空はドンヨリしていますが、なんとか雨は持ちこたえている様子。
福岡にいる友人、プライムモア藤崎君には、遅くとも明日の昼頃には博多に着くと伝えてあります。博多まではあと50km。まあ、その頃には着くでしょう。
小腹が減ったので国道3号沿いのパーキングでトーストを食い、しばらく走ると宗像大社の標識が出てきました。
そうだそうだ、九州ではここにも行ってみたかったんだっけ、と思い出して国道を逸れました。
宗像大社は辺津宮(玄海町)、中津宮(筑前大島)、沖津宮(沖ノ島)の三つの神社に分かれれています。
祭神はそれぞれ市杵島姫(いちきしまひめ)、湍津姫(たぎつひめ)、田心姫(たごりひめ)の三姉妹で、確かアマテラスとスサノオが誓(うけい)の対決をしたとき、スサノオの太刀をアマテラスが噛んで生んだ神様だったよな。
で、ぼくは今日玄海町にある辺津宮に行ったわけです。本殿の裏手の丘にある高宮というのに最初に寄りました。
案内板によると、ここは宗像の神が最初に降臨した場所で、社ができるよりも以前の祭祀場所なのだそうです。
森の中に玉石を敷き詰められた四角い庭があり、真ん中に一段高くなった祭壇みたいなものがありました。でっかい木とか、でっかい石とかなら
「なるほど、ここなら神が降りてくるかも」
と実感しますが、ただ広い庭があるだけでは、どうも今一つピンと来ません。
次に本殿へ。いつもの通り一円を投げてパンパン手を打っておじぎして神様にあいさつ。本殿を取り囲むようにずらりと並んでいる境内社は、近郷近在の神社の神様を引っ張って来たものだそうです。つまり、この地域の神社はすべて宗像大社の末社なんだぞ恐れ入ったか、という意味だそうです。
800円でお札を買い、神宝館(300円)へ。ここには沖ノ島から出土した古代祭祀の遺物(国宝)が展示されています。
沖津宮のある沖ノ島は神聖な島で、上陸する人は皆みそぎをし、島にある物をとってきてはいけない、島で見たもののことを話してはいけないという「お言わず様」の島です。しかし神社のパンフレットを見ると、
「沖津宮を参拝される方は社務所へお申し出ください」
とありましたので、どうやら事前に届け出れば上陸は許されるようです。ぼくは今回行きませんけれど。
神宝館を出たとき、なんだか体の調子が悪いことに気づきました。軽く悪寒がする。いかん、ゆうべの風邪がぶり返したか。
レインウエアの上着を着込んで温かい格好をして、無理しない程度に走りだしました。
しばらく走ると日射しが出てきたので、ほっとしました。
今日のねぐらは津屋崎町の公園です。風邪の克服にはビタミンCとスタミナのつくものを食って寝るに限ると思い、晩飯は牛丼とオレンジジュースです。牛肉一パック分、米は二合近く炊いたかも。腹一杯になりました。
なにはともあれ、食欲がある限り大丈夫でしょう。
津屋崎の公園は、テントウ虫の巣窟でした。潰さないように気をつけました。
朝飯は、昨日の朝に続いて焼きそばです。スーパーでは「ちゃんぽん麺」の名で売られていましたが、何が違うのかよくわかりません。
落書きだらけの公園でヒゲソリ歯磨き、靴下を洗濯。大学卒業以来四年ぶりに会うプライムモア藤崎君に、出会って開口一番
「足臭いね」
と言われないようにしなければ。まあ、臭いのは足だけじゃないけど。頭なんか全然洗ってないから、帽子がツンと臭ってくる。自分でも被りたくない。
プライムモア藤崎君は、ぼくの大学時代の親友で、一年間中国に留学していたのでぼくと同じ年に卒業しました。
考古学専攻で、中国の三星堆遺跡なんかに興味がある男だったので、そっちの研究者になるのかと思っていたら、なぜか通信社の記者になりました。現在九州支社で警察担当なのだそうな。
今回のぼくの日記も読んでくれていて、
「あそこの店のなんとか餅はすごくうまい。餅を食ってこねば泊めてあげない」
などというほど、食い物に関してはこだわる男です。彼ならきっと博多でうまいところに連れて行ってくれるでしょう。わくわく。
幸い久しぶりの晴天で、崩れかけていた体調も立ち直りました。風邪には日光が効くのかもしれません。気分的なものもあるけど。
洗濯した靴下をリュックにくくりつけ、気分よく走っていたら「志賀島」の看板が出てきました。
どんなところだかよく知りませんが、せっかくなので行ってみることにしました。
「海の中道」という標識に従ってまっすぐな道を走り、遊園地を通り過ぎると、砂の上に一本道がすうっと通っていてその向こうに志賀の島が見えてきました。
天気の良い日曜日ということで、道端にはずらりと路駐の車が並び、若者どもが水上バイクやら釣りやらに興じています。
玄海灘もきれいです。
「小倉生まれで玄海育ち、口は荒いが気も荒い」
で有名な無法松がこの海で獲れるんだなあ。
とりあえず、志賀島をぐるり一周することにしました。
途中、金印公園とかいうのがありました。そーか、ここは「漢委奴国王」の金印が出たところか。
公園の下でばあちゃんが活サザエを売っていたので、三個買いました。「一個200円」と言っていましたが、三個で500円にまけてくれました。
少しうれしかったですが、その後少し走ると焼きサザエを1個100円で売っていました。
適当な砂浜に降り、ストーブでサザエを焼いてみました。
醤油を少し垂らしてしばらくあぶると、ぴゅうぴゅう泡が吹いてきます。5分ほど焼けばいいとのことだったので、頃合いを見計らってナイフで身を引き抜いて食べてみたら、なかなかうまい。
巻き貝を食うときは、ちょっとだけ伊藤潤二を連想してしまいそうになりますが、玄界灘を眺めながら浜辺でサザエを焼いて食うなんて、シチュエーションからしてすでにもう旨い。
うう、なんでビール買っとかなかったんだろう。
ついでに浜にシートを広げて、リュックの中の物を広げて干しました。
乾く間、暇だったので、年甲斐もなく裸足になって波と戯れてみました。海の水はまだ冷たいですね。海水浴はもう少し先だ。
ぼちぼち走りだすと、すぐ近くに「蒙古塚」というのがありました。元寇のとき死んだ蒙古兵を供養した塚で、昭和初期に作られたのだそうです。
張作霖が讃(寄書きみたいなもの)を書いていたのが、時代を感じさせて面白かったです。満州建国との絡みとか、いろいろ背景があるのでしょうか。
志賀の島はあっさり一周できてしまい、海の中道の手前に志賀海神社があったのでお参りしてみました。
ここの神社は中津綿津見(なかつわだつみ)、底津綿津見(そこつわだつみ)、表津綿津見(うわつわだつみ)の三人の海神を祀っています。たしかこの三人は、イザナミに会いに黄泉の国へ行ったイザナギが、地上に戻って来て禊ぎをしたときに生まれた神様だったよな、確か。
磯良は神功皇后が三韓征伐のおり、亀に乗って九州に現れ、皇后の船の舵取りに任じられた人物で、長く海中に住んでいたため顔じゅうに牡蠣が付着しているため磯良の名がある。…以上、谷川健一編『日本の神々 九州編』よりてきとーに抜粋。
常陸地方の伝承では磯良は人面蛇身で、鹿島大明神と同じという。志賀明神は鹿島明神、春日明神と同体異名。
福岡発名古屋行きの夜行バスがあるのですが、直前の予約は窓口でないと駄目らしいので、明日確認することにしました。
大体バスは混んでる可能性が高そうなので、電車(鈍行)で一日で飯田まで帰れる方法はないかを時刻表で確認しました。
飛行機や新幹線を使おうという頭はハナからないのです、ぼくは。
普通電車の場合だと、博多発の始発に乗れば、名古屋〜飯田間の高速バスを併用してなんとか一日のうちに飯田に帰れることがわかりました。
そこまで確認した時、プライムモア藤崎君から電話が入りました。
「9時15分頃に地下鉄の藤崎駅前で待ち合わせしない?」
「え、藤崎駅ってどこ」
「今どこ。博多駅?博多駅の西。自転車だと20分ぐらいかな」
時刻を見ると、8時45分。あと30分で行けるかな。
とりあえず博多駅を出てみましたが、ただでさえ方向感覚の悪いぼくが、夜中に見知らぬ駅に30分以内にたどり着くことは無理だと思い直しました。
慌てて駅に戻り、自転車を畳んで地下鉄に乗ることにしました。
今回の旅では、自転車にバッグを二つもつけているので、今まで畳んだことがありません。畳めたところで、荷物をどう持てばいいかとても不安だったのですが、他に方法はありません。
駅前の路上でリュックをとっ散らかし、輪行袋を引っ張り出して自転車を畳もうとしているところへ、プライムモア藤崎君から電話が入りました。
「今どこ」
「ごめん、まだ博多駅
」
「ぼくも今博多駅に来てるんだよ。どこにいるの」
ということで、博多駅の博多口で四年ぶりの再会を果たしました。
「いやあ、何年ぶりだろ」
「卒業以来だから4〜5年ぶりだよね」
「うちの近くにうまい居酒屋があるんだ。そこに行こう」
「あれ、仕事は12時までかかるんじゃないの?」
「いや、今日はもう終わり。いや〜、腹減ったあ」
急いで自転車を輪行袋に詰め、サドルバッグをひとつプライムモア藤崎君に持ってもらって、地下鉄に乗りました。
彼のアパートに荷物をあずけ、駅の近くの居酒屋に繰り出しました。
店内は満員に近い繁盛ぶりで、カウンターにぼくら二人の席がとってありました。
「お久しぶりですね」
「どうも」
プライムモア藤崎君に板前さんが声をかけたところをみると、けっこう常連なのでしょう。
カウンターには各種鮮魚がずらりと並び、板前さんたちが忙しそうに包丁を動かしています。
新鮮な魚を気軽に食える居酒屋なんて、飯田にはあまりない(少なくともぼくは知らない)ので、うらやましく思いました。
「ともあれ、よく来てくれました」
「ども。お仕事お疲れさま」
「かんぱ〜い」
刺し身の盛り合わせはもちろん、シャコの唐揚げとか、魚の煮付けとか、ウニ丼とか、いろいろ食べました。どれもおいしかったです。
「しかし、遅くまで仕事するねえ」
「今は一年で一番忙しいよ。久留米の保険金殺人とか、小倉の少女監禁事件とかが目白押しだからねえ、ぼく警察担当だから」
「悪いね、そんなときにおしかけちゃって」
「いや、どっか連れてったりはできないけど、泊まる分にはいくら泊まってってくれてもかまわないよ
」
「ありがとう。君の書いた記事をぼくが新聞で読んでるってことはあるのかな」
通信社という業種にはなじみが薄いので、ここぞとばかりに訊いてみました。友人の仕事の話を聞くのは大好きです。
「バンバンあるよ。信濃毎日新聞はお得意様だよ。あそこはいい新聞社だよ、ちゃんとポリシー持ってる」
「へー、そうなの。全然わかんないけど」
「中にはね、社説やコラムまで通信社から記事買ってる新聞社があるんだよ。地元の事件なのに、取材せずに通信社の記事そのまま載せたりね」
「記事って一記事いくらで書くの?いい記事書かなきゃ売れないんでしょ」
「年間契約なんだよ、記事の質は一定レベルだって前提のもとでね。新聞社は通信社から送られて来た記事を、自分の取材やポリシーに基づいて書き直して掲載したり、自分の取材の確認に使ったりするのさ」
「取材にはアポとって行ったりするの?」
「するときとしないときがあるよ。場合によるよね。相手の出勤時間・帰宅時間を狙って家の前で待ち伏せしたり」
「じゃあ勤務時間なんてめちゃくちゃだね」
「ここの場合は会社と家が近いから帰れるけど、東京なんかの場合だと郊外の自宅に帰ってる時間なんてないこと多いよね」
「取材相手の家の前で車中泊とか?」
「タクシーの中でね。疲れてる記者が自分で運転すると危ないから、取材はいつもタクシーで回ることになってるんだ」
うーむ、みんなそれぞれ頑張ってるんだなあ。
「プライムモア藤崎君は、将来設計って立ててるの?」
「あれ、学生時代に言わなかったっけ。ジャーナリストの経験を活かして大学教授になって、最終的には文部大臣になるんだ」
「えー、そんな話聞いたっけなあ。教授となると、専門分野は社会学、それも特に何を?」
「外国人問題についてのね。ぼく、三重にいるころ在日外国人を支援するボランティアグループ作ったんだ。地元紙の記者が取材に来て、新聞にも少し載ったんだ」
「へえ、いろいろやってんなあ」
「支援ったって、要は日本語教えてるんだけどね。日本人てさ、お客さんとしての外国人をもてなすのはソツなくできるけど、その人がいざ隣の家に住むとなるとどうしても態度違ってくるでしょ。
基本的に同じ価値観の世界の中で固まって来たから、違う価値観には拒否反応示しちゃう。
ぼくの最終的な目標は、日本をたくさんの違った価値観でいっぱいにしたいってことなんだ。そうしないと、日本はいつまでたってもアメリカみたいな多民族国家には勝てないと思う。生物だって種が多様な方が活力あるのと一緒だよ。だからその手始めが、外国人の支援なんだ」
「そうだよなー、メクラチビゴミムシも多様性の中でこそ生きてられるんだもんな」
「メクラチビゴミムシ?」
「うん。可哀想な名前でしょ。虫ケラで、しかもゴミで、その上チビで、何とメクラという、可哀想な生き物なんだよ。洞窟の中で生きていて、たぶん人間にとっては何の役にも立たない。
そいつも洞窟の中のささやかな生態系の一翼を担ってはいるんだろうけど、そいつがいなくても生態系は回ってくのかもしれないし、そんなちっぽけな生態系が崩れたところで、外の世界にはなんの意味もないのかもしれない。でも、メクラチビゴミムシは生きてるんだよ。絶滅寸前の希少種らしいけど。
生態系の中で役に立つから存在していいとか、役に立たないから存在しちゃいけないとか、そういうのは価値観の押し付けだよね。
役に立つってことが、何の役に立つのかな。意味があるってことに、何の意味があるのかな。最近そんなこと思ってね」
久しぶりにぼくも多弁だったかもしれません。
酒は好きだけど弱いプライムモア藤崎君の代わりに、ぼくだけ焼酎を何杯か飲ませてもらいました。
いい心持ちになってプライムモア藤崎君のアパートに帰りました。新しくて広くていい部屋です。ここで月に1〜2度パーティーを開いて、友達らに手料理をふるまっているのだとか。
明日の朝ごはんはぼくが作ることにしました。
少し風邪気味だというプライムモア藤崎君は、早く寝ればいいのに家に帰ってからもパソコンに向かって何やら仕事をしていました。
「大丈夫だよ、もっとひどい状態のときに一週間泊まってった奴がいるからさ。
それはいいんだけど、日記のぼくの名前の「プライムモア」ってのやめてくれない?『アレキサンドル藤崎』とかのほうがまだいいよ」
プライムモア改めアレキサンドル藤崎君はそう言って、シュラフの下に敷くふとんを貸してくれました。
消灯は2時ころでした。
アレキサンドル君は9時30分に出勤していきました。
ぼくはシャワーを浴びてのんびりと洗い物をしてから、預かった合鍵で戸締まりして外に出ました。
今日は、市立博物館にでも行って、それから博多駅で飯田に帰る手筈を固めて、それから昨日行きそびれた香椎宮に行って、それから心霊スポットで有名な犬鳴峠に行くつもりです。
重い荷物は部屋に残し、雨具など最小限のものを持って自転車で出発。らくだ〜。
まず最初に行った市立博物館は、休館でした。月曜日なのを忘れていました。
次に大濠公園の横を通り、天神を通って博多駅に行きました。
土産物売り場を下調べしたあと、バスセンターに行ってみると、明日の名古屋行き夜行バスのチケットがあっさりとれました。飯田のバスセンターに電話して、名古屋〜飯田間のバスも予約。まずは一安心です。合計往復で2万5千円弱。まあ、こんなもんでしょう。
博多駅のパン屋でパンを食って昼飯。香椎宮に向かって、昨日来た道を戻ります。
途中、古本屋があったのでついつい寄ってしまい、マンガを大量に買い込んでしまいました。明日、実家へ持って帰ればいいという安心感があったからです。
買ったのは浦沢直樹の「MONSTER」全18巻。なんか最近、評判をよく聞くもんで、ついつい。
多少重くなったリュックを背に、香椎宮へ行きました。ここは神功皇后のダンナ、仲哀天皇の墓で、香椎廟と呼ばれていたのがいつのまにか神社扱いされるようになったそうです。
仲哀天皇は熊襲征伐のため、神功皇后とともに九州にやってきました。
その時神功皇后は神から「新羅を征伐せよ」との神託を受け、夫に伝えますが、仲哀はそれを信じずに急死してしまいます。
残った神功皇后は、夫の棺を椎の木に立てかけ、亡き天皇の御前会議を行って三韓征伐を決定しました。
この時、椎の根から菫香が漂ったため、この地を香椎と名付けたという伝説があるそうです。
三韓征伐に慎重な仲哀の突然の死。その死後神功皇后は三韓征伐を決行し、すでに子供を身ごもっていた彼女は腹に石を巻いて出産を遅らせ、後に応神天皇(八幡様)を産むわけです。
このへん、仲哀天皇は神功の知恵袋、武内宿禰が暗殺したんじゃないかとか、応神は本当に仲哀の子供なのかとか、いろいろ疑惑があるというようなことを、何の本で読んだっけな。
仲哀天皇が大本営を作った場所というところには、ラジオを大音量で鳴らしているホームレスさんがうろうろしていました。
近くには「武内屋敷」とかいう家があって、武内宿禰の子孫の武内さんが住んでいたり、宿禰が汲んで天皇に献上した長寿の水などがありました。
まあ、そんな神話の舞台を後にして、ついに今日のメインディッシュ、犬鳴峠へ向かいます。
犬鳴峠は、たびたびテレビでも紹介され、宜保愛子さんも怖がるという有名な心霊スポットなのだそうです。
以前インターネットでその存在を知ったので、行ってみたいと思っていたのでした。
犬鳴峠って、名前がいかにも寂しげでいいですよね。
おおざっぱな地図を頼りに、峠にさしかかったのは夕方7時。ほの暗くなったいわゆるタソガレドキ、メソメソドキです。
峠道の入口には「心霊療法承ります」みたいな看板も出ていて、雰囲気を盛り上げようとしています。
坂はそれほど急でもありませんが、道幅が狭い上交通量が多いので自転車にとってはちと厳しい状況です。
谷間に入って行くと、道の左右につぶれた採石場がありました。絶壁の上から、コンクリートの廃墟が道路を見下ろしています。
そして峠の頂上に、長〜いトンネルがありました。犬鳴トンネルです。
全長1,380m。
両側に、歩行者用の狭い段差がついていました。トンネル内は狭くて暗くて長いという、かなり最悪な道路環境です。
トンネルの中を走りながら、なんでぼくはこんなところにわざわざ来たんだろう、と少しあほらしく思いました。
こんな、暗くて狭くて長いトンネルなんて、今までいくらも通って来たのに、なんでこんなトンネルにわざわざ来ちゃったんだろ。
幽霊や妖怪は大好きですが、基本的にぼくは霊感が弱いタイプです。今までにこれといってめぼしい心霊現象にもでくわしたことがありません。
「ふと見上げると、天井に血だらけの女がぶら下がってたりするのかな」
などと思いながら、幅60cmくらいの狭い歩道を走っていたときでした。
急に自転車のタイヤが重くなり、ぼくはバランスを崩しました。
「や、やべ!」
と思う間もなく、ぼくは歩行者通路から転落して、自転車もろとも車道に横倒しになりました。
タイミングが悪ければ、死んでたかもしれません。
対向車が気が付いて、スピードを緩めてくれました。
「ども、すいません」
ぼくはあわてて起き上がり、自動車にペコペコしながら自転車を歩道に引き上げました。
ドライバーも驚いたろうなあ。
今まで自転車でコケたことは滅多にありません。少なくとも今回の旅では初めてです。
歩道をみると、堆積した砂ぼこりに、壁からにじみ出た地下水が混ざって泥状になっていました。この泥にタイヤを取られたのです。
「ひえ〜、まさかコケるとはなあ」
何度も呟きながら、以降ずっと自転車を押してトンネルを抜けました。
外界はもう真っ暗になっていました。道端で一休みし、ザウルスで犬鳴峠関連のサイトをもう一度チェックしてみました。
犬鳴峠の名の由来は、昔からの難所で犬も道に迷うほどだということからつけられた、という説があるそうです。
かつてトンネルの付近でレイプされた女性が殺されて捨てられてたとか、トンネルの中に死体が捨てられてたとか、いろいろあるそうです。
いろいろ怪異があるのは「旧トンネル」だそうなので、もし本当に心霊現象に出会いたければ、どこかから横道を入って旧道を通らなければいけないのかもしれません。
それでもまあ、滅多にコケないぼくがコケて危ない目にあったのですから、
「いやー、あれはもしかしたら霊の仕業だったかもねえ」
と話の種になるということで良しとしましょう。めでたしめでたし。
危ない目にあったトンネルを引き返すのは、霊云々を別としてイヤだったのですが、そうもいかないのでまた自転車を押してトンネルを戻り、夜道を福岡市街まで戻りました。
晩飯は、アレキサンドル君が
「ここの豚骨ラーメンがうまいんだよ」
と教えてくれたラーメン屋「暫(しばらく)」でラーメン定食を食いました。
歯ごたえのある細麺で、おいしかったです。
アレキサンドル君の家に戻り、今日買ってきたマンガを読んでいると、深夜2時ころに主が帰って来ました。
「今日は一世一代の山場だったよ」
聞けば、地元の大物(ナントカ協会の理事長)の汚職を暴く記事を書き、本人に最後の取材をして、記事にすることを伝えてきたのだそうです。
「そりゃ本人は疑惑を認めてなんかいないけど、これまでの取材で出てきた問題点に対して明確な反論ができてないわけだから、記事としての説得力は十分なんだよ。まあ、新聞社がぼくの記事を載せるかどうかは、明日にならないとわかんないけどね。ああ疲れた」
ぼくが犬鳴峠でコケてきたことを話すと、彼は
「へえ。この部屋に変な霊とか持ってきてないよね
」
「ああ、大丈夫、大丈夫」
大丈夫な根拠などないのですが、大丈夫ではない根拠などさらにないので、ぼくはそう答えました。
アレキサンドル君は明日も9時30分に出勤です。
あしたのみそ汁は薄味にしようと思います。
マンガ読んで、溜まってる日記を打って、シャワー浴びて髭剃ったら、もう夕方。
戸締まりしっかりして、合鍵を郵便受けに放りこんで、ぼちぼち博多駅に行って、家族宛てに土産(芋焼酎、長浜ラーメン、おきゅうと、卵黄そうめん)を買って、ホットドッグを二本買って、カレー食って、バスに乗りました。
夜8時45分博多発、朝7時名古屋着。
車内では「釣りバカ日誌」のビデオをやっていました。江戸時代編でした。
夜10時頃に車内のカーテンが引かれ消灯。
よだれ対策に首にタオルかけて寝ました。
洗濯をし、車に乗ってアレキサンドル君への土産(市田柿、ゆべし、蜂の子など)を買って、靴屋で新しい靴を買いました。今履いてるのは四国を歩いたころのもので、かかとに穴が開いているのです。
新しい靴は、雨に備えてゴアテックス製にしました。
留守中に来てた郵便物をチェックしたり、コマゴマと片付け仕事をしていたらすぐに夜。
二カ月ぶりに家族と一緒に夕食を食いました。一口カツ、カツオとレタスのサラダ、蕗の煮物、などなど。飲んだのは一升瓶のイヅツワインとぼくが買ってきた芋焼酎。
「まあ、なにはともあれ、親としては無事でいてくれさえすればそれでよい」
と父は模範的なことを言っておりました。
「父さん、若い頃こんな旅したことある?」
「ない。してるお前を見ててもべつに羨ましくもない。ただ体には気をつけろといつも心配はしている」
はいはい。
京都で父を目撃したことについて彼は、
「そうか?全然気がつかなかった」
と言っておりました。
自宅に帰ったら遅れている分の日記をやっつけようとか、ザウルスが壊れていた頃のも片付けようとか、ホームページを少しは更新しようとか、いろいろ考えていたのですが、酒が効いて気持ち良くなってしまっていたので、ほとんど何も片付かないまま寝てしまいました。
明日は塩尻の交通安全センターに行って運転免許を更新し、その日の夕方名古屋に出て、夜行バスで福岡に戻ります。
申し込み書類を書き、手続きをするとき、
「交通安全協会へご協力いただいてよろしいですか」
と窓口のおばさんに訊かれました。はいと答えた場合、入会金だか寄付金だかを納めなければならないらしいのです。
他の人達は皆「はい」と答えて金を払い、会員証みたいなものをもらっているのですが、日ごろ「足型ストップマーク」や「飛び出し君」の観察を通じて交通安全協会というものの存在が気になっていたぼくは、窓口のおばさんに訊いてみました。
「そのお金払わないとどうなるんですか?」
「いえ、協力金ですから、払わなければどうこう、というものではありません」
「じゃあ、やめます」
「わかりました」
おばさんは別に気にとめる様子もなく、ただそう言っただけでした。
退屈な講習を二時間受け、昼前には新しい免許を受け取ることができました。
昼には飯田に戻って家族と回転寿司を食いに行き、バスの時刻までの間ゴチャゴチャした仕事を片付けました。
夕方、姉にバスセンターまで送ってもらい、名古屋に出て、無事8時45分発の福岡行きの高速バスに乗りました。
ぼくの席は給水機やトイレのある場所のすぐ近くだったので、ラッキーでした。
バスは高井戸パーキングエリアで小休止した後、消灯となりました。
地下鉄と電車を乗り継いで太宰府市に行きました。
ここでは天満宮や政庁跡の他に、竈門(かまど)神社やその裏の宝満山にも行きたいと考えています。
市内には運賃100円のバスも運行されていましたが、ダイヤに縛られるのが嫌だったのでレンタサイクルを借りました。根性で福岡まで自転車で来たぼくが、自転車を借りるなんて。
500円払って出て来たのはサドルの低いお買物用自転車、いわゆる「ままちゃり」で、マウンテン(風)バイクに乗り慣れたぼくにとっては、かなり乗りにくい代物でした。
ギヤの切り替えもないし、前籠にでっかくレンタサイクルのマークがついてて格好悪いし。
そのかわり、ブレーキの効きは最高でした。
「ああ、これが本来の自転車のブレーキだったんだなあ」
としみじみしてしまいました。ぼくの自転車も早いとこシューを交換せねば。
まず、駅からすぐ近くの太宰府天満宮へお参り。修学旅行の小中学生やら、遠足の幼稚園児やらで賑わっていました。
今日のぼくのテーマソングは、さだまさしの「飛梅」。
「しんじ〜池にかかる〜、みっつの赤い橋は〜、一つめが過去でえ〜、二つ目があ〜、いま」
と口ずさみながら1円玉を投げて手を合わせ、
「ウソ鳥おみくじ」(300円)をひきました。
ウソ鳥は太宰府天満宮の民芸品で、正月に参拝者どうしがウソ鳥を交換すると、その年ついた嘘が誠に取り替えられる、といわれているそうです。
ウソ鳥おみくじの結果は吉だったんですが、これはウソなのでしょうか、マコトなのでしょうか。
宝物館(300円)では、押し花展をやっており、押し花で描いた北野天神絵巻なんぞが飾られておりました。TVチャンピオンの押し花選手権出場者の作品なんてのも展示されており、なかなかたいしたものだったのでゆっくり観ていたかったのですが、狭い展示会場は押し花ファンのおばさんたちの巣窟と化しており、居心地悪いのでさっさと出てきてしまいました。
梅ケ枝餅を三つ食いながら心字池を葉書に描き、次に宝満山へ向かいました。
宝満山は太宰府の鬼門封じの山で、江戸時代までは天台修験が盛んだったと言いますから、要するに京都における比叡山と同じ役割の山だったわけです。
最澄が唐に渡る際、航海の無事を祈願したという洞窟もあるそうです。
山のふもとに竈門(かまど)神社というのがありました。
御祭神は玉依姫(たまよりひめ)で、縁結びの神様だそうです。玉依姫は海の神様の娘で、東征で有名な神武天皇のお母さんです。
宝満山の頂上付近には、玉依姫のお墓があるのだとか。
竈門神社には、京都清水寺の地主神社と同じように、目をつぶって石から石へとたどり着けば恋が成就するという「愛敬の石」というのがありました。
清水寺の石ほど離れてないし、障害物となる参拝客もいませんから、どうせ占うのならこっちでやったほうが確実です。
社務所で登山マップをもらい、登り始めました。けっこう多くの登山客とすれちがいます。
江戸時代までは、比叡山みたいに数多くの寺が山の中に立ち並んでいたそうですが、今では「中宮跡」「ナントカ坊跡」と、跡ばかりです。
竈門神社の名の由来となった「かまど岩」というのが八合目付近にありました。三つの岩があるらしいのですが、どれとどれとどれをもって三つと数えるのか、よくわかりませんでした。
山頂には竈門神社の奥宮がありました。岩の上にのぼって眼下を見下ろしましたが、真っ白い雲に隠れて何も見えませんでした。
鎖を伝って急な岩場を下り、馬の背をわたってすぐとなりの仏頂山に足を伸ばすと、霧に包まれぽつぽつと雨が降ってきました。
慌てて山を下り、自転車に戻って観音寺、戒壇院、太宰府政庁跡、水城をざっと見学。
メソメソドキの路地を通って駅に戻る途中、小さな地蔵堂に赤い提灯が灯っていたのでふらりと寄ってみました。
ここは「旭地蔵」といい、昔近くのお寺にいた湛慧という坊さんのお墓だそうです。
湛慧さんは太宰府天満宮の正月の行事「鬼すべ」で、煙りにいぶされる鬼の役をさせられたことをネに持ち、鬱にハマった末に自分で穴を掘って閉じこもり、五穀絶ちして即身成仏してしまったのだそうです。
すごい奴なんだか、ただ気の小さい奴なんだか、よくわからんな。
太宰府はこれにて終了、ということで、電車で天神まで戻りました。
目的の映画館へ行くと、上映最終日のせいか、けっこう混んでいました。
映画観ながら晩飯を食おうと、寿司やら焼きそばパンやらを近くのダイエーで買い込んでいったのですが、ニオイのきつい焼きそばパンなんか食べてたら、たぶんヒンシュクものだったでしょう。
ついつい発泡酒を飲んでしまったのですが、音をたてずにゲップを漏らすのが一苦労でした。
それでも、すぐとなりの客が酒を飲んでいるというのは嫌なものかもしれません。隣の席の兄ちゃんが居心地悪そうにしていたのは気のせいでしょうか。
映画は、ホモのカップルの間に子作り願望の女が割り込んで、同棲を目指しゴタゴタするというものでした。
大感動!とか大爆笑!とかいうものではありませんが、日本映画のわりにはわざとらしいウケ狙いが少なくて、見やすかったです。
アレキサンドル君のアパートに帰って、二人で西新のラーメン屋「暫」に行き、家に帰ってビールと日本酒を少し飲みました。
ふと新聞を見て、柳屋小さんが死んだことを知りました。ついにあの人もか。志ん朝の後を追うように、というと失礼かもしれないけど。
次は誰だろ。桂文治か春風亭柳昇あたり、来そうじゃないかな。え、米丸?あれはどうでもいいなあ。
部屋に帰ったのは午後3時。本当は今日、旅にもどるつもりだったのですが、面倒臭くなったのでもう一泊させてもらうことにしました。
アレキサンドル君は家で仕事をするとのことだったので、ぼくはこのまえ行きそびれた市立博物館へ行きました。「漢委奴国王」の金印の実物があることで有名な博物館です。常設展は200円でした。
金印は、ちっぽけなもので、よくもまあこんなものが今まで残っていたものだと感心します。
すこし滑稽だったのは、博多の地下の断面を展示しているコーナーです。ビデオに「土の精」を自称するおばさんが登場してくるのですが、その人が頭に丸い耳をつけた銀色の全身タイツで身を包んでいるのです。
たぶんモグラをイメージしているんでしょうが、かなりカッコ悪い。下腹が少しぽっこりしてるし。
他のコーナーがいたって真面目なだけに、おばさんだけが一人浮いていて涙を誘いました。
部門展示のコーナーでは、能面特集などをやっていて、かなり面白そうだったのですが、先のコーナーのビデオを逐一観ていたら、あっというまに閉館時間になってしまい、ほとんど観る暇がありませんでした。
アパートに戻り、仕事に一息入れるアレキサンドル君と天神の「美美(びみ)」という喫茶店に行きました。
狭くて薄暗い店内。
松本零士みたいな帽子をかぶったマスター。
コーヒー以外のメニューは何も載っていない、木製の表紙のちっちゃなメニュー表。
なるほどねえ。
「ぼくはこれまでコーヒーはさして大好きってわけじゃなかったんだけど、ここのコーヒーを飲んでからは、コーヒーを飲まなきゃ生きていけない体になったね。ここの『趣味』ってネーミングのブレンドコーヒーが最高なんだよ」
とのことだったので、ぼくはそれを飲んでみました(600円)。味は、かなり濃厚でした。確かに、複雑な味というか、ただの苦みだけじゃなくて、いろんな味が混ざってるなということは感じました(全てインスタントやファミレスのコーヒーと比較しての印象ですが)。
考えてみるとコーヒーって、アフリカとか南アメリカとか、地球上でもかなりシビアな場所で作られてる作物ですね。
コーヒーの苦みは作ってる人達の苦みなのかな。お、俺ってカッコいいこと言うな。
埼玉県川越市産のコーヒーってのがあったら、のんびりした味がしておいしそう(偏見)。
次にアレキサンドル君が頼んでくれたのが、同じコーヒーをベースにしたカフェオレみたいなやつ。
冷えたコーヒーの上にミルクがたっぷり浮いていました。こっちは砂糖が初めから入っていて、飲み易かったです。
こういう専門店に来ると、コーヒーにミルクや砂糖を入れるのに勇気がいります。最初からたっぷり入っててくれると
「あ、やっぱこれくらい入れてもいいんだ」
と安心します。
もうすでに50回近くこの店に通っているアレキサンドル君なので、もちろんマスターとはなじみになっています。
会計のとき、マスターがアレキサンドル君に声をかけました。
「これから呑みにおでかけですか」
「いえ、今日は家で作ろうかと。彼、友達で長野から自転車で来てるんです。福岡でおいしいお店に連れてってるんですよ」
「うちがその一つですか。そりゃどうもありがとうございます」
うう、こういう店で自分のことを目の前で会話されると、すごく尻がかゆくなるなあ。
「今夜の夕食はぼくが作るから、君はなにもしないでいいよ」
アレキサンドル君はそう言って、アパートの近くのスーパーで、食材を買い込みました。
トマト、卵、骨付きラム肉。シャンプーも買っていましたが、どんな料理になるのでしょう(わざとらしい)。
料理に腕を振るう彼の隣で、ぼくは洗い物に専念しました。
「助かるよ。ぼくは料理作って食べるのは大好きなんだけど、洗い物が大嫌いなんだ。自分じゃほとんど洗わないから、お客さんが来ないと洗い物がどんどん溜まってく」
あっと言う間に料理が三品出て来ました。
一品めは骨付きラムを焼いたやつ。
二品めはトマトと卵を胡麻油で炒めた「西紅柿炒鶏蛋」。北京の家庭料理だそうです。
三品目はタマネギ、ニンジン、肉の四川風炒め。
文部大臣を辞めた後は、三重の山中で料理屋を開くという人生設計を持っている男だけあって、どれもうまかったです。
福岡で彼に案内された店で食べたどのメニューより、おいしかったような気がします。いや、お世辞じゃなくて。
「いずれにしても、何かをとことんやってみることだよね。イマイ君は絵が好きなら、それをとことんやってみたら。日本一周旅行は誰でもやってるけど、絵ってのはその人のオリジナルだからね。
他にも『ふれあい』のつく公共施設とか、道路の足型とか、視点もユニークなんだから、そういうのを極めてくのもいいんじゃない。
『ふれあい』の言葉の裏側にある行政の論理とか、足型を巡る業者と行政の癒着とか、そういうの絶対あるよ。それを突き詰めて行けば立派な社会学だよね。
まあ、こういうのはジャーナリズムにいる立場の人間の考え方だけど」
「うーん、談合とか、社会の悪とかは別に興味ないんだよな。基本的に、『大まじめなマヌケ』をあざ笑いたいだけだからなー。足型マークを巡って談合とかあるんなら、それ自体かなりマヌケで面白いけど。
俺ってさ、何かひとつをとことんやったって実感がこれまでないんだよね。そりゃまあ、それなりに頑張ったってことはあるけど、人生かけて必死になったなんてことないし。
結果的に振り返ってみて、『そういえば、普通の人よりは少し頑張ったかな』って思う程度なんだよね。
だから何で食っていけばいいのか、そこんとこがよくわかんない。今回の旅だって、具体的にこの旅をどう次の仕事に生かそうとか、金にしようとかなんて、考えてないからな」
「イマイ君の日記は面白いし、けっこうぼくはそれ読んで癒されてるから、ぼくのコーヒー代くらいの経済効果あるよ」
「経済効果なんて尺度を持ち込むと、そういう表現になるよね」
その夜はアレキサンドル君は仕事、ぼくはなかなか追いつかない日記打ちに専念しました。
あしたには再び野宿旅を再開するつもりです。
慣れない作業に時間をかけていると、近所のおばさんがやってきました。
「何かトラブル?」
「いえ、ブレーキ交換を」
「あらまあ。ブレーキは一番大切だもんねえ。どちらから」
「長野から」
「ンまあ。あたし長野に親戚がいるのよ。黒部に近い方だけど」
「そうですか
」
「これからどちらへ」
「まあ、いわゆる日本一周ってやつで」
「ンまあ。若さねえ。失礼じゃなかったら、これで冷たいものでも食べて」
と千円札。
「いえ、そんな」
「カンパカンパ。頑張ってね」
「あ、ありがとうございます」
この旅初めてのお接待でいきなり札が来たぞ。もしかして、福岡っていいところかも!?
ありがたくいただいた千円札。すぐに財布に入れるのも抵抗あったんで、とりあえすポケットに入れて出発しました。
ブレーキはなかなか調子いい。おとといのレンタサイクルほどじゃないけど。
途中海岸の公園で小休止し、これからの梅雨に備えてレインウエアに防水スプレーをしました。大阪で買った、湿気を通すゴアテックス専用のスプレーです。
レインウエアの説明書には、「ゴアテックスの防水、透湿性は半永久的です」
と書かれていたのに、専用防水スプレーが売られていて、それをまた買ってしまうなんて、なんだか悔しいのではありますが。
4時ごろに佐賀県に入りました。佐賀県が福岡県の隣にあることを、一体何人の本州人が知っているでしょうか。みんな知ってるのかな。
九州って、どこに何県があるんだか、ぼくにはどうもよくわからん。ぼくの場合、「あのへんだな」って頭に浮かぶのは鹿児島県だけです。
海岸線を走り、虹の松原という松林の中を抜けて、唐津市に入りました。
福岡みたいな大都市より、この程度の田舎町の方が安心します。
アレキサンドル君おすすめの「宮田松露饅頭本舗」で松露饅頭を食ってお茶を飲みました。
松露饅頭はまん丸い生地の中に餡が入っていて、虹ノ松原に生えるキノコ「松露」に似せたお菓子とのことです。ぼくは以前、ドラ焼きを丸くしたような「鈴カステラ」というのを食ったことがありますが、味も形もそれに似ていました。
食材と灯油を買い、今夜は道端のあずまやの下でテントを建てます。
晩飯は、ブロッコリーとニンジンとソーセージのスープ、そしてもう一品、鳥肉とキュウリのバンバンジーです。
調味料として胡麻油とポン酢を買い足してしまいました。
酒は、「さつま白波黒麹づくり」とかいう芋焼酎。芋焼酎をちびちびラッパのみしてると、九州に来たという実感が、今頃になって湧いてきます。
天気がいいので気持ち良く走ります。途中「神立岩」「七つ釜」など、海岸沿いに柱状節理の奇岩がありました。
神立岩はでっかく尖った岩が海岸にそびえているもので、その下にちょっとした洞窟があり、石仏などが安置されているのですが、どれも砂岩でできていて、それが風化によって不気味なのっぺらぼうと化していて面白かったです。
また、隅の方に絵馬のような木片があったので何気なく拾い上げてみると、黄色いペンキを塗った板に、何やら詩のようなものが書き連ねているのでした。板が割れていたので文章は断片的にしか分かりませんでしたが、
ときを越えなんじゃこりゃ?
この地を輝
朝日が
風が運ぶ
思い出の街
あの人に伝えて
元気ですよって
次に行ったのは七ツ釜。
ここはもう、海岸全部が玄武岩の柱状節理の塊で、機械からひねり出されてくるひき肉みたいな岩が、崖と化しているのです。岩が波に削られていくつもの洞穴ができており、中に巣があるらしくトンビが出入りしておりました。なかなか壮観な観光地でした。
次に通った呼子町には、加部島という橋で渡れる島があり、そこに「望夫石」という前述の佐用姫の化石があるのですが、ついつい通り過ぎてしまって見損ねてしまいました。もったいない。
秀吉が朝鮮出兵のために築いたという名護屋城跡を通り過ぎ、玄海町のマイヅルとかいうCGCグループのスーパーで買物し、隣のコジャレたコインランドリーで充電がてら日記を打ち、今日は近くの運動公園その名も「いこいの広場」のゲートボール場のわきの芝生にテントを張りました。
すぐ向こうは湾の堤防です。車もなく静かです。武道場では剣道クラブの子供たちが奇声を上げています。
今日の晩飯はスパゲティ。ソーセージ、ニンジン、シメジといっしょに炒めます。
スーパーで「アミの塩辛」というのを売っていたので、面白半分に買ってみました。塩辛というか、ちっっちゃなエビの塩漬けです。
それをキュウリにのっけてかじり、芋焼酎のつまみにしました。
とりあえず伊万里市に向かって国道204号を南下します。
玄海町の隣の肥前町に入ると、
「『ピーターパンの花と冒険の島』こちら」
という標識が出てきました。昨日パンフレットでちらと見たのですが、かなりアホそうなうえに入場無料とのことだったので、行ってみることにしました。
「花と冒険の島」は肥前町の大浦浜というところにある無人島でした。
このあたりはいろは島といって、入江の向こうに餡まんみたいな小島がぽこぽこ浮かんでいます。
弘法大師がここにやってきたとき、景色のあまりの美しさに筆を投げ出し、しばし休息したそうな。たくさんの島があるので、それをいろは48文字になぞらえていろは島と命名したそうな。
「花と冒険の島」は、そんな半農半漁の典型的な日本の風景の中にありました。
なんでこんなところでピーターパンなのかと疑問に思うのですが、その疑問に対する答えらしきものは、パンフレットに記された
「いろは島の美しい景観を背景に、豊かな緑に包まれたこの島は、『童話ピーターパン』に出てくる夢と冒険の島・ネバーランドを思わせます。」
の一節だけです。ぼくはあんまりこの風景にネバーランドを思わないんだけど。弘法大師も、自分が愛でたこの島が、知らぬ間にネバーランドと化していては、呆気にとられて筆を投げるかもしれません。
国民宿舎「いろは島」の裏から、その名も「妖精の橋」を渡って上陸します。
白い砂浜に緑の芝生、そしてお城の形をしたトイレ。なんだかわくわくします。
島の中は要するにアスレチックみたいな遊具がおかれており、それぞれに
「ウエンディの家」「ピーターパンの隠れ家」「海賊の丘」
などと名付けられ、遊具もそうしたストーリーになぞらえた形をしているわけです。「ウエンディの家」はローラースライダーになっており、滑り台の上を薄汚れたウエンディやピーターパン(の人形)が飛んでいました。
「ピーターパンのかくれが」では、木の根っこの家の中で、あぐらをかいたピーターパンをウエンディたちがとりかこみ、その様子を窓の外からフック船長が覗いていました。
「インディアンの岬」では、無残に破れたテントのかたわらで、インディアンの酋長とその娘(の人形)が途方にくれた表情で立っておりました。
伊万里中心部に入ると、橋の欄干に派手な壷が乗っかっていたり、店にはがらがらと茶碗がまとめ売りされていたりで、
「なるほどこれが陶器の街か」
と納得させられます。この街で陶磁器のことを「瀬戸物」って呼んだら住民に殴られるかな。
とりあえず様子見に立ち寄った伊万里駅はちいさなプレハブ小屋だし(改築中らしい)、買物によった駅前のダイエーは、店内が妙にがらんとしていて寂しいなと思ったら、5月26日に閉店するとかで売りつくしセールの真っ最中だし、ところどころつぶれたパチンコ屋が目立つし。
というわけで、商業的にはかなりさびれた印象の街でした。
今夜は、近くの運動公園のトイレで水を補給した後、つぶれたジーンズショップの軒下でテントを張りました。
晩飯のおかずは15個入りを98円で売っていたギョウザ。
コッヘルで焼いてみましたが焦げて張り付いてしまいました。急遽残りのギョウザを水餃子に変更したら、皮が崩れてぐずぐずになってしまいました。
もう、やんなっちゃう。
あしたは天気が悪いらしい。
えーと、あしたは平戸方面に向かおうかな。
広域地図を持っていないので、わけが分かっていないのですが、とりあえず平戸を目指して進むことにしました。
平戸って、長崎県だっけ。
途中の公園トイレでウンコして、歯を磨いていると雨が降ってきましたので、レインウエアに身を固めました。
今回は防水スプレーもしてあるし、靴もゴアテックスの新品だから、かなり快適のはずです。
途中、伊万里市の港付近に、廃墟を見つけました。蔦だらけの外観に誘われて、侵入してみました。雰囲気的には毒ガス島の発電所跡に似ています。
食パンをむしゃむしゃ食いながら内部をさまよってみました。なにかの工場だったらしく、
「いつも点検、ぜったい安全」
などというペンキ書きの標語が、崩れかけたコンクリートの柱に残っています。天井は黒い黴がびっしりとまだら模様を作っています。
奥に進むと、吹き抜けになった広い作業場がありました。造船所の跡地でしょうか。
廃墟の中に潅木がしげり、怪しい植物園みたいです。窓枠がとれ、蔦に縁取られた高い窓。そこから光が入っています。
しばし世界に浸った後、しばらく走って道端の休憩所で昼飯(といってももう3時)のラーメンを食い、松浦市に入りました。もう長崎県です。
松浦市にはカッパのミイラを家宝にしている酒蔵があるということで、看板も出ていたのですが、結局どこにあるのかわからぬまま通過してしまいました。
平戸大橋を渡ったのは6時ころ。軽車両は10円かかると看板に出ていたので、財布を引っ張り出そうともたもたしていたら、料金所のおばちゃんが
「行っていいよ」
と言ってくれました。
今まで知らなかったんですが、平戸って島だったんですね。明日は平戸を一周しよう。
7時になっても、あたりはまだ明るい。
街で一番でかそうなスーパーに寄りました。ふつーのスーパーなのですが、さすがお魚コーナーが充実しています。
菱形のカニやらエイのぶつ切りやらくじらの刺し身肉やら。生のクラゲが一匹まるごとパックに入って売られていましたが、いったいどうやって食うんだろう。
シャコが一パック百円だったので、ついつい買ってしまいました。それから、あんこう。これも二百いくらで安かったのです。みそ汁にするとよいと、パックに書いてありました。
今夜のねぐらは亀岡城の東屋です。ゴアテックスの新品の靴のおかげで、靴下はほとんど濡れませんでした。それだけでも、気分的にかなり楽です。
飯を炊き終わり、さてアンコウのみそ汁を作ろうという段になって、アンコウが行方不明になっていることに気づきました。
テントの中や外を捜し回りましたが、みあたりません。野良猫に奪われたか、それともスーパーに忘れてきたか。いぜれにせよすごく悔しかったです。
今夜のおかずは、キャベツとニンジンのみそ汁と、シャコです。
シャコってエビと比べて見た目がかなりグロテスクですね。ハサミもカマキリの鎌みたいでこわいし。殻をはがすときトゲが刺さりそうだし。一パックに六匹くらい入っていましたが、全然食いでがありませんでした。百円じゃしょうがないけど。
殻がするりとはがれないので、半分だけはがして、醤油をつけて、口ですするようにして身を食ったのですが、なんだかスポンジで醤油を飲んでる気分でした。
手がベトベトになり、テントの中が生臭くなりました。
いずれ煮魚なんかもやってみたいのですが、どうやって作ればいいんだろ。
誰か簡単に作るこつを教えてください。