日本2/3周日記(北陸)
とっとと北陸編(石川〜新潟)
起きたのは6時頃でしたか。ぼくが二番目で、カナイ君が一番先に起きて地図を見ておりました。
ぼくは先に一人で朝飯(これまたカップラーメンとおむすび)を済ませ、Mackとタカハシ君が起きてきて朝飯を食っているときに一足先に出発しました。
タカハシ君はぼくと方向が一緒ですが、彼は琵琶湖の方に寄っていくと言っていたので、再び会うことがあるかどうか。
道の駅を出たのは朝7時ころ。こんなに朝早く走るのは滅多にないことです。
なるほど、朝の日差しはさわやかさが違うような気がする。
小浜市から海岸沿いの国道162号へ。
小浜市は、人魚の肉を食べて不死身になった八百比丘尼の洞穴があったり、奈良東大寺のお水取りに先立って水を奈良に送る行事があったり、そして最近では北朝鮮に拉致された人が出たりと、何かと話題の多い場所ですが、うっかりそのまま通り過ぎてしまいました。
八百比丘尼入定の洞窟ってのは見とくべきだった。残念。
天気がいいので気持ち良く走れます。
峠を越えて敦賀市に入り、適当にスーパーに寄ってチキンカツとキャベツを食パンに挟みグレープフルーツジュースで流し込みました。
敦賀市は、去年のゴールデンウイークに飯田から二日かけて自転車で訪れたことがあります。
当時は既に会社生活が煮詰まってきていた頃で、あのときはそれこそ憂さを晴らそうとするかのごとくがむしゃらに走ったなあ。
結局尻と足が強烈に痛くなり、越前海岸まで家族の車に迎えに来てもらって、帰りはのどかな家族旅行で締めくくられましたが。
気比神宮にお参りしてから、国道8号を北上。自転車で走るのは二度目ですが、あいかわらずカーブが多くて坂も多くてダンプも多くてそのかわりに幅が狭くて、最悪な道です。
夕方、道の駅「かわの」に寄って日記を打っていると、後ろから
「あー、やっぱりいた」
という声がしました。振り返ると、タカハシ君でした。
「あらまーお久しぶり。しばらく見ないうちに大きくなったねえ」
「(ボケを無視して)このへんにいるんじゃないかなと思ってたんですよ」
「琵琶湖一周するんじゃなかったの?」
「一応湖は見てきましたんで、気が済みました。今日はここで泊まるんでしょ?」
「いやあ、晩の食材買ってないから、武生市まで下ろうと思ってるんだけど」
「これからですかあ。ここで泊まりましょうよ、晩飯ならぼくパンがありますよ」
「いや、行く。市内のどっか公園でテント張るよ」
「ぼくはもう道の駅以外では寝られない体なんですよ。公園だと、警察来たりしてうるさいらしいじゃないですか」
「そうかな?散歩犬がうるさいことはあるけど、ぼくは気にならないなあ」
「本当に行くんですかあ。この先の道の駅だと、「パークイン丹生ヶ丘」かあ。でもこっから20kmくらいありますよ」
「そうか、じゃあそこにしよう」
「マジっすかあ。しょうがないなあ」
「悪いねえ。じゃあ今夜の晩飯はぼくの手料理を御馳走するよ。おれ自転車にライトついてないから先走って。途中スーパーあったら停まってよ」
タカハシ君は琵琶湖に寄っている分ぼくよりも走行距離が長く、疲れも溜まっている様子。行く手に上り坂があるのではないかと不安のようでしたが、実際はさしたる峠もなく、市街地まで下ることができました。
途中で「ハニー」というスーパーに入りました。メインディッシュはトリモモ。タカハシ君がシチューを食いたいというので、レトルトシチュー。そしてスープ用のもやしも買いました。
おごってやろうと思ったのに、タカハシ君は半分出してくれました。
暗い夜道をしばらく走って、目的の道の駅に着いたのは夜8時頃。こんな暗い夜道は、一人では走りたくありません。でもおかげで、ぼくも今日は90km近く距離を稼ぎました。
駐車場に建っていた物産所用のテントの下で晩飯作り。今度はちゃんと米も研いで炊きました。二人とも大飯食いなので、ごはんがコッヘルに山盛りに炊き上がりました。
トリモモ肉を網でジュウジュウ焼きます。
「すげえ。この匂いたまんないですね」
滴った油に引火して、肉はほとんどフランベ状態。
スーパーからもらってきた無料氷で冷やしておいた発泡酒で乾杯しました。
長く走ったあとの炭酸系アルコールは最高です。
タカハシ君は
「これはもう、ダメっすよ。ほんと、もうダメ」
何がダメなのか良く分かりませんが、ほとんど恍惚状態になりながら肉にかぶりついておりました。
スープも作ろうと思ったのですが、シチューで器を使ってしまっていたので、あしたの朝に回すことにしました。
「いやあ、こんなうまい飯食ったのは久しぶりですよ。ありがとうございました」
「あなたのように『うまい、うまい』と食べてもらえると、まことに心持ちがよいな」
肉の脂が滴って、アスファルトが汚れてしまっておりましたが、ぞうきんで軽く拭いてよしとしました。
片付けをしてから、休憩室のベンチに移動。幅があるので銀マットも楽に敷けます。
休憩所で暇をつぶしていた地元のおっさんが、
「自転車旅行かね。どこから来た、どこへ行く」
と毎度のごとく声をかけてきたので、応対をすべてタカハシ君におしつけ、ぼくはわきでニヤニヤしながら地図を見たりしていました。
明日は永平寺にお参りするつもりです。仏道修行のメッカとはどんなものか、ニヤニヤしながら見物してくるつもりです。
駐車場にはトラックが何台か停まっていますが、この道の駅はさして大きな幹線道路に面しているわけではないので、客の出入りも少なくて休憩所は静かです。
ぼくが先に寝袋にもぐりこみ、タカハシ君がスイッチを探して休憩所内の照明を落としてくれました。
朝は、モヤシスープを作って、めいめいのパンを食べました。
まっすぐ北上するタカハシ君と別れ、ぼくは永平寺へ。永平寺有料道路は40円でした。半端な額だ。
たくさんのツーリングバイクに追い越されました。
永平寺は、道元の開いた曹洞宗の本山です。
他の観光客に交じって、拝観コースをぞろぞろと歩きました。
修行道場というより、ホテルみたいな寺でした。
|
永平寺
一番奥の法堂というところでは、なにやら法要が行なわれておりました。けれど修行僧が廊下を雑巾がけするシーンや、座禅中にぱちんと肩を叩かれるシーンなどは、どこにも見られなくてがっかりしました。
せめて、マネキン人形でも置いといてくれればいいのに。
その代わり、便所に貼り紙がしてあって、不愉快でした。
履物を揃えれば心が揃う
心が揃えば世界が揃う
とかいう詩でした。
便所のスリッパを揃えるくらいで人々の心が揃うものかどうかは、よくわかりませんが、少なくとも「世界が揃う」というのは論理の飛躍だと思います。
「そんならあんた、パレスチナ行ってスリッパの整頓しとれや〜」
と、とりあえずツッコまずにはいられません。
それに「世界が揃う」って言葉自体、なんか気味が悪いです。世界なんて揃わなくていいと思うんですけど。とりあえず、共存さえできてれば。
そういうぼく自身は、便所のスリッパをきれいに揃える人種です。だって、スリッパが散らかってると見た目悪いじゃん。
寺から出て山を下り、石川県へ。加賀市のジャスコで買物し、水を補給して今夜のねぐらは国道8号沿いの潰れた店の軒下。車の音がうるさいですが、まあ寝られないことはありません。
晩飯は、鶏胸肉を具にした玉うどん。
国道の両脇には、九谷焼の店が並んで観光バスが出入りしていました。
松任市のゼビオにふらりと立ち寄り、自転車の前輪のフェンダーを買いました。アウトドアコーナーに寄るといろいろ買いたくなってしまい、不燃性のストーブマットも買ってしまいました。小さいやつが1,600円。贅沢かなとも思いましたが、汚したくない場所や、燃え移りやすい場所でストーブを使う場合は便利なはずです。
隣のジャスコで食パンと白身魚フライを買い、近くの墓地の東屋ではさんで食いました。
金沢市が近づいたあたりで、「白山比盗_社」の看板に遭遇。そーいや、そんなのもあったなあと思い、少し後戻りすることを覚悟でタイヤを向けました。
鶴来町では、なにやらお祭りが行なわれて賑わっていましたが、さっさと通過。
|
白山比盗_社
白山信仰の一翼を担ったという金劔(きんけん)宮にお参りした後、「県立ふれあい昆虫館」の隣にある白山比盗_社へ。大きな杉がたくさん生えていましたが、思ったほど大きな神社ではありませんでした。一応お札をゲット。
金沢市に入ったあたりで、雨が降ってきました。スーパーで買物しようと思いながら走っていたらいい店が見つからず、結局市内の「弥生公園」の東屋でテントを張ることにしました。ここの公衆トイレは充電できるようなコンセントがなく、大便器が汚かったのが不愉快でした。
晩飯はレトルトカレー。
東屋の下ではありましたが、下がタイル貼りだったので結局テントの床は濡れてしまいました。
公園は、散歩人よりも通勤通学の人たちが横切る場所のようでした。
こんな雨の日に散歩人も来ないだろうな、と思っていたら、近所のおばさんがぼくがテントを張っている東屋にやってきて、本を読み始めました。
邪魔して悪いなと思って、急いでテントを片付けました。
金沢の中心部に入り、兼六園へ。庭園などにはあまり興味はなかったのですが、福井の道の駅でMackが「兼六園はいいよオ」と言っていたので、どれほどのもんかと思い寄ってみることにしたのです。
「ここから“虹橋”と“ことじ灯篭”が見えるだろう。ここが兼六園で一番の名所だよ」
などと、観光客のおじさんが訳知り顔で連れに説明しておりましたが、ぼくとしてはその風景を見ても
「そんなもんかな」
という程度の感慨でした。
雨だったので、苔の緑はきれいでした。
兼六園から高架橋を渡った隣では、「加賀百万石博」が行なわれていました。
櫓などが復元されていて、有料エリアの中では大河ドラマのセットなどがあるようでしたが、興味ないので入りませんでした。
テレビに便乗した観光事業は嫌いです。
スーパーでまた食パンを買い、近くの公園で「やわらかチキン南蛮」をはさんで朝飯兼昼飯。日が出てきたのでウエアやマットを干しました。
一昨日別れたタカハシ君からは、すでに富山県の高岡に進んだ旨のメールをもらいましたが、ぼくはこれから能登半島を一周です。
高速道路みたいなバイパス道をがしがし走っていくとすぐに途切れ、打って変わって狭い道を走らされました。
昼に値引き牛乳を飲んだせいでまた腹の調子が悪くなり、かなり切羽詰った形相になりましたが、運良く公園のトイレが見つかってほっとしました。
羽咋市は、静かで影の薄い町だったのであっさり通過。そのかわり、能登一ノ宮の気多神社にお参りしました。
神社の手前で、「折口父子の墓」の看板を目撃しましたが、なぜか通過してしまいました。
後で聞けば、能登は折口信夫の養子、春洋の故郷だそうな。くそう、寄っておくんだった。だんだん気候が寒くなって、好奇心が萎縮している証拠かもしれません。
|
宮司糾弾の看板
気多大社の周囲には、変な看板がたくさん立っていました。
みんなで守ろう、気多の神域!!
「覚え書」を守らぬ宮司は辞職せよ
昭和58年3月5日、気多大社において××宮司が同席のもとで「××宮司は65歳に達したとき宮司を辞職する」との覚え書に本人が同意し押印していながら辞めようとしないのです。
―気多大社の正常化を図る会―
…どういう確執があるか知らんけど、そんな内輪もめをでっかい看板にすることねえじゃねえか。「正常化を図る会」が聞いて呆れるぜ。「非正常化を誇る会」じゃねえのか、あんたら。
気多大社は、赤いハート模様の「えんむすび絵馬」がちょっと俗っぽかったです。
夕方志賀町に入り、スーパーで買物し、道路脇のドライバー向け公衆トイレの軒先でテントを張りました。障害者向けの屋根つき駐車スペースがある、リッチなトイレでした。
晩飯は鯖寿司(380円)と、煮込みうどん(豆腐とナメコ入り)。鯖寿司は美味しかったかどうか、記憶がありません。
朝、公衆トイレにきたおじさんと少し話をしました。
「おれも昔は自転車が好きでなあ。能登一周か。どっからきた」
「長野の飯田です」
「何日目だ。三日くらいでこれるか」
「いや、かれこれ半年」
「はあ?」
「いや、沖縄回ってきまして」
地元に近いと、説明が面倒くさい。
富木町には日本一長いベンチというものがあるらしかったのですが、見ませんでした。
|
関の鼻にて
厳門とかいう海蝕洞を見たあと、関の鼻へ。ゴニャゴニャした岩が気持ち悪くて面白かったです。
近くに松本清張の小説の舞台になったというヤセの断崖がありましたが、関の鼻から眺めるだけで良しとしました。自慢じゃありませんが、松本清張作品は一冊も読んだことがありません。
門前町にはなんとかいう寺がありました。ちょっと覗いてみると、交通整理の光る棒を持った若い坊さんが山門のところにいて、
「お参りありがとうございます」
と合掌したので、ぼくも合掌し返しました。
しかし中に入ってみると、拝観料を取られることが分かったのでさっさと出てしまいました。出てくるときもお坊さんに
「ありがとうございました」
と合掌されたので、ちょっと気まずかったです。
輪島市に入ったのは空が暗くなった頃。市内をうろうろして、結局市役所の駐車場の奥にある、屋外ステージみたいなところでテントを建てました。
テント設営作業中、ポールがへし折れました。どうやら以前から亀裂が入っていたようです。ゴアテックスのリペアシートを巻いて応急処置をしました。
今日は、だらだらと小雨が続いてレインウエアを着るタイミングが遅れたせいか、少し風邪気味。体じゅうの皮膚が妙に痛いのは、微熱のある証拠です。
こういうときはうまいもん食って寝るに限ると、晩飯は鍋にしました。といっても、白菜のほかシイタケスライスや鶏胸肉など、具は相変わらずのもの。具沢山みそ汁と呼んだほうが正確です。
ただし、晩酌は少し奮発して買った「能登誉 千枚田」とかいう生酒。
なるほど、パック酒よりはうまかったです。
朝は雨があがってよかったです。風邪がこじれることはなく、気分も良くなっていました。
石川県輪島漆芸美術館を見学。漆器ばかりでなく漆絵などもあって、中にはぼく好みの絵などもありました。
ポールをなんとかせねばなりません。アルペンに注文してから入荷までは3〜4日かかることはすでに経験済みです。今日から3〜4日後というと、ぼくの足ではだいたい富山市あたり。まず電話帳で調べて石川県内のアルペンに電話して、富山県内の国道8号沿いの店を教えてもらいました。
教えてもらったアルペン高岡店に電話し、商品番号を伝えて注文。先方はカタログをしばらく繰っていたようですが、
「おっしゃるタイプの商品はありませんね」
とのこと。メーカーに在庫があることは十分承知しているので、
「メーカーに確認してから折り返し電話ください」
|
麒山和尚の像
と伝えました。案の定数分後に電話がかかってきて、
「在庫あります」
とのこと。ぼくも要領がよくなったものです。
能登の漁村は、家々が板塀、板壁で統一されていてなかなか風情がありました。写真撮ればよかった。
千枚田ポケットパークとかいう小さな道の駅では、ばあちゃんがパラソルの下で土産物を売っていました。
下時国家、上時国家とかいう平家の落人の古民家を外側からだけ見て、「能登の親知らず」と呼ばれているというトンネルを見物。今から220年前に麒山和尚という人が掘削したそうで、本人の石像が道端にありましたが、目鼻も分からなくなっておりました。
トンネルはなかなかカッコよかったです。少なくとも、青の洞門よりいい。
|
能登の親知らず
トンネルを潜った先のベンチでラーメンを茹でて昼飯。揚げ浜塩田では塩田資料館がありましたが、閉館時間間際だったので入りませんでした。
今日は禄剛崎まで行くつもりだったのに、それよりも5qほど手前の峠の展望台にトイレがあったので、そこで寝ることにしました。夕焼けがきれいでした。
晩飯はカレーかなんかだったかな。
禄剛崎までは、上ったり下ったりで少ししんどかったです。
岬へは狭い道を歩いて登りました。背の低い灯台でしたが、真っ白できれいでした。
|
禄剛崎
珠洲市街に入り、スーパーでハムカツと食パンとキャベツを買い、道端の草の上にシートを広げてサンドイッチにして食いました。一人ピクニックです。近くに犬の糞が落ちていて、少し臭かったです。
能登といえば、アエノコトです。目に見えない田の神をもてなす行事で、来訪神信仰の典型の一つとして、民俗学の教科書なんかには必ず写真が載っている有名なものです。インターネットで調べてみると、アエノコトは珠洲市の隣の「柳田村」で行なわれているとのこと。でも、今は季節じゃないし、「アエノコト博物館」があるとも思えなかったので、行くのはやめにしました。
内浦町の恋路海岸で少し休憩。夕暮れ近かったのでここでテントを張ろうかな、とも思いましたが、本当に恋人同士と思しきカップルがいたので、先に進むことにしました。
今夜のねぐらは内浦町の「珪化木公園」。道路から500mほど離れた林の中にある公園なので、静かでいいです。トイレで充電も可能だし。
晩飯は焼きそば。
午前1時ころになぜか目が覚め、徒然なるままに四コママンガのネタなどを考えていたので、再び眠って目が覚めたら7時になっていました。旅先のぼくにしては、寝坊です。
朝飯はゆうべと同じ焼きそば。
国道から外れて近くに民家もない「珪化木公園」に、来る人いないだろうと思っていたら、朝から入れ替わりに何台か車がやってきます。珪化木ファンがいるのでしょうか。
300mほど奥に、県の記念物に指定された巨大珪化木があるそうなのですが、めんどくさかったので行きませんでした。
朝9時ころスタート。能登半島の東岸は、比較的なだらかで走りやすい道です。天気もさわやかなのでいい気分です。
|
ぼら待ちやぐら
渚に櫓のようなものがあり、てっぺんに人影が見えたので
「あの人は何をしているのかしら」
と気になったのですが、「ぼら待ちやぐら」という看板が出ていました。網を仕掛け、そこにボラが入るのを見張っている人だったのです。
ボラを待つなんて退屈だろうなあ、全然動かないのは寝てる証拠かなあ、その割には姿勢が崩れないなあ、などと思いましたが、要は人形なのでした。
橋を渡って能登島に行けばよかったのかもしれませんが、中島町の方を通ってしまいました。
ひたすら走ってお昼過ぎにAコープでパンとコロッケとリンゴジュースを買い、昼飯。
腹一杯になってから少し走ると「和倉温泉」の看板が。
「和倉温泉かあ。聞いたことあるな」
ぼくは温泉に関してはブランドに弱いので、ふらふらと和倉温泉にハンドルが向いてしまいました。
和倉温泉は、ホテルやパブが雑然と立ち並んだ温泉街でした。旅館案内所で教えられた「総湯」という共同温泉に行きました。480円。
和倉温泉のお湯は、色、匂い、感触は普通ですが、味がけっこう強烈でした。しょっぱさをベースに、苦みとも渋みともつかぬ、えもいわれぬ味がしました。飲用のお湯もあったのですが、こんなまずいもの飲んで体悪くならないのかな。
風呂から上がると、携帯にアルペン高岡店から、テントポールが入荷した旨のメッセージが入っていました。
明日には高岡に入れるでしょうから、なかなかよいタイミングです。
七尾市街に入ってユニーで買い物し、夕暮れを少し走って除雪ステーションの駐車場にテントを張ることにしました。公衆トイレにはコンセントも完備です。
晩飯は、カツオのタタキが安かったので、半分を米の中に刻んで入れ、カツオの炊き込みご飯にしました。それと、豆腐と大根葉のみそ汁。
酒は金沢の福政宗。900mlのパック酒ですが、980円の特別純米酒です。4〜5日はもつかな。
カツオのタタキはおろし生姜がないのが残念ですが、七味と粉末ニンニクを振って臭み消しとしました。なかなかうまかったです。
氷見市を通過して高岡市へ。アルペン高岡店に電話して、店の場所を訊きましたが、電話した場所からすぐのところに大きな看板を掲げためあての店が見つかり、バカバカしかったです。
手持ちの金がなく、郵便局を探してうろうろしていたら随分時間が経ってしまいました。
無事ポールを入手。2,000円。店の前でポールを分解し、壊れた部品だけを交換。以前はポールが分解できることを知らず、古いポールを丸ごと捨ててしまったのでもったいない限りです。
国道8号線を通って道の駅「カモンパーク新湊」で休憩の後、富山市を一気に通過。霞がかかってよく見えませんでしたが、立山と思しき北アルプスの高峰に雪がかかっているのを見て、冬が間近であることを感じました。
道の駅「ウェーブパークなめりかわ」のホタルイカ博物館の隅で泊。
富山に来たからには魚を食いたいと思いましたが、高級魚には手が出せず、結局買ったのはイワシ。富山産のイワシだったかどうかは分かりません。
ストーブでジュウジュウ焼いて、ごはんの上にのっけて食いました。イワシなりにうまかったです。
ぼくがテントを張ったすぐ近くのトイレは、電動ポンプで水を汲み上げる仕組みらしく、夜中になると管理人さんが電源を切ってしまったので水が使えなくなりました。
夜、誰やらトイレに来た様子だったので「もしや」と思ったのですが、朝になって見ると案の定、大便器に流されないままの小山がこんもりと残されておりました。
電源スイッチを見つけて勝手にオンにして、流してあげました。
|
魚津埋没林
魚津市に入って、魚津埋没林館を見学。地中から発見された大昔の杉の根っこを、水中保存してある展示館です。『珍日本紀行』で絶賛されていたので寄ってみたのですが、思ったほどの感動はありませんでした。
埋没林とは関係ありませんが、展示室の一角に富山県のジグゾーパズルがありました。ピースが市町村の形をしたパズルです。裏表の区別がなく、ピースの角が磨耗しているので意外と難しいシロモノでした。苦労していると、小さな男の子が
「なにこれー」
と近寄ってきたので、彼と一緒にやりました。男の子のお母さんは
「ほら、もう行くよ」
と言いますが、彼はパズルに熱中してしまって言うことを聞きません。
ぼくは子供の扱いが苦手ですが、それでも彼がピースをはめるたびに
「お、すげえじゃん」
などとお世辞を言ってあげました。
二人で試行錯誤しておりましたが、手ごわいピースを一つ片付けてしまえば、あとは芋づる式。最後の仕上げは男の子にやらせてあげました。
お母さんは
「どうもすみません」
とぼくに頭を下げて、男の子の手を引いて去っていきました。
埋没林の存在からも分かるように、昔の富山平野は杉の巨木が生い茂る森だったそうで、その数少ない残存であるという「杉沢の沢杉」を見に行きました。要は沢辺に杉が生えているのでその地名が「杉沢」となり、そこの沢辺に生える杉だということで「杉沢の沢杉」と呼ばれているわけです。くどいこの関係、なんとかならんもんか。
|
杉沢の沢杉
無料の展示館を抜けて森に入り、木道に沿って散策してみました。ものすごい巨木があるのかと思ったらそうではなく、じめじめした土から、細めの杉がうねうねと根分かれして生えているのでした。
展示館のバイト職員らしきTシャツ姿のお姉さんが、団体客をガイドしていました。お姉さんはあまり雄弁な人ではなく、団体よりもさっさと先に行ってしまい、彼らがゆっくり追いつくのを待ちながら
「あー、そこからよりもこっちからの方が眺めいいんだけどな」
とか、
「勝手に森の中に入られちゃ困るんだけどな」
などとぶつぶつ呟いていました。
いるよなあ、こういうタイプの人。そう思って、少し親近感が湧きました。
富山新潟の県境に近づくと、国道のトンネルが車専用になってしまったので海岸沿いの旧道に逸れました。
国道に合流すると、いよいよ親不知。岬こそありませんが、北アルプスが日本海に落ち込む場所だけあって、険しい断崖です。自転車で走ってると、日本の地形が身に沁みて理解できます。
海岸の崖を縫って、コンクリートの洞門がうねうねと続いています。意外と交通量が多くなかったのと、高低差が少なかったのが幸いでしたが、路肩は狭く、走り抜けるのに緊張しました。
昔の旅人は崖下の波打ち際を走っていたんだそうですが、いつごろまでそんなハードな旅をしていたんでしょう。中学校の頃、合唱コンクールで聞き覚えた歌をついつい口ずさんでしまいました。
♪子を、呼ーぶ母の、子を、呼ーぶ母の、叫ーびぃが聞ーこえぇる幕ノォ内
なんで親不知子不知に「幕の内弁当」が出てくるのかよくわかりませんが、きっとぼくの覚え間違いでしょう。国道沿いの展望台から下の方を見下ろすと、崖伝いの山道に、無縁仏の墓ともおぼしき石塔が建っているのが見えました。
「親不知古道を歩くハイキングツアー」なんてあったら面白いな。
今日は道の駅「能生」泊を目標にして走っていたのですが、糸魚川に着いた時点で日が暮れたので、ここで寝ることにしました。
|
沼河比売の像
駅前で閉まる寸前の観光案内所でマップを入手し、近くに海水浴場があるらしいことを知って探してみたのですが、見つからず。結局駅前通りの小さな公園の展望台で寝ることに。
このあたりは大国主命の愛人、高志の沼河比売の出身地だそうで、そのブロンズ像がライトアップされておりました。
今夜の晩飯は、焼きホッケと小松菜の味噌汁。
夜雨が降りました。展望台の風上側にテントを建てていたので、濡れました。少しくらいいいけど。
朝飯は、もやしや小松菜を具にしたチャルメラ。
ザウルスが壊れました。電源を入れると画面に変な模様が現れ、結局起動しないのです。
今、母校では学園祭の真っ最中。本当はぼくも参加したいところなのですが、旅人の身の上なのでそれができません。長岡市には大学の同期のマンハッタン君(仮名)がいます(日記6月3日参照)。彼は今学園祭に行っているのですが、終わり次第新潟に帰ってくるはずなので電話を入れてみました。
「明日の夕方頃長岡に着くと思うから、泊めてくんない?」
「いいよ」
仕度があらかた終わった頃、一人旅のおばさんが展望台に登ってきました。
「いいところ見つけたわねえ。ここなら雨にも濡れないし」
濡れましたけどね。
「自炊してるの?スーパーで買物して?そうよねえ、コンビニだと高いもんねえ。あたしは各駅停車で旅するのが好きなの。飯田線も乗ってみたいけど、うまく繋がらないのよね。そうだ、ミカンがあるから食べなさい、ビタミンも摂らなくちゃダメよ」
と、ミカンをふたつくれました。
走り出した頃には雨も上がって、レインウエアを着ずに済みました。糸魚川〜上越間は自転車専用道路がありました。トンネルまでついていましたが、かつては鉄道だったのでしょうか。
試しに少し走ってみましたが、車道と比べるとどうしても上り下りが激しいし、道の真ん中にポールが立ってたり車道と交差したりして鬱陶しいので、結局また国道に戻りました。
上越市に入って、食パンにジャムを塗って食い、市街地を通過。
柏崎の手前で「胞姫(えひめ)神社」という怪しげな看板を見つけました。どんな神様なのか気になりましたが、神社には寄らずじまいでした。
「風の丘」とかいう道の駅があったのでトイレ休憩。国道から急な登坂を300mほども上がらなければならなかったので、道の途中で後悔の念が起きましたが、なんとか這い上がりました。
この一帯は別に風光明媚なロケーションでもないのに、土産屋や「人形ミュージアム」やらが軒を連ね、観光客がたむろしていました。どこにも入らず、トイレだけ済ませて少し先のスーパーで昼飯。ソーセージとジャガイモのマヨネーズ和えを食パンに挟み、甘いコーヒー牛乳とともに嚥下。
この調子なら今日中に長岡まで行けるかな?
そう思い始めたのは、柏崎を過ぎた峠道。夕方5時頃マンハッタン君に電話してみると、
「もう長岡に帰ってきたよ。今日泊まる?大丈夫だよ」
とのこと。
すっかり暗くなってら長岡市内に入り、バイパスを無灯火で驀進。マンハッタン君のところに何度も電話をかけて場所を確認しながら、鈴木仏壇店の前でようやく顔を合わせることができました。
「部屋は違うんだけど、会社の先輩と同居してるから静かにしてね」
「大丈夫だよ。もしかしたら『源兵衛さんは色事師♪』って歌い出すかもしれないけど」
「そんなことしたら先輩に斬られちゃうよ」
マンハッタン君のアパートは極々分かりにくいところにありました。近くの店で飲もうか、ということになり、荷物を置かせてもらってから二人で夜道に繰り出しましたが、いい店がなく、結局彼の車で長岡駅前まで繰り出すことになりました。
駅前ロータリーの駐車場に車を停め、近くの居酒屋に入りました。カキフライ、焼き鯖、カンパチ刺身などを食いながら、生ビールを飲む。たまりませんなあ。
「島原で見つけたマンハ家、写真撮って送ったけどあれで正解だった?」
「うん、よく見つけたねえ。あの日、家族みんな出払ってて、帰ってきたら変なハガキが入ってたって親が言ってたよ」
「あれ、家の中で人の声が聞こえたと思ったんだけど」
「いや、みんな留守してたはず」
ではあの日、ぼくが聞いた声は空耳だったのでしょうか。それとも…?
その後の話題は学園祭の様子やぼくの「ふれあい」談義。会う人ごとに同じこと喋ってるな、ぼくって。
彼が自分の車で学園祭に行っていたとは知らなかった。もう少しスケジュールを急げば、一緒にのっけてもらうことも可能だったのに。残念。
アパートまで代行で帰りました。マンハッタン君には散財させたなあ。ぼくの手持ちの金が少なくて申し訳なかった。
部屋に戻ってからは、学園祭の写真を見せてもらったり、ぼくのデジカメデータをCD-Rに焼いてもらったりしました。
東北地方の地図ももらえたのはラッキーでした。11時ごろ就寝。
マンハッタン君は携帯のバイブレーション機能を目覚ましに使っていました。隣人への気遣いでしょう。なかなかご苦労様です。
朝飯は昨夜めいめいで買ってきたパン。
テレビを点けてもらいましたが、あいにく横田滋さんは出てきませんでした。ラジオではよく声と咳を聞いているので、どんな顔しているのか興味あったのに。
マンハッタン君から長岡市の観光パンフレットをもらいました。
鞄も持たず、普段着のままでテクテク出勤する彼にくっついて、彼の勤め先の工場まで行き、門の前で別れました。
ぼくはシャープエンジニアリングの長岡支店方面に。途中の公園で小休憩して念のためにザウルスの電源を入れてみると、意外にも正常。メールを打ってみましたが、何の問題もありません。
正常に動くものを修理に持ち込んでも仕方がないので、そのまま小千谷市に向かいました。
これからの進行ルートは、檜枝岐から会津に進み、山形から月山を抜けて日本海側を北上するつもりです。
信濃川を渡って小千谷市内のジャスコで食パンなどを買い、近くの神社で食いました。揚げ物サンドとマミー1リットル。
パンを齧りながらメールチェックしようとすると、ザウルスの電源が入らない。ついさっきは正常に動いたから修理を思いとどまったのに。こいつ、ぼくを馬鹿にしてるのか?何度も電源ボタンを押しても、液晶画面に変化はありません。
今さら長岡に戻るのも癪なので、会津で修理に持ち込むしかありません。やれやれ。
国道17号をひたすら走り、湯之谷村へ。新潟と福島の県境の越後山脈、今回の旅では本州で最もハードな峠越えになるはずです。
シルバーライン入口まではさして勾配もありませんでした。シルバーラインは自転車通行不可なので、素直に国道352号を走ります。この国道には
「二輪車通行禁止」
と標識が出ています。おそらくは暴走行為防止のためでしょうが、通行禁止にすることはあるまいに。自転車は通ってもいいのか、少し不安になります。たとえダメと言われても通りますけど。
|
枝折峠手前
木々の葉は色づき始めていますが、紅葉にはまだ早い様子。空はカラリと晴れているので、駒ケ岳のシルエットがきれいです。
峠道を登り始めたのは3時半頃からですが、枝折(しおり)峠の手前でとっぷりと日が暮れてしまいました。半月が輝いているので、ライトのないぼくには幸いです。
冷蔵庫で冷やしたのかと思うほどの清水をごくごく飲みながら、延々と続く坂道を漕いだり歩いたり。あのカーブを越えれば峠だろう、今度こそは峠だろう、と何度も裏切られて、ようやく峠の頂上に着いたのは6時頃だったかな。車が何台か停まっていて、車中泊している様子。旅行者なのか、日の出を狙うカメラマンか。ヘボいけれどトイレもあるから、峠で野宿というのもオツかしら、と思いましたが、今日中に銀山平まで行こうと決めていたので坂道を下りました。汗が冷えるので、久しぶりにレインウエアを着込みます。
結局銀山平までは行けず、その手前の空き地にテントを張りました。砂地ですが数センチ下は石ころだらけでペグが打ちにくい。それでも数箇所をなんとか仮打ちしておきました。
晩飯はレトルトカレー。
ラジオでは北朝鮮拉致被害者5人が帰国したというニュース。横田滋さんもインタビューに答えていました。せっかちな口調は相変わらずでしたが、咳がなくて安心半分、失望半分。風邪が治ったのか、場慣れして発作が止んだのか。どうでもいいんだけど。
憧れの檜枝岐村まであと50qほど。また峠道が続くでしょうが、明日中にはなんとか着けるでしょう。
夜半から雨が降り出しました。雷混じりで風も強く、一応でもペグを打っておいて正解でした。
下は砂地だから水はけはいいだろうと油断していたら、朝にはシートの下のくぼみに雨水が集まり、テントの中にまで水溜りができてタポタポ言っておりました。
スプーンで砂地に溝を掘り、床下に溜まった水を遠くに誘導しようとしましたが、ただの砂遊びをしているようで何の効果もありませんでした。
早朝4時頃、ぼくの空き地に車がやってきました。登山客のようでした。雨を上がるのを待っていたようですが、雨足はますます強くなるばかりなので、五時すぎに登山を諦めて車は去っていきました。
朝飯はラーメン一袋。一向に雨は止まず、テントを畳むのが面倒に思えたので、
「今日は一日中テントの中で暮らそうか」
とも思いましたが、床下浸水状態で悶々としているのも気持ち悪いので、なんとか荷造りして10時頃に出発。
びしょ濡れのテントをリュックに入れるわけにはいかないので、ビニール袋に入れてハンドルにぶらさげました。
銀山平はすぐ近くでした。土産物屋と遊覧船乗り場があるだけで、面白くありませんでしたが。公衆トイレで洗顔し、只見湖畔を走ります。
昨日は夜になってしまってわかりませんでしたが、只見湖周辺は全山しっかりと紅葉していました。八分咲きというところでしょうか。
「こんがりと紅葉している」
という表現を思いつきましたが、雨なのでしっくり来ません。
今年は紅葉が鮮やかだという噂は聞いていましたが、そうかも知れません。雨の中でカメラを構える気力はなかなか出てきませんが。
マンハッタン君からもらったカロリーメイトを齧りながら走ります。途中、照明が一つもない真っ暗トンネルがあって閉口しましたが、自動車が来なくて幸いでした。
ダムを見下ろす山の中腹に「十二山の神社」がありました。昔この辺で銀の採掘が行なわれていた頃、その安全を祈って祀られたものだそうです。神社から木の階段を降りると坑道跡がありました。少し狭いですが、今でも十数メートル奥まで続いているそうな。
午後になると雨も多少収まってきましたが、休憩できるような場所がないので立ったまま食パンにジャムを塗って昼飯。
時々雲間から日が射し、山の紅葉を照らします。なかなかきれい。ピーカンよりも風情がある。写真に撮ってはみましたが、デジカメでは露出調節もズームも限度があって、いいものは撮れませんでした。
峠を一つ越えた先の只見川が県境。これでようやく福島県檜枝岐村に入ったわけですが、ここから先がまた長い峠道でした。道沿いに民宿や食堂や農家が点在しています。農家はどれもトタン葺のボロっちい小屋で、よくまあ冬の雪に潰されないなと驚きます。色の違うトタン板を組み合わせて葺いている様は、昔の着物の継ぎあてみたい。いかにも開拓の村といった寂しい風情です。
燧ケ岳近くの峠を越えたのは午後5時すぎ。
御池というところが尾瀬への入口になっているらしく、大きなホテルと駐車場がありました。ぼくには縁がないので、暗い夜道をさらに下り、七入駐車場の休憩所の軒下にテントを建てました。
あしたは晴天らしいし、少なくとも昨夜みたいな事態にはならないでしょう。ただ、ここは観光客が集まりそうだから早めに出立する必要がありそうですが。
晩飯はレトルトの親子丼。米を水に浸す時間が短かったので芯ができてしまったのが悔しい。味噌汁を作ろうとしましたが、だしを切らしていたのでラーメンの粉末スープをお湯で溶きました。
おととい、糸魚川でおばさんからもらったミカンを食べたら、美味しかったです。
真夜中に寒さで目が覚めました。気温は7℃くらい。シャツとトレーナーを重ね着しました。