中ア一周日記 中央アルプス一周編

10月1日

 こんばんは。イマイです。今、テントの中でメールを打ってます。
 四国巡礼、全国放浪の予行演習として、1O月1日〜4日まで、飯田→伊那→諏訪→木曽→飯田の中央アルプス一周コースで自転車旅行することにしました。
 5日は自宅に戻り、6日からは母校の大学の学園祭に顔を出し、そのまま関東から四国を目指して旅立つ計画です。
一日目の夜
一日目の夜

 今日は11時頃家を出て、駒ヶ根で遅い昼食(ソースかつ丼)を食べ、夜は伊那市の羽広ファ一ムの公園にテントを設営しまLた。
 一日中雨が降ってぱんつまで濡れ、足の指はシワシワにふやけてしまいましたが、今は雨もあがり、テント内は快適です。
 あしたは岡谷のイルフ童画館を貝て、木曽路に入ろうかと思ってます。でかいリュック背負って一人童画館内をうろつくのはさびしいものがあるけど。
 それでは、明日も旅の報告をいたします。みなさんお仕事頑張って下さい。

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10月2日

ざしきわらし公園
ざしきわらし公園
 昨夜の2時頃。ぼくの寝ている公園にカップルがやってきて、雨上がりの夜空を指差しあって
女「あれって何流星群?」
男「きっとあれが昂さ」
という、何だかわけのわからない会話をひとしきりかました後、車に乗って去っていきました。
 夜の公園は、自分みたいな宿無しばかりでなく、いろんな人に重宝されているんだなと改めて感じました。
 朝になって公園をよく見ると、「ざしきわらしの像」があるのに気付きました。自分が寝ぐらに選んだのが妖怪公園だったなんて。

 今日は朝から天気がよく、暑くなりました。濡れたズボンやパンツも、はいたまま走っていたら午前中に乾きました。
 岡谷市にある武井武雄の童画館に行きました。武井武雄は、「童画」というジャンルを確立した絵描きさん(故人)で、その世界ではかなりなエライ人らしいです。岡谷市の出身で、顔写真だけ見るとただのいなかのオッサンなのですが、このオッサンがまた独特のメルヘンな絵を描くのです。彼はがっちりと熱烈なファンを掴み、自家製の絵本を出版していたんだそうな。
「子供のための童画」と称しながら、
「螺鈿細エ絵本」
「ス〒ンドグラス絵本」
「寄木細工絵本」
なんてものを限定出版する趣味的作家と、先を争ってそれを集める童画マニアの関係は、うらやましい反面ぞっとしました。子供が「螺鈿細工絵本」を読もうとすると、それを買った父ちゃんが
「子供は触るんじゃない!高かったんだから」
なんて光景があったのではないでしょうか。

 その後諏訪大社に参詣し、門前で昼飯としておやきと甘酒を食いました。甘酒が売れずにフテていたのか、店のおっちゃんが
「暑い日には甘酒が一番なんだよ。兄ちゃん、わかってるねえ」
とお世辞を言ってくれました。
御柱の小銭
御柱の小銭

 諏訪大社では、御柱の根元に観光ツアーのおばさんたちがたむろしています。覗いてみると、御柱の裂け目に一生懸命小銭を詰めているのでした。おばさんの一人に
「それすると、なにかご利益があるんですか?」
と聞くと、
「さあ。みんながやってるから」
という答えが返ってきました。なんだその主体性のなさは!
 諏訪大社の宝物館には、はるか古代から伝わる鹿角製の印章というのがありました。かなり磨耗しており、押された模様を見てもなんと刻まれているのかわからないのですが、それがまた神秘的でした。

万治の石仏
万治の石仏
 諏訪での目玉のもう一つは、岡本太郎が絶賛したというイワクつきの「万治の石仏」。でっかい岩に、不細工な仏の顔をのっけているというワイルド(というより手抜き?)な石仏で、大岩の正面にだけ石仏の体が線で刻まれております。
 この石仏の伝説として、諏訪大社を修築する時に大工がこの石を使おうとノミを入れたら血が噴出し、その夜大工の夢枕にこの仏さんが立って
「他のいい石を紹介してやるからそっちを使え」
と教えてくれたのだとか。こんな不気味な仏さんに夢枕に立たれちゃあ、大工もさぞかしうなされたことでしょう。とばっちり食った《他のいい石》もいい迷惑。
 今日の晩飯は宮リべロのサイコロス〒ーキを食って、寝ぐらは諏訪湖から5m離れた芝生です。力モやアヒルの鳴き声と、健康ウオーキングおばさんたちの鼻息のうるさい場所です。
 明日は塩尻から木曽に入る予定です。尻は少々痛いものの、今のところ快適な自転車旅行です。
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10月3日

諏訪湖の朝日
諏訪湖の朝日

旅先からのメールは、ザウルスの手書き入力で書いていますので、阿呆っぽい誤字が時々ありますね。すいません。
「ス〒ンドグラス」 なんて誤字も、手書きならでは。なるべく気をつけますが、もしおかしな字が紛れ込んでいたら、
「ハハン、この『h』は『ん』と書きたかったのだな」
というふラに推測してくださハ。

 今朝、諏訪湖に昇った朝日は強烈でした。
7時半頃まで寝ていたら、早くもテントの中は温室ハウス状態で、うかうかしていたら成長してしまいそうだったのでやむなく起きました。
 今回のコースで最初の難所、塩尻峠は、交通整理のおっちゃんに励まされつつ難なくクリアし、ブドウ臭い塩尻郊外を抜け木曽路に突入。
 木曽はさすが漆器の本場だけあり、店の看板にも
「手造りの味 うるし処」(→うるしを喰わすんかい!)
公園の名前にも
「ふれあい広場・うるし公園」(→かぶれて楽しむんかい!)
という魅惑のスポットが目白押し(いやホント)。

 木曽の名物といえば、そば。昼飯にそば屋に入ると、メニューに「うるしそば」があり、注文すると店員さんが
「盛りですか、かけですか?」
どろりとしたうるしの液をそばにたっぷりと浸して・・・というのは嘘です。
木曽路の夕暮
木曽路の夕暮

 今夜は、木曽義仲の故郷として無名な日義村の、「義仲館」という資料館のとなりの公園が寝ぐらです。
 おかげさまで喩快なおしゃべりカップルも、足音の重いウォーキングおばさんもいません。
 時々川の音に混じって、小豆をとぐような音が聞こえてくるだけです。怖え〜。
 タ食は丸大魚肉ソーセージと、パック酒「鬼ごろし」と、「ままかりマリネ」と、クロワッサンです。
 おむすびとかがよかったのに、田舎のスーパーだからパンしか置いてない。
 パック酒をストローで吸いながら、ままかりマリネをナイフで刺して食う。テントの中では、それでもおいしいです。
 ここの公園はトイレに電気プラグもあるので充電などもでき、なかなかありがたいです。
 明日は清内路峠を越えて飯田に帰ります。この旅最後の難所です。
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10月4日

義仲公園で歯磨き
義仲公園で歯磨き
 今朝泊まった日義村は、東西を高い山脈に囲まれているだけあって朝が遅く、7時半になっても朝日が射してきませんでした。
 そのかわり老人たちの朝は早く、シルバー人材センターの年寄たちがぼくが寝ているそばから便所裏の薪割りをしたり、土手の草刈りを始めたりとえらいさわぎでした。

「にいちゃん気をつけてな」
とじいちゃんたちに貝送られ、ごいごいとペダルをこいで上松町の定番観光地「寝覚の床」へ。
逆立ちモスラ
逆立ちモスラ

名もないような寺の門で入場料200円を払い、急な坂を下ると、木曽川の両岸に岩が寝台状に重なりあっている渓谷が見えてきます。
 浦島太郎が、龍宮から帰って家族が皆死に絶えているのを知って全国放浪の旅に出、最後にこの地で玉手箱を開けてじじいになってしまったという、めでたくもなんともない伝説が残っているそうな。
 渓谷のほとりには現代の芸術家がこしらえた野外作品が並べてあります。能書きプレートはろくに読みませんでしたが、おそらくこれは「逆立ちモスラ」という作品名がついているに違いない。
ねざめのとこでねるおとこ
ねざめのとこでねるおとこ

 観光客が見守る中で、岩の上に三脚を立て、
「ねざめのとこでねるおとこ」
と題するセルフポートレートを撮り、帰りの団体客についていくと、別の出入ロがあって料金もタダ。
 最初の受付で渡されたパンフレットも、よくよく見れば汚い力ラーコピーだし。
 ちくしょうめ、してやられたぜ「寝覚山・臨川寺」!

 その後大桑村まで行くと、
「木曽ふれあいの郷・フォレスパ木曽 恋路の湯」
という、虫酸が走るようなネーミングの公共温泉施設があったので、思わずルートを2kmも反れ、800円も出して入浴してしまいました。疲れた体には気持ちよかったですが、風呂そのものは別にどういうこともないフツーの公共温泉でした。
暗い、狭い、煙いトンネル
暗い、狭い、煙いトンネル

 体がせっかくキレイになっても、まだ道のりは遠い。
 登り坂で汗まみれになり、トンネルで排気ガスまみれになりながら、次なる定番観光地、南木曽町の妻籠宿へ。
 茶店でごへい餅と缶ビールを買い、かっくらいながら道端に座りこんで町並を絵ハガキに描いていると、道ゆく観光客がのぞき込んできます。
 何も言わず気付かれないようにのぞく人(主にオヤジ)、
Γ描いてるところをのぞく!」
と自分で言いながらのぞく人(主に若い女性)、
妻籠
妻籠

「マ〜いいわねえ、そのハガキ誰に送るの?恋人?アラマ違うの?オホホホホ」
とケタタマシク笑いながら覗く人(主に、というか絶対オバサン)。
 そんな中に、
Γあんたお昼ころ、寝覚の床にいたでしょ。自転車こいでるところ見たよ」
というおばさんが。
「はは〜、目撃されてしまいましたか」
と笑って返しましたが、意味もなく恥かしさを覚えました。

 妻籠を出たのが午後4時半。ここから清内路峠まで、長い上りが続きます。
峠の自販機で一服
峠の自販機で一服

 今日中に自宅に戻ることを決めていたので、半ば自転車を押しながら必死こいて登り、頂上についたのは午後7時でした。
 阿智村までー気に下り、飯田市内に入ってアップダウンの多い国道153号を、高校生のママチャリにすいすい抜かれながら、ようやく家についたのは午後9時でした。
 ビールがぶ飲みして風呂入って寝ました。

 今回の旅で学んだこと。

1.秋のキャンプは朝方寒い。
2.無理をしなければ自転車でどこまでも行ける。
3.旅に出るとぼくは便泌になる。

 実際この4日間、一回もウンコしませんでした。 精神的なものなのか、食事に問題があるのか、それとも自転車旅行では消化吸収率が高まるのか。 謎です。
 以上で中央アルプスー周レポートは終ります。今月中に本番に出かけたいと思うので、その時はまたレポートを再開します。大丈夫かしら。

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