日本2/3周日記(広島山口) 珍スポット山陽編(広島山口)

5月3日(金)曇のち雨 残り香ほのか毒ガス島

 朝飯はラーメンだったかな。
 出掛ける前に、ちょっとした事件がありました。
 出発準備をしているとき、どこからか
「お兄さん、お兄さん」
と呼ぶ声がします。
何度か呼ばれてようやく
「もしかして俺のこと?」
と思い当たり、テントの外に顔を出して見ると、公園のトイレの個室のドアを開けて、中からズボン下ろしたままの格好のおばさんがぼくを呼んでいます。
慌てて行ってみると、苦しそうな声で
「あそこのお店に女の人がいるから呼んできて」
と言います。混乱しながらも言われたお店に行き、中に入って棚のチェックをしているお兄さんに
「すいません、あそこの公園で女性の人が、ここのお店の人を呼んでるんですけど」
と声を掛けたのですが、お兄さんは
「ぼくは出入りのもんやから…」
奥の方に女性が棚のチェックをしていましたが、
「あの人も業者の人ですよ」
とお兄さんが言うので困ってしまい、とりあえず公園に戻りました。
「お店の人、いないみたいなんですけど」
とトイレのおばさんに言うと、
「そんなはずはない、店の奥で牛乳の棚のチェックをしとるんや」
と言います。
それじゃ、あの女性しかいないじゃないかと、もう一度店に戻って女性に話をすると、何やら分かった様子で公園まで来てくれました。
 女性はおばさんを助けだし、携帯で救急車を呼びました。どうやら、急な腹痛のようでした。
「何か手伝えることありますか。何かあったら声掛けてください」
と言い置いて、ぼくはテント撤収に戻りました。ちらちら様子をうかがっているうちに、すぐ近くの消防署から救急車がやってきて、おばさんを運んで行きました。
 
 たぶん、おばさんは一人であの店を経営しているのでしょう。で、頼れる人は出入りの業者で仲のいいあの女性だけだったのではありますまいか。
 それにしても、倒れて助けを呼んでいる人に対して、もう少し俺なりになにかできなかったもんかなあ。店の人がいないからって手ぶらで戻ってくるなんて、子供のお使いじゃあるまいし。
 ちょっと自己嫌悪になりました。
 
 昨日の洗濯物は、案の定ジーンズだけ乾かなかったので、ジーンズを肩にひっかけて港に行きました。
 
自転車は乗り入れ禁止とのことだったので、港に置いて行くことにしました。
 大久野島は、戦時中に日本軍の毒ガス工場があった島です。現在では国民休暇村があり、ウサギが放し飼いにされているので、船客にはフツーの家族連れなども多くいました。
 大久野島への船賃は、往復で四百円くらいだったように思います。
 フェリーが島に近づくと、まず見えてきたのがツタに覆われた怪しい廃墟。たぶんあれも毒ガス関連の施設なのでしょう。
 島に着くと、無料バスが出ていました。狭い島なので歩いていってもよかったのですが、一応乗ることに。
「毒ガス資料館へ行かれる方いますか」
と運転手さんが言い、
「はい!」
と返事して資料館前で降りたのはぼくだけでした。
 毒ガス資料館は小ぎれいな建物で、入館料は百円。安いねえ。
 
 大久野島は昭和4年〜昭和20年の間毒ガス工場があり、多いときは従業員5,000人、年間生産量1,200トンもの毒ガスを作っていたのだそうな。
 毒ガス製造器は、ガスと反応しない陶器製が主で、常滑焼とか京焼の装置が多かったそうな。床の間に飾ったら凄みがあるなあ。
どこの資料館にも「展示品に手を触れないでください」との張り紙があるもので、ここも例外ではないのですが、ここの展示品に限っては、触れと言われても触りたくない。
 
 日本軍の毒ガス製造技術はかなり稚拙で、島内には毒ガスの有毒成分が漏れまくり、曇りの日にはガスが島内に充満して前が見えないほどだったそうな。
 未だに忠海病院には一日220人の呼吸器系の患者があり、その九割が毒ガス工場関係者なのだそうな。
 当然従業員は体を壊し、働けなくなって島を出るわけですが、毒ガス製造工場の存在は軍事機密なので、
「誰にも毒ガスのことをしゃべらない」
と誓約書を書かされてから島を出ることが許されるのだそうです
 展示品も、関係者の証言ビデオも、かなり迫力ありました。
 
 毒ガス工場は敗戦後アメリカ軍に破壊されたそうですが、今でも島内のあちこちに廃墟が残っているということで、島内巡りをすることにしました。
 
毒ガス貯蔵庫跡
毒ガス貯蔵庫跡

確かに、国民休暇村の宿泊施設のすぐ裏に毒ガスの貯蔵庫があったり、島の展望台の近くには、日清戦争の時に建てられたレンガ造りの砲台跡があったりして、廃墟マニアにはたまらないものでした。
 毒ガス貯蔵庫には、アメリカ軍の火炎放射器による焦げ跡が黒く残り、床には巨大なタンクを支えたらしきコンクリートの土台が残っていました。
 
 そして圧巻は、巨大な発電所跡。島に上陸するとき遠くから見えた、ツタに覆われた廃墟です。
 毒ガス工場で使われる電気は島内の発電所で作られていたそうで、その廃墟なわけですが、立入禁止の札を無視して廃墟の中に入ってみると、これはもうカッコよすぎ。
発電所内部
発電所内部

 廃墟って、どうしてこうカッコいいんでしょうねえ。
 建物内部はがらんどうですが、床には窓ガラスの破片が無数に散らばっています。ツタに覆われた高い窓格子から、外の光が差し込んでいます。
大きな鉄扉はあちこちへこみ、なかなかの迫力です。
でも、ふと壁を見て思いました。なんで、こんなところにまで来て
「カノジョ欲しい〜!」
なんて落書きするんでしょうね。せっかくの気分が台なしです。
ここまで来て、公衆便所と同じことしか書けねえのか。
落書きするならするで、TPOに応じた書き方をして欲しいものです。
 
 毒ガスを満喫して、島から本土に帰りました。
 夕方、呉市に入るころにはしっかりと雨になっていました。
 駅ビルの食料品売り場で買物をし、寝場所をいろいろ捜し回ったあげく、市内中心部の公園のアスレチック風の遊具の下にテントを張りました。
 晩飯は、「ごはんがススムくん」の麻婆豆腐。とろみ粉の混ぜ方を失敗して、スープみたいになってしまいました。ちゃんと火から降ろして混ぜなきゃだめですね、やっぱり。
 
 明日は広島市に入ります。原爆ドームと平和記念館、二日続けて戦争廃墟モノです。わくわく。
 今朝のおばさん、大丈夫だったかなあ。
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5月4日(土)曇のち雨 原爆資料館を堪能

 呉市のど真ん中での一夜。
 公園にはあちこちにゴミが散らばり、日によってはガラの悪い連中の溜まり場になっているのでありましょうが、雨が幸いしてか、暴走族の音もなく、無事に朝を迎えました。
 
 今朝はなぜか早々5時に起きました。
朝は雨があがっておりましたが、天気予報では今日は昼から雨になるとのこと。連休に旅を予定されている方もおりましょうが、お気の毒です。
 朝飯は金ちゃんラーメン。徳島発のヒット商品のようですな、これは。安いし、他のインスタントラーメンと比べても麺の量が多い。
 
 広島の平和記念公園に着いたのは11時ころ。フラワーフェスティバルなるものをやっており、ヒトデで賑わって海の底のようでした。
 太極拳をしたり将棋をしたりしている人達に混じって、公園のベンチでトーストを食い、早めの昼飯。
 
 その後原爆ドームを見にいき、絵葉書を描いているうちに雨が降ってきました。仕上がりまであと一息だったのに。
 原爆ドームは、廃墟としてもかっこいい上に、それが原爆で破壊されたというハクがついているのですから、もう最高。
 もっと他の廃墟も残しといてほしかったですねえ。
 
 ドームをばしゃばしゃ写真に撮ってから、平和記念資料館に行きました。
入場料は五十円。露骨な安さです。少しくらい高くても、寄付感覚で払うけどな、ぼくは。
 さすが祭りの最中だけあって、混んでおりました。外国人さんの姿もけっこう多い。ある意味日本で最高の観光名所ですね。
 
 展示の中身は、さすがの一語。
「血や膿が染み付いた服」
「被爆二十五年目に体から出てきたガラス片」
「被爆後、黒く曲がって生えるようになった爪」
「切除したケロイドの切れ端」
「被爆で剥けた爪と皮」
以上はすべて実物が展示されているのです。
「出血斑のある舌(模型)」
なんてのもありました。
被爆者の描いた絵
被爆者の描いた絵

 それから、被爆者の描いた絵が展示されており、どれもなかなか味があるものばかりです。
 こういう究極の実体験に基づいた絵を見せられると、美術とか芸術とかいうものの意味って何だろう、と思ってしまいます。
「色彩が鮮やかだ」
「構成が巧みだ」
「有名な作家だ」
…そんな理由で高値で取引されている絵画どもと、ホントの意味でどっちが価値があるんでしょうか。
「ホントの意味で」なんて問いはナンセンスなんでしょうけど。
 被災直後の広島に入った人が描いた絵には、下手くそなタッチで短い丸太のようなものが描かれ、文が添えられておりました。
 
「頭も胸もなく、胴体に幅広の帯を巻いた所だけが残り、腰も足も全くない。
そんな焼死体の一つを引っ張ると、くるくると帯がほどけ、紙の人形が二、三本、パラパラッと出てきた」
 
うー、すごい描写だなあ。
他の絵も、ほとんど佃煮のような死体の群が描いてあるのがほとんど。こんな体験して、辛うじて生き残った人に対しては、何を言えば勝てるのかな。
 とまあ、殊勝なことを考えながら、平和記念資料館をしっかり堪能してしまったわたしでした。
 
 資料館を出たのはすでに5時過ぎ。
 まだ雨が降っています。平和記念公園は東屋がないので、ねぐらになりそうな公園の場所を探るために広島駅へ。
 駅前の地図であたりをつけ、ダイエーで食材を買ってから、中央公園に行ってみました。
 だだっ広いだけの公園で、東屋などは一つもありません。
 あきらめて国道2号を走りながら、適当な場所を探すことにしました。
 7時過ぎ、ようやく見つけたのは国道のガード下。「立入禁止」の看板を無視して柵を押しやり、不法侵入してテントを張りました。
 
 今夜の晩飯はレトルトのハヤシライス、レトルトのチキンハンバーグ、それにアスパラです。
 
 電車の音がうるさいですが、なんとか寝ます。
 さっき誰かが柵の中にやってきました。
 ぼくと同じ不法侵入さんなのか、ぼくを監視に来た人なのか、わかりませんが、何も言わずにまた出ていったので良しとします。
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5月5日(日)晴 弥山登山と揚げもみぢ

 朝は、ラーメンだったかなあ。
 初めのうちは曇っていましたが、ガード下を出て走っているうちに晴れてきました。
 今日の予定地は、宮島の厳島神社。
 宮島行きのフェリーの手前は、連休ということで車がかなり渋滞しておりました。
その脇をスイスイ追い抜くのは気持ちいいです。
 フェリー乗り場に着いたのは11時ころ。近くのホテルの駐輪場に無断駐車して、フェリーに乗り込みました。
往復340円、船は10分おきに出ているのですぐ渡れました。
 船の上でも、寸暇を惜しんで昨日の雨で濡れたレインウエアを広げて干していたら、カップルが通り過ぎざま、女の子の方が
「なんだか、剣道のにおいがする」
と言うのが耳にはいりました。
すいませんねえ、汗くさくて。
「なんだか、動物園の臭いがする」
と言われなかっただけでもましでしょうか。
 
 島に着き、もみじ饅頭の土産物屋街を通り抜け、堤防の上に座ってレインウエアやシュラフを干しながら、日記打ち。
 膝が陽に焼けてひりひりします。
 子供たちが堤防の上をすたすた歩いてきて、ぼくの手前で降りて、ぼくを通り越してまた堤防に上がって歩いて行きます。
 悪いなあと思いつつも、どく気はありません。
 
 バナナを食って軽く腹ごしらえして、厳島神社に行きました。
 参拝するのに、300円とられました。神社で金をとられたのは初めてです。
 海の上に建っていると聞いていたのですが、引き潮で地面が露出していて、ちょっとつまんなかったです。
 御札が300円と格安だったのでゲットし、宝物館へ入りました(300円)。平家納経の写しなどがありましたが、さほど記憶に残るものはありませんでした。
 ついで宮島歴史郷土資料館(300円)へ。地元の金持ちの古い家を資料館にしてあります。宮島の名物シャモジの由来などの説明がありました。
 
 資料館を出たのは3時すぎだったのですが、日本三景の一つの割には感動が薄かったので、この際厳島神社の背後にそびえる弥山(みせん:530m)に登ってみることにしました。
 登山道入口に大聖院という寺がありました。真言宗御室派の総本山だそうで、立派げな寺なのですが、五百羅漢の石像に混じってアンパンマンやバイキンマンの像があったのは、どういうわけでしょう。
 
 山頂へは、ずっと石段が続いていました。途中、沢で休んでいたおじさんがぼくの背中の荷物を見て
「今夜、山で泊まるんですか?」
「いえ、まさか」
「だって、背負ってるのテントでしょ」
「そうですけど、テントで泊まりながら観光地巡ってるだけなんで」
 
自分では、自分の見た目なんて、放浪者に毛が生えたようなもんかなあと思っているのですが、
他の人からは完全武装の登山家に見えるのでしょうか。
 
 いずれにせよ、でかいリュック背負っての山登りはしんどいです。
 本当の登山はさらに食料や水を背負って、何千メートルという山を登るわけですから、ぼくには気違い沙汰としか思えません。
 奥の院という、人気のない静かなお堂でパンとバナナの腹ごしらえ。パンにマーガリンをべったり塗ってかじり、水道から汲んだペットボトルの水を飲んで流し込みます。
 
 さらに登ること30分、巨岩が折り重なる頂上に着きました。もう5時過ぎで、雲が出てきてあまり見晴らしはよくありませんでしたが、奇岩の上から谷間越しに瀬戸内海を眺めるのはいい気分でした。
 
 この弥山山頂一帯には、石仏があったりお堂があたりして、いかにも山岳宗教の聖地といた趣です。
 ここも弘法大師が開いたそうで、大師が虚空蔵求聞持法を行った洞穴があったり、高野山とここにしかないという「消えずの法灯」のある聖火堂があったり。
 宮島は今でこそ厳島神社で有名ですが、清盛が派手な社殿を建てる前は、密教坊主や修験者の修行場だったのでしょう。
 
 帰り道は湿った道が危なっかしく、一度滑って尻餅をつきました。
 ふもとに降りてきたのは6時過ぎ。土産物屋も半分以上シャッターが降りていましたが、中で「揚げもみじまんじゅう」をやっている店があったので、思わず買ってしまいました(200円くらいしたかな)。
 要するに、もみじ饅頭のてんぷらです。店内で自分で茶を汲んで、食べるのです。
 さくさくして、なかなかでした。
 揚げてくれた兄ちゃんに訊いたら、今年の1月から試しに始めてみて、評判も上々だとか。
ぼくはあんこのを食べたのですが、チーズ味もうまそうでした。
 
 本土に戻ったのは7時過ぎ。もう真っ暗になっていました。
 今夜も天気がよくないといううわさを聞いていたので、なんとか雨に濡れないねぐらはないものかと、キョロキョロしながら2号線を走ります。
 ようやく8時頃になって、なんとか眠れそうなガード下を発見しました。
 国道と線路に挟まれているので、やかましさはかなりのものですが、耳栓してなんとか寝ます。
 
 晩飯は面倒臭かったので、昨日買ったヨーグルトと、麦焼酎だけで腹をごまかしました。
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5月6日(月)曇のち雨 美川ムーバレーに喝!

 ガード下で米を炊き、ありあわせの乾物でみそ汁を作りました。
 天気予報では、今日中に天気が崩れるとのことでした。
 岩国市入り。もう山口県に突入です。
岩国市には錦帯橋という有名な橋があるということを、通り過ぎてから知りました。まあ、いいや。橋は橋だろ。
 柳井市方面へ海岸沿いを遠回りしようかとも思いましたが、めんどくさかったので国道2号で内陸を直行することにしました。
 
 今日はたいした出来事もなく走り続ける一日だろう、日記も短くてすむや、と思っていたのですが、国道の道端に怪しい看板を見つけてしまいました。
 
「地底王国 美川ムーバレーこちら 右折20km」
 
なにい、地底王国!?『珍日本紀行』にはなかったと思うが、これはかなり怪しい!
しかし往復40kmのロスはしんどいな〜。
 一旦交差点を通り過ぎたぼくですが、100m先でブレーキをかけました。
 ここで見逃したら、二度とこんな所には来ないかもしれない。好奇心ってものは、大切にしなきゃいかんよな。
 とうとうUターンして、地底王国目指し、国道187号を北上することに決めたのでした。
 途中で雨が降りだしました。
 187号からはなれ、人家のない狭い道を15分ほど走ると、インディ・ジョーンズのテーマがスピーカーから鳴り響くムーバレーが姿を現しました。
 
 ここはかつて玖珂鉱山といって、銀、スズ、タングステンなどを採掘していたそうです。閉山した後の廃道を、超古代風味のテーマパークにしたのだそうです。
 ムーバレーは、川を挟んで左岸が地底王国、右岸が駐車場とセンターハウス(レストラン、ホテル)となっています。
 どういう理屈かは分かりませんが、ムーバレーの駐車場は「ふれあい広場」と名付けられ、ウルグアイラウンドだか農業農村構造改善事業で作られた、という旨の看板が立っていました。
駐車場での「ふれあい」って、要は自動車同士の接触事故ってことなのかなあ。
 さらに、地底王国へ続く橋の名前は「であいふれあい橋」。こんなネーミングがつけられた経緯は、おおよそ想像がつきます。
 
「今廃坑になってるあの玖珂鉱山、もったいないずら。あの廃道で金もうけできんずらか」
「そやそや、今はなんだ、チョー古代史が流行っとるっちゅー話だら。ムー大陸の遺跡風にして、探検させるっちゅー趣向はどうずらか」
「そんなこと言ったって、こんな田舎の村に金なんかあらすか(あるものか)」
「こういう時は国の補助金使うっちゅう手があるでよ。橋や駐車場の整備には、ウルグアイラウンドの補助金が使えそうだべ」
「んだども、地底王国建設なんて名目で国のお役人が許してくれるずらか」
「そげなもん、書類上で別の施設ってことにしときゃええんだぎゃ。だから駐車場も隅にベンチを置いて、都市と農村の交流公園という名目にすりゃ、補助金の対象になるっぺよ」
「名前はどうすべえ」
「『ゴンドワナパーキング』ってのはどうだべか」
「馬鹿こくでねえ、そんなので農水省のお役人が補助金くれるわけねえでねえか」
「んだんだ、駐車場でなくて公園て名目でねえと金が出ないんだと」
「めんどくせえ、『ふれあい広場』『であいふれあい橋』でいいずらよ」
「ええんでねえの、書類上も格好がつくし。結構結構」
 
という、何県人なのかわからないような会話が、村役場の中で交わされたに違いありません。
 
 であいふれあい橋を渡り、地底王国の入口にやってくると、「洞窟神社」なる神社が鎮座していました。
名前は怪しいですが、見た目は普通の小さな社。受付の女性に訊いてみました。
「あの神社の御祭神は誰ですか」
すると女性は
「ええと、ヨグソトホートです」
なんて答えてくれたら面白いのですが、
「さあ…洞窟の安全の神様です」
が実際の回答でした。
 この神社は鉱山操業当時から祀られていたのでしょう。鉱山の神様というと金屋子神とか、そんなんなのかな?ぼくはよく知りませんが。いずれにせよ、「洞窟神社」なんて思わせぶりな名前をかぶせてパンフレットにも載せるんなら、それなりの役割づけしろよなー。
 
 地底王国の入場料は1,000円でした。
 う、高い。姫路城よりも高い。しかしここで引き下がる訳にはいかない。
 金を払うと、地底王国の地図とクイズの回答シートを渡されました。洞窟のあちこちにクイズが隠され、それに答えると当選者の中から海外旅行が当たるとのことでした。

モアイ(?)像を拝む
モアイ(?)像を拝む

ムー大陸(?)の遺跡を探検するということで、洞窟のところどころにモアイ風な石像やら、インカ風な壁画やらが取り付けられ、
「仮面の神殿」
「太陽の階段」
などといったそれっぽい名前がつけられ、スピーカーから映画音楽のサウンドトラックとおぼしき
「うを〜ん、ズンズン、ひゃらら〜」
みたいな音楽が流れていました。
 
 基本的に、それだけでした。
 
 探検マップを見ると、それぞれのポイントから矢印を引っ張ってコメントがついています。
 
「石像の回廊←古代の兵士か族長たちか?」
「聖水の回廊←この水は何に使われていたのだろう?」
「聖なる間←なぜここにも衛兵らしき石像があるのか?」
 
…「なぜ」って、お前らがそう作ったからだろうが!
…なんて怒ってしまうキミは、夢見る少年の心を忘れた淋しいオトナ。
 地底遺跡を探検する考古学者になった気分で、一人一人が地底王国の在りし日の姿を想像してください、ということなのでしょう。
 しかし、言いたい。ハリボテ並べて照明当ててBGM流すだけで1,000円は、やはり高すぎる。800円くらいが相場だと思うなあ。
 
 石像や照明など演出は悪くなく、雰囲気もけっこうあるのですが、やはり客としてはもっと能動的に楽しみたいという意識が強いです。
 借金だらけの貧乏村(決めつけ)が経営しているのですから、派手なものは作れないにしろ、動くマネキン人形の2〜3体は置いておいても罰は当たらないのではあるまいか。
 下手なマネキン置いて雰囲気が壊れたら元も子もない、という異論があるようでしたら、入場者があちこちの石像や壁画、文字を頼りに地底王国の謎を解くクイズラリー形式にするとか。
 入場のとき解答用紙を渡されたクイズは、
「ピラミッドに使われた石の数はいくつ?」
などという教科書的な設問ばかりで、肝心のムー大陸とは何の関わりもありませんでした。
 
 おまえんとこは地底王国なんだろう。だったら地底王国なりのオリジナルな歴史観・世界観をもっとはっきりさせろよ。
 今のままじゃ、観客の想像力に任せるというよりも、薄っぺらな演出だけで放り出してるようにしか見えないぞ。
 この地底王国の宗教は?言語は?政治体制は?人々の暮らしは?実在の古代文明や、いわゆるムー大陸との関係は?
なぜこの美川村にあるのか?この遺跡がなぜ、どうやって発見されたのか?
 そうしたストーリー設定を観客にそのまま押し付けるかどうかは別としても、作る側がそれくらい細かく世界を作っておかないと、普通の観客は想像を広げる気にもなりません。
 
 まあ、一つ面白かったのは、ハリボテの似非モアイに、お賽銭がお供えされていたこと。超古代文明の石像に、日本円お供えしてどうすんだろ。入場客には孫を連れた爺婆様方も多くいましたが、彼らが供えていくのだろうか。
 彼らこそ現代に生き延びた地底人の末裔なのかもしれません。
 来年あたりまた行ってみると、モアイがよだれ掛けと毛糸の帽子つけてたりして。
 
 そんなステキな地底王国を出たのは午後4時。近くに“元”日本一の巨大水車、「でかまるくん」があるということで、ちょっと寄ってみました。
 水車などに興味はありませんでしたが、「でかまるくん」という中途半端に擬人化したネーミングが気になったもので。
 でかまるくんは、岩屋観音のそばにありました。岩屋観音は、弘法大師が木で観音像を彫って洞窟内に安置したところ、上からの石灰水の滴りによって木像が石灰石に覆われ石仏化したものだそうです。
 珍しいということで国宝になっているとのことで、ぼくも見てきましたが、ほんとにあれは木像なんですかね。いくら自然の神秘といっても、あれほどきれいに仏像の輪郭をなぞって均一に石灰水が流れ落ちるものなのかしら。
まあ、国宝に指定されているのなら、レントゲン調査くらいはされているんだろうけど。
 
 で、「でかまるくん」の方はというと、でかいだけのただの水車だったわけで、近くの売店のおじさんに訊いてみました。
「でかまるくんって名前はどうしてついたんですか?」
「あれはね、ふるさと創生事業で作って、名前を公募したんですよ。当時は日本一だったんですがね、今ではよそに抜かれました。それがなにか」
「いやあ、妙にかわいい名前だと思って」
「そうですか、あっはっは」
やっぱりふるさと創生一億円か。よそに日本一を奪われたんなら、インチアップすりゃいいのに。
 もしくは、日本で一番高速回転する水車に改造するとか。
 さもなきゃ、動力を水じゃなくてハムスターにしてみるとか。
 いっそのこと、村民の人力で水車発電して、村全戸の電気を賄うとか。
 
 そんなツッコミがいのある美川村を後にし、雨のそぼ降る中を徳山市に向かいました。下手に山奥まで来てしまったので、街に出るのは一苦労でした。
 ムーバレーで虎の子の千円札を使ってしまったので、手元に250円しかありません。
 スーパーで買ったのは、豆腐とうどん。「ごはんがススムくん」の麻婆豆腐が残っているので、今夜はそれです。
 なかなか雨宿りできそうな場所が見つかりませんでしたが、ようやくほどよいバス停を見つけました。下が土で、崩れかけた物置みたいなバス停ですが、なんとかテントを建てました。
 
 ふう、今日も疲れた。
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5月7日(火)雨のち曇 野宿の先輩にびっくり

 朝飯はうどん。
 まだ雨が降っています。テントを畳むのが面倒でした。
 朝っぱらから濡れたレインウエアを着るのは嫌なものです。
 雨が降ると、好奇心というか、「ずく」がなくなります。
面白そうなものがあっても、立ち止まるのが面倒臭くて通り過ぎてしまうことが多々あります。
 新南陽市の公園で洗顔しました。駐車場には、サボリーマンらしき営業車がたくさん見られました。
おれも、会社時代はサボり場所探しながら営業車乗ってたなあ。ねぐら探しながら走ってる今と、基本的に変わってない。
 
 新南陽市の郵便局で金を降ろし、しばらく走った先のスーパーで古いパンの袋詰め(200円)を買い、スーパーの休憩所で充電しながら溜まってた日記を打ちました。
 何日分片付けたか。日記打ちに疲れたので、そろそろ走ろうかと外に出ると、時間はとっくに午後4時になっていました。
 
 なんとか、雨は止んでいました。国道2号を走り、晩の食材を買うためまたスーパーに入りました。
 スーパーの次に、セルフのガソリンスタンドに寄って初めて自分で灯油を入れました。
清算機の使い方が分からず、結局店員さんに助けてもらいましたが。
 
 夜もまだ雨が降るらしいので、国道沿いの建物の軒下を吟味しながら走りました。
 ひさしの大きい建物で、空店舗になってる奴が狙い目です。
 一軒、良さそうなのを見つけました。一階が駐車場になっており、道からも陰になって落ち着けそうです。
 駐車場を覗いてみると、一台の自転車と、荷物のようなものが置いてありました。
 まだ建物を使っている人がいるのかと、夕方の薄明かりの中で目を凝らして見ると、その荷物が動きました。荷物が肘まくらして、鼻をほじっています。
 先客なのでした。びっくりしました。
「いるよ、先客がいるよ〜!」
内心叫びながら、あわててその場から逃げました。
 明石でのワンパックさんとの一夜はなりゆき上のことであって、諸先輩方と一つ屋根の下で一夜を過ごすのはやっぱり嫌です。
 
 幸いい、ほどなく大きなひさしのある空倉庫が見つかりました。
 ぼくが結構目立つところでもテントを張れるのは、自分が日本一周男だという自負(というか、甘え)があるからでしょう。
 さもなきゃ、こんな国道のすぐ隣で、派手な黄色のテント建てて寝ていられないと、自分でも思います。
 今夜の晩飯は、小松菜と豚肉の炒めものです。
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5月8日(水)曇ときどき晴 歩行者専用自転車道

 夜は雨が降っていたようです。朝飯はラーメン。のんびりテントを畳んでいたら陽が射してきたので、日向ぼっこしながら溜まっていた日記を打っていたら、昼になりました。
 
 次の目的地は秋芳洞。山口県で行きたい場所といったらそれくらいしか思いつかないのです。
 最近自転車のブレーキの効きがよくありません。どうやらシューが減っているようです。そのうちどこかで買わなければ。
 
 大阪を出て以来、まだ風呂に入っていないので、そろそろ入らねばなあと思っていると、「天宿」とかいう温泉旅館の看板に、入浴可とあったので、寄ってみることにしました。
 手ぬぐいを肩にフロントの入浴券販売機の前に立ってみると、大人800円とあるではないですか。
たかが風呂にそんな大金を払う気はないので、そそくさと自転車へ引き返しました。
 福岡に大学時代の友達のプライムモア藤崎君(仮名)がいるので、彼の家に泊めてもらう腹づもりです。おそらくそれまで、風呂に入ることはないでしょう。不潔。
 
 秋芳洞までは、山口市が起点の「山口秋芳自転車道」が通っていたので、そこを走りました。
ところどころに休憩所などもあり、へえ、けっこう気が利いてるじゃん、と思いながら漕いでいたら、突然
「自転車通行可 ここまで」
の標識が。
 自転車道の終点かと、前方を眺めましたが、べつに階段があったり舗装が切れている様子もありません。今まで走ってきたのと同じ道がずうっと続いています。
 それでも、通っちゃいけないというのですから、いちおう平行する車道に逸れました。
 走りながら横目で自転車道を観察するのですが、ちゃんと「山口秋芳自転車道」の看板が一定間隔で立っており、それなのに道路標識は歩行者専用なのです。
 歩行者専用自転車道。わけわからんなあ。
 
 秋芳町に着いたのは夕方だったので、洞窟探検は明日です。
 今夜もあまり天気がよくなさそうなのですが、いい場所がなく、神社の軒下にテントを張りました。
 神社なのに鐘楼があるあたりは、明治以前の名残でしょう。
 
 秋芳町にはまともなスーパーがAコープしかなく、それもあまり安くなかったので、晩飯はレトルトカレーで済ませました。
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5月9日(木)曇 秋芳洞のんびり探検

 朝飯は、ラーメンだったかなあ。忘れちゃった。
 なんとか雨は降りませんでした。神社の神主さんに怒られることもなく、出発。
 秋芳洞はすぐ近くでした。
 自転車を降り、リュックを背に土産屋通りを歩いて行くと、店のおばちゃんが声をかけてきました。
「お兄さん、これから長いよ。1時間か2時間くらい歩くことになるんだから、荷物預かってやるよ。百円だけど、食事とか買物してくれたらサービスするよ」
「そうですか。とりあえず、いいです」
と断りました。
この辺の食堂には、
「洞丼(ほらどん)」
というどんぶりが名物らしく、店の窓ガラスにその絵が描いてあるのですが、絵を見る限り、ご飯の上に何が載っているのかわかりませんでした。
黒々とした具が描かれていましたが、洞丼というからにはコウモリでものせて食うのでしょうか。
 
 秋芳洞の入場料は1,200円。高いなあ。こないだのムーバレーもそうでしたが、洞窟モノの入場料は1,000円以上が相場なのでしょうか。
 デジカメのバッテリーが切れつつあったので、入口近くの小さなお堂でコンセントを拝借しました。
 
 このお堂には寿円禅師という坊さんの塑像が祀られておりました。この坊さんは室町時代、この一帯が干ばつになったとき、誰も近づかなかった秋芳洞に入って雨乞いの祈祷をしたのだそうです。
禅師河童の像
禅師かっぱの像

 地元の伝説では、このときにカッパが禅師のお供をしたそうで、道端には妙にかわいらしい「禅師かっぱ」の像がありました。こういうファンシーな河童像は、個人的に好きでありません。
 ただし、このお堂に安置されている寿円禅師の像は、本人の遺灰を土に混ぜて作った塑像で、日本では珍しいものだそうです。
そういう解説を聞くと、ふつーの像が急に気持ち悪いものに見えてきます。
 
 あんまりのんびりもしていられないので、ついに洞窟に入りました。
 洞窟の入口からはざあざあ川が流れ出ていて、観光客は通路に沿って中に入ります。
 洞窟の一角に、「探検コース」というのがありました。一般の観光通路から離れて、手摺りにつかまりながら岩をよじのぼったりするもののようです。
「わずかな勇気で大きな感動!」
と看板に宣伝文句が書かれていましたが、ここでいう「勇気」とはもちろん、コース入場料300円を払う勇気のことを指しています。
勇気を振り絞ってお金を料金箱に入れようとしたら、小銭がありませんでした。
秋芳洞を這う
秋芳洞を這う

 コース入口には誰もいないので、金は後回しにして、とりあえず探検コースに入ってみることにしました。
 結論としては、アホなセルフポートレートがたくさん撮れたことが楽しかったですが、300円はちょっと高くねえか?という感想でした。
 岩肌は泥まみれで、雨乞い祈祷した寿円禅師のまねをして岩の上にあぐらをかいたら、ズボンの尻が泥だらけになってしまいました。
 これらの泥は、ただの泥ではなくて、コウモリのウンチもかなり混ざっているのではないでしょうか。
やだなあ。
 
 秋芳洞の見物コースは全長約1km。奥まで行ったらエレベーターで地上に出て、バスに乗って戻ってくるという仕組のようでした。
 バス代払うのが嫌だったので、奥でUターンして入口まで戻ってきました。
 先程の窓口で
「探検コースやったんですが、おつりがなかったんで」
と千円札を出すと、もぎりのおばさんに
「まあ、それはわざわざありがとうございます」
と言われました。まるで、金払わなくてもよかったかのような口ぶりでした。実際、知らん顔しちゃってもわかりゃしなかったのではありますが。
 
 先程の寿円禅師のお堂で再びコンセントを借り、日記を打ってたらあっというまに4時過ぎになってしまいました。
 土産屋通りを歩いて自転車に戻る途中、さっきのお店のおばさんがぼくを見て
「あれ兄さん、今まで洞窟にいたの」
と驚いていました。
「まあ、ゆっくりしてたんで」
と答えました。
 
 秋吉台では他にカルスト地形の見物や鍾乳洞博物館なんて観光コースもありましたが、夕方だし面倒になったので早々に下関方面に出発することにしました。
 
 途中通り過ぎた美祢市には、秩父にあるようなでっかいセメント工場がありました。
 真鍋譲治(マンガ家)が描きそうな、パイプだらけの怪しい鉄塔がそびえています。好きだなあ、こういう光景。
 
 今夜も雨になるらしい。美祢市をうっかり通過してしまったら、ぱったりと店がなくなってしまいました。
ようやく見つけたコンビニで牛乳とレトルトカレーを買い、近くの直売所にテントを張ることにしました。
 道路のすぐ脇なので、下校の中学生が
「さよなら」とあいさつをして行きます。
ぼくみたいな怪しい男にも挨拶するとは、シツケのきいた子供たちです。
 
 車の音がうるさいですが、なんとか我慢。
 それと心配なのは、直売所の路面が斜めになっていて、外から雨水が流れ込んでくる危険性があることです。
 まあ、テントの床部分には防水スプレーもしてあるから、何とか大丈夫でしょう。
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5月10日(金)雨 関門ウォーキング海峡

 恐れていた通り、夜半から雨が降り出しました。そして恐れていたとおり、直売所の屋根の下に雨水が流れ込んできました。
テントの中がいきなり水浸しになることはありませんでしたが、足のほうからじわじわとしみ出てきて、シュラフが濡れました。防水スプレーもあてにならんなあ。
 
 朝飯はなんだっけな。牛乳飲んで済ませたっけな。
 テントを畳んでいると、また自転車で登校する中学生たちが「おはようございます」と礼儀正しく挨拶してくるので、ぼくも「おはようございます」と挨拶をかえします。
 ぼくも小中学生の頃はまじめに挨拶してたけど。
 
 やがて、直売所におじさんがバイクでやってきました。店を開くのかと慌てましたが、ただここにバイクを駐車しにきただけでした。
「すいませんね、すぐどきますんで」
ペコペコして急いでテントを畳み、リュックに押し込みました。
おじさんは迎えの車がやってくるまで、
「どっからきた、ここまで来るのに何日かかった、一日何時間走るんだ」
と興味津々でした。
 
 雨の中を、下関へ向かいました。下関では今、国際捕鯨委員会の総会が行われているとのことで、鯨肉の安売りなんかしてたら面白いなと思ったのですが、べつに何もありませんでした。
 関門海峡は壇ノ浦。霧の向こうに北九州の町が見えます。
 海岸には、「二杯清水」というのがありました。ここに流れ着いた平家の侍が、泉で水を飲んで一息つき、もう一口飲もうとしたら水が海水に変わっていて、武士は力尽きて死んでしまったそうな。
 でもまあ、道端から見る限り当時を偲ばせるものはその程度で、海の底から安徳天皇のすすり泣きが聞こえてきたりもしませんでした。
 
 壇ノ浦のあずま屋で餅を焼いて昼飯。
 関門海峡には自転車・歩行者用のトンネルがありました。歩行者は無料、自転車は20円です。
本当は自転車を降りなきゃダメです
本当は自転車を降りなきゃダメです

 エレベーターで降りてトンネルに入り、三脚立ててトンネルを走る自分を撮りました。いつものことながら、恥ずかしい。でもやっちゃう。
 関門トンネルはけっこう利用者が多くいました。全長2q足らずなので、歩いてもさほど苦ではないのでしょう。
 でも、歩いている人達を見ると、地上は雨だというのに傘も持たず、服も濡れていません。バッグなども持たず、ただ黙々と歩いています。そして、みなおじさんおばさんばかり。
 門司側のフロアに着くと、ジャージに身を固めたおじさんたちが念入りにストレッチをしております。
 そう、関門トンネルはウォーキング中高年の巣窟となっていたのでした。
 確かに天候には左右されないし、ほどよい上り下りもあるし、距離がはっきりしているから便利なのでしょう。でも、トンネルをひたすら歩いてるのって、傍から見てて非常に不健康な気がするんですが。
 どうもぼくは、ウォーキング中高年が嫌いです。
 会社時代にウォーキングマップの営業をして飽き飽きしたということもありますし、公園で野宿する者にとってはウォーキング中高年がうっとおしいということもあります。
 もちろん歩くことが健康にいいことは承知していますが、「健康のために歩く」って、なんか本末転倒な気がするんだよな。
 肘を直角に曲げて、ひたすら前を見て歩き続けるおばさんの姿は、ギラギラした健康欲の塊です。
 彼らは、我々の社会が歩くことを忘れつつあることの裏返し。彼らが健康になろうともがけばもがくほど、その姿はとても不健康にぼくの目に映るのです。
 
 さらに言うと、
「ヨーグルトと黄な粉を一緒に食べるとビタミンXの消化吸収率が…」
「ココアを飲むとサラサラ血に…」
「一週間あんこを食べ続けると意外な効果が…」
などという「みのもん教」信者が、なんだか哀れに思えてしまうのです。
 もちろんぼくも、
「最近野菜食ってねえな」
「たまには酒飲まない方がいいかな」
なんて程度のことは気を使っていますが、こうした旅を続けている限り、少なくとも太り過ぎになることはないので、基本的に食いたいものを食っています。それで今のところ健康です。
まあ、年とってくれば、こんなぼくも健康欲がムラムラと湧いてくるのでしょうけど。
「どうして自転車旅をしてるんですか?」と訊かれて、
「健康のために」
なんて答える人がいたら、逆に尊敬するな。
 
 そんなわけで、ついに生まれて初めて踏み入れる九州大陸です。
 ぼくの手元には九州の地図がないので、とりあえず標識を頼りに福岡市を目指します。
 北九州市は、はっきりいってニオイのきつい街でした。いろんな工場が立ち並び、いろんなニオイが道に漂ってきます。
 砂糖の工場なんかは甘いいい匂いがしてくるのですが、怪しげな化学工場からは、なんともいえぬ不気味なニオイが漂ってきます。そのニオイに巻かれながら走っていると、だんだん頭が痛くなってくるのです。
 梅雨かと思うような冷たい雨に打たれながらひたすら走っていたのも災いしたか、夕方のスーパーを出た頃には、ほんとにコメカミがズキズキしてきました。
 これはいかん、「旅人の風邪知らず」というぼくの神話はついに崩れ去るのだろうか!?
 
 少しあせりながらねぐらを探し、なんとか川端の公園にあずま屋を見つけました。
 路面は岩敷きで、目地に沿って雨水が流れ込んでくるという悪条件でしたが、他を当たる気力がなくなっていたので早々にテントを建て、飯も食わずに寝てしまいました。
 風邪のときは寝るに限る。

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