日本2/3周日記(兵庫) 珍スポット山陽編(兵庫)

4月19日(金)晴 自転車爺と酒飲み爺

 朝ごはんはトースト。大阪で買った網が役に立ちました。かりっと焼いたトーストにクリームチーズを塗ってかじります。
 ほのかに甘くてうまい。食パンって焼くと美味しいんだなあ。
 
 10時頃テントを畳んで、公園の小さなトイレでウンコしたら、大きすぎて流れなくなってしまいました。
 水は流れるのですが、モノが穴の下の方にひっかっかっているのです。何度レバーを押しても流れません。悪いと思いつつも、そのまま出てきてしまいました。
 掃除の人が流してくれるだろ。
 
 しばらく走ると、明石海峡大橋が見えてきました。そのたもとが公園になっていたので、洗顔ついでに立ち寄りました。
ここのトイレは立派だったので、ここで用を足せばモノが詰まることもなかったのに。
 靴下を洗濯し、乾くまでの間溜まっていた日記を打っていると、ツーリング仕様のリッチげなMTBにまたがった、サングラスのおっさん(というよりじいさん)がやってきました。
「日本一周か」
「まあ、ゆくゆくは」
「わしも西国三十三カ所自転車で回ったし、四国八十八カ所も歩いた。今度また四国から九州を走ってこようと思っとる」
このサングラスじいさんは若いころから自転車が趣味で、全国を走り回っているとのことでした。現在の自転車は三台目、本体は二十万円だそうで。
「ぼくの自転車は三万円ですよ」
と言うと、
「あんたは足が百万円じゃ。わしみたいなジジイは自転車に金をかけんととても走れん。最近腕のいい自転車屋をみつけたんだが、タイヤ交換で六千円、ブレーキ調節だけで一万円取りよった」
と、ぼくとは少し世界が違います。
「和歌山は走ったか。国道42号。あの道はきつかったやろ、死に号線と呼ばれとるくらいやからな」
などと話が尽きません。
「まあ、無理せんように気をつけてな。あんたはゆっくりペースやから大丈夫やろうけど」
と、サングラスじいさんが去っていったころには、もう3時頃になっていました。
 
 ザウルスのメモ帳機能がフリーズして、せっかく打った日記が消えてしまい、再び打ち直したりしていたらあっというまに暗くなってしまいました。
 ぼくの近くにいたおじさんが、
「あんた誰かと待ち合わせか」
と声をかけてきたので、
「いえ、これから寝るとこ探そうかと思って」
と答えたら、
「あそこの公園は散歩客が多い、あそこの公園は8時で閉まる」
と詳しく教えてくれるのです。さらには
「ここで寝ても大丈夫やで、わしもここで寝るんやから」
要はこのおじさんもホームレスさんなのでした。身なりも別に汚いわけでなく、一見普通のおじさんなのですが。
いろいろ別の場所探すのも面倒臭かったし、このおじさんはホモではなさそうだったので、この場所にテントを建てることにしました。
 おじさんはぼくにジュースをくれましたが、自分はチーズをつまみに酒のミニパックばかりを飲んでおり、それが晩飯代わりなのでした。
「おれは昔料理人やっててな、全国に弟子がおるんや。おれが兄ちゃんくらいの年の頃は遊びまくっとったで。
当時の金で月四十万くらい使っとった。キャバレーの女を引き連れて、飲み歩いとった。一晩に酒二升は普通だったな」
と、ミニパックのストローを吸いながら武勇伝を聞かせてくれました。この人も、ぼくとは世界が違うなあ。
 元料理人の目の前で晩飯を作るのは緊張しました。なんとか、飯を焦がすことは避けられましたが。
「なに、飯がうまく炊けん。水の量はな、米の1.5〜1.6倍や。ナベで炊く場合は、20分が目安。25分越えたら焦げると覚えときゃ間違いない」
うう、勉強になるなあ。
 ということで、お礼に即席スープをおすそわけしてあげました。
「おおきに、呼ばれるわ。…こらほんまにピリカラやな。酒がまた飲みたくなる」
と、新しいパックにストローを挿しています。
「肝硬変になったりしませんか?」
「そんなの大丈夫や」
 暗い中でレトルトカレーをがっつくぼくに気を利かせたのか、ミニパックさんはぼくの方に懐中電灯を当ててくれました。眩しいばかりで実はあまりありがたくありませんでしたが。
目の前の明石大橋はイルミネーションで飾られ、その下を明かりを点けたタンカーなどが通過していくのがよく見えます。橋のたもとの建物もライトアップして、コジャレた雰囲気です。
 飯を食い終わり、
「それじゃすいません、お先にお休みなさい」
「おう、ゆっくりお休み」
ぼくがテントの中に引っ込んだ後も、ミニパックさんはベンチに座ったまま、ラジオで巨人阪神戦を聞いており、巨人が勝ったのを聞いて「よっしゃ」と叫んでおりました。
山陽編目次 表紙

4月20日(土)曇 とりあえず淡路一周

 夜12時頃、若い衆が公園に来て、楽しげに騒いでいました。
耳に聞こえてくる限り、男二人女二人の四人組のようでした。
ボールの弾むような音が聞こえ、
「4番さーん」
「いやーははは」
「次のもんだーい」
「きゃーははは」
と、何やら楽しげなゲームをしている様子でした。
どんなゲームなのかは知る由もありませんが、青春ですなあ。
 
 今朝は7時頃に目が覚めました。昨日、外で夕方まで日記を打っていたせいか鼻風邪をひいてしまい、クシャミは出るしハンカチはぐしょぐしょになるしで大変でした。
 朝ごはんはトースト。ミニパックさんにおすそわけしようとしましたが、断わられました。正常な人は、やっぱ朝は食欲ありませんからねえ。
「朝はガードマンが来るから、気をつけなよ」
とミニパックさんは教えてくれ、ぼくが出発支度をしているうちにどこかへ消えていました。
 
 10時ころ公園を出発。
 じき明石市に入り、昨年花火見物客の将棋倒し事故が起きた歩道橋(たぶん)を通過。
花束でもあるかなと思いましたが、下を通過した限りでは事故を彷彿とさせるものはありませんでした。
でもこの歩道橋、区役所のすぐ近くにあるんですね。行政の責任が問われるのも、しょうがないよなあ、百メートルも離れてないぞ、こりゃ。
 
 フェリーの道路標識が見えてきて、さてどうしようか、と考えました。
 淡路島かあ。去年は高速バスで通過しただけだし。折角だから、さくっと一周するのも悪くないな。
 そう思いながらフェリー港へふらふら行ってみると、「明石淡路たこフェリー」の看板が。
 たこフェリー。なんか、すごく遅そう。「ほやフェリー」なんてあったら、船動かなそう。
 呑気な名前が気に入って、淡路島に渡る決心をしてしまいました。
 
 ゲートで520円(だったかな)を払って、二輪車コーナーで入船を待ちます。車もバイクも、けっこう利用客は多そうです。
大型スクーターのおじさんと
「明石大橋、高すぎるもんな」
「自転車道くらいつけても罰当たるまいと思うんですがねえ」
なんて話をしているうちに、乗船となりました。
船内の車置き場のすみっこに駐輪し、ゴムバンドをひっかけて固定してもらってからデッキへ。
 たこフェリーの名のわりに、普通の船でした。
 たくさんの船が行き来している明石海峡を、20分くらいで横断。復路のたこフェリーとすれちがいましたが、確かに船体にでっかいタコの絵が描いてありました。ほどよい呑気さに、淡路への期待が高まりました。

 北淡町の岩屋港で船を下り、とりあえず右回りで島を一周することにしました。
おのころな感じの絵島
おのころな感じの絵島

港のすぐ近くには、日本の国生み神話に登場する「おのころ島」と伝わる絵島という島がありました。
 ここで一応国生み神話をおさらいすると、だいたい次のとおりです。
 
 イザナギとイザナミは、天浮橋(あめのうきはし)という橋に立って、天沼矛(あめのぬぼこ)という矛で泥沼をかきまぜ、滴ったしずくでおのころ島を作りました。
 そしてそこに宮殿を建て、柱を巡って求愛するのです。
「俺の凸を君の凹に入れてみないかい?」
とイザナギがイザナミに言うのですが、もしぼくがイザナミだったら、こんなアケスケな男とはつきあいたくありません。
 ともかくも、二人は一度性交に失敗してヒルコ(蛭子=恵比須)やアワシマ(淡島)を生んでしまい、葦船に入れて捨てます。
そして天の神のアドバイスを得て、無事長男である淡路島を生むわけです。ヒルコやアワシマはデキソコナイなので、実の子どもには含めないのだそうです。かわいそうに。
 
 そんな神話があるおかげで、淡路島にはオノコロ島伝承があちこちにあるわけです。
 そういうのは古事記や日本書紀を読んだ田舎のインテリが、勝手に地元の島を当てはめちゃったんじゃないかと思うのですが。
「オノコロ島ってどこにあると思う?」
「やっぱ我が淡路島の近くだろ」
「どんな島かな」
「あそこにある絵島みたいな島じゃないか?」
「そーかもねー」
「だよ、きっと」
ということで、
「じゃないか」が「らしい」を経て「である」へと格上げされていくのではないでしょうか。そうらしい。そうに違いない。
 
 ともあれ、この絵島は砂岩が波で侵食されてできた島らしく、縞模様のある曲がりくねった流線形の岸辺などは、確かにおのころな感じがしないでもありませんでした。
 この島には、平清盛が兵庫に港を築いたとき、人柱にされた松王丸という子供の霊を弔う祠もあり、なかなか意味深げでした。
 
 海沿いの平らな道を走ります。
 ところどころ、いやーなネーミングの施設が目につきます。
 港の名前で「交流の翼港」。
 会議場兼イベントホールの名前で「淡路夢舞台」。
 …おしゃれだと思ってんのかね。
 
 途中、ばかでかいけど不格好な「世界平和大観音像」がありました。
 観音様の格好はしていますが要は展望台で、観音様の胎内には美術館がありーの、レストランがありーの。
 観音様の胸の部分に露骨に見物用テラスがとりつけられているのが痛々しい。
 入場料とお賽銭を一緒にもらおうという姑息な商売根性に決まっています。
 展望台ったって、海が見えるだけじゃねーか。賑やかな街が見えるのなら見下ろす価値もあるけど、このへんの海じゃ鯨だって見えないだろ。
 入ればそれなりにツッコミ甲斐があるのでしょうが、800円も出す気になれなかったので、観音様の足元をそそくさと通過させてもらいました。
 
 淡路島唯一の市、洲本市には洲本八狸といって、八匹の著名な狸の伝説があるそうで、市内のあちこちに狸の石像がありました。中でも芝右衛門狸という狸は、大阪の中座という芝居小屋に木の葉の木戸銭を持って通い詰め、そのせいで役者の守護神になって、中座に長らく祀られていたそうです。
 藤山寛美は生前、興業の前には必ずこの狸にお参りしていたそうな。ふーん。
 ここは江戸時代、徳島の蜂須賀氏の領土だったそうですから、徳島の狸文化が強く影響しているのでしょう。
 徳島では、学生時代にサークルの合宿を抜け出して狸神社巡りをしたことがありました。洲本でも狸めぐりをしようかなと思いましたが、八狸像のデザインはどれも子供じみたデフォルメがされていたので、途中で飽きました。
 
 市内のジャスコで晩の食材を買ったのですが、オークワやダイエーなんかのスーパーと比べると、ジャスコはあんまり安くない。
 今夜の飯はピーマンとタマネギと鳥肉の炒め物に決めました。
 
 どんよりと暗い雲の下を、屋根のある東屋求めて海岸沿いを走ります。
「生石公園」の矢印を辿っていくと、海を見下ろす山の上に屋根付きのがっしりした展望台がありました。
 水道はありませんが、容器に水を入れてきたので大丈夫。
 風は強かったのですが、雨の吹きこまなさそうな軒下にテントを張りました。
ピーマン、タマネギ、鳥肉を切り、毎度のごとくストーブと格闘しながら晩飯を作っていると、展望台に誰か来た様子。
テントの陰になって見えませんでしたが、男の人が近寄ってきて
「このへん、水はありますか」
料理の最中で手が離せなかったぼくは座ったままテント越しに
「ないですよ」
「日本一周ですか」
「一応」
「ぼく、夫婦で来てるんですけど、今夜近くの駐車場で寝てますんで、よかったら来てください」
「ありがとうございます」
返事はしたものの、夫婦水入らずの夜の車に訪問する気にはなりません。
 ようやくできた野菜炒めをおかずに飯を食い、焼酎「かのか」のお湯割りを飲んでとっとと寝ました。

山陽編目次 表紙

4月21日(日)雨 謎パラ!水仙峡の怪人

 夜から雨が降り出したようでしたが、朝はひとまず止んでいました。
 昨日の残りの食材を茹でて、インスタントの焼きそばと、茹で汁でスープを作りました。まあまあでした。
 
 シュラフを畳んでテントの下のマットをどかしてみると、コンクリートの細い溝に沿って、たくさんのダンゴムシがぞろぞろ歩いていました。
ぼくがこぼしたピーマンを食べているダンゴムシもいました。
 
 展望台に寝たわけですが、どんよりと厚い雲で、見晴らしは全く面白くありませんでした。
 10時ころ出発。たかが島といえど、なかなかの峠道です。
途中、
「ナゾのパラダイス 立川水仙峡平家民俗資料館」
「日本で唯一!UFO神社」
などという汚い手書き看板が立ち並び始めました。
「なんだか珍日本紀行な予感がするなあ」
と思いつつ峠を下ると、案の定見るからに怪しいプレハブの建物が出現しました。
 門前には安っぽい鳥居があり、その左右には狛犬ならぬ狛ゴジラの石像。入り口の脇には、薄っぺらなボール紙の絵馬がいくつもぶらさがっています。
 薄暗い建物の中に入ると、とっちらかった机があり、お乞食さんかと思うほど汚いジャンパーを着たじいさんが座っておりました。
「いらっしゃい。二百円です」
ジャンパーじいさんにお金を払うと、じいさんは黄色いチケットとワープロ打ちの案内書をくれ、壁のスイッチをバチバチ押して室内の明かりをつけました。
 内部は、まるで高校の文化祭のような有り様でした。ベニヤ板で仕切って通路が作られており、壁面にはどでかい看板画が描かれています。
熱心に説明してくれるおじさん
熱心に説明してくれるおじさん

「それじゃ、説明するで」
ジャンパーじいさんは、目が点になっているぼくを尻目に、看板画を指さして次々と説明していきました。
「この地方にはな、若者が一緒に暮らす若衆宿というのがあったんや。それから、夜這いってものが昭和の初め頃まであってな、夜這いで生まれた子供は父親が誰であろうと、村全体の子供やという意識があったんや」
「へえ、おじさん詳しいですね」
「こりゃ、司馬遼太郎さんの『菜の花の沖』って小説に書いてあったんや。二十年前にな、おいさんが司馬先生に手紙出して、展示していいって許可もらったんや」
ジャンパーじいさんの説明と看板絵によれば、このあたりは源平合戦で敗れた平家の落人が住み着いた場所なのだそうです。
看板絵の前には薄汚い火縄銃やら甲冑やらが陳列してあり、紙切れにマジックで
「てっぽう」
「よろい」
など、全て平仮名で名前が書いてあります。
「すごいですね、これみんな平家の末裔に伝わってたものですか」
と訊くと、ジャンパーじいさんはあっさり言いました。
「みんな骨董屋から買ったんや」
でっかいシャチホコが展示されていたので、訊いてみました。
「これも平家の落人関係ですか」
ジャンパーじいさんはあっさり答えました。
「これは関係ないんや」

 じいさんや民具は薄汚いですが、壁一面に描かれた絵は迫力があり、見応えがありました。
 聞けば、大阪中座で長年修行したという、地元の看板職人(故人)に描いてもらったとのことでした。
 熱心ぶって展示を見たり質問したりしていると、ジャンパーさんは気を良くして、ぼくにスティックパンを二本くれました。たぶん、彼の朝飯をおすそ分けしてくれたのでしょう。
 パンをかじりながら見物していると、ふと展示室の隅に、汚ない布団とテレビが置かれた一角があるのに気付きました。
「もしかして、ここで寝泊まりしてんるんですか?」
「そうや。値打ちある資料がたくさんあるからな」
「…」
「わしはな、もう二十年も前からこの近くで秘宝館をやっとってな、ここの資料もそこで展示しとったんや。
 でももう年やから、秘宝館は息子に譲って、歴史関係のだけこっちに集めて資料館やっとるんや。わしゃ今年で70やけど、こういうことしとったらボケんやろ」
うーむ、痴呆にはならないかもしれないけど、痴呆以前の問題のような気がする。
「ナゾのパラダイスって、すごいネーミングですね」
「昔、朝日放送が取材に来てな、番組での宣伝文句がこれやったんや。それまでは淡路秘宝館っていってたんやけど、これからはヨコモジの時代やからな。カタカナにすると、若い客も来るやろ」
ジャンパーじいさんが得意そうに語るのを、ぼくは笑いをこらえながら聞いておりました。
「この先にパラダイスがあるから、そっちも行ってみてや。別料金やけど」
 
 平家民俗資料館を出て50mほど坂を下ると、その秘宝館のゲートがあり、受付のおばさんがぼくを見たとたん立ち上がって
「よってってや」
と大声で手招きをしました。
「ここまで来たら見ないわけにゃいきませんね」
「兄さんテントで泊まりながら来たの」
「こういうところで金使うために、交通費と宿泊費を切り詰めてるんですよ」
とお世辞を言って入場料500円を払うと、おばさんはお菓子と紙袋入りの落花生をくれました。
 落花生は、猿にやるためのものだそうです。
「自転車と荷物、ここに置いてきなさい。送迎してあげるから」
「え、そんな遠くにあるんですか?」
ぼくが訊くと、おばさんははるか谷底を指さしました。
 見ると、急な坂のはるか下の方に、確かに建物のようなものが見えます。
 こりゃかなわんなと思って送迎を頼むと、おばさんはマイクに向かって
「送迎お願いします、送迎お願いします。乗客一名!」
おばさんの声がスピーカーから大音響で谷にこだましました。
 すると、さっきの平家民俗資料館から、ジャンパーじいさんが薄汚い軽ワゴンでやってきました。
「こっちも見てくれるか。ありがと、ありがと」
じいさんはごきげんな様子でした。
 土まみれのシャベルやら何やらをどかして後部座席に乗ると、じいさんは奈落の底のパラダイスに連れていってくれました。
 ここの年間入場客数を尋ねてみたら、名物である水仙の時期(冬)を中心に、五万人に上るとのこと。
 信じられないけど、それがもし本当なら、本場伊勢の秘宝館を上回ってるんじゃないか?
 
 パラダイスに着いてまずおどろいたことは、従業員のおばさんが二人もいたこと。
谷上のゲートのおばさんも含めて、ジャンパーじいさんは三人分の雇用を創出しているわけです。
 そして次に驚いたことは、パラダイスに先客が来ていたこと。2〜3組の若いカップルが、照れもせず、かといってはしゃぎもせず、展示を鑑賞していました。
 展示内容は、いわゆる秘宝館もので、伊勢秘宝館とは、ショボさも下らなさもほぼ同レベルでした。こちらの方が小規模ですが。
「いく時あの声ベスト17」
「陰毛占い」
「オッパイ占い」
などといった書き殴りの紙と、古びたエロ雑誌の切り抜きのオンパレード。
 何匹もの狸の剥製に無理やり木の男根をくっつけた「狸囃子」コーナーは、狸が可哀想で目に余りました。
 
 ここを紹介したテレビ番組は探偵ナイトスクープだそうです。
個人的に面白かったのは、「金玉七不思議」と題する文章。
金玉七不思議
一、暑さ寒さに不平を言わず
二、ぶらぶらすれど落ちもせず
三、日陰にあれど色黒く
四、縫い目あれどもほころびもせず
五、年も取らぬに皺だらけ
六、住居せまくもつぶされもせず
七、宝玉なれども盗まれもせず
なかなか名文句だなあ。あのジャンパーじいさんが一人で考えたとは思えないんだけど。誰か出典を知ってたら教えてください。
館内には、パラダイスのテーマソングがエンドレスで流れていました。
淡路島初めて来て
海がとってもきれいだった
ついに見つけたパラダイス
とってもとっても勉強になりました
ちんちんいっぱい楽しいな♪

おばちゃんいい人やね
五百円分笑いました
思った通りのパラダイス
とってもとっても勉強になりました
ちんちんいっぱい楽しいな♪
ちょっと演歌風なメロディで、地元のカラオケ教室の先生が作って歌っているのだそうな。市販のテープにダビングしたカセットも売っていました。
UFO神社で厄投げの瞬間
UFO神社で厄投げの瞬間

 檻の中の飢えた猿どもに落花生を食わせ、ボロボロの竹矢のアーチェリーをして、食堂でサービスのびわ茶を飲み、UFO神社で厄払いをして(要するに谷の中腹にある鳥居からフライングディスクを投げる)、すっかりナゾのパラダイスを満喫してしまいました。
 
 考えてみれば、淡路島のこの場所(洲本市立川)は、和歌山県岬町にある淡島神社のすぐ対岸にあたります。
 女性の安産や性病の神である淡島神社にも多数の男根が祀られ、女性の下着が奉納されていました。淡島様自身、性病を患って夫神から離縁されたという伝承を持っています。
 神社と秘宝館という違いはありますが、どちらも路線はほぼ同じ。
 イザナギ・イザナミの国生み神話以来、淡路島には何かそうした方面のエネルギーが脈打っているのではあるまいか。
 「淡島」「淡路島」、語が似ているところも気になるなあ。
 
 そんなことを考えながら、雨の海岸沿いをひた走ります。
 
 午後になって南淡町阿万というところに通りかかると、どこからか祭り太鼓の音が聞こえてきました。それらしき方向に行ってみると、亀岡八幡という神社の境内で、今まさに春の祭礼の真っ最中でした。
 数台の大きなだんじり(山車)が集結し、境内を練り回っています。近隣の地区の青年団が、それぞれのだんじりを引き回しているのでした。
 そして一台ずつ社殿の前に進み出て、青年団員が石段にずらりと並び、浄瑠璃を歌うのです。
「傾城阿波鳴門」「義経千本桜」など、人形浄瑠璃の定番演目ばかり。
浄瑠璃を語る男たち
浄瑠璃を語る男たち

 阿波は人形芝居で有名な場所で、島内のみでなく各地に出張公演したプロの一座も多くいたところ。
おそらくは、我が故郷の黒田人形のようにかつて祭礼で人形芝居が奉納されていたものが、人形が省略され、太夫が謡う義太夫の部分だけが青年団の芸として残ったのではあるまいか。
 若い兄ちゃんたちが顔を真っ赤にして人情たっぷりの浄瑠璃を唸る姿は、少々こっけいな反面、生の「伝統」を見る思いがして感動的でした。
 
 祭は延々と続いていましたが、いつまでも見ているわけにもいかないので出発。
夕方になり、鳴門海峡近くの港のスーパーに寄り、かつては食堂だったらしい廃屋の軒下にテントを張りました。
 手のかかる料理もしたくなかったので、晩のおかずはサバ缶とタマネギのみそ汁に決めました。
 雨もほぼ止んだ様子。明日は晴れとの予報。大鳴門橋ももうすぐ。
 淡路島なんて二日くらいで一周できるかなと思っていましたが、ようやく半分来たところです。
山陽編目次 表紙

4月22日(月)晴 おのころ神社に幻滅

 雲は残っていましたが、雨は止んでいました。
 廃屋の裏の軒下で寝たのですが、こんなところまで犬散歩が来るとはどういうことでしょう。
もしかしたら、ぼくのテントを目撃した隣家の人が、犬の散歩のフリをして偵察に来たのでしょうか。
 別に声をかけられるわけでもなく、ぼくも素知らぬふりで朝食の定番となっているうどんを作って食い、昼食用にフランスパンを炙りました。
 
 出発するころには雲もとれ、最高の晴天となりました。これほど気持ちいい天気は、和歌山の日置川を走って以来のような気がします。
 海岸の青空を自転車で走るのは格別です。
 木々の下を通ると、小さな柔(にこ)毛虫たちが、尻から糸を出してぶら下がっています。露が糸に引っ掛かって光っています。柔毛虫たちはなにやら一生懸命身体をひねらせていますが、上に行きたいのか下に降りたいのか、よくわかりません。
 
 そんな虫たちをかわしながら走っていくと、大鳴門橋が見えてきました。
見晴らしのいいベンチで、湿ったシュラフや衣類を乾かすついでに絵葉書を描いたのですが、目を離した隙に、おやつのピーナツチョコレートを何者かに全て食われてしまいました。
 ちかくにカラスがいたのでそいつの仕業でしょうか。いろんなものを食うんだなあ。
 
 あまりに天気がいいので、ジーンズを脱いで短パンになりました。
顔や腕は日焼けして真っ黒ですが、足はいまだに生っ白いままです。少しは焼いた方がいいでしょう。
 実感しました。短パンで走るって、こんなに気持ちいいんだなあ。股に汗かいても、少し腰をひねれば涼しい風が、お尻の穴にまで吹き込んでくる。
 足開いたりあぐらかいたりするときは、ポロイナリしないように気をつけないといけないけど。
 
 大鳴門橋のたもとには道の駅があって、観光客でにぎわっていました。ここではちょっと贅沢して、ビワソフトクリーム(300円)を食いました。少し甘ったるかったのでスダチソフトの方がよかったかな。
 
 ちょっと時間が合わなくて、うず潮らしきものは見えませんでしたが、展望台では修学旅行の中学生たちが顔ハメで記念撮影したりしていました。
 お土産コーナーで佃煮やらケーキやらを手当たり次第に試食したら、食い合わせが悪かったのか少し気持ち悪くなりました。
 
道の駅を出発して数キロも走らないうちに、サドルバッグが壊れました。バッグに縫い付けてある固定ベルトが取れかかっているのです。
糸と針を取り出し、道端でお裁縫する羽目になりました。天気はいいのですが、風が強い日陰での作業は少々寒かったです。
 バッグの補修に一時間以上は費やしたでしょうか。なんとかなって走りだした頃には、すでに3時を過ぎていました。
 
 淡路島の西海岸は、峠道もなく快適に走れます。
淡路島にはそこらじゅうに「淡路花トイレ」という公衆トイレがあるので便利です。何がどう「花」なのかは知りませんが。
 次に行ったのは「おのころ神社」。ここもおのころ島の候補地として名乗りをあげているのです。
 実際は島ではないのですが、かつては入江に浮かぶ小島だったのだとか。社殿の前には誇らしげに
「日本発祥 おのころ神社」
と石碑が立ち、
「コノヤロ、ちんけな神社のくせに大きく出やがって」
と呟かずにはいられません。
 境内にはセキレイ石という石があって、セキレイがこの石にとまって夫婦神に腰の動かし方を教えたのだそうな。
「こりゃセキレイ、早打ちにいたせ〜」
などとイザナギが言ったかどうかは知りませんが。
 
 昭和57年に「日本発祥の地を顕彰すべく」建てられた巨大鳥居とか、
「洲本おのころライオンズクラブ」が建てた案内看板とか、
全体的に威厳や神秘といったものはあまり感じません。
新しい神社なのかと思って社務所のおっさんに神社の歴史を訊いてみると、
「いつ建てたなんてわからんほど古いで。何しろ応神天皇や淳仁天皇が参拝に訪れたくらいやから。応神天皇っていえば聖徳太子の頃の人や。だからこの神社の創建は奈良時代よりも古いで」
とのこと。応神天皇って、そんな時代の人だっけ?
 
ここが天の浮橋らしい
ここが天の浮橋らしい

 近くには「天の浮橋」という場所がありましたが、行ってみたらただの石で、橋ですらありませんでした。
また近くに「葦原の国」があるというので行ってみると、タマネギ畑の真ん中にぽつんと薮があり、昭和58年に建てられた石碑に、みかんがひとつお供えされていました。
 大鳥居と葦原国碑の建設年代が近いことから見て、本来地元の素朴な伝承だったものが昭和50年代末になって脚光を浴び、現在のように地元の観光マップに載る存在へと格上げされたのではあるまいか。
 やはり淡路島は、どこかしらおかしな島です。ぼくがそういうところばかり捜し歩いてるせいかもしれないけど。
 
 今夜のねぐらは県道脇の「緑の道しるべ」とかいう休憩所。コンセント付きのトイレもあります。
 晩飯は、今回初めてスパゲティに挑戦。
パスタをホウレン草やニンジン、ハムと一緒に炒めようと思ったのですが、麺を大量にゆで過ぎて、いざ炒めようとしてもコッヘルの中が身動きとれない状況になってしまいました。結局ホウレン草を抜きにして、ニンジンとハムだけのスパゲティになりました。
 
ようやく島の3分の2以上来ました。明日には本州に戻り、山陽道の西征を再開するつもりです。
山陽編目次 表紙

4月23日(火)曇のち雨 塗り固めた「爪あと」

 朝飯はホウレン草うどん。
 日記打ったりして、出発は10時過ぎ。
 西中島君からメールをもらい、彼の会社の同僚で、日記の購読希望者がいるとのことでびっくり。メルマガにする必要出てくるかな、そのうち。
 
 今日の見物予定は、「いざなぎ神社」と「北淡町震災記念館」です。
 
 なだらかな海沿いの道が続きます。天気は曇っていますが、どういうわけか追い風が続いてすいすい進めるのでいい気分。
 途中、ドロップハンドルの自転車にヘルメット着用という、ちゃんとした装備のツーリングおじさんに会いました。
 大津出身の70歳(だったかな)、近畿地方を中心に四国などにもペダルをのばして、特に史跡巡りが好きなのだとか。今の時期、出会うのはこうした年配の自転車乗りばかりのような気がします。
 立ち話をしてから「お先に」と追い抜いたのですが、追いつかれはせぬかとずっとヒヤヒヤしておりました。
 
 伊弉諾神社は、イザナギ命が葬られた墓に建つという神社です。式内社にして淡路一宮、『日本書紀』にもイザナギの幽宮(かくりのみや)として記されているということですから、おのころ神社と比べると「それっぽさ」もかなりのものです。
 昨日(22日)には浜辺でお祭が行われたということで、わずかな差で見られず、残念でした。
 
 紀伊半島の熊野市にはイザナミの墓と伝えられる「花窟神社」がありましたが、夫婦神の墓所という点で紀伊半島と淡路島が対になっているのも、何か意味深な感じがします。
 
 淡路一周ツアーもそろそろ終盤を迎え、午後には北淡町に入りました。阪神淡路大震災で名を馳せた町です。
 崩れた家が残っているかとキョロキョロしてみましたが、それらしきものはありませんでした。ただ、ま新しい住宅が多いこと、赤い砂地が剥き出しの場所が目に付くあたりは、震災の名残なのかも知れません。
 とりあえず鳥居だけは再建したけれど、社殿が未だプレハブのままという恵比須神社がいい味だしていました。
 
 震災記念館は入館料500円。周りにはお土産屋や直売所などが作られ、しっかり観光地化しています。めでたいめでたい。
 館内には、震災のときに出現した「野島断層」がドームに覆われて保存されていました。しっかりと国の天然記念物に指定されているのです。
 しかしなんといっても目玉は、断層が敷地内を横切った民家を保存した「メモリアルハウス」。
メモリアルハウスの再現展示
メモリアルハウスの再現展示

そういやこの建物、写真で見たことあるなあとなつかしい思いでした。
平成7年1月のことですから、もう7年も経っているんですねえ。
 この家の人々は震災後も4年間ここで住んでいましたが、記念館を作るにあたって県が家をまるごと買い取り、土足で上がれるように改造して展示室にしています。
 見所は震災で破壊された台所の再現展示です。食器棚を倒し、お皿を割り、ママレモンを転がし、醤油をこぼし…。
壁の時計も、ちゃんと午前5時46分を指して止まっています。
全ては再現なのですが、やっぱこれくらいしてもらわないと、見物する方としては実感湧きませんやね。
 
ちょうどボランティアの語り部おじさんがいて、いろいろ説明してくれていたので、話が聞けました。
 おじさんは震災時、布団で寝ていたそうな。地震が来て一旦は跳び起きましたが、立っていられないのでふたたび布団をかぶってじっとしていたそうです。地震は5分くらい、静まっては揺れ、揺れては静まるのを繰り返し、だんだん収まっていったのだそうです。
「縦とか横とかじゃなくて、もう両方だったからねえ。もう、ぐるぐるとこんな感じ。音はねえ、『ゴオー』って、ものすごかった」
「カラスが鳴いたりとか、予兆はなかったんですか」
と訊くと、
「徹夜で仕事してた人はね、空が雷みたいに光るのを揺れの直前に見たらしい。バリバリって光って、それから揺れがドーンと来たらしいよ。静電気の仕業らしいけどねえ」
すげえな、見てみたいなあ。
「この辺は火事は一軒だけだった。一軒だけ朝起きて炊事してたわけね。神戸は通勤で早起きしてたから、火事がひどかったわけ。だから、早起きなんてするもんじゃないね」
うーむ、実体験をくぐり抜けてきた人の言葉には重みがあるなあ。
 土産物コーナーでは、「野島断層ケーキ」が売られていました。ごく普通のマーブルチョコケーキなのですが、切り口が確かに断層に似ているのです。地味ながらなかなか洒落た土産物だと感心しました。
 
 震災記念館を出た頃に、ぽつぽつ雨が降り出しました。
 レインウエアに身を固め、4時半頃にたこフェリー乗り場へ戻ってきました。
 
 さくさくと明石へ渡り、日没まで走ることに。
 今夜のねぐらは、道路脇の空き家の軒下です。
 スーパーで450円の弁当を半額で売っていたので、今夜はこの旅初めてストーブを使わない晩飯です。
 車道から三メートルくらいしか離れていないのでものすごくうるさいのですが、何とか眠れるでしょう。
山陽編目次 表紙

4月24日(水)曇 長壁姫に逢いたくて

 ゆうべは雨が降るという天気予報だったので、無理やりに空き家の軒下にテントを張ったのですが、結局朝まで雨は降りませんでした。
 この場所は交通量の多い車道のすぐ脇で、日が昇るとテントがものすごく目立つので、すぐに畳んで移動することにしました。
 じきにきれいな松林の公園が見つかったので、そこで朝飯(あいかわらずの煮込みうどん)を食いました。
 これまでストーブの不調が続いていたのですが、炎の吹き出し部分を取り外して掃除してみたら、見違えるように調子よくなりました。
 
 洗顔などをすませ、サドルにまたがり、姫路に入ったのはお昼過ぎ。
 山陽路の楽しみのひとつは、姫路城に登ることです。
 国宝かつ世界遺産だから入場料も1,000円くらいするだろうと思い、手持ちが減ってきていたので郵便局を探しました。
 こういうときに限って、郵便局がなかなか見つからないんですね。
 ようやく郵便局のカードが使えるATMを捜し出して引き落とししたら、手数料105円とられました。食費さえ一日1,000円以内を目標に切り詰めているぼくにとって、105円の無駄な出費はショックです。
 で、そこから百メートル走ったら、すぐ目の前に郵便局がありました。世の中そんなもんです。
 
 姫路城は入場料600円でした。京都や奈良の仏閣と比べて、規模のわりには良心的な額なのではあるまいか。
姫路城の長廊下
姫路城の長廊下

 確かに大きくて白くてきれいな城でしたが、外観よりもぼくが気に入ったのは、長くて薄暗い廊下や、ぶ厚い扉でした。
 姫路城といえば、天守閣に長壁姫という妖怪が住むことで有名です。泉鏡花の「天守物語」も、これを題材にした妖怪話です。
 長い廊下は微妙な角度で曲がっていたり、狭い階段がついていたりして、いかにもひょいと禿(かぶろ)頭の妖怪でも顔をのぞかせそうな雰囲気でした。真夜中にロウソク一本でここを歩いたら面白いだろうな。
 
 天守閣へは、靴を脱ぎ、ビニール袋に入れて登ります。出入口ではおじさんやおばさんが、黙々と使用済みのビニール袋の皺をのばしていました。
 
天守閣を望む
天守閣を望む

 さすが、現存する天守閣では日本最大というだけあって、なかなか立派でした。
 「天守物語」では、逃げた鷹を追って図書之介が真っ暗な天守閣を登っていき、暗闇の中で富姫に出会うのです。
 江戸時代の天守閣は、籠城用の倉庫として使われていたそうで、壁には何百丁という火縄銃や槍などがずらりとかかっていたのだそうです。
 普段は扉も閉まっていて人の出入りもほとんどなかったのでしょうから、天守閣が妖怪の棲家となっても不思議はないわけで。
 
 しかし現在では、そんな雰囲気が感じられる暗がりを残しているのは地下層だけで、一層から上は関係資料が展示されていて、その点は普通のお城でした。
 
最上層には、長壁神社の社があり、「長壁大神」と「播磨富姫神」が祀られていました。
 長壁大神はもともと刑部大神といい、この城の土台となっている小山「姫山」の地主神なのだそうです。初代藩主の池田氏が城門に祀り、代々城主が崇敬していましたが、天守閣に勧請されたのは明治に入ってからのことだそうです。
 ぼくが読んだ水木しげるの妖怪図鑑では、長壁姫は天守閣の頂上に住み、城主しかまみえることができない、とか書いてありましたが、あれはなんなのでしょう。
 また、長壁と富姫の関係も、よくわかりません。長壁大神と富姫が混同されて「長壁姫」になったのか?
 あやふやなうんちくは別として、天守閣では警備員のおっさんが二人、大声で雑談していて興冷めでした。
 
 天守閣から出て門へ向かう途中、「お菊井」という井戸がありました。これはかの有名な怪談、播州皿屋敷の舞台となった井戸です。
 皿屋敷伝承はここばかりでなく、東京や石川などにもあるそうですからややこしいのですが、姫路城でのお話は、以下のとおり。
 
 永正年間(1500年頃)、姫路城主を小寺則職が務めていたころ、執権の青山鉄山がお家乗っ取りを企みました。
そのとき城主の忠臣、衣笠元信の妾であるお菊がその企みを察し、元信に知らせて城主を救いました。
 しかし結局クーデターは成功。鉄山が祝宴をあげた時、かねてお菊に横恋慕していた町坪弾四郎が家宝の皿を一枚隠し、お菊を責め殺してこの井戸に投げ込みました。
 以来毎夜この井戸から、お菊が皿を数える声が聞こえるようになりました。
 やがて衣笠元信が鉄山を滅ぼし、お菊は「於菊大明神」として十二所神社境内に祀られました。(案内看板ほぼ丸写し)
 
 実のところぼくは皿屋敷の怪談をあまりよく知らないのですが、見物に来てたおばさんが
「あら、あたしが聞いてる話と違うわねえ」
と言ってましたので、いろいろレパートリーがあるのでしょう。
 
 城門前で一生懸命城のスケッチをしていると、案の定おじさんおばさんが覗きにきます。たいがい
「ま〜細かいとこまでよく描くわねえ、ねえ、ちょっと見て、すごいわよ」
などと言って友達を呼び、
「ま〜、ほんと。学生さん?」
みたいな会話になり、ここで四国遍路ではお金がもらえるのですが、もちろん今回そんなことはありません。あるおばさんは
「あんた、似顔絵描くの得意でしょう」
と話しかけてきて、
「? まあ、描くのは好きですけど」
とぼくが答えると、
「でも、ここで似顔絵描きの商売しちゃ怒られるわね、あっはっは」
と笑いながら去っていき、仲間のおばさんらのところへ戻って一言
「あれ、日本人だった」。
それが耳に入ったので、ぼくが
「日本人ですよお」
と声を大きくして言うと、
「ほら、日本人だって」
と、おばさんは言い、一行はアッハッハと笑いながら去って行きました。
腹立つババアだなあ。
 
 県立博物館も見たかったのですが、夕方近くになっていたので、姫路から少し内陸の神崎町に向かいました。ここには柳田國男の生家と記念館があるのです。
 途中、蛇穴(じゃけつ)神社とかいう怪しい神社に寄ったりしつつ、神崎町に着いたのは午後六時過ぎ。
 道端にも「松岡産婦人科」「松岡釣り具店」などの看板が現れ、いかにも國男ちゃんのふるさとだなあという実感が高まります(松岡は柳田國男の旧姓。ちなみに國男が婿養子に入った柳田家は元飯田藩家臣)。
 
 晩飯の食材を買うためにスーパーで自転車を降り、ふとサドルバッグが妙に灯油臭いことに気がつきました。
バッグの蓋を開けてみると、中にあった燃料ボトルの栓が緩み、バッグの中が灯油浸しになっているではありませんか。
「あちょ〜」
とぼやきながらバッグをひっくりかえしてみると、中はもうびちょびちょ。
 特にひどかったのは西中島君からもらった古代の黒米で、紙袋が変色するほど灯油に濡れそぼっています。米自体は辛うじて濡れていないものの、袋を開くと中はかぐわしい灯油の香りでいっぱい。
思わずむせそうになってしまいました。
 西中島君、ごめんなさい。
 
 今夜は雨が降るという天気予報だったので、ねぐらは柳田國男記念館の近くのトイレの軒下。女子トイレの脇なので、窓からトイレの中が丸見えです。もちろん個室の中は見えませんが。
 夜中の利用客はいないだろうけど、この怪しいテントは排便者に対してかなりの心理的プレッシャーになるでしょう。変質者に間違われるかな。まあいいや。
 
 テントを建て終わってから、バッグの中身を拭き、バッグを洗いました。
そのうちニオイが消えてくれればいいのですが。
 晩飯はスパゲティミートソース。麺を茹でて、缶を温めるだけでいいので楽です。
山陽編目次 表紙

4月25日(木)曇 柳田記念館の怠慢男

 夜中は風が強くて、朝起きてみると、ゆうべ外に出しておいたゴミ袋が風に飛ばされていました。
 朝飯はうどん二玉と餅。我ながらよく食うなあ。
 
松岡兄弟の絵馬
松岡兄弟の絵馬

 トイレでヒゲソリなどを終え、まず向かったのは柳田國男が幼少の頃境内で遊んだという鈴の森神社。
 境内の解説板には
「すずとは聖地の意で、播磨も神々の集会の所地」
と、いかにも柳田臭いことが書いてありました。
 また、入口の玉垣は柳田國男が奉納したとかで、彼の名前がしっかりと刻まれておりましたし、拝殿には國男とその兄弟の絵馬がどーんと掲げられており、地味ながらもしっかりと柳田ワールドを形作っておりました。
 
 神社のすぐ近くに柳田國男顕彰記念館がありました。管理人は丸顔のおっさんと若い女性の二人で、丸顔さんが女性に向かって偉そうに大声で行政批判の講釈などを垂らしており、
「あー、こーいうオヤジ、営業マン時代によく見たなあ」
と思いました。客の来ない資料館の管理人て、あこがれる職業だなあ。呑気でいいよ。
 二百円払って中に入り、さっそく
「すいません、コンセントで充電させてほしいんですけど」
というと、丸顔さんは面倒くさそうに
「どこでも使って」
と言い、部下相手に講釈を続けておりました。
 充電器をセットし終わり、展示室を覗くと、中は真っ暗。熱心な雑談の腰を折るのも面倒臭かったのですが、
「すいません、明かり点けてほしいんですけど」
と声をかけると、
「ああ、こりゃえらいすんません」
と丸顔さんは慌てて配電盤のスイッチを入れてくれました。
呑気でいいなあ。給料いくらもらってんだろ。
 
 國男を含む松岡兄弟は、医者がいたり日本画家がいたり言語学者がいたりで、展示資料は両親や兄弟のものが多く、國男本人に直接関係する資料は半分以下でした。
 例えば柳田がびっしりと書き込んだ調査ノートや調査カードがあれば、
「おお、すげえ。さすが日本民俗学の神様だ」
と感動できるのですが、そうした迫力のあるものは特にありませんでした。弟の松岡映丘の日本画にしても、展示されてるのは下書きばっかりだし。
ただ、國男の小学校時代の成績証明書に
「平民 松岡國男」
と書かれていたのは、なんだかちょっと面白かったです。
 そっかあ、衣冠束帯で大正天皇の即位の礼なんかに出てたこの人も、へーみんなんだなあ。
 柳田國男の生原稿というものは初めて見ました。原稿用紙ではなく、手紙用の半紙みたいな紙に
「しゃっしゃっしゃー!」
という勢いの大きめな文字が書かれていて、サラリーマン時代のぼくの女上司の字を連想させ、少しヤな気分になりました。
 
 柳田記念館の隣には柳田國男の生家が移築されておりました。しっかりとこういうものが保存されてるんだなあ。
 もしぼくが出世したら、ぼくが幼稚園時代を過ごした長野市吉田の汚い教員住宅も、文化財として保存されるのかしら。
 それから、近くには郷土資料館があり、これも併せて見学できるようになっているのですが、これはもうどこにでもあるような物置資料館で、面白くありませんでした。
 
 というわけで、柳田國男の故郷神崎町を後にし、再び姫路に戻りました。
 途中香寺町で巨大足型ストップマークを発見しました。なんと長さ61cm、幅24cmもあるのです。これまでにぼくが見つけた足型で最大のものは高野町で発見した長さ49cmの土人用足型だったので、今回の発見で一挙に12cmも記録更新となったわけです。
 ここまででかいと、魔除けに大草鞋を村境に吊るす「道切り」の習俗との関連も考えなければならないでしょう。
 
 姫路に戻り、昨日見学できなかった兵庫県立歴史博物館に入りました(500円)。
ここでも受付で荷物を預かってもらい、ザウルスの充電を頼みました。
最近、こういうパターンに味をしめています。
 ここでは
「特別展・兵庫史の散歩道−館蔵名品展−」
なる企画をやっておりましたが、何がどう「散歩道」なのかよくわかりませんでした。何でもありなあいまいなタイトルつけて、ありあわせの物並べてるだけじゃねえの?よっぽど企画のネタが尽きてるんだろうなあ。
 勝手にそう決めつけてニヤニヤしながらケースを覗き込む、いやーな客なのです。ぼくは。
 見学して印象に残っているのは、養護学級の生徒達が見学に来ていて、ギャーギャーやかましかったこと。生徒がやかましいのは、そういう人達なのだから仕方ないのですが、引率の先生たちも生徒に引きずられて声がでかいんですね。
「うおー、なんだこりゃ。〇〇君(新任教師)、君は確か日本史専門だったろう」
「いやー、これはですねえ」
などとでかい声で喋っていました。かわいそうに。
 
展示資料で記憶に残ったものはあまりなかったのですが、ただ一つ「金山平三」という人だけが気になりました。神戸出身の洋画家で、大正から昭和にかけて活動し、中央画壇を離れ旅に生きた放浪の画家らしい。民具や郷土玩具を愛し、そのコレクションもかなりのものだとか。
 館内にはその玩具の一部が展示されているだけで、本人の作品などはなかったのですが、「放浪の画家」ってちょっとそそられるものがあります。機会があったら絵を見てみたい。
 
 5時になって博物館を出、姫路を出て再び西に向かって走りだしました。
 今夜のねぐらは龍野市の揖保川河畔。桜の下で、毛虫が出そうなところです。
 晩飯は、三日連続のスパゲティ。ホウレン草を炒め、狭いコッヘルの中で麺とからませようとするのですが、身動き取れず、層になっただけでした。
山陽編目次 表紙

4月26日(金)晴 八つ墓目指して岡山路

 いい天気でした。朝飯はトースト。
 のんびりと片付けをして歯を磨いて、ベンチの下で溜まっていた日記を打ちました。三日分も打つと疲れてしまい、時間をみるとお昼になっていたので漕ぎだすことにしました。
 このあたりは、のんびりとした田舎の風景が続いています。
 海が見たいと思い、海岸に近い国道2号へ行くことにしました。
 しかし国道2号に入ったとたん、車の交通量が多くなって排気ガスはきついし、路肩は工事中だし、トンネルは暗くて狭いし、ろくなことはありませんでした。
 峠越えのトンネルは、大型ダンプでも通ろうものなら自転車は確実に轢き殺されそうなほど狭く、自動車の通行が途絶えた隙を狙って約500mを全力疾走するはめになりました。
 次の目的地は津山市。ここは横溝正史の「八つ墓村」のモデルとなった「津山三十人殺し」の場所として有名です。しかしその事件の現場がどこなのかはぼくの知るところではないので、ぼくの目当ては『珍日本紀行』に紹介されている「津山教育自然博物館」なのでした。
 なんだかよく分かりませんが、すごい博物館らしいのです。
 国道2号を離れ、山の中に入っていきます。途中、閑谷学校という江戸時代の藩校をちらりと見物。周囲を石積みの塀で囲まれ、塀越しに中を覗くとまるでお寺のような建物が立っておりました。
 カゲロウだかトビケラだか知りませんが、やたらと虫が多かったです。
 駐車場のトイレで充電&日記打ちをしているとき、掃除のおじさんとおしゃべりしました。
「先週もなあ、若いのが一人でとぼとぼ道を歩いてきて、『駅まで何キロあるか』って言うもんやから教えてやったんやけど、話聞いたらその子、岡山から遊びにきて途中で財布を奪られたんだと。 最近はそういうの多いからな、野宿するときもなるべく明るくて人通りの多いところで寝た方がええぞ」
「はあ、そうですか。ありがとうございます」
とは言ったものの、明るくて人通りの多いところでなんて寝られるかい。
「津山に行く?あんなとこに何か面白いもんでもあるか?」
「いや、なんかすごい博物館があるって聞いたもんで」
「博物館?知らんなあ」
どうやら目当ての博物館は、かなりマイナーなようです。

 津山まではかなりの田舎道らしく、店もほどんとないとのこと。幸いおじさんが途中にスーパーがあると教えてくれたので、そこで晩の食材を買うことにしました。
 米を切らしていたのですが、店には10kgものしかなかったので、今夜もまた玉うどん。
 具には、一パック百円で売っていたイカナゴを選びました。春の瀬戸内で獲れる魚だそうで、ワカサギみたいな形をしています。
 今夜のねぐらは、吉永町の道路下の空き地。農道のすぐ脇ですが、他人の迷惑になることはないでしょう。
 イカナゴとうどんを味噌で煮こんでみました。食ってみるとイカナゴは柔らかくて、ほとんど歯ごたえがありませんでした。味は、まあまあでした。

←戻る 冒頭↑ 次へ→
山陽編目次 東九州前編目次 表紙