東海道ひとり漕ぎ編(関東東海1)
東海道ひとり漕ぎ編(関東東海1)
学園祭終了後、ついに四国への旅に出発しました。
サークルの打ち上げに出て翌日朝の出発にしようかとも考えていたのですが、他のOBがみんな帰ってしまったので、早々に出発することにしました。
キャンパスを自転車で出たのが午後5時。小雨のバラつくあいにくの天気でした。
つくばに来た名残を惜しんで、晩飯は珍来(不味いけど癖になる味で有名な地元チェーン店)でラーメンを食い、その後国道6号を東京に向かって走りました。
9時30分ころ千葉県に入ったので、今夜のねぐらは利根川の橋の下と決めました。
雨や風はしのげますが、鳥の糞で汚いのと、下が凸凹したブロックなのと、車や電車の音がうるさいのが玉にキズです(それじゃ玉じゃないだろ)。ティッシュで耳栓して寝ました。
明日は東京を通過します。
実はフェリーでとっとと四国に渡ってしまう手も考えておりました。だって、早くしないと寒くなって野宿できなくなるおそれがありますので。
でもサークルの先輩に
「なんやお前、四国行くんなら箱根越えるんやないんか」
と言われたので、
「越えてやろーじゃないですか」
とばかりに、とにかく今回は東海道をひた走ってみようと思います。
今朝利根川の橋の下を出発後、松戸あたりで便所臭い公園に寄って髭剃りと歯磨きを済ませ、午前11時頃に東京都内に入りました。
葛飾区内を走っていると、突然道路標識に《柴又帝釈天》の文字が。
カリスマ放浪人の一人、寅さんにあやかり、道中祈願と洒落こもうと、立ち寄ることにしました。
門前で買った団子を食いながら帝釈天の境内で絵葉書を描いていると、いつものようにミミズに誘われたフナのごとく、観光客がひとりまたひとりと覗きにきます。
「まあ上手ねえ」
「おにいさん、歩き?」
「いえ自転車です」
「おしり痛くなるでしょう」
「そうなんですよ」
てな会話をひとしきり。
本堂でお参りし、お守り売場を覗いてみると、《たれぱんだお守り》なるものが。表にはたれぱんだの絵、裏にはしっかり「柴又帝釈天」の5文字があります。
《寅さんお守り》ならまだしも、なんでたれぱんだなんだ?
このお守りの御利益はたれぱんだのものなのか、それとも帝釈天のものなのか?
守り袋の中には何があるんだろう?
などと考えながらも、しっかりと買ってしまいました(600円)。
その後、東海道を下るなら道路原標に挨拶せねばばるまいと、日本橋に向かいました。途中向島あたりを通ると、道路や公園に段ボールハウスが乱立しているのを見ました。無職の俺の行く末もああなるのかしらと身につまされました。
日本橋
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道に迷った末にようやく日本橋を捜し出し、ビジネスマンが足早に行き交う中で三脚を立ててセルフポートレート。
すごく恥ずかしかった。
こんなせわしない街ははやく通過しようと、国道15号をひた走る。
川崎あたりでは、折畳自転車のおっさんとデッドヒートを繰り広げることになりました(向こうは意識してないだろうけど)。
基本速度はぼくの方が速いのですが、おっさんには信号無視という得意技があるのです。どんなにぼくが彼を追い抜いても、おっさんはぼくが信号待ちをしている間にすいっと追いついて、さっさと追い越していってしまうのです。
互いに道がそれるまでの数キロにわたって、そんな隠れた戦いが繰り広げられていようとは、同じ道路で駐車違反の取締りをしていたあのおまわりさんとて想像していなかったことでしょう。なんのことやら。
今日の走行距離は80km程度でしょうか。ザウルスの電池が切れつつあります。充電できる場所を明日には探さねば。
ねぐらに選んだ横浜市南区三ッ沢運動公園は、実は暴走族の巣窟でした。
深夜12時頃になると、公園内の道路を
「ぶろろうおん、ぶろろうおん」
とけたたましい音を立てて、バイクが行ったり来たり。あげくは数台のバイクが、まるで野良犬の遠吠えみたいに
「うおん、うおん」
とエンジン音をハモらせるのです。かつてのぼくなら
「あの連中がぼくのテントに目をつけて、『なんだこりゃ、浮浪者のテントか。テントごと袋だたきにしてやれ』って襲いに来たらどうしよう」
とびくびくしてろくろく眠れないところですが、最近は度胸もついて
「あ〜うるせーな〜」
とつぶやいて、ティッシュで耳栓してまた寝られるようになりました。
また、三ッ沢運動公園は右翼の巣窟でもあったらしく、朝になるとどこやらで軍歌とも演歌ともつかぬ歌が大音量で流れてきていました。ああいう右翼の歌って、歌ってる人も右翼なのかしら。
今日はは朝から雨でした。
雨の中でテントを畳むのが面倒臭くて、いっそ晴の日が来るまでテントの中で寝てようかしらと思いましたが、そうもしていられないのでなんとかテントやシートを畳み、身支度を終えてサドル上の人となりました。
雨の遊行寺
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藤沢市で《遊行寺》の看板をみつけ、それが放浪坊主の元祖、かの一遍上人の時宗の総本山であると知り、また道中安全祈願としゃれこもうと寄ってみましたが、宝物殿も休館で、つまんなかったです。
どしゃぶりの中、国道1号をひた走る。
こういう日は、日本の道路政策が自転車のことを考えていないことを痛感させられます。
歩道に《自転車通行可》と恩着せがましく標識出していても、歩行者が一人しか通れないほど狭い道であることがほとんどで、そのうえドブ板や段差でデコボコだし、草ボーボーだし、いつの間にか歩道が途切れて、車道の反対側にワープしていたりするし。
そういうのが嫌なので車道の隅を走るのですが、排気ガスや泥はねやクラクションやゴミや轍やらで、なかなかキイビシい状況であることは変わりないのです。
湘南あたりで《太平洋自転車道》という大層な名前のサイクリングロードを見つけ、こりゃいいやといい気分で走っていたら、ものの10分で草ボーボーの河原に出てしまい、獣道みたいなところを必死こいて国道に戻らねばならない羽目になりました。
このように、自転車用の道路整備は全てにおいて中途半端なのです。
箱根町に入り、カマボコロード(カマボコ店が多いので勝手に命名)を少し過ぎたあたりに、
《県立 いのちの星・地球博物館》
なるでかい施設がありました。
《いのちの星》というウソ臭いネーミングにぼくの感性がピンと反応してしまい、
「こいつはきっと、
『ぼく、アース君。これからぼくといっしょにかけがえのない地球の秘密を勉強しよう』
と言ってアホなキャラクターが出てきてくれるにちがいない」
と勝手に期待し、入場してみることにしました。
トイレにコンセントがあったので、これ幸いとザウルスの充電プラグをつなぎ、何食わぬ顔をして見学を済ませ、トイレに戻るとザウルスがない。受付のお姉さんに
「トイレのコンセント借りて機材の充電してたんですけど…」
と言うと、
「これのことですか」
と待ち構えていたかのように手元から出してくれました。
充電には失敗しましたが、盗まれなかっただけでも幸運でした。6万円で買った最新モデルのザウルスをトイレに放置するのは、我ながら無鉄砲な所業かもしれません。
肝心の展示の中身は、当初の意味での期待は裏切られましたが、派手で見ごたえはありました。きれいな鉱物とか貴重な化石とか変わった虫の昆虫とか、手の込んだレプリカとか。
特に南米産のナナフシやらカミキリムシやらは、巨大な上にグロテスクな姿は腐海に棲む怪虫そのものの不気味さで、こんなのに襲われたら絶対死ぬな、と実感させられました。
「かけがえのない地球を大切に」というメッセージが随所に散りばめらていましたが、皮肉屋のぼくとしては
「これだけのでかい建物作って、世界中から標本買いあさって、それ自体環境破壊じゃないの?」
という感想です。
雨の箱根越え
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地球館を出ると、いよいよ箱根の上り坂です。地球館を出たのが5時頃だったので、あたりはすぐに暗くなり、自転車の4重苦すなわち
暗い・雨・上り坂・向かい風
をもろに味わうことになりました。
芦ノ湖まで行けるかなと思いましたが、途中バスの待合室でおあつらえのがあったので、その中に無理やりテント張って寝ることにしました。
「ここで寝泊まりしないでください」
バス停にテントを張る
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という張り紙がありましたが、堂々と無視。
カッパを脱ぐと、シャツからジーンズからトランクスまで、しっかり濡れていました。
しかしぼくはこのカッパの浸水性に絶大の信頼を置いているので、いまさら驚きません。ただ、もう少しまともな奴を買っとけばよかったと、着るたびに少し後悔するだけです。
リュックの中も、なしくずし的に濡れが浸透してきています。予備の下着やシャツに着替えて、明日の好天を願いながら寝袋にもぐりこみました。
●アンモニアの香り
昨夜の雨でTシャツとGパンがべと濡れになったので、ビニール袋に入れておいたのですが、今朝着ようと思って袋から出してみたところ、Tシャツから漂うつんと鼻をつく匂い。どこかで嗅いだ匂いだなと思ったら、それはアンモニアの匂いでした。着古したシャツに一晩湿気を与えて熟成させるとアンモニアができるとは知りませんでした。
「たしかアンモニアって消毒効果があるんだよな。一石二鳥、めでたしめでたし」
そうつぶやいて、無理やり濡れた服を着ました。すっげえ気持ち悪い。
●金持ちおばさん
バス停の中に無理やり巣を張ったぼくが、朝になってモスラの羽化よろしくテントから這い出すと、テニスラケットを抱えたおばさんがバスを待っていました。
きまりが悪いので
「おはようございます」
と挨拶し、黙々と出発準備をしていると、おばさんが話しかけてきました。
「あら、その自転車で四国まで。いいわねえ、あなたみたいな人に乗ってもらえると自転車も喜ぶわね。わが家も自転車が好きで、プジョーのタイヤつけたりして70万円もかけてるんだけど、全然乗らないの。ベンツの自転車持ってる友達もいるんだけど。じゃあ頑張ってね」
と励まされたので
「どうもありがとうございます」
と頭を下げて走りだしたのですが、しばらくしてふと気が付きました。
あのおばさん、ただ金持ちだってことをひけらかしたかったのか?
●犬の神様
犬の神様
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金持ちおばさんから別れて小一時間。道端に《犬の神様》という看板が。
犬神=狼でも祭ってあるのかしらと祠を覗いてみると、ご本尊は平石に緑のペンキで線画されたチープな犬の絵。縁起の説明板によれば、
《私》こと今井林之助氏が日頃事故死した犬を葬ってやっていたところ、夢枕に犬が人の姿となって現れ、
『わたしはあなたに埋葬していただいた犬でございます。お礼としてあなたに事故はさせません。どうぞわたしをまつってください』
と言ったのだそうな。
いまどき古風な由来譚がほほえましかったので、お賽銭を奮発してあげました。
●元箱根のおかしな人々
R1号最高地点
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国道1号の最高地点付近は霧が吹き荒れ、濡れた服のぼくは死ぬほど寒い思いをしましたが、少し下ると《箱根石仏群ガイダンス棟》というのがあったので、休憩がてら寄ってみることにしました。
「昔、箱根は地獄だった」
がテーマコピーの映像展示施設で、この一帯が鎌倉時代に賽の河原として浄土信仰の聖地だったことから、地獄の様子をショボい映像で紹介しているのですが、
「はは、なんじゃこりゃ」
とぼくが苦笑している隣で、どこかのおじさんが
「オウ!これはすごい!」
とかいって映像の地蔵菩薩に手を合わせていました。
すごい人がいるもんだなあと思いながら出て来ると、隣の休憩所には漢和辞典や国語辞典を広げているおじさんがいました。こんなところで何を調べているんだろうと横目で見ていると、彼が
「創造の森に自転車でいくとどれくらいかかりますかね」
と訊いてきました。
テキトーに教えてあげた後で、
「自転車でいらっしゃったんですか?」
とぼくが訊くと、おじさんは
「そうなんですよ、ぼくこれでも日本人なんですよ、自分でも外人に生まれればよかったなあと思ってるんですけどね、この年でこれから日本の文化を勉強しなおさなきゃいけないと思ってるんですよ」
と、訊いてもいないことを答えてくれました。
駐車場に戻るとおじさんのものらしきおばさん自転車がおいてありました。辞書を片手にママチャリで旅するおじさん。なかなか深い人生背景がありそうだなあと思うとともに、自転車でこんなところまで来る人って、ぼくを含めてみんな何かしらコンプレックスを持ってるのかなあと、しみじみしてしまいました。
●やすらぎの森ふれあい館
箱根神社に参拝した後、坂を上るとなつかしの《やすらぎの森ふれあい館》に出くわしてしまいました。実はかつて友人らと一度来たことがある場所です。もちろんぼくが
「こんなところに嫌らしい名前の施設がある。すごく下らなそうだから行ってみよう」
とゴリ押ししたのです。
まだつぶれずにいたかと感慨深く門を潜ると
「祝 開館10周年」
という看板が出ており、小学生が教師の引率でウォークラリーにはげんでおりました。
出口で「また来てね!」とほほ笑む妖精パック(この施設のキャラクターで、おでこにひし形のマークをつけたリスのオバケ)に、
「また来ちゃったよ」
とほほ笑み返してふれあい館を後にしました。それにしても、ほんとに最低なネーミングの施設です。
アレチウリの海
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●箱根を下る
昼になると晴れ間が出て来たので、道の駅「箱根峠」で、テントやら寝袋やら、昨夜の雨でぐずぐずに濡れていたものを広げて乾かし、その後一気に三島市へと坂を下りました。
鎌倉時代には関東総鎮守だったという三島神社に参拝し、名物だという餅《福太郎》(つぶあんをかけた草餅)を食い、平坦になった国道1号をひた走りました。
夕方には富士市に入りました。
住宅街におしよせるアレチウリの海に沿って、夕日にぼんやりかすむ富士山を眺め、田子の浦港をさまよって、うどん屋でうどんとサラダと生中を飲みました。
田子の浦の夕日
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田子の浦って、万葉集にも詠まれてるくらいだからどれほど風光明媚なところかしらと思っていたら、でかい工場が煙と悪臭をまきちらしているだけの汚い港でした。
今夜は1号線の道の駅にテントを張りました。
仮眠の長距離トラックがアイドリングしていてやかましく、排気ガスで肺ガンになりそうですが、ここのトイレは機器を充電できるので我慢します。
そろそろ洗濯や風呂を考えなきゃいかんかな。
乾いている分には、アンモニア臭もないのであまり気にならないんだけど。