日本2/3周日記(宮古) 南西諸島だらだら編(宮古)

7月31日(水)雨 タコ展望台で晒しもの

 朝方から雨が降りだしました。止んだ隙を見計らってテントを畳んで、近くの公園の東屋に移動しました。はじめからそっちで寝ればよかったのだ。
 日記を打って、それでも少しは走ろうかと、市役所目指して走りだしたのですが、ひどい土砂降り。
 どうにか市役所の5階でパンフをもらい、それを頼りに島一周へ。
 平良市の中心部では、宮古島を作ったコイカクという男の神様が、妻のコイタマをともなって降臨したという漲水御嶽を見物。
 鳥居があって「おさいせん箱」があって、ほとんど神社と変わりありません。、
 お墓巡りとしては、仲宗根豊見親という昔の島の支配者のお墓や、中国大陸から戦乱を逃れてきた人達のものではないかと言われる巨石墓「久松ミャーカ」を見物。
 
 途中のゲートボール場の東屋で少し昼寝してレトルトカレーを作って食い、大きな橋を渡って来間島(くりまじま)へ。
 小さな集落のほかにはサトウキビ畑しかない島でしたが、竜宮城展望台やタコ展望台などは少し滑稽でした。
タコ展望台
タコ展望台

 今日はそのタコ展望台にテントを建てました。
 遊歩道のどんづまりだから誰も来ないだろうと思っていたら、夜中に子供たちが懐中電灯を持ってやってきて、
「何これ、タコだ」
「あ、テントがある」
「どうやら、中で寝てそうだ」
と、しきりにぼくのテントにライトをあてます。
 テントの中にいる者にとっては、懐中電灯の光はやたらまぶしくて迷惑なのですが、公共施設を不当に占拠している者が文句を言うわけにもいかず、ひたすら寝たふりを決め込んでおりました。
 さらに難儀だったのは、彼らが去った後に雨まじりの風が急に強くなったこと。今日は強風注意報が出ていたのでした。
 タコ展望台は海を見下ろす崖の上にあり、風に煽られてテントがぶっこわれそうだったので、あわててポールを抜き、ぺしゃんこになったテントにくるまって寝ました。

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8月1日(木)晴のち曇 可愛いぞオカヤドカリ

 雨や風にさらされて、寝たのか寝ないのかよくわからないままに朝を迎えました。
 強風の中どうにかテントやシートを畳み、来間大橋を渡ったたもとの東屋に移動して、朝飯。初めからこっちで寝ればよかったのだ。
 朝飯はちゃんと米を炊いて、おかずはてびち汁。スーパーで売っていたレトルトの豚足の煮込み汁です。
 豚足というものは、学生時代に闇鍋で食い、「なんじゃこりゃあああ」と腹を立てた思い出がありますが、じっくり煮込んだ豚足は肉も皮もとろとろで、おいしかったです。
 安い民宿を泊まり歩くより、自炊した方がよほど地元ならではのものが食えるのではなかろうかと思います。
 
 今日まず寄ったのは上比屋山(ういぴゃーやま)遺跡。ここはなんでも倭寇の根城の一つだったのではないかといわれているそうで、出土する大量の中国陶磁器は略奪品だったのではないかといわれているそうな。
 舗装道路から狭い山道を上らねばならず、上っていったら草ぼうぼうで道が消えていたので、やむなく引き返してきました。
 遺跡は見られませんでしたが、そのかわり道の途中でオカヤドカリを拾いました。
 背負ってる貝殻を含めて10センチくらいの大きいヤドカリが、山道をひょこひょこ歩いていたのです。
オカヤドカリ
オカヤドカリ

 うれしくなってつまみあげると、さっと貝の中に引っ込んで、ハサミと爪で器用に蓋をします。
 海辺のヤドカリより警戒心が強く、なかなか顔を出さないので、帽子にほうり込んで歩いていくと、ようやく業を煮やしてそろそろと顔を出し、逃げ出そうとするのでした。
 ヒゲをひくひくさせながら、そろりそろりと顔を出すその仕草がとても可愛らしく、連れて帰りたくなりましたが、天然記念物だし飼えるはずもないので元の場所に逃がしてやりました。
 手乗りヤドカリに飼い馴らして、肩にとまらせて旅の話し相手にできたらいいのにな。
 
 海岸沿いの道を走り、保良川ビーチというところで海水浴。ファミリーに混じって一人で遊ぶのにもだいぶ慣れました。
 水中メガネをつけて泳ぐのは竹富島以来ですが、今度は魚がたくさん見えました。カワハギとか、その他名も知らぬ小さな色つきの魚がすぐ手の届くところで泳いでいるのです。ビュンッとぼくの足に体当たりしてくる魚もいます。
 サンゴも、岩のところどころにくっついているのが見えました。岩の裂け目にはウニが見えました。
 スキューバダイビングなんてしなくても、これくらい魚が見られればぼくとしては満足です。
 レトロな木製メガネは、すぐに浸水するので水面に顔を出して水を抜かなければなりませんが。
 有料のシャワーなど使うはずもなく、近くの水道でざっと体をゆすいで、パンツが乾くまでの間絵葉書を描いて過ごしました。
 宮古島はサンゴ礁が隆起してできた島なので、海岸が断崖絶壁になっていて、けっこう迫力あるのです。
 水泳の授業の後みたいに、眠気が襲って来て大変でした。
 
 夕方、島の東端の東平安名岬まで行きました。
 マムヤとかいう悲劇の美女(島の領主の愛人になったが、領主が結局女房の元に戻ってしまったので悲観して自殺した)の墓を見て、灯台を拝み、城辺町の農協で買い物して、道端の空き地をねぐらと定めました。
 自転車を降りてすぐ、すきっ腹に発泡酒を流しこんでしまったのが災いして、少しもーろーとしながらテントを建てるはめになりました。
 地面が砂利ばかりで、ペグが打ち込みにくく苦労しました。
 晩飯は鶏のハツとブロッコリーのスープ。ごはんを炊くのは明日の朝にして、トーストを二枚ほど焼いて食いました。
 三日前に買った泡盛の600ccのビンがもう空になってしまいました。
 今回の旅、泡盛の瓶を何本空けたことやら。
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8月2日(金)曇ときどき雨 ムー帝国の入れ墨?

 夜から朝にかけて雨が降り、一時は浸水してきそうな勢いの強い雨でしたが、なんとか無事にやり過ごしました。
 ゆうべから水に浸けておいた米を炊き、残りのハツとブロッコリーを炒めました。
 鶏のハツ(心臓)は、一パックに30個くらい入って140円ですから安くてありがたいのですが、それはつまり鶏30羽分ということなので、コロコロしたハツを噛むたびに、お肉になった鶏さんの怨念が舌に沁みます。
 
 今日は再び平良市内に入って、総合博物館を見物しました。300円。
 宮古島の主な民俗行事のビデオが流されていて、勉強になりました。画質は最低でしたけれど。
 この島で有名な民俗行事といえば、パーントゥ。集落の若者が怪しい面をかぶり、体中に泥だらけのツタ(?)の葉っぱをつけて神様に扮し、村中を徘徊して人々に臭い泥を塗りたくるという来訪神です。
 パーントゥの語の意味が「化け物」であるというのももっともで、はたから見ると妖怪としか思えない姿です。
 それから、行事ではありませんが、面白かったのは「針突き」、すなわち沖縄伝統の入れ墨のビデオです。
 明治時代に禁止されて、たぶん今では針突きしている人で生きている人はいないのでしょうが、ビデオには90歳とか100歳のおばあさんが出てきて、しわくちゃの腕に刻まれたいろいろな模様を披露していました。
 入れ墨といっても、もちろん唐獅子牡丹などではなくて、ムー帝国文字みたいな幾何学模様です。「はさみ」とか「槍」とか「六つの星」とか。
 ビデオのおばあさんは、
「お姉さんたちがやれと言うので、13歳ころにやってもらった。あの世への土産になると思った。手の甲は専門の人に、腕の部分は自分で突いた」
などと語っておりました。
 針突きは女性だけの風習だったようですが、つい100年前までは女性が自分で突いたり互いに突きっこしたりしていたとは、今からは想像しにくい世界です。
 
 博物館を見物した後は、近くの熱帯植物園の東屋で蚊に食われながら日記打ち。
 「南国美術館」なるものが併設されていて、マコンデやアボリジニみたいなのが展示されているのかな、と少し興味を持ちましたが、入場料が600円だったので入りませんでした。
 北上してパーントゥの里、島尻にちょろりと目を通しました。
 行事は神秘的でも、集落は四角い家が立ち並ぶフツーの集落で、どうちゅうことはありませんでした。
 
 次に、風力発電の白い風車が目立つ東平安名岬へ。泡立てすぎたメレンゲみたいな岩に覆われた岬です。
 池間島へ続く池間大橋を渡ろうと、岬から引き返す途中に、馬がいました。たぶん、宮古馬とかいう、昔ながらの馬です。
 写真を撮っているとそばへ寄ってきて、柵から首を伸ばして路肩の草を食おうとするので、ぼくも少し草をちぎって差し出してやると、伏し目のままもしゃもしゃと食べました。
 そこへ、後ろに息子を乗せた40過ぎくらいのおじさんがやってきました。
 真っ黒く日焼けして、いかにも宮古人です。
 別に牧場主でもなさそうなのですが、ぼくのところにやってきていろいろお喋りしてきました。
「バイクじゃなくて自転車で旅してるのは何かポリシーがあるの?」
「バイクの免許持ってないんで…」
「あっはっは、その理由は最高だな」
おじさんはずいぶんウケていました。
「これから八重山?」
「いえ、石垣から戻ってきたところです」
「どう、宮古と石垣、どう違う?」
「うーん。石垣の方がガラ悪いですね、若者が。トイレとか町中の落書きが多いですよ」
「あなた独身でしょ?結婚したらこんなことさせてもらえないもんね。うちの息子にも旅にでも出ろって言ってるんだけど、なかなか」
と言いながら、傍らの男の子の頭を撫でます。たぶんまだ小学生です。
「いい思い出作ってね」
「はい、ありがとうございます」
 
 おっちゃんと別れて、今夜は池間大橋のたもとの休憩所にテントを張りました。トイレも近くにあります。
池間大橋のたもとにて
池間大橋のたもとにて

 晩飯はレトルトカレーとブロッコリースープ。
 調理のとき、池間大橋をバックに自分の写真を撮ったら、ストーブの炎とバックの夕空がなかなかかっこ良く撮れました。
 明日は、宮古島の北端にある池間島をさくっと回って、島尻港から大神島(おおがみじま)へ行くつもりです。
 大神島はちっちゃな島なのですが、兎谷助教授によれば、たいへんに神聖な島で、よそものを非常に警戒する意識が強く、拝所が多いのでみだりに島内を歩いてはいかんとか、とにかくスゴイ島だといわれているそうな。
 そう言われると、なにがどれほどすごいんじゃい、島に足を踏み入れたとたんぼくも神懸かっちゃったりするんかいな、と興味が涌くので、ちょっくらひやかしに行ってみようという魂胆なのです。
 
 昨日泡盛を切らしてしまったので、今日は禁酒日です。
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8月3日(土)曇 聖なる島の飯田人

 朝飯はラーメンだったかな。
 風が強い中テントを畳み、池間大橋を渡って池間島をさくっと一周。
 島の先っぽには灯台がありましたが、あまりロケーションがよくありませんでした。
 
 島尻に戻って小さな漁港に行くと、大神島への渡し舟が一日数便あることがわかりました。
 この次は10時半の出航だそうで、一時間ほど余裕がありました。
 大神島は港のすぐ目の前に見えています。小高い山が海から顔を出している、宮古では珍しく三角形の島影です。
 ぼくのほかにもおばあさんが一人、船を待っていました。
「ヤマトからかね」
と訊かれて、少し話をしました。大神島が何がどう神聖なのか聞き出したいとも思いましたが、あまり根掘り葉掘り訊くのも嫌だったので、ほとんど島のことについては話題にしませんでした。
 ぼくとおばあさんが船を待っているところへ、旅行者らしい男の人が車でやってきました。
「車はこの辺に停めといていいですかね」
30後半くらいの、きさくな雰囲気の男性です。
 きさく氏(仮名)もおばあさんに訊いていました。
「大神島は神様の島だって聞きましたけど、入っちゃいけない場所とかあるんですか」
「うん、あるよ」
「注連縄とか張ってあるんですか」
「ないね、そんなのは」
「はあ」
注連縄も立て札もないんじゃ、入っていいのか悪いのかわからないじゃないか。
 だからそうした暗黙の約束事をわきまえていないよそ者は、島になるべく来てくれるな、ということなのかな。
 大神島は小さな島なので、自転車やリュックは港の東屋の軒下にチェーンでくくりつけておくことにしました。
「大丈夫かね、雨に濡れるよ」
とおばあさんやきさく氏が心配してくれましたが、カバーもかけてあるし、良しとしました。
 
 船賃は往復670円。ただ、島から乗る場合はもっと安くなるようです。住民と外来者では料金が違うわけです。
 往復の船賃を払っても帰りのチケットはなく、係の人が乗客の顔を覚えておくという方式のようでした。小さな島ならではです。
 
 面白かったのは、船内に貼られた荷物の運賃表。
大根10キロ70円、
空き缶1ケース30円、
コーラ1ケース50円、
トタン板1枚100円、
などなど、運賃が具体的にこと細かく決められているのです(金額はうろ覚え)。
 一番単価が高かったのが豚(大)の1600円で、山羊はその半額でした。
 
 波をけたてて船は島の港に入りました。連絡船のほかには、漁船が二隻ほど泊まっているだけです。
「どうですか、一緒に回りません?」
ときさく氏が誘ってくれたので、連れ立って歩くことにしました。
「とりあえず、山のてっぺんまで行ってみたいですよね」
きさく氏は船で一緒になった小学生の女の子たちに
「山の頂上に行くにはどういけばいいのかな?」
と尋ねました。女の子たちは
「あの道を曲がって…」
などと教えてくれましたが、結局
「連れてってあげる」
ということになりました。
「悪いねえ」
「すぐ近くだから」
きさく氏はなかなか子供の扱いに慣れているようです。学習塾でもやっているのではなかろうか。子供に対して威圧的ではないので、教師ではなさそうですが。
 きさく氏は子供相手に情報収集に余念がありません。
「この島ってさあ、神様の島だって聞いたけど、入っちゃいけないところはあるの?ここに入ると祟りがある、とかさ」
「ないよ」
子供なんてのはいいかげんなもので。
「えっ、ないの。あらそう。この島ってさ、歩いて一周できるのかな」
「ううん」
「そうか、無理なのかあ。君たちは島の子?それとも宮古から遊びに来たの?」
いろいろ話しかけるきさく氏と、はにかみながらぽつぽつ答える女の子たちの様子を、わきで見ているのもなかなか楽しい。
「特異な信仰の島」
というから、竹富島並に昔ながらの家並が残っているのかと思ったら、ほとんどの家は四角いコンクリート製で、瓦屋根の家は三軒ほど。家の総数も少なく、10軒前後ではなかろうか。
 そんな小さな島なのに、小学校だけはまともなのがどーんと建っており、不可解でした。とっくに廃校になっててよさそうなもんだが。
 
 集落の坂道をつきあたりまで上ると、
「この道だよ」
女の子たちは狭い脇道を指さしました。
「ありがとう。こんな狭い道じゃ教えてもらわなきゃわかんないな」
女の子たちは道のすぐとなりの家にぞろぞろ入っていき、きさく氏とぼくは狭い道を登りました。
 途中少し急な所はありましたが、標高70mちょっとの小さな山なので、5分ほどで頂上に着きました。
 ちょっとした草原になっていて、木の根に絡みつかれたおおきな岩がでんと鎮座しています。
大神島山頂より
大神島山頂より

「これ、登っていいのかな」
「御神体じゃないですか」
「あ、それ有り得るね」
「でも、登ってみたいですよね」
ということで、ぼくが先に岩に登りました。
ちっちゃな集落と、港と、宮古島がよく見えました。
「ああ、これはいい眺めだねえ」
きさく氏も後から登ってきて、防水仕様のカメラを取り出してぱしゃぱしゃ写真を撮っていました。
 集落は港の近くに固まっていて、島の反対側を見ると畑も道もなく、鬱蒼とした森に覆われています。これでは島一周はできそうにありません。
 御嶽らしきものも見当たりませんが、森の中に隠れているのでしょうか。
 一通り景色を見終わって、きさく氏が
「つぎ、下の方歩いてみようか」
「すいません、ぼくここの景色を絵葉書に描いていきたいんで」
「ああそう、じゃあぼく下から手を振るよ」
などと言っているところに、今度は観光客のカップルが登ってきました。
彼らも行きの船で一緒になった人達です。
「この岩登っていいんですかね」
「ぼくは登っちゃいましたけど」
先に男性が登って、
「ああ、これはいい景色だ」
女性の方がもじもじしているので、
「登るだけの価値はありますよ」
とぼくが声をかけると、彼女も意を決して岩によじ登ってていきました。ハイヒールで、すごいしんどそうでした。
 
 ぼくは岩の上からの景色をスケッチしたいので、彼らが降りてくれないと上がれません。
ぶらぶらしながら二人が降りてくるのを岩の下で待っていました。
 岩から降りてきた男性が、
「知人が宮古島の出身で、この大神島を勧めてくれたんで来たんですよ。神聖な島だからあんまり観光客が来るのを島の人達は喜ばないらしいですね。
 集落の中を歩く分にはいいけど、山の反対側は神聖な森で、祭りのときに御籠りしたりする以外は入っちゃいけないんだって」
「へえ、そうなんですか」
村の女性たちが山にこもって豊作祈願する行事が宮古のあちこちにあると、博物館で見たけれど、そんな行事がこの島にもあるのでしょう。
「旅行ですか。どちらからいらっしゃったんですか」
と彼が訊くので、
「長野ですけど」
と答えると、
「ぼくも長野なんですよ。長野のどちら」
「飯田です」
「えっ、ぼくも出身は飯田なんですよ。今は東京に住んでますけど」
「あらら。ちなみにさらにいうと、ぼくは上郷です」
「ぼくは長野原。何年か前に高陵中学校に勤めてたんですよ。臨時講師でしたけど。まだ高陵中学校が組合立だったころです。校長は有賀先生だったな」
女性が首をかしげて
「組合立?」
「そう、飯田市と上郷町とで学校組合ってのを作って、上郷と座光寺が通学区なんだよ。ね?」
「いやあ、そんなローカルな話題を、こんなところで聞くことになるとは思いませんでしたよ」
「ちなみにお名前は」
「イマイです」
「そうですか。クラスにもいたなあ、今井って女の子が。ちなみにぼくは佐藤といいます」
 
佐藤夫妻(?:微妙だな)はこれから八重山に飛ぶんだそうで。
「よい旅を」
と二人を見送り、ぼくはようやく岩に登ってスケッチをしました。
 山の上から12時発の連絡船が出航して行くのが見えました。きさく氏も佐藤さんたちもあの船に乗っているのでしょう。
 風が強いうえに途中強雨が降ってきたりしてしんどかったですが、なんとか絵を仕上げて山を降りました。
 島尻へ帰る次の船は3時発。二時間近く暇ができてしまいました。
 聖なる森を無理やりハイキング、という手もありましたが、村人に見つかって暗殺されたら嫌なので、海岸をぶらぶらすることにしました。
 波打ち際にはでっかい岩が列をなして並んでいます。とても人為的に岩を並べたとは思えませんが、きっと何かの伝説はあるでしょう。
 道を教えてくれた女の子たちが磯で遊んでいます。
 
 防波堤のどんづまりに腰掛けて日記を打って時間をつぶし、停泊していた連絡船に早めに乗り込みました。
 帰りは、例の女の子たちと一緒になりました。彼女らも大神島に遊びに来ていたようです。島のタブーなど知らないのも無理ないことでしょう。
 
 港の東屋では、自転車とリュックがおとなしくぼくを待っていました。
 降ったり照ったりというめまぐるしい天候の中を、平良まで戻りました。宮古島一周完了。
 夕方見物したのは、「ウリガー(掘井)」という昔の井戸。
 宮古島はサンゴ礁が隆起してできた島なので、島の地下には巨大な空間(鍾乳洞)があって地下水が溜まっています。ウリガーはその地下水を汲み出す井戸で、井戸というより洞窟の底の泉、といった方が正しいような気もします。
 「ヤマトガー(大和井)」という井戸は国の史跡に指定されていて、那覇の金城で見た泉を大規模にした感じのものでした。
 1720年に役人など身分の高い人のために作られ、水守りの番人までいたんだそうな。
 おそらく大昔に地下の洞窟が陥没してできたのでしょう、すり鉢状の窪地の底がぎっちりと石垣で固められ、その上を南国ならではの木々がうねうねと根を伸ばしています。
写真だけ撮って知らない人に見せれば、「アンコールワットの一部だよ」と言ってだませそう。
 
ムイカガーの石段
ムイカガーの石段

 もう一つ「ムイカガー(盛加井)」という井戸は、ヤマトガーのように石積されていませんが、ヤマトガーよりも地下深くにあって神秘的でした。
 擦り減った螺旋階段を降りていくと、そのまま黄泉の国へ行けてしまうのではないかと錯覚してしまう、そういう雰囲気のある場所でした。少し大袈裟ですが。
 階段の途中あちこちに、沖縄独特の線香が供えられていましたから、信仰の場でもあるのでしょう。
 巨大な穴の一番底に石畳で固められた泉があって、透明な水が湧いていました。すくって飲んでみると、とても冷たくて美味でした。
 このムイカガーの歴史は古く、付近から貝塚も発掘されていて、有史以前から利用されていたようです。
 ムイカガーの底から上を見上げると、岩肌にこびりついている小さな植物たちが逆光に透け、擦り減った石段が照らされて荘厳な風景でした。
 
 宮古島を一周して、見物した場所で一番かっこいいのがこのウリガーでした。宮古での思い出はこのウリガーと、オカヤドカリの二つに集約されるような気がします。
 ウリガーでは思いっきり蚊に刺されましたけれど。
 
 昼飯を食っていなかったので腹が減ってしまい、宮古上陸の初日に行ったスーパーサンエーで食パンとランチョンミートとコーラスウォーターを買い、道端で食ってから、那覇行きのフェリーのチケットを買いに港へ行きました。
 一番最近の那覇行きのフェリーは琉球海運の6日出航の船でしたが、満席ということでキャンセル待ちの予約だけして引き下がりました。
 次の船は有村産業の8日の船でしたが、二等は満杯、一等は空いているが予約受付担当者が帰ってしまったので月曜日に予約してくれとのことでした。
 夏休みのしわ寄せはかなわん。他のシーズンなら余裕で乗れるんだろうに。
 
 今日はまだ時間が余っていたので、人頭税石を見に行きました。細長い石が突っ立っていて、その石よりも背が高い人には人頭税が課せられたのだとか。
 ぼくはかろうじて課税対象でした。ほっ。
 面白い決まりがあったんだなあと思って説明板を読むと、それは言い伝えに過ぎず、その言い伝えを紹介したのは柳田國男の「海南小記」なんだそうです。
 実際にその石を課税の基準にしたという証拠はなく、むしろこれは人頭税とは関係なく、家の屋敷神だとか、陽石(つまり男根)として信仰されていたんだとか、いろいろ説があるそうです。
 観光パンフなんかには、もう断言的に「人頭税石」として出てるんだけど、いいのかしら。
 柳田については、「遠野物語」も多分に作意が混じってるってことで有名なんだけど。
 
 今夜は、市内のパイナガマビーチで寝ようと思ったのですが、キャンプ禁止の看板があったので、別の場所を探してテントを建てました。港のすぐ近くのさびれた公園です。
 晩飯は、沖縄そば。生麺が安かったのと、この前沖縄そばのスープを6パックも買ってしまったので、それを消費しなければならなかったのです。
 泡盛は「かりゆし」とかいう1リットルのペットボトルを買いました。何日もつことやら。
 あしたはどうしようか。図書館に行こうか、伊良部島にでも渡ろうか。
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8月4日(日)曇ときどき雨 露出と脱糞の鬼伝説

 朝から雨がぱらついておりました。
 朝飯は、ゆうべと同じ沖縄ラーメン。
 雨の止んだ隙を見計らってテントを畳む。向こうのベンチで、見るからに浮浪者な、ぼろっちいおじいさんがベンチで寝ています。
やっぱ宮古にもいるんですねえ。
 
 とりあえず今日は離島行きのターミナルに行って、待合室のコンセントを借りて機材を充電しました。
 充電の間、暇なので無料インターネット体験コーナーで遊びました。
タッチパネルなので、文字入力で検索できないのが不自由でした。
 機材の充電は終わりましたが、天気が悪いので離島に行く気にもならず、市立図書館へ行って本を読みました。
 この前読みかけだった「宮古の民話」や「南島の針突(ハジチ)」など。
 人食い鬼の兄を、妹が女陰を見せて退治するという話は金城御嶽のところで紹介しましたが(日記7月22日参照)、似たような話が宮古にもありました。
 人食い鬼を退治するため一計を案じた村人が、鬼を豊年祭に招待し、月経中の娘たちを集めて全裸にして踊らせるのです。
「なんじゃその、恐ろしげな髭を生やして血を垂らす口は!食われる、食われる!」
と鬼はたまげて、糞を撒き散らしながら逃げていくという、なんともエロなうえにスカトロな伝説なのです。そのときの鬼の糞が石になって今も残っているのだそうで。
 むかしはこういう話を、じいさんやばあさんがうれしそうに孫に語って聞かせてたんだろうなあ。
 今でも保育園なんかではこの話を紙芝居にして読み聞かせているんだろうか。モザイク入りの紙芝居。面白そうだな。
 
 日曜日なので図書館は5時で閉まってしまいました。
 昨日行ったヤマトガーのスケッチでもしようかと思ったのですが、行ってみると蚊がものすごいので、退散しました。
 昨日と同じサンエーで食材を買い、昨日と同じ公園の、昨日とは少し違う場所にテントを張りました。
 晩飯は牛肉のステーキと、ゴーヤのみそ汁。乾燥ゴーヤを買ったので、いろんなものに入れられて便利です。
 
 明日は伊良部島に行くつもりです。
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8月5日(月)曇 通り池の音色

 朝飯は、雑炊。昨日食べ残したご飯にゴーヤやシイタケを混ぜて煮ました。
 
 草刈りのおじさんたちがやってきてバリバリと草を刈りだしたので、そそくさとテントを畳みました。
 公園のトイレでウンコしたら、蚊の大群に無防備なお尻を集中攻撃され、かわいいぼくのお尻がジャガイモのようになってしまいました。
 慌てて公園から逃げ、ケツのかゆさをこらえながら近くの離島フェリーのターミナルに走り、待合室のトイレに飛び込みました。
 ボコボコになったお尻を絞ったタオルでゴシゴシと擦り、ウナコーワクールを塗りたくりました。一息ついてトイレから出ると、クールどころかお尻がポッポと火照ってかないませんでした。
 
 琉球海運の6日のフェリーのキャンセル待ちが失敗した場合に備えて、有村産業の8日の一等客室を電話予約しました。金額8460円。二等の倍です。
 一等客室って乗ったことないけど、どれほどリッチなんだろ。高級ソバガラ枕だったりするのかな。コンパニオンの一人ぐらいついてなきゃ怒るぞ。
 
 今日は伊良部島に行く計画です。小さな島なので、一周しても明日の昼過ぎには平良に戻ってこれるでしょう。
 自転車を畳んで伊良部島行きの連絡船に乗り込みました。運賃は360円。10分ほどで島の佐良浜港に着きました。
 伊良部島は崖に囲まれた平坦な島で、宮古地方の典型的な地形です。
 佐良浜港の周辺にはごちゃごちゃと四角いコンクリートの住宅が密集していますが、少し走ると見渡す限りのサトウキビ畑になります。
 白鳥岬とか佐和田の浜とかありますが、基本的にさほどスゴイものはありませんでした。 
 海はきれいなのでしょうが、台風12号の影響か、どんよりと曇っているので海の色も冴えません。
サシバ展望台
サシバ展望台

 ただ、フナウサギサパタという崖の上の「サシバ展望台」は、来間島の「タコ東屋」の上を行くシロモノでした。羽毛の一枚一枚をちゃんと作ってあるし、特に目玉の色なんてのはかなりリアル。職人技です。
 伊良部島はサシバの飛来地として有名なのだそうです。季節になるとサシバだけでなく、入れ歯や金歯、歯並び矯正用の針金などが飛び交って、島の海岸はえらい騒ぎなのだそうです。…ばかばかしい。
 
 平べったい島の道をひたすら(たってそれほど距離もありませんが)走り、広々とした下地空港を横切って、たどり着いたのは「通り池」。
 海岸の崖っぷちに二つの深い池がぽっかりあいていて、二つの池は地下でつながり、海に続いているという伊良部島最大の観光名所です。
通り池(片方しか撮れない)
通り池(片方しか撮れない)

 ダイビングスポットとしても有名で、兎谷さんも
「深い青色がきれいだよ」
と教えてくれたのですが、曇空の今日は青が深すぎてほとんど黒に近くなっていました。残念。
 
 今日はここで泊まります。風が強いので、池を見下ろす展望台の階段の下にテントを張りました。
 宮古地方にはカミナリ注意報が出ているとのこと。周囲はだだっぴろい岩場と潅木で、カミナリが来たら一番落ちる確立が高いのはこの展望台です。
 岩手で散歩途中のじいさんが、カミナリに撃たれて死んじゃったというニュースも聞きましたし、ラジオを聴いていると時々「ザザッ」とカミナリみたいな雑音が入るのでかなりビクビクものです。
 まあ、万一カミナリに撃たれて死んでも、かなりインパクトある死に方だからそれはそれで良しとしよう。
 
 晩飯は今朝同様の雑炊。食材を買うチャンスを逸してしまったもので。
 1リットルの泡盛が、もう3分の1近くに減ってしまいました。やっぱアルコール度数が20度程度じゃ、くいくい飲んじゃうなあ。
 風と波が強く、展望台のふもとからも、岸壁に打ち寄せる波しぶきが見えます。海面から崖の頂上まで、15mくらいはあるはずですが。
 テントの中で、枕(レインウエア袋)に耳を押しつけて寝ていると、かすかにコントラバスの音色のようなものが聞こえます。
 島の地下に広がっている無数の洞窟を、風が通り抜ける音でしょうか。
 
 明日は那覇行きのフェリーに乗れるかなあ。乗れるといいなあ。
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8月6日(火)曇 伊良部島唯一の井戸

 また眼鏡が壊れました。
 夜、テントの中で眼鏡を手にした瞬間、ぽきりと右側のツルがもげました。
 鹿児島で壊れた場所のちょうど反対側、大丈夫だった方が取れてしまったのです。
 最近いろんなものが壊れつつあります。きのう自転車が倒れた拍子に、サドルバッグに入れておいた燃料ボンベの、ポンプの取手部分が壊れてしまいました。なんとかポンピングはできるのですが、アロンアルファを使ってもうまく直りません。
 ついでにいうと、携帯電話の充電器のコードの接触が悪くなって、慎重に充電器を置かないと充電ができません。
さらにいうと、これまで四カ月以上愛用していたペットボトルの水筒(アクエリアスの空き容器)に小さな穴があき、水が漏れるようになりました。アロンアルファでなんとか穴を塞いでいますが。
 このように、いろんなものが少しずつ壊れていきます。これも運命だ。
 
 今日もドンヨリと厚い雲に覆われています。
 観光客が来ると恥ずかしいので、早めにテントを畳みました。
 ゴーヤのコンソメスープを作り、トーストを焼いて食べていると、おじさんたちの一行がさっそくやってきました。
「ゆうべはここで寝たんか。怖くなかったか」
「いやあ、べつに」
「旅馴れとるもんやな」
「えへへ」
おじさんの一人は伊良部島出身で、現在は那覇に住んでおり、通り池に来るのも小学校の遠足以来、数十年ぶりなんだ、と語ってくれました。
 
 駐車場のトイレの水道で頭を洗い、洗顔して、出発。ぼやけた視界のまま、島の南岸を走ります。
途中、「オコスゴビジー」という大きな岩がありました。高さ12m、胴回り60mの巨岩です。
 この岩は明和の大地震で打ち上げられたものと伝えられ、今ではなにやら右翼な感じの新興宗教の崇拝対象になっているようでした。
 次に寄ったのは「渡口の浜」。きれいな白い砂浜です。天気さえ良けりゃあな。
 観光客もおらず、砂浜があまりにきれいなので、暇にまかせて砂浜に落書きして遊びました。タコとか、ヤドカリとか、町を襲う飛行クラゲとか、バーコード禿げの人魚とか。
 波に消される前に誰か見つけてウケてくれればいいんだけど。
 
 あっというまに佐良浜港に戻ってきてしまいました。
 那覇行きのフェリーが入港するのは午後5時。いずれにせよ、まだ時間は十分余っています。
 Aコープで乳酸ドリンクとアンパンを買って近くの公園で食い、暇だったので昼寝しました。
 晴れてたら、日陰での昼寝は最高に気持ちいいんだけど、今日はときどき小雨が降り込む有り様でした。
 
この崖下に井戸がある
この崖下に井戸がある

 ぼちぼち起きて、島に水道が普及する昭和40年代まで200年以上使われて来た「サバ沖井戸」を見物。崖に刻まれた石段を下った波打ち際に、丸い石積の井戸があるのです。
 これが佐良浜集落で唯一の水源で、昔の女性は日に四回も階段を往復してここの水を汲んでいたのだそうです。
ごくろうさま。
 
 することもないので、ぼちぼち港に出て連絡船に乗ることにしました。待合所で、タクシーの運転手さんと立ち話することになりました。
 ぼくはかねての疑問を投げかけてみました。
「この島って、野球の伊良部の出身地なんですか?」
運転手さんは教えてくれました。
「伊良部のじいさんばあさんがこの島の出だよ。母親が那覇でアメリカ兵とくっついて、本人はハーフなわけだ。
その後大阪に出て、子供のころからいじめられたりしてるから、気が強い。だからメジャーリーグでもやっていけるんだな」
運転手さんは子供が6人いて、ようやく末っ子が近々大学を卒業するのだそうです。
「6人もいるから、入れかわり立ちかわりだろ。大学生をいつも2人ずつ抱えてるって状況だったな。それでも、景気のいいころにだいたい片付いてくれてよかった」
「就職は順調だったんですか」
「うん。ほとんどサラリーマンになってるけど、長男は自衛隊に入ってるんだ」
「自衛隊なら、それはそれで安定してますよね」
「でもね、辞めたいって言い出してるんだ。学生のころから陸上やって、体力の方では十分ついて行けるんだけど、問題は精神力って奴なのかな。
 特に独身者に対しては、隊長がかなりきつくしごくらしいんだ、『いつでも辞めていいんだぞ』って調子で。昇進試験も、何度も受けてるんだけどなかなか受からない。
 まあ、長男だし、いろいろあるな」
「へええ」
 船が来たので運転手さんと別れ、平良港に帰りました。船内でお金を払ったら、なぜか400円とられました。行きよりも40円も高い。
 
 琉球海運に電話すると全然繋がらないので、事務所に直接行きました。
 担当者が出ているからと、一時間待たされました。待ってる間、事務所のおばさんが冷たいお茶をもって来てくれたのでうれしかったですが。
 キャンセル待ちの予約を入れるのが早かったので、無事チケットが買えました。二等寝台。一般の二等よりも500円高いですが、雑魚寝から解放されるのでありがたいです。
 延べ三日間通った平良市のサンエーでカップラーメンや寿司を買い、離島ターミナルで暇をつぶして7時半に乗船しました。
 ぼくは二段ベッドの上段に陣取りました。コンセントもあって充電も仕放題です。
 同室は小さな女の子を連れた夫婦と、若い男女のペア一組。
 船は宮古島を9時半に出港しました。夜中に女の子が
「おしっこ。…おしっこォ〜」
と泣き始めました。
 お母さん、早く起きてやれよ、俺が起こしてやらなきゃいけねえのか?
 とやきもきしていると、ようやく母親が
「どうしたの?おしっこ?」
と目を覚まして、娘をトイレに連れて行ってくれたのでほっとしました。
 
 明日の朝には那覇に着きます。
 今、兎谷さんも沖縄に来ていて、
「那覇に戻る日が決まったら教えてください」
と言ってきてくれているので、きっと晩ごはんを御馳走してくれるかもしれません。わくわく。

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