日本2/3周日記(三陸) 東北地方ブルブル編(三陸)

11月16日(土)晴 冬将軍が追ってくる

 朝起きてみると、外に出しておいたコッヘルの蓋には、ご飯だけが残っていました。豚肉とハムはあの猫が食べたのでしょう。ごはんも食えよなー。
すりよってくる猫
すりよってくる猫

 テントを畳んでいるときも猫はぼくのところに寄ってきて、何をするでもなくリュックの脇に丸まっていました。人恋しいんでしょうか。猫のくせに。
「あばよ」
と猫に別れを告げ、今日も南下の一途。
 
いよいよ三陸海岸にさしかかり、上り下りがわずらわしくなってきました。
田野畑村に入り、国道45号の最高地点を通過。海抜372m。けっこう汗かきます。
夕方、道の駅「たのはた」に着。田老町の道の駅を今日の目標にしていたのですが、まだかなり距離が残っていたので今日はここに泊まることにしました。
 道の駅の裏は広い公園になっています。地球儀のモニュメントがあって、そのまわりに世界各国の衣装を着た子供の人形が並んでいました。なんか意味あるんだろうけど、なくても構わないようなモニュメントです。モニュメントなんてみんなそうですが。
 公園の隅のちょっとした建物(売店?)の軒下にテント張り。芝生は冬枯れ、公園を訪れる客も少なく気楽に寝られます。ただ、海面からはけっこう高そうなので、夜の寒さが心配。テントの下もタイル張りだし。今日も星空がきれい。冷えるぞお。
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11月17日(日)晴 岩手ミミズのド根性

 限界まで着こんで寝ました。外に出しておいた水袋がぱりぱりと凍っていました。でもテントの脇を、はだかのミミズが這っていました。さすが岩手のミミズは根性が違います。
 朝方、着膨れて関取のようになった姿で道の駅のトイレに行くのは恥ずかしかったです。
 テントを張った建物の軒下のベンチには、ぼく同様野宿旅の若者たちの落書メッセージがありました。夏場の旅人が残していったものでしょう。
「道の駅たのはた最高。いいところですね」
いいところかあ?まあ、夏はいいところなんだろうな。
 
鵜の巣断崖
鵜の巣断崖

 道の駅を出てから寄ってみたのは鵜の巣断崖。「断崖」という響きになんとなく惹かれてしまって。
 国道から逸れて5分ほど走ると、駐車場に観光バスが何台か停まっていました。そこを突き抜けて、がりがりと松林を抜けて断崖の突端へ。駐車場から歩く団体観光客を自転車で追い抜くのはいい気分です。
 ツアーのガイドさんの説明を立ち聞きすると、昔はここに鵜の巣があったんだそうで。ああそう。
 
 宮古市まで下って、そのへんのスーパーのような店でパンなどを買い込みました。
 閉伊川を渡って宮古湾沿いに南下を続けます。陸中山田町に入って、大きいスーパーがあったので晩の食材を調達。東北にいるうちにと思って、生いくらを買ってしまいました。
 買物袋をぶらぶらさせながら夜の国道を走って、道の駅「ふれあいパーク山田」が今夜の寝場所。 なんやかやで客が多く、やかましい施設でしたが、自動販売機コーナーの裏に回ってみるとなぜか地面にカーペット状のものが敷いてあり、道の駅の利用客からも死界となっていたのでこれ幸いとテントを建てました。ゴミ捨てに来た従業員さんらしき人がこちらを不審そうにちらちら見ていましたが、別に何を言われるわけでもありませんでした。
 晩飯は、いくら丼と鮭鍋。なんて贅沢なのでしょう。いくら丼はご飯にポン酢をぶっかけて酢風にし、生いくらをたっぷりのせて醤油をかけました。ワサビがなかったのが少し悲しかったです。それに、いくらは醤油漬のほうが良かったなあと思いました。
 今夜は地面から熱が奪われる恐れがないから、寒さも和らぐでしょう。
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11月18日(月)晴のち曇 吉里吉里国の現在

 岩手の田舎のくせに、暴走族がうるさかったです。ぼくの寝ている道の駅を拠点に、走り去ったかと思えばまた帰ってきて、無駄な排気音を轟かせていました。騒音をたてることのどこが面白いのでしょう。連中の価値観は理解できません。本人たちはフルフェイスのヘルメットをかぶっているからうるさくないのでしょうか。バイクの排気ガスをヘルメットの中に引き込んで、みんな死んでもらいたいものです。
 釜石市の手前で、吉里吉里を通りました。上閉伊郡大槌町というところにある、井上ひさしの「吉里吉里人」で少しは有名になった街です。
「吉里吉里人」を読んだのは、高校時代だったか、中学だったか。いずれにせよ古い記憶です。
 吉里吉里が国として独立するという話で、双頭犬「イッタカキタカ号」だけは妙に記憶に残っています。ぶ厚い本の割に、「金無垢の便器を作って、これがほんとの金隠し」などという、ばかばかしい話だったと記憶しております。
吉里吉里大根を運ぶ吉里吉里人
吉里吉里大根を運ぶ吉里吉里人

 現在でも吉里吉里には吉里吉里駅があり、吉里吉里海岸があり、吉里吉里小学校と吉里吉里中学校があり、路上では吉里吉里人が歩いており、吉里吉里神社の吉里吉里祭では、吉里吉里舞が奉納されておりました(一部嘘)。
 
 トンネルをくぐって坂を下ると釜石市。でかい工場らしき建物が町の真ん中にそびえています。
 釜石といえば製鉄所があるところですよね。確かここの火入れ式に、岡山の吉備津神社の釜の火が使われてるんだ。覚えてるぞ。
 釜石市内は国道がバイパスになっていたので、狭い高架橋を「ひえ〜」と言いながら突っ走りました。道路端から港の風景を撮りましたが、まあそれだけで、さっさと市内を通過してしまいました。
 釜石からは遠野へ伸びる国道283号が分岐しています。遠野は個人的に好きな所で、今まで二度ほど足を運んでいます。もう一度行ってもいいなと思っていたのですが、今の季節に東北の内陸部に足を踏み入れると、寒さがきつそうに思えたので、このまま海岸沿いを南下することに決めました。
 走っている最中、珍しく携帯が鳴りました。四国で知り合った尾形くんでした。
青森で八甲田丸をハガキに描いて送ったので、そのお礼でしょう。
「どーも、お久しぶりです」
「いまどこにおるんですか?」
「釜石市を走ってる最中ですう」
「四国の時、『来年の9月には旅を終わらせて仕事探す』って言ってたから、もう家に帰ってるかと思って家に電話したんだけど」
「あー、そんなこと言いましたっけ、ははは」
「釜石っていうと岩手?寒いでしょうそっちは」
「うん。だから必死こいて南下してんるんですよ」
お互いの近況報告をしました。 
 
 今夜のねぐらは陸前高田市の高田松原。小雨交じりの風が強く、色々思案した挙句、人気のない管理小屋みたいなところの軒下でテントを張りました。
 晩飯は、味付カルビの焼肉と、モヤシの中華スープ。
 飯の仕度をしていると、前の道に何台もの車が来た様子。
 見てみると消防自動車とパトカーでした。
 少し緊張して様子をうかがっていると、ぼくのテントの近くでささやかな野火があり、誰かが通報した様子。ぼくが気づかないほどの火でしたが、消防屋さんは消防自動車のホースで丹念に水をぶっかけておりました。
 パトカーが来た以上は、怪しいテントを見逃すはずもなく、ぼくもとばっちりを受けて職務質問されました。まあ、免許証見せて
「なんでまたこの寒いのに東北へ」
という、お決まりの会話で済みましたが。
「こんなところより、近くに道の駅があるよ」
とお巡りさんは言ってくれましたが、
「そうですか。なにぶんここは初めてなもんで」
とへらへら笑っておきました。
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11月19日(水)曇 ただ走るだけの一日

 これといったエピソードもなく、ただ走り続けた一日でした。
 気仙沼の100円ショップでインスタントの焼きそばを買い、休憩所のお湯を使って昼飯。
 本吉町の道の駅で休憩がてら日記打ち。
 夜は志津川町のスーパーに寄って買物し、近くの公園のSLの横でテントを建てました。
 晩飯は、骨付牛肉の網焼き。下味がついてましたが、少々甘すぎました。
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11月20日(木)曇 松島の岩窟に惚れた

 雨も降らず、さほど寒くもなく、無事に朝を迎えました。朝飯はトーストと味噌汁。
 九時半出発。
 峠でトレーナーを脱ぎ、昨日半額で買ったドーナツを齧って小休止。
 リアス式海岸はまだ延々と続き、国道45号の上り下りも相変わらずです。
 道路工事も多く、真面目に左側通行していると交通整理のおじさんに
「ここから道が狭いから、右側の歩道通った方がいいよ」
と親切顔で言われ、無下にすることもできずその言葉に従って右側の狭い歩道に乗ると、100m先の歩道が工事中でした。
「これだから歩道は走りたくねえんだ」
と呟きながら車道に下りようとすると、工事のおじさんたちがぼくに気づいてあわてて右側のコンクリート壁にへばりつき、ぼくに向かって
「通れ」
と手招きします。ありがたく通らせてもらってしばらく行くと、歩道自体が消滅しました。これだから歩道を走るのは嫌なのです。
 
 峠を下って道の駅「津山」を素通りし、北上川に沿って走ります。砂利を満載したトラックがやかましく、土ぼこりがもうもう。
「水と緑の上北路」などと看板が出ていますが、「砂利と埃の上北路」の間違いだろ。
 やがて山が遠ざかり、目の前に平野が広がってきました。平らな土地を見るのは久しぶりです。ようやく三陸海岸ともおさらばだ。
 河北町の運動公園で小休止し、柿ピーをむさぼる。PHSも圏内。人里に下りてきたなあ。
 南風が向かい風となって鬱陶しいですが、道が平らなだけでもありがたいです。
 
 石巻を通過して松島へ。いかにもな観光地を訪れるのも久しぶりです。観光地にはどうして「オルゴール博物館」や「ガラス美術館」が必ずあるんだろう。チェーン展開してるのかな。
瑞巖寺の岩窟
瑞巖寺の岩窟

 遊覧船乗り場の裏に自転車を停め、そぞろ歩きました。瑞巖寺はこれまた円仁の創建だそうで、岩壁に五輪塔などの浮き彫りがされているのがぼく好み。四角い窟がいくつも掘られていますが、昔は庇や建物がはめ込まれていたのでしょうか。
 岩窟の前には西国三十三観音の石仏が並んでいて、彫の深さがこれまたぼく好み。特に如意輪観音は色っぽくてよかったです。
 瑞巖寺の本堂は拝観料700円だそうで、高いので入りませんでした。拝観料が500円を超えると、どうしても躊躇してしまいます。
 五大堂とかいうお堂を見て、浜辺で中年夫婦の写真を撮ってあげて、ぶらぶら歩いて4時前に出発。
 
信者さん、寄ってかな〜い?
品を作る如意輪観音

 塩釜市のジャスコに寄り、晩の食材を買いました。
 昨日一昨日と肉が続いていたので、今夜は牡蠣鍋に決めました。野菜は、贅沢して鍋用の野菜セットを買いました。お魚コーナーでホヤを目にしたので、「東北にいるうちに食べてみようかな」とこれも買い物カゴに入れました。
 今どきのスーパーはコーナーごとにテーマソングが流れています。
 
野菜コーナーでは「キノコっこっこっこ、元気の子♪」
お肉コーナーでは「正義の味方カルビ君♪」
お魚コーナーはもちろん「魚を食べると頭が良くなる♪」
惣菜コーナーでは「ぼくらの友達コロッケ君♪」
 
うーむ、こういう歌は耳に残りますが、商業的な下心に基づいた歌を口ずさんでしまう自分が悔しい。
 
 本塩釜駅で地図を見て、ねぐらになりそうな塩釜神社に行ってみたのですが、駐車場のトイレは夜間閉鎖中であてが外れました。
 テント設営地の選択基準において、トイレは必須条件でありません。けれど水道がないと鍋が作れないので、水のある場所を求めて、買物袋をハンドルにぶらさげたままねぐらを求めてさ迷い続けました。
 結局、塩釜神社からけっこう離れた伊保石公園にたどり着き、その駐車場にテントを張りました。
 すぐ隣がアパートで、
「ねえちょっと、あそこで誰かテント張ってない?いやあねえ」
というおばさんの声が聞こえましたが、気にしない気にしない。
 牡蠣鍋はいつもの味噌仕立てですが、おいしかったです。二つあるコッヘルのうち、大きい方を鍋に使ってしまったので小さい方でご飯を炊いたのですが、やはり少し失敗して芯が残りました。
 ホヤはシソ風味の味付けでしたが、塩辛くて生臭くて、酒の肴とはいえ半分も食べられませんでした。たくさん食うものではないでしょうけれど。
 残ったホヤは、ポン酢と七味を振って、明日茶漬けにでもして食おう。
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11月21日(金)曇ときどき雨 東京が見えてきた

 伊保石公園第二駐車場には、仮眠トラックなどが時々乗り込んできて少しうるさかったです。
 朝飯はホヤ茶漬け。塩気がお湯で薄まり、熱のおかげで肉も締まって昨日より美味しく感じられました。
 ホヤは「海のパイナップル」なのだそうですが、食感は「海の大ミミズ」と呼ぶべきではなかろうか。ミミズは食べたことないけど。
 茶漬けだけでは腹に足りなかったので、ラーメンも一袋茹でました。
 
 塩釜神社の駐車場まで戻って、開いたばかりのトイレで洗顔。掃除のおばちゃんが
「自転車で旅してるの?沖縄まで?あれまあ」
と感心してくれて、
「ゴミ置いていきな。捨てといてあげる」
と言ってくれました。頑張っている人を見て仏心を起こしたのでしょうか。
 塩釜神社に参拝。経津主と建御槌と、なんとかいう地主神を祀っているそうな。
 境内は新嘗祭の準備で巫女さんや神職さんたちが忙しそうに動き回っていました。
 ぼくがぶらぶらと参道を歩いていくと、神職さんたちが
「おはようございます」
と挨拶をしてくれました。珍しく躾のいい神社です。
塩釜神社の紅葉
塩釜神社の紅葉

 境内では楓の紅葉が満開で、庭園の向こうには港がきれいに眺められました。今でこそジャスコの看板が邪魔ですが、昔はさぞかしいい眺めだったことでしょう。
 掃除のおばちゃんに一言かけて出発。少し走るとすぐ多賀城市、そして仙台市。別に寄りたいところも思いつかなかったので、さっさと通過。
 昼飯は岩沼市のジャスコでコロッケサンドとヨーグルト500g。このヨーグルトが効いたのか、午後になって下腹が張ってきたので慌てて柴田町のショッピングセンターのトイレに駆け込みました。
 
 時折霧雨が降る中途半端な天気です。天気予報では「福島は晴、午後には天気が回復してくるでしょう」と言っていたのに、福島県に近づくにつれてますます天気が悪くなってきました。
 遅ればせながらリュックにカバーをかぶせようとした頃には、リュックは泥跳ねですっかり汚れていました。
 空はどんよりと重たく、蔵王も雲に隠れて見えません。
寒風の中のお地蔵さん
寒風の中のお地蔵さん

 県境近くでは男子中学生が「こんにちはー!」と元気よく挨拶してくれました。田舎ですねえ。結構結構。
 峠を越えて福島県。東北も残り僅かです。「東京まで360q」の標識が感慨深い。この分なら今年中に飯田に戻れそうです。
 今日中に福島市まで行けるかと思いましたが、少し無理でした。桑折町のスーパーに寄って、ねぐらになりそうな場所を物色しつつ夜道を走ります。最終的に伊達町の潰れたガソリンスタンドにテントを張りました。
 晩飯はチンゲンサイと豚肉の炒め物。中華だしで味付けし、蘇鉄でんぷんでとろみをつけました。
 今日も小さいコッヘルで飯を炊いてみましたが、蓋がしっかり閉まらないせいか、どうしても炊き上がりが固くなってしまいます。なんとか食えましたが。
 ラジオを点けると、今夜も寒気が強く、冬型の気圧配置だそうな。
 しっかりと厚着してから、シュラフの中で東京への仮スケジュールを立てながら寝ました。
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11月22日(土)晴 恐怖のバッピーちゃん

 思ったほど寒くなかったです。朝飯はラーメン。具は昨日の残りの豚肉とネギ。
 国道からは、雪をかぶった磐梯山がきれいに見えました。
 少し走って、開店直後のスーパーのトイレで洗顔。福島市街はとっとと通過。郊外のヨークベニマルで菓子パンと牛乳の昼飯ついでにインターネットで情報収集。福島県で見たいものといえば、安達ケ原の黒塚です。
 黒塚は二本松市にあり、どうやらここから近いらしい。
 ヨークベニマルの店先には子供用の跨り系遊具がありました。ドラえもんの乗り物のところでは、ドラえもんのテーマソングが流れていましたが、途中を省略して無理やりつなげてエンドレスにしていたので、すごくイライラしました。
 
 道の駅「安達」でトイレに寄りました。ここのトイレは「おもてなしトイレ」というネーミングでした。どんなおもてなしをされてしまうのかハラハラドキドキしましたが、従業員による「お尻拭きサービス」があるわけではありませんでした。
 ここは全国の「トイレ50選」に選ばれたのだそうです。確かに建物はハデでしたが、今どきの道の駅にしては下品な作りの便器が気になりました。
 この道の駅は「智惠子の里」という愛称がついているそうです。高村光太郎の女房がこの町の出身なんだそうで。
 道の駅の正面に愛称の由来を説明した看板が立っていました。
「ほんとうの空がある ほんとうの道の駅」
という、タイトルからして不愉快な看板でした。
(前略)
何もすることがないのではなく、積極的に何もしないでいる時間の心地よさ。ここ安達にはそんな時を過ごすことのできる豊かな緑と清らかな川、さわやかな風そして澄み渡る青い空が広がっています。
 高村智惠子が美しい心でさまざまなものを愛し慈しんだように、ここを訪れるすべての皆様をさまざまな愛で包んであげたい。そんな思いが道の駅安達の運営思想の基本になっていることに由来しているのです。
立派なことが書いてありますなあ。
「何もすることがないのではなく、積極的に何もしない」だと?
観光資源が無い町の負け惜しみにしか聞こえんぞ。「積極的に何もしない」のが本当にこの町の基本政策なら、道の駅に「和紙漉き体験室」なんて作るなよ。
 「豊かな緑」を大切にするんなら、道の駅作るのやめて木でも植えとけよ。排気ガス出し放題の自動車を集めて、道の駅にガソリンスタンドまで作って、何が「さわやかな風、すみわたる青空」だよ。
「すべての皆様をさまざまな愛で包んであげたい」だと?
気持ち悪いんだよ。それをモットーにサービスに励むのは結構だけど、看板に掲げてひけらかすなんて、押し付けがましいんだよ。
 だいたい何なんだ、「ほんとうの道の駅」ってのは。温泉饅頭じゃあるまいし、「元祖」も「本家」も「ほんとう」もねえだろう。じゃあ「にせものの道の駅」ってなんなんだよ。確かに最近は「旅の駅」とか「海の駅」とか、紛らわしいのも多いけど、そういうのを意識して「ほんとうの」と標榜してるとしたら、情けなさ過ぎるんじゃないのかい。国土交通省の承認受けてりゃ全部本物だろうがよ。
 
 …なんてことを思って、ニヤニヤしながら看板の文章を書き写していると、背後で
「自転車旅か。何日目だ」
と声がしました。ちょっとすごめの人相をしたおじさんでした。
「かれこれ8ヶ月です」
と答えると、
「なにい?」
「沖縄とか廻ってたんで」
「ああ、なるほど。俺もバイク乗ってるんだ。今年の夏に北海道行ったけど、行きのフェリーがライダーで一杯で苦労したよ」
「はあ」
「これから寒くなるから気をつけろよ」
そして一旦車に遠ざかり、「おーい」とぼくを呼んで
「りんご食うか。長野出身の人間に、うまいかどうかわからんけど」
「はあ。ありがとうございます」
ということで、青リンゴをひとつもらってしまいました。
 思わぬ「愛」に包まれてしまったぼくでした。
 
逆光で撮ったら、ちょっと黒塚な雰囲気
黒塚

 目当ての安達ケ原は、安達町と二本松市の境の、阿武隈川のほとりにありました。国道4号の近くです。
安達ケ原の鬼婆伝説は以下の通り。
 昔、京都の公家屋敷に「岩手」という名の乳母がいた。
岩手が育てた姫君が病気となり、易者に占ってもらうと
「妊婦の生き胆を飲ませれば治る」
とのこと。岩手は妊婦の生き胆を求めて旅に出て、はるばる安達ケ原に流れ着いた。
岩屋のほとりに小屋を建てて住んでいたところ、若い夫婦が旅の途中で宿を乞うた。
若い女房は身篭っており、俄に産気づいたので夫は薬を求めに小屋を出て行った。
岩手がこの時とばかり女の腹を割くと、女は死の間際に
「わたしたちは京都で別れた母を捜しに旅に出たのです」
と言って息を引き取った。女が持っていた守り袋を見ると、見覚えがある。女は岩手の実の娘だった。
岩手はあまりのことに気が狂い、以来鬼と化して道行く旅人を泊まらせては殺して食うようになった。
 やがて、熊野の東光坊という僧が岩手のもとに泊まった。
「薪をとってくるが、奥の部屋を見ないでほしい」
と岩手は言い残して小屋を出て行ったが、東光坊は部屋を開け、散乱している人骨を見て「これが噂の鬼婆か」と小屋を逃げ出した。
 鬼婆は東光坊を追いかけ、東光坊があわや食われそうになったとき、如意輪観音が姿を現して鬼婆を弓矢で射殺してしまった。
 神亀三年(726)のことだという。
 東光坊が鬼婆を埋めたという黒塚は、川のそばの路地裏にありました。こざっぱりとした黒塚よりも、塚の向かいにある壊れかけた物置小屋の方が、不気味な雰囲気を醸し出していました。
 
 鬼婆が住んだという岩屋は観世寺という寺の境内にあり、入場料は400円。
鬼婆が住んでいたという傘岩
鬼婆が住んでいたという傘岩

 ドルメンと呼びたくなるような巨大な「傘岩」の下では、白黒のぶち猫が植え込みのツツジの葉っぱをポリポリ齧っていました。変な猫。
 汚い宝物館には、迫力のある絵が展示されておりました。妊婦の腹を割く鬼婆、女の生首をぶらさげて走る鬼婆。
 黒塚から出土したという「鬼婆が人を殺すのに使った出刃包丁」や「人肉を煮た鍋」、「鬼婆を埋めるのに使った鍬」なども陳列されていて、ほんまかいなと思いました。
 寺の門前には「名物 鬼婆漬」の幟がはためいていました。きっと鬼婆を漬け込んでいるのでしょう。すげー。
 
 寺の裏手には(財)二本松市ふるさと振興公社の観光施設「安達ケ原ふるさと村」がありました。中身は地元紹介の3Dシアター、マネキンつきの移築民家、地元の偉人を紹介した資料館、そして託児所とレストランらしい。
 パンフレットを見るだけでつまらなさがひしひしと伝わってきます。こんなんで1,000円も払う奴いるのかしら。
 ふるさと村のキャッチコピーは
「今、甦る鬼ばば伝説の里。」
「昔なつかしいふるさとに会える。」

生き胆ちょうだい!
バッピーちゃん

だそうです。鬼婆が暴れ廻るようなふるさとが、懐かしくよみがえっちゃっていいんでしょうか。
 ここのマスコットは「バッピーちゃん」。鬼婆をデフォルメして可愛くしようなんて、たいした勇気です。バッピーちゃんは二頭身で、よく見ると目じりに皺が寄っていますが、これはどう見てもババアじゃないぞう。こんな可愛い鬼婆が、ニコニコしながら妊婦の腹をほじくってる様を想像すると、かなり怖いです。
 チケット売場と車道を結ぶトンネルには、子供たちから寄せられた「バッピーちゃんぬり絵」がびっしりと貼られていました。きちんと塗っている子もいましたが、2歳3歳の作品はクレヨンでぐちゃぐちゃに引っかいただけのものが多いです。バッピーちゃんの顔面を真っ黒に塗りつぶした作品などを見ると、
イマイ賞入選作
イマイ賞入選作

「この子は一体なにを呪っているんだろう」
と、気になってしまいます。
 土産物屋でバッピーちゃんキーホルダーと鬼婆一刀彫を買ってしまいました。キーホルダーは、東京でお世話になる友人へのお土産です。
 
 昨夜立てた計画では今日中に白河市まで行く予定だったのですが、結局郡山どまりとなりました。
 ヨークベニマルで買物し、開成山公園にテント設営。晩のおかずは鮭と白菜と京菜の味噌汁。今日も小さいコッヘルでご飯を炊きましたが、やっぱり固い。
 紅乙女をちびちび舐めながら寝ました。
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11月23日(日)晴 殺生石より千体地蔵

 落葉の上だったせいか、さほど寒くありませんでした。
 朝方散歩犬がぼくのテントに寄ってきてフンフン鼻を鳴らしている様子。
「こらっ。やめなさい」
と、飼い主が声をひそめて叱っていました。テントの中からおっかない男が出てきて
「こらあ、なにさらすんじゃあ!」
と怒鳴ってくるのを恐れてるのかな。
 それにしても、最近散歩犬も少ないし、何よりウォーキング人がめっきりと減りました。これは地域差というより季節的なものでしょうね、やっぱり。
 朝飯はいつものラーメン。最近ラーメン続きですが、具に野菜をたくさん入れているので良しとします。
 
駐車場のトイレで洗顔し、今後の東京までの進路日程を東京近在の友人らにメールで知らせました。
「東京行くからさあ、だれか泊めてよ。歓迎会もやってくれるとうれしいな」
というのが本音ですが、あからさまにそう書くわけにはいかないので、表現に苦労しました。
 
 ビスケットをかじりながら白河市へ。バイパス沿いは多少賑わっているようですが、白河駅前は静まり返っていて、いかにも地方の田舎市でした。
 栃木県との県境の手前を右折し、那須茶臼岳の方向に向かいます。次の目的地は殺生石。
 茶臼岳は雪をかぶって、噴煙らしきものもちらりと見えます。
 少しずつ標高が上がるにつれて、周りの木々も裸になります。那須町に入って、ついにこれで東北地方とおさらば。
 原野と畑が広がって、いかにも高原らしい風景。道は茶臼岳の山麓を横切るので、谷川を越えるたびに上り下りが面倒くさい。
 那須湯本までは直線の上り坂で、これほど長い坂は岩手県以来です。連休なので県外ナンバーが数珠つなぎとなっており、湯本近くになると道路工事が重なってかなりの混雑。
片側交互通行で停まっていると、交通整理のおっちゃんが話しかけてきました。
「長野から?昨日出たんか」
「いえ、他をいろいろ廻ってきまして」
「長野の景気はどうだい」
そんなものあまり考えたことなかったのですが、
「あんまよくないっスねえ」
と言っておきました。
「そうか、オレは全国いろんなところで仕事してきたよ。ま、がんばってな」
「どーも」
ほんと、住所があるんだか無いんだか、日本中を渡り歩いて職を点々としている人たちって、多いですねえ。ぼくより彼らのほうがよっぽど放浪人生だよな。
「あそこが景気いいらしい」
と噂を聞けば、どっとおしかけるんだろう。
 
 那須湯本に着いたのは4時過ぎ。観光案内所で日帰り入浴施設のパンフを入手しましたが、これから入れるところはなさそう。自転車とリュックを置き、歩いて殺生石へ。
 熱湯がプツプツ湧いているのかと思ったら、石がゴロゴロしているだけでした。岩場の奥、崖が崩れたような場所に柵が設けられ、「殺生石」の立て札が立っていました。斜面に大小の石が露出していますが、
「で、どれが殺生石なの?」
全然分かりません。玄翁和尚に砕かれてバラバラになってしまったということなのでしょう。
 学生らしき若者たちがやってきて
「どれ?サッショウセキって」
「サッショウセキの前で写真撮ろう」
「でも、どれがサッショウセキなわけ?」
そうは読まんだろ、普通は。殺傷石じゃないんだから。
なぜかどの地蔵も手がでかい。
千体地蔵+α

 殺生石よりも良かったのは「千体地蔵」でした。妙に手のでかい地蔵さんが合掌してずらりと並んでいるのです。こういうの大好き。地蔵に交じって記念写真を撮ってしまいました。
 温泉神社にお参りしたら、もう辺りは真っ暗。
 ここよりも少し下の地点で標高801mの標識が出ていましたから、この辺は830mはあるでしょう。内陸だし、空も晴れているから今夜は冷えそう。
 けれど今から山を下るのは面倒くさいので、近くのガソリンスタンドで燃料を補給し、個人商店で夜食用のドンタコスを買って温泉神社の鳥居下の休憩所にテントを張りました。
 晩飯はレトルトカレーと味噌汁。大きいほうのコッヘルでご飯を炊いたら、ちゃんと炊けました。
半額で買ったドンタコスは、賞味期限が三ヶ月過ぎていました。買うぼくもみすぼらしいですが、売るほうもずうずうしい。なんとなく冷たく湿気ていました。
 
 朝送ったメールの返事が来ました。大学時代のサークルの同期のダイホー君(仮名)が、「囲む会」を設定してくれるとのこと。宿も提供してくれるらしい。ありがたい限りです。

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