訪大社の宝物館にも解読不明な神印があったが、この手の不気味なものは、神秘的で好きだ。
 鎮花祭で有名な佐井神社に申し出て、三輪山登拝。300円払うと、白い襷を貸してくれる。
三輪山中で滝修行
三輪山中で滝修行

 山道には、ヘビイチゴの白い花が咲いている。ところどころに磐に注連縄が張ってある。神の依代である岩と、そうでない岩との区別は何なのだろう。
 途中、山から下りて来た女性とすれちがう。髪が濡れていたのが気にかかる。
 しばらく行くと、修行用の小さな滝があった。男女別に脱衣場が分かれている。あの女性はここで滝に打たれていたのかと合点。先客がいないので、ぼくも滝に打たれてみた。いやあ、三輪山でこんな修行ができるとは思わなかった。
 さらに上に登る。雨に濡れた赤土が滑りやすい。赤土に、人の指の跡が残っているのを発見した。そういえば、さっきすれちがった女性は裸足だったような気がする。
山道についていた指の跡
山道についていた指の跡

 蛇神の棲む山に裸足参りし、滝に打たれるなんて、一体何を祈願しているんだろう。かなり怖い(写真を良く見ると、六本指らしく見えるのでよけい怖い)。
 山の八合目付近に大きな磐座があって、一帯は立ち入り禁止になっていた。
 山の頂上にはごつごつした岩場で、小さな社があった。
 山から降りて札授所に襷を返して、登拝口をふと振り返ると、若い女の人が熱心にお参りしていた。
 蛇婿伝説の地だけに、どうしてもそういうのが気になってしまう。
 まだ日暮れには間があったので、明日香村にとって返して石舞台古墳を見にいった。要領悪い。閉園間際だったが、なんとか入れた。
 古墳の中では、石の間に小銭が挟まっていた。どうしてこういうのを挟みたがるんだろうねえ。
 今夜のねぐらは、甘樫丘のふもとの空き地。トイレは少し離れているけれど、近くに水道があるからよい。
 晩飯は、チンゲンサイと鶏胸肉の炒め物だったような気がする。
 自宅に電話すると、母が
「お父さんが修学旅行の付き添いで明日から奈良に行くで、もしかしたらアキラと会うかも知れんなあ」
と言っていたが、まさかな。
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4月8日(月)晴 歌垣少女に胸キュン?

 朝、テントを畳んでから周りを見ると、墓場だった。
 それも、石塔などが全くなく、ボコボコとした土饅頭に樒が供えられているばかり。なんとなく土葬っぽい雰囲気で、今頃になって少し怖かった。
 大神神社の「春の大神祭」に行こうかとも思ったけれど、神輿行列なら昨日ビデオで見たし、また桜井市まで行くのはめんどくさいやと思ったので行かなかった。
 入鹿の首塚や謎の猿石を見てから、奈良県立万葉文化館を見物(600円)。
 日本画展示室では、万葉をテーマにした絵が飾られていたが、さほど興味を引く作品はなかった。
 万葉時代の暮らし振りをリアルな人形で再現していたけれど、別に大したことはなかった。
 興味深かったのは、歌垣のビデオ。日本でも筑波山などで行なわれていたものが有名だけれど、中国の少数民族の間では、今でも歌垣が行なわれているのだそうだ。男女が山の上に集まって、本当に即興の歌を交わしていた。男も女も恥じらいながら、それでも一生懸命歌っている。男女ともやたら甲高い声なのが印象的だった。
 ベテランのおっさんが、若い女の子を歌でからかって、最後には彼女を怒らせてしまうというシーンもあった。ムキになって、それでも歌でくってかかる女の子が可愛かったけれど、
「こんなおっさん相手に歌のやり取りしても不毛じゃないのかなあ」
とも思った。まあ、いろいろ文化があるんだろう。
 
 橿原考古研究所付属博物館にも行きたかったけれど、月曜休館だった。
 神武天皇を祀る橿原神宮と、彼の御陵を見た。
 橿原神宮はでっかくて、さぞかし歴史があるのだろうと思いきや、創建は明治23年だそうな。嫌らしい。
 神武天皇陵もでっかかったけれど、これだって明治のデッチアゲじゃねえのか?よく知らんけど。
 奈良観光の定番といえば、明日香の次は法隆寺。本当に、修学旅行を地で行ってるな。
 斑鳩町に着いたのは、夕方五時頃だった。iセンターとやらで簡単なマップを入手し、スーパーで買物して、ねぐらは法隆寺の裏のほうにあるグラウンドのガード下。公衆トイレにエロ本が捨ててあったのが、気になって仕方なかった。
 晩飯はうどんだったと思う。
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4月9日(火)曇 なんで今さら修学旅行

 法隆寺は、拝観料を1,000円も取られた。ぼったくりだ。嫌なら入らなきゃいいのに。
 案の定修学旅行の中学生で一杯だった。
 法隆寺には伏蔵という謎の地下倉庫があって様々な財宝が納められているという話を聞いていたのだが、どれがその伏蔵なのか、よく分からなかった。
 法隆寺には飛鳥時代の金堂があって、その中には飛鳥時代の釈迦三尊像や薬師三尊像があったりするが、もちろん真っ暗でほとんど見えないのだった。中学時代の修学旅行でも「つまんねえの」と思ったものだ。
飛鳥時代の椅子(ウソ)
飛鳥時代の椅子(ウソ)

 金堂の廊下の隅には飛鳥時代の椅子があり、その上に飛鳥時代の座布団が置かれていた。古びてなかなかいい味だ。きっと飛鳥時代のおばあちゃんが座るのだろう。
 斑鳩町から奈良市へと向かう。途中、県立民俗博物館があったので寄ってみた(200円)。 「風を生み出した箱―唐箕―」という企画展をやっていたが、唐箕ばっかりダダクサモナク並べられても、何も面白くなかった。唐箕の歴史と進化とか、唐箕作りの職人の作業を紹介するとか、展示方法になんか工夫してくれないとかなわない。だいたい唐箕って、かさばる上に希少価値も少なくて、博物館にとっても邪魔物だろうなあ。
 企画展よりも印象深かったのは、ビデオ学習室の古臭さ。これこそまさに「博物館入り」というべき機械だった。
「システムを更新する金も無いんだろうなあ」と呟きながらも、ほとんどの番組を見倒した。
 夕方、奈良市に入る。駅に寄ってマップを入手し、おきまりのオークワで買物し、ねぐらは鴻ノ池運動公園の隅っこ。
 晩飯は、鶏肉を何かしたらしい。
 明日は東大寺と元興寺にでも行こう。
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4月10日(水)晴(黄砂) なぜか父親と異常接近

 車道がすぐ近くだったので少々うるさかったが、人通りが無かったので安心して眠れた。
7時過ぎに起き、チャルメラ二袋をもって朝飯とした。
 10時ごろ出発。ラジオでは永六輔が「在宅で死ねるように、元気なうちに金を貯めておけ」と言っていた。そんなもんか。
 とりあえず大仏様を拝みに東大寺に行こうとしたのだが、どういうわけか道に迷って東大寺をぐるりと一周してしまい、ようやく南大門に入った。拝観料500円。
八本足の極楽蝶
八本足の極楽蝶

 中学の修学旅行で得たのと同じ感慨を持った。
「八本足の極楽蝶って、やっぱ不気味だよなあ。」
「軒下のおびんずる様、顔が腐りかけててやっぱ不気味だよなあ。」
 戒壇院には入らず、正倉院を外から見て、三月堂に入った(500円)。奈良国立博物館の「東大寺のすべて展」に出品するため、日光と月光はエジプトのミイラよろしく梱包されていた。堂内はペリカンマークのついた運搬用資材でごったがえしていて、仏像鑑賞どころではなかった。こういう時は割引料金にしてほしい。

 奈良公園をそぞろ歩くと、おじさんおばさんたちがカンバスに向かって優雅に絵を描いている。自分で絵を描くのはいいが、他人が描いているのを見るとなぜか鬱陶しい。ライバル心かな。
 南大門から国立博物館に向かう途中、見覚えのある模様のバスとすれちがった。信南バスだった。よもやと思って見上げると、「竜○中学御一行様」の字がはっきり見えた。ぼくの父親の勤めている学校だ。
 親父はあのバスに乗っていたのだろうか、ぼくのリュック姿が目撃されただろうか、とゾッとした。
 奈良国立博物館では、「東大寺のすべて」展の準備のため、新館が見物できなかった。つくづく間が悪い。
 それでもいろいろと展示された仏像を見たけれど、やはりぼくは大層な仏像よりも、顔が崩れかけた石仏の方が趣味に合うなあ、と感じた。
 元興寺へ。妖怪のことを「ガゴジ」などと呼ぶのは、この寺に鬼が出たことに由来するという説がある。料金所でこの「元興神手拭」を売っていたので一つ買った(500円)。
 元興寺は意外と小さな寺だった。蘇我馬子が建てた飛鳥寺が前身で、平城京遷都によってこの地に移り、元興寺となったそうな。平安時代末期になると、密教寺院などに人気を奪われてかなり貧乏になったらしい。
 境内の資料館で展示されていたもので面白かったのは、心変わりをした夫を妻の元に呼び戻す呪いの「夫婦和合祭文」と、妻が夫と離縁したい時の「離別祭文」という古文書。
 離別したいときの方法は、 「なつめの木の板に『急々如律令』と呪文を書き、裏面に男女の名を書き、犬の尾の毛と猫の尾の毛を大道の辻に埋めて毎日心経を3巻ずつ、7日間唱えるべし」 とのこと。真言系の呪いらしいが、こんなののどこが仏教じゃ。
 犬と猫の毛というのは、これらの動物が互いに仲が悪いことからのイメージだろう。その毛を辻に埋めるというのは興味深い。
 そういえば、元興寺の鐘楼に出没した鬼も、その正体は辻に埋められた悪人の怨霊だった。
 春日大社にでもお参りしようかと思い、その下の鳥居脇のベンチに腰掛け、食パンにクリームチーズと蜂蜜を食って遅い昼飯。寄ってくる鹿を牽制しながら食べていると、参道の方から聞き覚えのある声が聞こえた。 ぎくりとして振り向くと、修学旅行生の群に交じって、見慣れた中年男がぼくの脇を通り過ぎるのが見えた。親父だった。
「いやいや、はっはっは」
親父は同僚の教師となにやら楽しげに会話しながら、何も知らぬ様子で遠ざかっていった。
 うひゃ〜、本当にニアミスするとはなあ。真正面から出くわさなくてよかった。
 胸を撫で下ろすというのはこういうことをいうのだろう。心臓に悪かった。
 春日大社を見た後、、平城京跡に寝そべって日記を書き、日が暮れてきたのでねぐらを探しながら京都への国道24号を走った。
 なかなか寝られそうな場所が見つからず、結局京田辺とかいう辺まで来てようやくスーパーに寄り、道路脇のゲートボール場でテントを建てた。 いつものように自転車からサドルバッグを外してテントの中に入れたのだが、妙にバッグが美味しそうな匂いを発している。おかしいなと思って開くと、醤油のペットボトルが破損して、中身が醤油漬けになっていた。忌々しかった。
 あいにく近くに水道がなかったので、国道を渡って住宅地を徘徊し、個人の家の軒先の水道をこっそり拝借した。
 晩のおかずは、また砂肝だった。だって安いんだもん。自宅に電話して、母に
「父さんを見ちゃったよ」
と伝えると、
「あれえ、ほんとかな。父さんにも聞いてみにゃ」
と喜んでいた。

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